#12 バリルは雨を憂う
「まさかこうなるとは思っていなかった」
バリルは頭をかきながら、不愉快そうに言った。
ラーズ達が姿を消した後、バリルはなんとか軍勢を立て直すと、今後の方策を練る為に村にとどまっていた。
ラーズの家にバリルをはじめとして副官と衛兵数名が集まり、そしてラーズ一行について詳しく話を聞く為に、ゴードが呼ばれていた。
居間に皆が集まり、バリルはゴードと、机を挟んで向かい合う形で椅子に座っていた。他の兵が数人、居間の壁に等間隔を保って直立不動の姿勢をとっている。
「バリル王子、あなた様が何を考え、我々の村まで来られたのか。その理由も、現在殿下が考えておられる事も、私ごときには想像もできません。しかし、殿下の考えおられるそれが、私の娘を傷つける理由になるなどと、私は思いたくありません」
ゴードは言葉をぶつ切りにするように、ゆっくりと声を出した。必死に怒りを抑え、なんとか冷静に言葉を発しているのが、バリルにも見て取れた。
「あなたの怒りは重々承知しているつもりだ、亭主殿」
ゴードの目に、バリルは居心地の悪さを覚えながら言った。
「私としても、ここで騒ぎを起こすつもりなど毛頭なかった。ラーズ君に敵対する意志がないのなら、まず王都に連れて行って、今後どうするか対策を練った方がずっといい。しかし何者かが、彼に向かって矢を放った」
ゴードが奥歯を噛みしめる。その矢がラーズではなく彼の娘を貫いた事は、バリルもゴードも知っていることだ。
「矢を放ったのが我々の誰かだと、ラーズ君が誤解したのは仕方のない事だ。彼の怒りも理解できる。家族を傷つけられて、怒らない者などおらんさ」
「……」
「兵に命じて、周辺を捜索させている。なんとか射手が捕まればいいのだが、そいつが見つかろうと見つかるまいと、問題は更にややこしくなった」
ゴードの視線をよけるように、バリルは椅子から立ち上がった。窓から外を眺めると、雨はいまだ勢いの衰える事を知らず、雨粒が激しく大地を打ち付けている。この雨では、狙撃手を探す兵士の疲労も激しい事だろう。
(こんな事をさせるつもりではなかった)
もっと楽に仕事を終わらせるつもりだった。事実、ラーズは話を聞こうとする姿勢を見せていた。あのタイミングで矢が放たれなければ、今頃彼から話を聞きながら、王都への帰還の途についていただろう。
ラーズと王家の不運は、互いに互いの考えを理解できていなかった事に尽きた。継承の儀でラーズが秘術を受け継いだ時のいざこざがなければ、ラーズと王家はもっと楽で互いに納得し合える道が取れた事だろう。だがラーズは最早、王家から命を狙われるという考えを崩す事はないに違いない。
バリルの心中で激情が渦巻いていた。兵に苦しみを、王家に脅威を与えた狙撃手への怒りが募っていた。
「それで、重要なのはこれから、ラーズ君がどこに向かうつもりかだ」
心を切り替えて、バリルはゴードの目を見た。まだ居心地は悪いが、少しは落ち着いて相手を見れるるようになった気がした。
「彼は馬を奪い、君の息子とソーン人を連れて村を出た。もしソーンに亡命するつもりなら、これは由々しき事態だ。我らガレス王家が代々受け継いできた秘術を外に持ち出したとなれば、ソーンと戦争になりかねん。私としてもそうはしたくない」
「……ラーズは、娘を助けると私に約束しました」
ぼそりとゴードは呟いた。
「あいつは嘘の苦手な子です。家族に関する事なら尚更です。アーシェラを助けると言ったからには、必ずその為に行動するでしょう。それを放って亡命だなどと、ありえません」
「そうだな。話した限りの印象だが、私も彼が好んで国を混乱させるとは思わない。だが亭主殿、失礼を承知で言わせてもらえば、この近くにあの傷を治せる医者がいるとは思えないが……」
不意に家の扉が開いて、バリルは言葉を止めた。見ると外から風の音と共に、濡れ鼠となった兵士が入ってきた。
「失礼いたします。状況の報告に参りました」
「うむ。失礼、亭主殿」
バリルは立ち上がり、副官のウォーレスに目配せした。ウォーレスと伝令と共に隣の部屋に行き、早速確認の為に口を開いた。
「それで? 状況は」
「山中をくまなく捜索しておりますが、未だ射手を発見できておりません。既に姿をくらましたものかと思われます」
「そうか。まあこの雨だ。見つけるのも難しいだろう」
バリルが眉を寄せる。隣でウォーレスが口を開いた。
「殿下。意見よろしいでしょうか」
「ああ。なんだ?」
「事件の際に射られたあの矢は、天奏の秘術の継承者を狙ったもので間違いないと思われますが、しかしそれでは疑問が残ります。射手は何故、継承者がここにいると分かったのでしょうか」
「うむ……」
王家がこれだけ短期間でラーズの人物像と実家について調べる事ができたのは、王都で大量の兵を使っての事だ。他の者が継承の儀でラーズが秘術を継承したのを見てから、ラーズの居所を王家以上に早く調べるとなると、これはほぼ不可能に近いだろう。
仮にできたとしても、ここでラーズを殺す理由が薄かった。天奏の秘術を奪うのが目的だとしたら、眼前にバリル達が来ている所で殺しても意味がない。
ラーズが死んだとしても、秘術の核は残る。仮にあそこでラーズが死んでいたならば、バリルは遺体を王都に持ち帰り、秘術の核を取り出して再度継承の儀を行う事になっていたことだろう。
ウォーレスが眉間に皺を寄せ、緊張気味に言った。
「……まさかとは思いますが、射手の雇い主はハルダー殿下では?」
「よせ。身内を疑うなんてらしくないぞ」
バリルは答えたが、その声には力がなかった。
確かに、継承の儀のやり直しを最も求めている者はハルダーだ。会議の際にも、ハルダーはラーズに対して強硬な姿勢を崩さなかった。バリルの出陣に際し、密かに暗殺者を雇い、後をつけさせたという考えも十分できる。
しかし所詮は推測だ。証拠は何もない。母は違うとはいえ、同じ血を受け継いだ兄弟を疑う冷徹さはバリルにはなかった。
「失言でした。お許しください」
ウォーレスは素直に頭を下げた。彼が仕える相手は普通ならば若輩と扱われる年齢だ。しかしバリルには、部下に年齢差など気にさせないだけの実力とカリスマがあった。
「いや、いい。確かにハルダーが最近、きつい言動をしてるのは事実だからな。だが、ラーズを狙っているのが俺達だけとは限らんさ。天奏の秘術が手に入るなら、どこの国だって欲しいだろうよ」
バリルは自分に言い聞かせるように言った。考えても仕方のない事だ。頭を切り替え、今後の事について考えを巡らせる。
「彼と同行しているソーン人がいただろう? 彼女もラーズと共に姿を消した。彼女が怪我人を治療する術を持っている可能性は?」
「ソーンは天奏の秘術と同様、大神より授けられた『快癒の秘術』を受け継いでいると聞きます。死人以外なら瞬く間に傷を癒す秘術だそうですな」
「あの女が快癒の秘術を使える可能性は?」
「可能性はあると思いますが、それならば彼女が逃げる理由がないかと」
ラーズがバリルに言った通り、天奏の秘術に関してソーン人の女が関係ないのならば、ラーズと共に逃げる理由は確かに薄い。彼女が快癒の秘術を持っているならば、この場でアーシェラを癒せば良いだけだ。
「もしラーズが快癒の秘術を当てにしてソーンまで向かったとしても、ソーンは遠すぎますな」
「そうだな。奪った軍馬を使っても五日はかかるだろう」
「加えて、街道の要所に検問の兵を配置しております。仮に奴らがソーンに向かったとしても、まず捕える事ができるかと」
「むう……ん?」
バリルは何かに気付いたように、表情を固くした。ウォーレスもそれに気づき、声をかける。
「どうかなされましたか?」
「あったぞ。検問で見つからず、短時間でソーンに行く道が。ここから南東にキーストン転送門があるだろう」
「キーストン? しかしあそこは門を停止させているはず。王家が許可を出さない限り、転送どころか門を起動させる事すらできないはずでは?」
「そうだ。だが今のラーズならできるかもしれん。天奏の秘術を受け継いでいるのだからな」
転送門を起動させる事ができるのは秘術の継承者のみ。普段ならば気にもしない事だが、今の状況では重要な意味を帯びてくる。
「門の関所には警備兵がいるが、お飾り程度だ。警備の連中もだいぶ気が緩んでいるだろうよ。陸路でソーンに行くより、関所を破るほうが遥かに楽かもな」
「なるほど……」
ウォーレスが呻くように言った。
話を進めていると、どんどん現実的な案に思えてしまう。問題はラーズが家族の為に、関所を破る罪を犯すかどうかだ。
(やるかもな)
家族を傷つけられた時の怒りを目の当たりにしたバリルには、それは信じられた。
「とにかく、各隊に兵をまとめるよう伝えてくれ。これから我らはキーストンに向かう。仮に読みが当たっていても、もう遅いかもしれんがな……」
「承知しました」
ウォーレスが伝令に指示を伝えている間、バリルは軽くため息をついた。残念ながら秘術の継承者と共に凱旋とはいかず、今度は雨の中を歩くことになるわけだ。
どんどんややこしくなる現状に苛つきながら、なんの気なしに室内を眺めていると、壁にかけられた一枚の絵に焦点があった。
「……」
奇しくも先日、リンカが立っていた場所と同じ位置で、バリルは壁に掛けられた女性の絵に対して、リンカと同じようにどこか奇妙な親しみを感じ、目を奪われていた。
「……殿下?」
連絡を終えたウォーレスに話しかけられて、バリルは我に返った。
「いや、すまん。この絵の女性だが、どこかで見たような気がしてな」
そう言われて、ウォーレスも絵を見やる。しかしバリルやリンカとは違って特に感じ入るものはなかったようで、あっさりと目を外した。
「美しい女性ですな。どこかで見たとは、殿下の昔の想い人か何かで?」
「まったく、馬鹿を言え」
冗談につられて軽く笑うが、バリルの頭にはどこか引っかかるものがあった。
この絵に描かれた女性は、おそらくラーズの母親なのだろう。ゴードと話した際に、彼の兄がラーズの父である事が分かっている。ラーズの父が先代国王であるという予想は外れたわけだ。
ひょっとしたら、このラーズの母親こそ、天奏の秘術をラーズが受け継いだ要因なのかもしれない。
絵の女性に何か大きく、重要なものの面影を見ている感じがして、バリルはもう一度、絵を眺めるのだった。




