#21 ソーンで得た日常
ソーンのマロウ領南部。都をつなぐ街道から離れたこの地は、未だ野生と自然が文明に勝利している地だ。ここには野生の獣だけでなく、神秘の力を持った魔獣もいると噂される。
夏に入った現在、大地は緑に覆われ木々は鮮やかな葉に包まれる。そんな木々に囲まれたところに、小さな村があった。
いつにも増して、村に降り注ぐ日差しは強かった。日の光は容赦なく人の肌を焼き、村を流れる川の勢いは心細く、村に広がる畑は乾ききっている。
畑に生えた麦の弱々しい姿を目にしつつ、ラーズはいつもどおり、秘術を使う準備を始めていた。
呼吸を整え、秘術の核を起動させる。天奏の秘術を使う時、ラーズの体の中には、いつも奇妙な熱の塊が動く感覚があった。
その熱は心臓から血管を通じ、掌へと流れていく。そして天に向かって伸ばした掌から放たれた熱は、七色に輝く光のきらめきとなって天に登っていくのだ。
光が空と混ざり合い目に見えなくなったところで、ラーズは振り向き、後方にいる人々に声をかけた。
「家の中に入ってください。これから雨が降ります」
言われた村の人々は、言葉の意味が分からないようにラーズを見た。天奏の秘術を披露するという事で、村長から子供に手の空いた大人まで、数十人が見学に来ていた。しかし、目の前で行われたものの内容に、皆拍子抜けしたようだった。
だって空は青々と晴れてるじゃないか。確かに雨を降らせてくれる人が来ると村長に教えられたけど、まさかあれだけで?
皆そう言いたげだったが、腰に剣を提げた軽装の兵士たちは慣れた様子で、村人たちを先導する。
「さあ、きびきび動いて! 雨に濡れたいなら勝手にしなさい!」
村人達は不審がりながらも、兵士の言葉に従っていく。本来彼らはラーズの道中の護衛が任務だ。それなのに秘術を信じない村人を従わせる仕事の方が多いのは、何とも皮肉な事だった。
「ほらほら、雨で濡れると風邪引いちゃうよ! お母さんに怒られちゃうよ!」
リンカも兵士達を手伝い、周囲の子供達をあやすようにしながら近くの家の屋根へと向かった。ラーズも後をついていく。
既にやる事は終わった。これから周囲の天候がどう変化するか、ラーズには秒単位で感じ取れた。
「おい、あれって……」
村人の一人が、空を指さしながら驚きの声を上げた。近くの者もつられて顔を上げる。
そこには先程までなかった、巨大な灰色の雲があった。
久方ぶりに見る空の異常に、村人がどよめいた。
ラーズが小走りに移動し、既に屋根の下にいたリンカの隣に移動したところで、堰を切ったように雨が降り出した。
村人の声から歓声が、まだ退避していなかった村人からは、驚きと感激の声が入り混じって上がった。
ラーズは隣のリンカに目を向けた。
秘術によって呼ばれた巨大な雲から雨が降る様を、リンカはほっとしたような微笑みを浮かべて見ていた。
夜になると、村長の家は大騒ぎとなった。村長がラーズ達を家に招き、歓迎の食事会を開いたのである。
主食として並ぶ麦餅の山はラーズにとってもうお馴染みの光景だ、豪快にさばいた鶏肉の香草焼き、揚げ饅頭を始め、大皿に入った様々な料理がラーズ達と村長一家の前に並べられた。
皿を囲んで丸い座布団にあぐらをかいて座り、食事会は盛大に行われた。
ラーズとリンカを除いて、皆酒を浴びるように飲んでいく。ソーン人は酒に強い者が多く、各地に様々な地酒があるとレオが言っていたのをラーズは思い出した。
「いや、噂には聞いておりましたが、まさか本当にここまで鮮やかに天候を変えられるとは! 天奏の秘術、素晴らしいもんですなあ!」
豪快に笑う村長の青い肌に、酒によって朱が入っていた。村に来た当初は疑いの色が濃かったが、秘術を使ってからは完全に評価が一変していた。旅を始めて以来、ラーズが何度も目にした変化だ。
「雨は明日の朝まで降るようにしています。村近くの溜池にも水が十分溜まると思いますし、当分は持つと思いますよ」
「いやありがたい! 今年の夏は日照り続きでどうなるかと思っとったんですが、まさかこんな形で助けが来るとは思いませんでした!」
村長の話が続く中、召使いが料理をよそった皿をラーズに手渡す。ラーズは苦笑しながらも受け取った。
天奏の秘術を見せて以来、ラーズはシモンの依頼を受け、マロウ領内を回る事になった。
歴代のガレス国王は王城にいながらガレス全域の天候を支配したと言うが、今のラーズにはまだマロウ全域の天気を操作するほどの力もない。そこでシモンはラーズに各地を旅してもらい、その地に住む人々を秘術で助けて回る事を提案した。
多くの場合、その地一帯に雨を降らせるのが仕事となった。今年のソーンは日差しが強く、日照り続きだった為、どこも水には苦労していた。
ラーズとしても、シモンの依頼を受けるのはやぶさかではなかった。キギルに保護されている現状でシモンの依頼は断りにくかったし、人を助けて回る仕事に文句はなかった。何より知らない土地を旅して回るのは楽しかった。
「いや、リンカお嬢様。領主様には感謝いたしますぞ!」
村長がリンカに向かって頭を下げた。
「この度は村を助けていただいて、礼のしようもありません。このガンド、ひとたび領主様の頼みがあれば、村の者総出で助太刀するつもりでおります。その事、どうぞ領主様にお伝えください」
「ありがとうございます。必ず伝えます。皆様を助けることができて、きっと父も喜んでいますわ」
普段のはすっぱな口調と違って、リンカも相手に気を使った言葉遣いになっていた。
リンカは今回、各地の町村との取次を行う役目を負って、ラーズに同行していた。ガレスに旅をしていた時や実家にいた時と違い、きっちり公私の使い分けをしているわけだ。
(俺達と違って、やっぱりちゃんと教育されてるんだな)
妙なところで感心するラーズだった。
「ねえねえ、お兄さん。お兄さんはなんで角がないの?」
ふと気づくと、少年がラーズの隣にきていた。あぐらをかいているラーズよりも背が低い幼さで、まだ言葉もどこかおぼつかないようだった。
「角もないし、肌もぼくらより赤いし。なんで?」
初めて見る自分達とは異質な人間を前にして、少年は興味津々と言った風だった。
ラーズは子供を警戒させないように、にこりと笑った。
「俺はソーンじゃなくて、ガレスの人間だからね」
「ガレス? ガレスって遠いんでしょ? どうしてここまで来たの?」
「あー、それはいろいろあって……」
どう説明するか迷った時に、ラーズの目にリンカの姿が目に止まった。リンカもラーズの視線に気づいて顔を向け、目が合った。ラーズは彼女を指さしながら、
「そう。そこのお姉さんに、助けてくれって頼まれたからだよ」
「へー。あ、そっか。ほれたよわみ、ってやつだね」
「え?」
「え?」
ラーズとリンカの口から、同時に声が発せられた。周囲の人間も突然の言葉に動きが止まる。ただ一人少年が丸い目でラーズを見つめながら、不思議そうに首をかしげた。
「おねえさんのこと、好きなんでしょ? ちがうの?」
「え、いや、それは……」
「こら、サイ! お客人に失礼な真似をするんじゃない!」
村長が一喝し、サイと呼ばれた少年は笑って奥の部屋へと逃げていった。
「いや、申し訳ありませんな。うちの者が粗相を。あの子は覚えた言葉をすぐ使いたがるもので」
「い、いえ、別に……。気にしてませんから」
苦笑いしてごまかしながら、少年の言葉に動揺している自分に驚くラーズだった。




