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#19 天を奏でる者

 ラーズはキギルの屋敷の玄関先で、シモンが来るのを待っていた。

 すでにレオとリンカは来ており、二人共退屈そうに周囲をふらついたり、雑草をちぎったりしている。


「おいラーズ、ほんとに大丈夫か? なんか準備とかいらないのか?」

 レオが不安そうに尋ねた。ラーズは軽く笑って、

「朝も言ったろ。なんとかなるよ」


 レオがリンカの方を見る。リンカも軽く肩をすくめて、

「どうにかなるってラーズが言ってるんだし、どうにかなるんじゃない?」

「なんだよ、どのくらい秘術を使えるようになったかとか、教えてくれたっていいじゃんか」

「どうせすぐ分かるって。楽しみにしてなよ」


 言い合う二人をよそに、ラーズの気持ちは落ち着いていた。つい数日前はレオと二人でどうすればいいのかと悩んでいたのが嘘のようだ。あの日と同じく空には雲ひとつない。青空にガレスより大きく思える太陽が輝き、激しく大地を焼いていた。


 ラーズが天奏の秘術を使うとシモンに宣言したのは、今日の朝の事だった。



 ラーズがジュナから訓練を受けるようになって、三日が経っていた。ラーズはリンカと共に足しげくジュナの屋敷に通い、訓練を続けていた。

 そして今朝、ラーズとレオが朝食をとっている時にシモンが朗報を伝えてきたのだった。


「治療を受けていたアーシェラ君だが、傷が完治したので、こちらに向かっているそうだ。遅くとも今日中には到着するとの事だよ」

 にこやかな顔で伝えたシモンに、レオは目を輝かせた。


「本当ですか! 良かった……!」

「領主様、ありがとうございます!」

 ラーズも深々と頭を下げた。


「何。礼を言うなら娘に言ってやってくれ。それでだね、そろそろ君も私の頼みを実行できるようになったんではないか、と思っているのだが。どうだね、ラーズ君」


 ラーズに近寄ったシモンは腰を曲げ、顔の位置を揃えて、ラーズを睨めつけた。

 表情は笑顔のまま変わらない。だが彼から発せられる重圧は強く、重苦しかった。ガレスのお伽噺には、人を襲う巨大な悪鬼の伝説があるが、彼がその悪鬼だと言われても、多くの者が納得するだろう。


「私は君の家族を助けた。君が娘の友人だから、今もある程度便宜も図っているつもりだよ。恩着せがましくするつもりはないが、こちらの頼みを叶えてくれると皆が喜ぶんだ。分かるだろう?」


 テーブルをはさんで向かいにいたレオが、二人を見て唾を呑んだ。


「どうだね。今日の昼食の後、私も暇ができる。その時にでも見せてもらえないか?」

「わかりました」

 気負いもせず答えたラーズに、シモンは意外そうな顔をした。だがすぐに笑顔に戻り、


「いい答えだね。楽しみにしているよ」

「はい」


 シモンが部屋を後にし、足音が遠ざかって聞こえなくなって、やっとレオは大きく息を吐いた。

「やべーな、シモンさん。おっかねえ」

「確かにあれなら、秘術を見せられなかったら俺達をすぐ放り出す、ってリンカが言ってたのも頷けるよ」

「おいラーズ、そんなぼけっとしてるけど大丈夫なのか? あんな安請け合いしちまったけど、もう秘術は使えるようになったのか?」


 レオが心配そうにラーズを見た。数日前に愚痴をこぼす姿を見て以来、レオはラーズとあまり話せていなかった。果たしてどの程度使えるようになったのか、気になって当然だった。


「多分。大体分かってきたし、何とかなると思う」

 先ほどと同様に、ラーズはあっさりと答えた。


「何とかって、お前……」

「まあ、やってみるよ。アーシェラも元気になったそうだし、失敗したらそん時は、三人でどうにかしよう」

 落ち着いた雰囲気のラーズに、レオは戸惑いながらも、それ以上なにも言えずに黙るのだった。

 そして昼が過ぎ、約束の時刻が近づこうとしていた。



「やあ、待たせてしまってすまないね。準備はもういいかな」

 玄関から姿を現したシモンの顔は、言うほど申し訳なさそうには見えなかった。裾の長いマントをまとったシモンの姿は、まるで毛皮を被せた巨岩が動いているように見えた。


「大丈夫です。いつでも始められますよ」

「それはありがたい。早速お願いしよう」


 シモンはラーズの隣に立ち、顔を上げた。

「よく晴れた空だ。それでは、この空に雨雲を呼ぶことはできるかね」

「やってみます」


 ラーズはうなずいた。両足を軽く開き、両の掌を胸元で合わせ、大きく深呼吸する。レオやリンカ、シモンも、その場にいた皆がラーズに視線を集中した。

 一定の間隔で、呼吸を行う。そうやって集中することで、体中に巡る秘術の力の動きを探っていく。


(一番大事なのは、自分が秘術を使えると認識する事。使えると理解するのが大変なんです)


 秘術について学んだ時、ジュナはそう言っていた。今ならばその意味も分かる。どうすればできるのか、それを体感すれば、何故こんなに悩んでいたのかと不思議に思うほどだ。

 最初は秘術の力の核を掴むまで一刻近くかかっていたが、今では一分とかからずに感じ取ることができる。

 何度目かの呼気を始めた時、ラーズの精神は秘術の核に触れた。


(よし)


 そのまま呼吸を続けていく。ラーズの心の中で、秘術の核はラーズだけが見える光を放ち、ラーズの全身を激しく駆け巡っていく。


「おお……」


 シモンが小さく、感嘆の声を上げた。いつしかラーズの全身から、薄く白いもやのようなものが立ち上っていた。ラーズの体内から皮膚へ。皮膚と触れ合う風へ。秘術の光が外へ出ていこうとしている。

 ラーズは両手を離し、天に向かって大きく伸ばした。光は行き場を見つけたように、我先にと掌に集まり、そして蛍の群れのように儚げなきらめきとなって天へと放たれた。

 皆がラーズの手から、空へと目を向けた。何も変わらない空模様に、誰もが訝しげに眉根を寄せる。


「ラーズ君、これは……」

「お父様」


 シモンの言葉を、リンカが遮った。リンカの視線の先、遥か空の果てが、青から灰へと色を変え始めた。

 天に並べられたドミノが倒されていくように、灰色の雲はまたたく間に空いっぱいに広がっていき、その色を濃くしていく。

 ぽつ、ぽつと、どこかから音がした。音は次第に大きくなっていき、やがて滝のような雨が町中に降り注いだ。


「やった……!」


 ラーズの胸に、巨大な獲物を仕留めたような達成感が膨れ上がった。


「雨だ!」

「やった! すごい! 雨だよラーズ!」


 レオとリンカが騒ぎ立てる。


「これは……なんと奇妙な」


 先程と同様に、シモンは天を仰ぎ見た。しかしその顔は先程と違い、驚愕に満ちていた。


「あなたを濡らしてはいけないと思いましたので」


 シモンの疑問に、ラーズは答えた。

 マロウの町中に降り注ぐ大雨は、しかしキギルの屋敷だけには全く降っていなかった。見渡す限りの天を覆う雲は、屋敷の上空だけナイフで切り取られたように存在せず、ただ青い空が広がっていたのである。


 自分の力を見せられた充足感と安心感に、ラーズは小さく息を吐いた。ラーズがどれだけ重要な人間か、シモンに分からせることができたはずだ。これで当分の間は、ラーズ達はキギルの協力を得る事ができるだろう。


 軽く拳を握るラーズの目に、雨に包まれた屋敷の外から、一台の馬車が敷地に入ってくるのが見えた。馬車は表門を通り、からりと晴れた庭を横切ってこちらに近づいてくる。

 雨水で轍の線を描きながら、やがて馬車はラーズ達の前で停まった。木と布で作られた四角い荷台には、キギル家の家紋が縫い込まれている。

 御者が車から降り、シモンに礼をした。


「シモン様。ヨーセイの治療院より、こちらに人をお連れいたしました。間違いありませんか」

「ヨーセイ。ああ、間違いない。娘の友人の治療を頼んでいた。連絡も受けている」

「そうでございましたか。それでは」


 御者は再度頭を下げると、車の扉を開いた。車内から緊張した面持ちで、少女が周囲を確認するように顔を見せた。


「アーシェラ!」

「あ、レオ兄! ラーズ兄!」


 アーシェラはレオの姿を確認すると、まるで猫のように駆け出した。飛びついてきたアーシェラを、レオがひっしと抱きしめる。


「アーシェラ、良かった。心配してたんだぞ、ずっと」


 涙声になりながら、兄妹が抱きしめ合うのを見て、ラーズは頬を緩めた。

 これで、ゴードとの約束を果たせそうだった。




 雨は夜になっても、勢いを衰えさせずに降り続けていた。

 久しぶりに聞く雨音に耳を傾けつつ、シモンは屋敷の執務室で、自分の下に送られていた書類を確認していた。今はガレスが跡継ぎ問題で揺れている事もあって、些細なことにも目を光らせねばならなかった。


 一通り書類の確認を済ませると、シモンは軽く息を吐いた。静かに響く雨音が、眠気を誘ってくる。雨は朝には止むように調整したと、ラーズは言っていた。


「……これが、天奏の秘術か」


 なんとなしに、シモンはひとりごちた。

 今日ラーズに見せてもらったものは、自分の認識不足を痛感する代物だった。快癒の秘術もあり、天奏の秘術の存在自体は疑っていなかったが、それでもここまでの力とは思っていなかった。せいぜい求める天候を祈りで呼び起こす、呪い師のようなものだと思っていたのだ。

 ラーズが優柔不断な反応を示したのも、シモンの印象を悪くした。リンカを騙す事に成功した、ただのペテン師でしかないのでは。初めて見たときはそういう考えが頭に浮かんでいた。


 もし秘術を持つという話が嘘ならば、後腐れのないようにしたほうがいい。

(殺すか……)

 ソーン人は基本的に気が早い。もし今朝雨を降らせるように頼んだ時、ああだこうだと日を伸ばすようであったなら、シモンは密かにラーズを消していた事だろう。


 しかし、シモンの認識は甘かった。望む場所に望む時間、望む形で天気を作る。彼はその力を目の当たりにした。しかも娘の話を考慮に入れれば、ラーズが怒れば大地すらも揺り動かすという。

 その力を手に入れた者は、文字通り天地の支配者となれるだろう。


(欲しい)


 痛烈にそう思った。あの力があれば、キギルは更に大きくなる。

 キギル家は家柄としては新参である。かつてシモンの祖父が武勲を立てた事で今の領土を手に入れたが、ソーンの中枢にいる大貴族に比べれば小粒もいいところだ。だがラーズの力を我がものにできれば、その関係を一変させうる事だろう。


 シモンの噛み締めた奥歯が、ぎりり、と音を立てた。

 不意に、廊下から扉をノックする音が聞こえた。


「お父様。リンカです」


 夕食の後で執務室に来るよう、リンカに言っておいたのをシモンは思い出した。


「大丈夫だ。入りなさい」


 遠慮がちに扉を開けて、リンカは若干緊張した面持ちで部屋に入った。シモンは立ち上がり、リンカを出迎えた。今まで考えていた事を気づかれないように、笑顔の仮面をかぶるのも忘れない。


「リンカ。よく来たな」

「いえ。あの、それで用とは一体、どのような……?」

「なに。ガレス人達を連れてきた事について、ちゃんと話していなかったと思ったのでな」


 リンカを用意していた座椅子に座らせて、シモンはリンカと向かい合う形で座った。


「ラーズ君の力は見せてもらった。お前の言うとおりだったよ。流石はガレスが抱えていた秘術、素晴らしい力だった」


 娘と二人きりになると、シモンの口調はだいぶ砕けた形になっていた。五人いる子の中で、たった一人女として生まれた末っ子である。父親としてはかわいくないはずがない。つい対応が柔らかくなってしまう。

「天奏の秘術を奪われた事は、ガレスにとっては一大事だろう。今頃血眼になって捜索している事だろうな。転送門を使った事から、ソーンに跳んだ事も奴らは気付いている」


 しかし、リンカの表情は硬かった。


「ご、ごめんなさい。私が感情的に動いたせいで。ラーズ達の事できっとこれから、大事になります、よね……」

「待て待て、お前に謝らせる為に呼んだわけではないぞ。そんな顔をするな」


 娘の事になると多少親馬鹿の気がある事は、シモンも自覚していた。仮にラーズ達を連れてきたのがリンカでなければ、ラーズ達はその場で首を落とされていたかもしれない。


「ラーズ君がソーンに跳んだ事はわかっても、我々の手中にいる事を奴らは知らん。気付くにしても、当分は時間がかかるだろう」

「はい」

「そこで、気付かれるまでの間に、我々はラーズ君をどうするか考えなくてはならん。彼としては今後どうするつもりか、お前は聞いておらんか?」

「そうですね……」


 リンカは思案しながら、考えを口にした。


「今のラーズにとって、一番重要なのは家族の事だと思います。レオとアーシェラ、二人の従兄妹を両親の下に帰す。彼がそう両親と約束したのを覚えています。その為に、ラーズは全力を尽くすと思います」

「なるほど。家族の情を忘れんのは、見上げた心意気だ」


「ラーズ自身に関しては、故郷に帰りたいという気持ちはあると思います。ただ、ラーズはすでに両親も他界していますから、そこまでこだわりはないようです。それに帰るためには、天奏の秘術が邪魔になります。ガレス王家と交渉して秘術を返す事で許されるなら帰りたい、という気持ちはあると思いますが」

「そうか……」


 確かに一平民が秘術を持ったとしても、宝の持ち腐れでしかない。多くを望まぬから秘術など忘れて元の生活に帰りたい、となるのは十分に考えられた。


(しかし、それでは困る)


 それではソーンに、キギルに益がない。せっかく手元に、世界に二つとない宝があるのだ。それをみすみす手放したくはない。

 シモンは立ち上がり、窓に向かって歩いた。リンカが来るまでずっと考えていた事を言うべきか、これほどに迷うのは久方ぶりだった。

 言う事は簡単だが、果たしてこれが娘にできるだろうか。そもそも彼女がやろうとするだろうか。娘は父の事をどう思うだろうか。そもそも父親としては娘にこんな事をやらせたくはない。しかし……


 頭の中を悩みがぐるぐると回った。


 唸りながら、窓の外に目をやった。雨は衰える事を知らず降り続け、さらさらと恵みの音を立てる雨粒一粒一粒が、ソーンの地を潤していく。

 何とも心地の良い音だった。これを失いたくなかった。

 シモンは大きく息を吐き、リンカの方を向いた。


「……リンカ」

「はい」

「お前に頼みがある。非常に難しい事だ」

「はい?」


 リンカが珍しいものを見るように、目を見開いた。父が娘に命令ではなく頼み事をするなど、年に一回あるかどうかの珍事だ。


「リンカ。確認しておくが、お前にはまだ婿にやる相手は決まっておらんし、お前も交際している男はおらん。そうだな?」

「は? はい、そうですけれど……」


 何が言いたいのか分からず生返事を返す娘に、父は決心を固めて頼みを口にした。


「彼を、ラーズをたぶらかせ」

「はぁ?」

「どんな手段を使っても構わん。あの者を口説き落とし、キギルから離れられなくさせろ。お前の虜にさせるのだ」


 何を言われたのか理解できなさそうに、リンカが固まった。数秒かかってやっと我を取り戻し、麻痺したように歪んだ顔をしつつ、なんとか口を開く。


「お父様……。その……それ、本気で仰っているのですか?」

「本気だとも。私は彼が欲しい。彼の持つ天奏の秘術がな。それを手に入れる為なら、お前を嫁にやっても構わん。わしはそう言っているのだ」


 言い放ったシモンの前で、リンカはただ目を白黒させるばかりだった。

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