蜂とたわむれるだけの平穏な日常
今日は曇り。肌に染み入る冷気が何とも心地いい。
午前6時、私は緑色のジャージを着ている。午前の蜂の巣巡りだ。
まずはハッチの巣。自宅の南東、リーブ湖のほとりに巣が広がっている。
蜂の巣と言っても1km四方ほどの広さがあり、まるでひとつの街だ。
働きミツビーは朝の清掃を行っている。赤ちゃん蜂を起こさないよう静かにゴミ拾いをする。
蜂さんは私に気付くと敬礼で出迎えてくれる。そのまま中央の大きな巣に案内してもらう。
黄金の玉座に佇むのは身長2mの蜂。みんなのお姉ちゃん『ハッチ』だ。黒と黄色のスタンダードな色合いだが、立ち振る舞いにはどこか気品を感じる。
上着を脱いで肌で体温を感じる。47度、平熱だ。おなかとおしりを撫でて、脚や羽の付け根に触れる。異常なし。
ハチミツとローヤルゼリーを少量分けてもらい、お礼を言って巣を後にする。
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8歳のあの時、キクラを受け止める時、私にとある記憶が流れ込んで来た。
ある男が女神さまに最強の力を要求した。彼は女神さまの機嫌を損ね、心臓の素材にされたらしい。
代わりに私が最強の力とやらを受け取ったらしいが、記憶転移ってとっても辛いんだ。
記憶も人格もぐちゃぐちゃになってどこまでが自分か分からなくなった。
何度も吐いて、その度にママに慰められた。
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午前7時、陽が昇ってきた。曇っているのであまり眩しくない。
『あの時は大変だったなー』なんて思いながらフレアの巣へ向かう。森の奥の洞窟にオレンジ色の巣が光る。
ここの働きミツビーは活気にあふれていて、魔獣をエサにハチミツ製造できるように進化したらしい。
洞窟の奥に赤く燃え盛る蜂が静かに座っている。
フレアは身長130cmと小柄だ。全身が炎に包まれている。
……1800度、平熱だ。翅や手足をハムハムして体温を計る。
触診すると恥ずかしそうに身をよじる。
ブンッ!
投げつけられたローヤルゼリーをキャッチして次の巣へ向かう。
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女神さまに心臓移植されてから、まずは自分の好みの変化に戸惑った。
小食だったのが肉類を好むようになった。野菜が嫌いになったけど、頑張って食べる。ちょっとした反抗だ。
スカートがどうにも落ち着かない、男みたいな長ズボンを履くとしっくりくる。
妹を見てドキドキするようになった。全身を撫で回して可愛い声を聞きたい衝動を抑え続ける。
トイレとお風呂では理性と欲望、興奮と嫌悪感が入り乱れて、慣れるまで2年もかかった。
心臓に従ったら自分が自分じゃなくなるようで、何かしら反抗しながら必死に足掻いていた。
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歩きながら思い出す。『最初は色々と苦労したなぁ……』
ミチルの巣は山の麓だ。地下に謎の遺跡っぽいモノがあって、そこ全域を巣にしている。
ここの働きミツビーは青色だ。規則的に巡回する様はまるで警備兵だ。
コツ、コツ、コツ……
ヴィーッ
自動ドアが開き、青白い女王蜂が姿を見せる。
突然コップを渡される。ごくごく、これはオレンジジュース!
体温は47度。平熱だ。……前足が発達してる。機械を扱っていた結果、突然変異したのだろう。
前足をスリスリさすってあげると触角をピクピク揺らして喜んでいた。
ザッ……!
ハチミツとローヤルゼリーはビニール袋に入っていた。雰囲気が台無しだ。
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このままでは心臓に乗っ取られてしまう……そう思った私は明後日の方向に努力を始めた。
熊や猪型の魔獣を狩って生で食べたり、花に顔をうずめてみたり、蜂に愛を囁いてみたり……
そして疲れたらママに必要以上に甘えて眠る。
ママはそんな私でも受け入れてくれた。妹は離れて行ったけど……
そして奇行を繰り返すうちに私の人格はどんどん変化していったのだ。
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目を閉じて山道を行く。『もしママがいなかったら……人類滅亡してたかもね!』
スカラは標高3000mの山頂に巣を構える。高い所が好きなようだ。
おや?野生のレッドラが襲いかかってきた!……あー、毒針3000発で死んだ。数の暴力には勝てなかったようだ。
頭をナデナデして触診開始。50度、土が焦げた匂いがする。毒針を超高速で打ち出したせいだろう。うん、異常なし。
おなかと針をナデナデしていく。さっきの戦闘とのギャップが可愛い。
ハチミツとローヤルゼリーを普通に受け取り山を降りる。
働きミツビー達が敬礼で見送ってくれた。
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自分の変化と向き合っているうちに私の価値観はガラリと変わってしまった。
私が好意を向ける対象は『蜂』と『ママ』になってしまった。
逆にニンゲンのオスは生理的に無理になった。メスはまだ大丈夫、普通に可愛いと思える。
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午前10時、太陽が高く昇って空気も柔らかくなってきた。
ザハトの巣は森と平原の境目。剣戟の調べが響く。
ガキィィィィン!
バシィィィィン!!
キンキンキーン♪
スパァァァァァン!
ここの働きミツビーはみんな剣や槍を持っている。どうやって用意したのだろう。
平原で稽古にはげむ二刀流の女騎士(?)がザハトである。褐色寄りの装甲からは堅実で強そうな印象を受ける。
汗はかかないが、魔法で体温一定に保つ術を獲得したらしい。
48度、平熱だ。腕も問題ない。ザハトもナデナデしてくれる。やさしい。
稽古で怪我したミツビー達を治療してから、ハチミツとローヤルゼリーを受け取る。
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ここ8年で蜂たちとずいぶん仲良くなった。
私の血を飲ませてみたら何故かとんでもなく強くなって大繁殖!
急激に勢力を拡大して、リーブタウン周辺を制圧してしまったのだ。
村人達はみんな隣の村へ退去して行ったが、可愛い蜂がたくさんいるので私は満足している。
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『シェードちゃ~ん』
最後はシェードの巣。家の傍の六角柱のタワーがそれである。
内壁には六角形の格子模様があり、ハチミツや蜂の赤ちゃんが見える。
タワーを登って最上階の部屋の扉に近づく。
ガシッ!
近づくと、いつものように腕を引きずり込まれる。
このクリーム色の蜂がシェード。めっちゃ甘えて来る。可愛い。
身長150cmの身体で抱きついて頬ずりしてくる。可愛い。
51度、興奮しているようだ。大丈夫、私も興奮している。
ローヤルゼリーをつけた手を口に突っ込まれる。私も指を突っ込む。
ちゅくちゅくちゅく
ペロペロじゅるり
薄いクリーム色のヨーグルトからは独特な苦みと酸味がする。ぺろぺろ、うん、おいしい。たっぷり30分間付き合ってあげた。
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「ただいまー」
「おかえりなさいアオサちゃん♪」
ママと料理の匂いがする。今日は、はちみつトーストのたまごサンドと野菜スープだ。
もきゅもきゅ、もきゅもきゅ、ごっくん。
食器を洗い、掃除選択しながら他愛もない話をする。
隣町の猟師にイノシシをもらったそうだ。今日の晩御飯かな?
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午後はお花の手入れ。働きミツビー達に混ざって花の見回りだ。
病気になってたり、害虫に荒らされていないか確認するだけだ。
うん、今日も平和だ。
時々ミツビーを捕まえてナデナデしながらお花をハムハムする。
平和な時間が過ぎていく。
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日がしずむ。今日も星空が綺麗だ。
夕食の後、外に出て深呼吸をする。
すぅぅぅぅ、はぁぁぁぁー。
ブーン……
シェードちゃんが飛んで来た。可愛い奴め。
ナデナデ、ナデナデ。
15分間ナデナデして、家に戻る。
これからママの膝枕の上でお話をしながら眠るんだ。
……
空に満ちる星々に見守られて少女は眠りにつく。
こんな日常が続く事を願って。
突然ですが、この世界に月は存在しません。