#15 リンカの父、シモン
ラーズは目の前の壁にかけられた、色鮮やかなタペストリーを眺めていた。赤を主に、様々な色糸を用いて複雑な模様を編み込まれたタペストリーは、まさに織物の芸術品と言っても過言ではない。
タペストリーだけではない。床全体を覆う絨毯や、ラーズと隣のレオが座る椅子や机に刻まれた、見事な装飾の数々。どれも高度な技術によって作られた逸品だ。ガレスとは全く違う文化が作り出した一室に圧倒されながら、ラーズとレオは待たされていた。
「なあ、レオ」
ラーズはひっそりと、できるだけ声を出さないように口を開いた。会話する事で、部屋の華麗な空気を壊す事になるのが怖かった。
レオも同じ気持ちだったようで、静かに小声で返した。
「なんだよ」
「俺達、ここにいてほんとにいいのかな……?」
「よせって。俺まで不安になってくるじゃないか」
レオがここまでしおらしくしているのは珍しい事だった。いつも軽口を叩き、気のいい兄貴分であろうと振る舞う男だ。アーシェラが近くにいないせいかもしれなかった。
「まさか、リンカがここまで大物だったなんてな」
ラーズは今更ながらに呟いた。
ソーン王国マロウ領。ソーン王国の東部に位置し、ガレスと領土を隣接する地域である。ソーンとガレスは現在のところ比較的友好関係にあるが、ガレスとの戦争になればまさに最前線となる地域だ。それを任されるだけに、マロウはソーンでも有数の戦力を誇ると言われていた。
「俺達、大貴族のご令嬢にタメ口きいてたんだぜ……?」
レオがうめくように言った。今にもこの場で頭を抱えそうだった。
「知ってればもうちょいまともな口の利き方してたんだ。リンカにどこの出身かとか、聞いてなかったのかよ?」
「家はマロウにあるとは聞いてたよ。でも町長の娘か何かくらいに思ってたんだ。まさかそんな大物だなんて思ってもなかった」
そのリンカも、今は姿を見せていない。
先日ガレスの転送門からマロウ領内の転送門に跳んだ後、リンカは大急ぎでアーシェラを医者に見せるように計らった。医者はすぐに駆けつけ、アーシェラは治療を施すために医務室に送られた。
その後、ラーズとレオはリンカと共に、リンカの実家であるキギル家へと向かう事になった。豪勢な客人用の馬車に揺られながらの旅は、これまで想像もしたことのない、まさに夢見心地の気分だった。
そしてリンカの自宅についた後、リンカは父に事情を話すと言って別れ、ラーズ達は応接室に通されたのである。
「これから、どうなんのかな……」
思わず呟いた。ラーズはリンカ達を待ちながら、そればかりを考えていた。
アーシェラの怪我は治る。アーシェラの怪我を見た医者達は、そう断言していた。どのような技術を持っているのか、そこまではわからないが、後はソーンの医療技術を信用するしかない。
当面の問題は、むしろラーズ自身の方だった。天奏の秘術を奪い他国に逃げた平民として、王家は未だに全力で姿を追っているはずだ。
まずラーズ達が転送門を使用した事は既に知られているだろう。
ラーズがリンカと共にいるところを、バリルは見ている。リンカがキギル家の息女だとバリルが気付くかは分からない。しかしラーズ達がリンカを頼って、ソーンに逃げる可能性が高いと判断するはずだ。
そうしたならば、ガレス王家はラーズの捜索を秘密裏にソーンに向けて行う事だろう。
結果ラーズの居所が判明したならば、その後何が起きるか?
罪人であるとして、王家はラーズの引き渡しを要求するだろうか。それとも密かに刺客を送り、秘術を取り戻そうとするか。その場合、リンカの父親はどう判断するか。
ラーズ達を囲うくらいは難なくこなせる、とリンカは言っていた。しかしキギル家の当主が、ガレスとの国際問題に発展しかねない危険人物を、娘の言葉を鵜呑みにして匿ってくれるだろうか。
(下手すれば問答無用で殺される、とかあるかもな……)
考えれば考えるほど、悪い方向にばかり連想して気が滅入っていく。
大きくため息をついたところで、突然部屋の扉が開いた。
部屋に入ってきたのはリンカと、険しい顔をした偉丈夫だった。がっしりとした四角い顎と、広い肩幅が、まるで岩の柱が歩いているような錯覚を感じさせる。白髪混じりの髪を見るに、既に五十は越えているだろうに、その動きは若々しい。
シモンもリンカも、精緻な刺繍が施された上着を羽織っていた。ラーズの脳裏に、共に山奥で狩りをしたときのリンカの姿が浮かんだ。あの時の旅装はシンプルで動きやすさを重視した格好だったが、今の二人の格好は来客用だろうか。
(まるで別人だな)
今のリンカはどこからどう見ても貴族のお嬢様に見える。リンカは父親の前で緊張しているのか、澄ました顔を必死に崩すまいとしているように見えた。
「待たせてすまないね。娘の話を聞くのに、時間がかかってしまった」
顔によく似合う苦みばしった声を発しつつ、男はリンカと共に、ラーズ達の向かいの席についた。
「お初にお目にかかる。マロウ領主、シモン・キギルだ」
「ラーズ・ベルレイです。領主様。お目にかかれて光栄です」
「レオ・ベルレイです。ラーズの従兄弟です。その、お目にかかれて光栄です」
二人とも緊張していた。一地方を統治する領主など、本来なら山奥であくせく暮らす村人が会える人間ではない。
「君たちの話は、娘から聞いた。大変な目にあったようだね」
シモンは二人をを落ち着かせるように薄く笑った。
「天奏の秘術、噂は聞いている。天地を支配する強大な力を持つと。聞いただけではまるでおとぎ話だな。とはいえ、ソーンにも同様に、大神の御使いより授かった秘術があるからね」
「本当ですか? 知らなかった」
「本当だとも。我々ソーンには快癒の秘術と呼ばれる力がある。君達と共にいた、アーシェラ君だったな。彼女の治療にもそれを使用した」
「アーシェラ! アーシェラは無事なんですか?」
妹の名前を出され、レオが思わず反応した。
「心配はいらない。既に彼女の治療は済んだと連絡を受けている。数日中にはこちらに来る。君達とも会えるだろう」
「そうですか。良かった……。ありがとうございます」
頭を下げるレオに軽く目をやった後、シモンはラーズに顔を向けた。
「話を戻そう。君が天奏の秘術を継承したと、リンカからは聞いた。それによって君は追われる身だと。間違いないかね」
「はい……」
「ふむ。我らソーンでは数百年前、大神の御使いが快癒の秘術を授けた。秘術はその血筋と共に広まり、今では秘術の使い手は数多い。しかし天奏の秘術は、これまでガレス王家だけが受け継いでいるそうだね」
シモンは軽く身を乗り出し、いたずらっぽく口角を釣り上げた。
「一応尋ねるが、君も実は王家の末裔という事はないのかね?」
「まさか。俺の父は代々村で暮らしてきた狩人です。母は外から来た者ですが、そういう貴族や王族との関係があるなんて話は聞いたことがありません」
「なるほど。君の母親には興味がわくところだが、今はここまでにしておこう」
上体を戻し、シモンは顎に手を当てた。考えを巡らせるように指で髭をこすりつつ、隣に視線を向ける。
「リンカ」
「はい」
リンカが答えた。その面持ちは下手をすると、ラーズやレオよりも緊張している。
「お前は彼に、ソーンの為に力を貸してほしいと頼んだそうだね」
「はい。天奏の秘術があれば、今のソーンの荒れた天候を正す助けになると。そう思いました」
「お前はいつも感情的に動きすぎる。少しは控えなさい」
「はい……」
息を呑むリンカの首筋に冷や汗が流れているのが、ラーズからもはっきりと見えた。
「とはいえ、リンカの気持ちは今のソーンの民にとっても心を等しくするものだ。私としても、近年のソーンの天候には頭を悩ませている」
シモンはため息をつくと、ラーズを見据えた。
「ラーズ君。君は従兄妹の為にソーンに来る事を決意した。しかしこれからどうするかまでは考えてはいないだろう」
「正直に言えば、そうです」
「だろうね。右も左も分からない地に放り出されて、頼れる者もなく生きていくのは大変だ。私としても、付き合いは短くとも、リンカの友人を無下にするつもりはない。当分はここに留まってもらっても構わない」
「本当ですか?」
「その代わりに、と言ってはなんだがね。リンカの言った通り、私達に力を貸してもらいたいのだ」
シモンの目が怪しくきらめいた。
「君の力が娘から聞いたとおりなら、私の願いなど大した問題ではないだろう。まずは、そうだね。このマロウに雨を降らせてほしい」
「雨、ですか? あの、俺としても手助けはしたいですが。俺、実を言うと、今まで天気を変えた時は無我夢中で。どうすればいいか、いろいろ試してみないと。ソーンに来たのも初めてですし」
「なに、そんなに急ぎはしないさ。アーシェラ君がこちらに来るまで三日ほどかな。それまでにはきっと、上手く扱えるようになっているだろう。いろいろ試してみたらいい」
その顔は笑みを絶やしていないのに、声には有無を言わせぬ力強さがあった。
「君の力で、私達を救ってくれたまえ。できないなんて言わないでくれよ?」




