#20 王子達のすれ違い
廊下にかつかつと規則正しい音を立てて、ハルダーは一直線に兄の執務室に向かっていた。彼の眉間には皺が寄り、端整な顔には苛立ちの相が広がっている。
前方にいた者は皆、怯えるようにハルダーに道を譲っていった。彼がこの顔をしている時は危険信号だと、ガレス王家に仕える者は皆知っている。
「兄上! ウェイナー兄上!」
目的の部屋の前に辿り着くと、ハルダーは勢いよく扉を叩いた。
「入れ」
短い返答も待ちきれない勢いで、ハルダーは扉を開けた。
室内は整理され、無駄な装飾が一切ない。部屋の奥に置かれた手の込んだ装飾が施された木の机だけが、王族の使用する部屋だと主張していた。
「どうした、ハルダー」
机の上に開いていた書類仕事の手を止めて、ウェイナーは口を開いた。
「ラーズ・ベルレイですよ、兄上。天奏の秘術を奪ったあの罪人の行方を、ついに掴みました」
「ほう。どうやった?」
「簡単です。手の者にソーン国内の天候を調べさせたのですよ」
ラーズ達がキーストン転送門からソーンに跳んだ事は、跳んでから数刻後に駆けつけたバリルによって明らかになっていた。しかしそこから先を調べるのが難しかった。ラーズの行方を間者に探らせるにしても、ソーン国内は広大だ。いくらラーズがガレス人で目立つといっても、人一人を探すのには手間がかかる。
そこでハルダーは、ソーン国内の天候に目をつけた。
ガレスの田舎に住んでいたラーズには、ソーンには当然伝手がない。ソーンのどこにいるとしても、その見返りとして秘術による天候の操作を依頼される事は十分に考えられた。そこでソーン国中に間者を放ち、時には商人などからも聞き込みを続け、ソーンの天候が著しく変化した地域を調べたのだ。
一ヶ月以上かけて調べた結果、特定の地域で異常が見られた。もともと雨が少なく、特に今年は日照り続きだったソーン国内で、マロウ領だけは雨の日がガレス以上に多かったのだ。
「マロウ領内で天候が急変する頻度と範囲から見て、ラーズがマロウの各地で秘術を使っているのは間違いありません。おそらく天奏の秘術を条件に、領主に庇護を求めているのではないでしょうか」
兄に己の仕事の成果を語っているハルダーの顔からはわずかに険が取れ、誇らしげになっていた。
「マロウか。あそこを治めているキギル家がラーズを客人として扱っているなら、厄介な事になるな」
ガレスに隣接しているマロウ領とは、ウェイナー達の父が若い頃はいざこざが絶えず起きていたという。領主であるキギル家の性格は傲慢で強欲、例えガレス全体を相手にしても一歩も引かないと、父はウェイナー達によく話していた。
ウェイナーは軽く考えるように目を閉じた。
ラーズが天奏の秘術を継承してから三ヶ月、ウェイナー達は王座を空けた状態で政務に励んでいた。三兄弟が手を組む事でなんとか権威を保ったままで来たが、事件一つでいつ崩れてもおかしくないのも事実だ。
何より、天奏の秘術が失われた事で、ガレス国内の天候は荒れだしているのが大きな悩みだった。既に夏に入り、例年にない日照りが続いている。水不足から来る穀物の不作は、国全体に影響を与える事が予想された。
「俺達は大神に見放された」
「このまま王家を信じて良いのか」
最近では周囲の目を気にせず、そう話しあう民まで出てきている。ガレス王家は三百年続いた歴史の中で、最大の危機に直面したと言ってよかった。
「今ならまだ手を打てます。一刻も早くソーンに軍を派遣しましょう」
ハルダーの言葉に、ウェイナーは目を開けた。
「本気か、ハルダー」
「当然です。状況から見て、ソーンがガレスから天奏の秘術を奪う為に仕組んだとしか考えられません。奴らと戦って秘術を取り戻さない限り、ガレスに明日はありません」
ウェイナーは額に手を当てた。弟の強烈な言葉に、思案に暮れているのが見てとれた。
「ハルダー、無茶を言うな。推測だけでそう簡単に戦争を起こせるわけがあるまい。大体まだ彼の正確な位置も把握できていないのだろう」
「これは時間との勝負なのですよ、兄上。手をこまねいていればいるだけ、我々が不利になります」
「だが時期も悪い。バリルもここにおらんしな」
ラーズを連行する事に失敗したバリルは、現在ガレスの北方にあるニグート国が仕掛けてきた戦に対抗する為、王都から兵を連れて助勢に向かっていた。
「北と南で同時に戦を行うなど、できればやりたくはない」
「ですが、機会は今しかありませんよ、兄上。奴は今はまだマロウで活動しているだけですが、もし奴がソーン王家にまで入り込んだらどうします? もし貴族として地位を与えられでもしたならば、手を出すのも難しくなります。早々にラーズを亡き者とし、秘術を我らの手に取り戻すのです」
「落ち着け、ハルダー。大神が秘術を与えるに相応しいと選んだ者を、俺達は認めんと殺せというのか? それこそ大神が我々を見放すと思わんのか。それで継承の儀を再度行ったとして、大神が我々を選ぶと思うか」
むっとしながらも、ハルダーは口をつぐんだ。秘術に選ばれた者がガレスの王となるべし、という掟の為に、王子達は今苦しい状況に追い込まれているのだ。ウェイナーの言うとおり、秘術を継承できないのであれば、ラーズを殺しても結局元の木阿弥でしかなない。
「……我らは代々秘術を受け継いできた王家の血筋です。奴から秘術の核を取り戻せば、きっと我らを選んでくださるでしょう」
少し悩んでハルダーは言ったが、その言葉には勢いがなかった。
「とにかく、彼の詳細な居所が掴めない限りは、戦はなしだ」
ウェイナーは軽くかぶりを振り、溜息をついた。
「ラーズは我らに投降する意志を見せていたと、バリルも言っていただろう。どうにかして彼ともう一度話し合う場を設けよう。考えなしに彼を敵に回して、それで事態が好転するとは限らん」
「……わかりました。兄上がそう仰るのなら、おそらくそれが最善なのでしょう」
「トゲのある言い方だな」
ウェイナーは軽く笑った。ハルダーが幼い頃から見てきた兄の顔だった。
「お前が秘術の継承を強く求めて、秘術にふさわしい人間たらんとしてきたのは、皆が知っている。きっと大神もそれを見ておられるさ。いずれそれが報われる日がくる」
「……」
「落ち着け、ハルダー。バリルが遠方で仕事をしている今、秘術に関して手を出せるのは、俺とお前しかいないんだ。二人で最良の方法を考えよう。焦ればいい結果が来る訳ではないさ」
ハルダーは何も答えず、ただ頭を下げた。
「ラーズの居所の詳細については更に探るよう、指示を出しておきます」
「頼む。仕事が終わり次第、また後で話そう」
「……失礼します」
軽く応答し、ハルダーは外に出た。
ちょうど扉の近くを歩いていたメイドが、ハルダーの顔を見て動きを止めた。そのまま通り過ぎて行った後、メイドは見てはならないものを見てしまったように、急ぎ足で駆けていった。
自室に入り扉を閉めたところで、ハルダーの自制心は限界を迎えた。
「くそ!」
怒りの叫びを上げ、ハルダーは頭を抱えた。怨嗟の声を吐きながら、部屋の中央をぐるぐると回り続ける。強いストレスを受けた時の、ハルダーのいつもの行動パターンだった。
「何故兄上達はあの男に甘い……!」
高ぶる感情が収まるまで、ひたすら唸りながら歩き続ける。机やベッドを蹴り飛ばしたい気分はやまやまだったが、虚しくなるだけだ。もっと幼い頃は物に当たる事もあったが、兄たちに諭されてからはやらなくなっていた。
父である先代国王アルザーがハルダーの存在を認知したのは、ハルダーが七歳の時だ。王子として迎え入れ、二人の兄に引き合わせたのはもう十五年も前になる。
ウェイナーは十三歳、バリルは十歳。二人の兄達は優しくハルダーを迎え入れ、息子を省みない父の代わりにいつも弟を諭し、時には叱ってきた。
落ち着け、ハルダー。そうじゃない。落ち着けよ、ハルダー。こうするんだよ。
落ち着け、ハルダー。
自信に満ちた顔と共に、兄の言葉が脳内で繰り返される。
「くそっ!」
激情を吐き出しながら、床を勢いよく踏みつける。ようやく落ち着いたハルダーは、荒く息を吐き続けていた。
ウェイナーとバリル、二人の優秀な兄には死んだ国王よりも深く、強い絆を感じている。
しかしそれだけに、二人の己より優れた面を見る度に、ハルダーは己の無力を感じ、屈辱に苛まれるのだ。
「お邪魔でしたかな」
煤を吐き出すような、しゃがれた声がした。
ハルダーが弾かれたように振り向くと、部屋の片隅に人影があった。
小柄な老人だった。中背のハルダーより頭一つは小さい。亡霊を連想させる灰色のフード付きコートを羽織っており、フードの奥からは、皺と白髭に包まれた、にこやかな笑顔がわずかに見えていた。
「……いつからそこにいた?」
なんとか絞り出すように、ハルダーは言った。たとえどれだけ激情に体を震わせていたとしても、自室に人がいたかどうかは普通なら分かる。
老人は喉奥で軽く笑った。顔だけならばそこらを歩く好々爺に見えるのに、その気配が見る者に邪悪な印象を与えていた。
「さて。職業上の秘密、という事にさせていただきましょう。ただ、世の中には意外と、不可能な事というのは少のうございますよ」
「……まあいい。お前が依頼するに足る男だと言うのはわかったよ」
ハルダーは動揺を鎮めるように、ゆっくりと呼吸した。
「早速だが、仕事の話をしたい。外で話をするか」
「いえいえ。ここでようございますよ。殿下も人目にはつきたくないと思いますし」
「そうか」
ハルダーは読書用に置かれた椅子に座り、老人をまっすぐ見据えた。
「蛮魔はガレスの王城すら気にせんというわけか」
「お恥ずかしい名前でございます。
蛮魔。裏社会では有名な伝説だ。この大陸には密かに、人外の能力を持った集団が密かに存在しているという。
思想信条に関わりなく、暗殺、拉致、諜報、様々な裏仕事を、金次第で引き受ける。その力は各国の貴族が受け継ぐ、神々より与えられた秘術にも匹敵すると噂される。
その話を耳にしたハルダーが、密かに彼らに仕事を依頼したのは二週間前のことだった。
そして、組織との連絡役として現れたのが、このヨグと名乗る老人だった。
「標的の居場所が分かり次第連絡する。そしてお前たちは仕事に取り掛かる。そういう契約だったな」
「はい。殿下もそろそろ、標的の居場所を突き止めたのではないかと思いましてな。こうして直接お伺いにあがりました次第で」
「確かに、大体の居場所が分かったところだ」
ひょっとしたら、彼らはハルダー達の仕事を常に監視しているのかもしれない。そう思いたくなるタイミングの良さだった。
背中に冷たいものを感じながら、ハルダーは顔に出さないように務めた。
「前にも言った通り、できるだけ生かして連れ帰って来てほしい。無理なら殺してもかまわないが、死体は持ち帰ってくれ」
「善処いたします」
「再度言っておく。標的の名は、ラーズ・ベルレイ。我らガレス王家から、天奏の秘術を奪った男だ」
ハルダーは眉の根を寄せ、苦々しげに口にした。
「大神の怒りを買いたくないなら、先に言っておいてくれ。この事について黙っているなら依頼を取り消そう」
「殿下、我々は標的が王族だろうと秘術の継承者だろうと、気にはいたしません。しかしながら、こちらも一つ確認したいことがあるのですが」
「なんだ」
「今回のご依頼、兄殿下はご承知なのでしょうか? 大神の怒りを買いたくないのは、我らよりもむしろ王家の皆様と思われますが」
「兄上か……」
ハルダーの脳裏に、先程の会話が思い出された。ウェイナーも似たような事を言っていた。
先ほどの話の限りでは、ウェイナーはラーズに刺客を差し向けることを否定するはずだ。おそらくバリルもそうだろう。バリルはルークス村でラーズを取り逃がした事に責任を感じ、現在はラーズについては一歩引いた位置で、ウェイナーの考えに従う姿勢を見せていた。
確かに、この依頼は二人の兄に承諾を得ていない。兄達に先んじて動き、ハルダーが主導して秘術を取り戻す事ができれば、王家の力関係としても精神的にも、二人より優位に立てる。そう考えての行動だった。
しかし秘術を継承したラーズに危害を加えようとすることを、果たして大神アクローは許すだろうか。
(落ち着け、ハルダー)
ウェイナーの言葉が脳裏をよぎり、ハルダーは理性より感情を優先させた。
「どうせ私は大神に選ばれなかった者だ。ならば己の手で奪い取るまで」
「なるほど、なるほど」
ヨグの笑みが深くなり、皺が更に刻まれた。
「金は払う。これが上手くいけば、兄上達も私の行いを理解してくださるだろう」




