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#02 追跡者は百人

 その場にいた誰もが、呆けたように動きを止めていた。

 目の前で起こった出来事について、事前の予想と全く違った内容に、皆あっけに取られていた。そもそもその渦中にいたラーズ自身、何が起きたのか理解できずにいた。


 手を動かし、顔を動かし、自分の体に異変が起きていないかを確認する。どこにも異常はなかった。先程胸に飛び込んできた光の龍もすでに姿を消しているし、胸には龍が飛び込んだ跡など欠片も残っていない。今のはただの幻だと言われたら、あっさり信じてしまいそうだ。


 立ち上がり、ラーズは周囲を見回した。フードの女と目が合うと、女は思わずといった感じで一歩下がった。ラーズも視線を逸らすと、今度は陣を組んでいる兵士たちと目が合った。彼らも戸惑い、どう反応すればいいのかわからず、固まっていた。


 俺たちは今まで、天奏の秘術を受け継いだ者を主君と仰いできた。ではこの男は……?


 言葉に出さずとも、そう言っているのがわかった。


「捕らえよ!」


 最初に我を取り戻したのは、儀式の当事者である王子だった。


「殺してもかまわん! そいつは秘術を盗んだ罪人、生かして返すな!」


 ハルダーの鋭く、憎悪がにじんだ命令に、兵士たちも硬直から抜け出した。

 秘術を受け継いだ者と、これまで仕えてきた者。どちらに従うか、答えは付き合いの長い者と決まった。


 兵士たちが動き出す前に、ラーズは走り出していた。


 戸惑う人混みの中を突き抜け、大通りへ向かって走る。足音、怒声、鎧が鳴らす金属音。ラーズを追う無数の兵士たちの出す音が、見えないの矢の雨となって背中に突き刺さる。


「捕らえろ!」

「止まれ!」

「待て!」

「殺せ!」


(これで待てるやつがいるかよ)


 混乱するラーズの頭の中で、わずかに残っている冷静な箇所が、独り言のように呟いた。


 人波をかき分け、ひたすら走った。なぜ、とどうして、が頭の中を飛び回るが、手足は逃げるために必死に動いていた。


 走りながら、ラーズは前方の状況を確認した。儀式を見るために集まった人々で、通りは混雑している。人混みに隠れてやり過ごす方法も考えられるが、兵士達が数に任せて探し出す事も考えると、できるだけ早く、遠くに逃げたほうが良さそうに思えた。


 人々の間の空間を認識し、速度を落とさずに走れるルートを選び、一気に突っ切っていく。兵士たちは数が多すぎるせいで、市民を邪魔そうにどかしながら、速度を出せずにいた。

 狩人に追われる獲物の気分は、きっとこんなものなのだろう。ラーズの普段の生活とは、まるで真逆だった。


 広場から離れると、次第に人混みは少なくなっていった。走りやすくはなったが、それは後ろの兵士たちも同様だ。

 格子状の道路を曲がり、できるだけ兵士がラーズの姿を見失うように動く。彼らは複数の道を塞ぎ、ラーズを追い詰めようとするだろう。ラーズの位置を把握されたままだと、いずれ追い込まれ捕まる。


 十字路を何度か曲がり、突っ走ったところで、ラーズは道の選択を誤ったことに気づいた。

 入った通りは南北に真っすぐ伸びており、近くに隠れる場所や路地がない。周囲には家が隙間なく並んでおり、壁となってラーズの動きを封じ込めている。兵士からすれば追い詰めやすい場所だ。


 いっそ窓から屋内に入り込んでやるか。そう考えていたところで、後方から兵士たちの声が聞こえてきた。

 立ち止まってはいられない、と走ろうとしたところで、前方の曲がり角から兵士たちが姿を表した。十人はいる兵士たちがラーズを視認し、列を組んで道を塞ぐ。


「くそっ!」


 毒づいて後ろを向くと、後方の兵士たちもすでに集まってきていた。兵士たちはそれぞれ剣を抜き、または盾を並べて壁を作る。

 挟み撃ち、完全に詰みの状況である。たった一人で反撃に出ても、稼げる時間はわずかだろう。

 じりじりと近寄ってくる兵士たちに、ラーズが奥歯を噛み締めた時だった。


 ラーズの肌に、ぞくりと寒気が走った。狩りに出ている時に、天候の変化を肌が感じ取ることがある。それによく似た感覚だった。

 びゅう、と風が吹き付ける。砂煙が二度、三度と波のように起伏を作って舞い上がり、次第に大きくなっていく。

 次の瞬間、ラーズは、兵士たちは見た。突如吹き上がった風が、砂を巻き上げながら竜巻となって迫ってくる。風によって作られた暴力的な渦は、他に目もくれずラーズと兵士たち目掛けて迫った。


「おわっ!」

「わあぁ!」


 誰が誰の声かなど、もはやわからなかった。空気の生んだ破壊的な力が兵士たちを巻き上げ、吹き飛ばした。渦は通りにいた兵士達を飲み込み、真っすぐ通りを進んでいく。

 そして通りを全て進んだところで、あっさりと竜巻は消えた。

 ラーズは数度目を瞬かせ、大きく息を吐いた。たった今起きた奇跡を再確認するように、体中に目を配る。

 兵士たちは皆暴力に耐えきれずに倒れ伏し、唯一ラーズのみが残っていた。ラーズの体には全く風の影響はなかった。兵士たちと同じく竜巻に飲まれたはずなのに、竜巻はラーズを元いた場所から一歩も動かさずにすり抜けた。


「何が、起きたんだ。一体……?」


 茫然自失といった感じで呟く。局所的な竜巻に襲われた時、ラーズの周囲に突如別の暴風が吹き荒れた。それがまるで結界となったように竜巻の勢いを殺したのだが、目の当たりにしたラーズ本人すら信じられなかった。

 そもそも風がこんな爆発的な力を生むことなどありうるのか。遠くに見える木々は木の葉一枚落ちておらず、そよ風に優しく揺られるばかりだ。まるでこの瞬間、悪魔が苛立ちを解消する為に風を吹き起こしたようだった。


「何があった?」

「竜巻のようだったが?」


 背後から別の兵士たちの声がした。建物の陰から兵士達が集まってくる気配があった。

 ラーズは我に返り、大きくなる声と足音から逃げるように走り去った。

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