7 正規ヒロイン
クラーク学園で学ぶ生徒は多岐に渡る。
王族やイザベラのような貴族の令嬢、商家の子息子女たちなどのように身分が高かったり裕福な者は一部。残りの大部分は平民である。
クラス編成は身分ごちゃ混ぜだ。そのため教養のある護衛騎士や侍女は、主人と同じクラスになることが多い。
実際にイザベラとセスは同じクラスだ。しかしエミリーだけは別だった。クラーク学園には侍女見習いが通うコースもあり、彼女はそちらに行っている。
本来なら侍女になる前に通うコースなのだが、イザベラの侍女は長続きした試しがないため、同時進行になったのだ。
「このように、原始の時代、神々の時代、魔法の時代、魔具の時代と移り変わっていきました」
カツカツと教師が白い石で黒いボードに書き込んでいく。それを生徒たちがノートに書き写すカリカリという音が教室に響いた。
「現代は魔具の時代と呼ばれていますが、なぜですか?」
「はい。魔法の時代が終わりを告げて、魔法の代わりに魔具が台頭するようになったからです」
「その通り」
ふわぁ……。
イザベラは口元を手で隠し、出そうになったあくびを噛み殺した。
一度受けたことのある授業ほど、退屈なものはない。
教科書を片手に、教師が説明しながらボードに字や図を書きこむ。
授業は日本でいうなら社会。時代の移り変わりと、現在の時代になる大きな要因になった魔具についての説明だ。
ま、ざっくり言ってしまえば魔具って家電よね。
授業を右から左に聞き流し、イザベラは麗子の世界の知識に当てはめた。
身も蓋もないけれど、魔具の説明はその一言で事足りる。教室の天井にある灯りは照明。食料を冷やす貯蔵庫は冷蔵庫と同じ。ただ電気の代わりに魔力が動力源なだけ。だけど日本のように各家庭に電線が引かれ、コンセントに差すわけじゃない。魔石を入れて動く。
その魔石は魔力をためた鉱石である。乾電池、もしくはバッテリーだ。
大昔には、それと似たような仕組みを体内でやれる人間、魔法使いが数多く存在していたらしい。そしてその時代を魔法の時代と呼んでいる。
この世界の住人であるイザベラは、何の疑いもなくそういうものだと思っていたが、麗子からするとファンタジーだ。
「現代の生活を支える魔具ですが、出土された魔具から、原始の時代にはすでに初歩的な魔具が使われていたこことが分かっています。この頃使われていた魔具の燃料は……はい、これが分かる人」
「はい」
いくつかの手が上がり、教師が一人の生徒へ手のひらを向ける。
「発掘された古代の魔具には、わずかながらイニティウム魔石が使われていた痕跡があったことが確認されています」
教師に指名された生徒が、緊張した面持ちで答える。
ふわりとした、明るい茶色とも暗い金髪ともいえるダークブロンド。大きな緑の瞳。薄い桜色の唇にほっそりとした顎。美しいというよりも可愛らしい顔立ちだ。
彼女こそ、正規ヒロインであるアメリアだった。そして彼女は、現存する数少ない魔法使いの一人であったりする。
ただし、今の時点では誰も彼女が魔法使いだとは知らない。アメリア本人でさえ、だ。
「その通り」
ほっとした表情で席に着く彼女を、イザベラは眺めた。
ごく普通の平民であったアメリアは、これから魔法使いの素質を見出され、聖女の再来といわれる。
そんな彼女をずっと憎たらしいと思っていたけれど。
ふと、緑の瞳がこちらを向いた。またイザベラに何か言われると思ったのか、表情が曇る。
この頃はまだ本格的に嫌がらせなどしていなかったが、イザベラは平民のアメリアに対していい気持ちを持っていなかった。我慢することを知らないイザベラは、それを態度や言葉に出していた。
今思えば子供っぽくて、馬鹿馬鹿しいと思う。
麗子の感覚としては平民だの貴族だの、身分の差なんてピンとこない。そんなプライドなんてくだらない。
むしろこれから王子と恋仲になる彼女とは、必要以上に仲良くならなくてもいいけれど、好意的だというアピールはしておかなければ。
にこり。
少し困ったように眉尻を下げるアメリアに、イザベラは笑ってみせる。
アメリアが驚きに目を丸くしてから、戸惑いつつもはにかんだ笑みを返してきた。
「ちょっと、あの嫌味女、どうしちゃったの?」
後ろの席の少女が、つんつんとアメリアをつついた。
「嫌味女?」
「イザベラ様のことよ」
首を傾げるアメリアに、少女がこそこそと続ける。
丸聞こえだけれど。
イザベラは彼女たちから視線を逸らし、聞こえないふりをした。
「何言ってるの。イザベラ様は嫌味女なんかじゃ」
「あなたこそ何言ってるの。事あるごとにチクチク言ってきてたじゃない」
慌ててアメリアが少女――ベリンダをたしなめた。その後もベリンダにそんなことないだの、あれは自分が悪いのだなんて言っている。
ベリンダの方が正しいのに、なんてお人好しなのだろう。前はそれをいい子ぶっていけ好かないと思っていたが、今は好都合。扱いやすくていい。
イザベラはちらりとベリンダを盗み見た。
ベリンダもまた平民出身だが、最近勢いのある商家の娘。彼女はどうやらイザベラにいい印象を持っていない。それどころか嫌っている。
貴族は成り上がりの商人を重用しつつも嫌い、商人は貴族の機嫌を取りながらも嫌っている。そういうものなのだ。さらにベリンダはアメリアの親友。それはもう、イザベラを嫌っていて当然だろう。
……でも、黒い影は見えない。
イザベラは教室にいる教師、生徒たちをそれとなくぐるっと見渡した。同じように授業を受けるセス、アメリアとベリンダ。マリエッタたちもいる。その誰にも黒い影は見えなかった。
死ぬ前に貴族の男に重なっていた黒い影。前回あれは、あの時にしか見なかった。
それは麗子の意識が目覚めていなかったからだろうか。
無意識に右手で制服の胸の辺りを掴み、左手を口元に持っていった。
親指の爪を噛む。
麗子の時、黒い影はあちこちにあった。一番濃くて恐ろしかったのは父親だ。麗子を殴るときにはいつも黒い影とノイズが重なっていて、麗子はそういうものだと思っていた。物心ついた時からあったから。
父親以外にも、同級生たちに時々黒い影が見えた。黒い影が見える時、大抵彼らは麗子に何かしらしてくる。馬鹿にしたり、小突いたり、体を触ってきたり。そのことから麗子は、麗子に対しての悪意が黒い影なのだと思っていた。
黒い影など普通は見えないものだと気付いたのはいつだっただろう。
誰にも言えず、一人で病院に行くと、ストレスによる精神病の一種だと診断された。それから間もなく父親のもとを飛び出したからか、薬が効いたのか、黒い影を見なくなった。
だけど麗子の死の間際。麗子を刺したあの男には、黒い影が重なっていた……。
イザベラの意識が、どんどんと麗子の意識に沈んでいく。
今、どこにも黒い影なんてない。ノイズだって聞こえない。なのに暗い。指先が冷たくなってくる。
カリッ。爪が鳴る音が、遠くで聞こえた。
ふわ。
急に左手が温かくなった。やんわりと力を加えられて、唇から親指が離れる。
「授業が終わりましたよ、お嬢様」
「あ……」
驚いて自分の左手を見ると、セスがイザベラの手を包むように握っていた。
薄くかけられていた、ほの暗いフィルターが取り払われる。音が戻ってくる。指先に血が通う。
「大丈夫ですか? まだお加減が悪いのでは」
セスの柔らかい声。少し硬い手が、温かい。
なんだか泣きそうな気分になって、イザベラはぷいっと横を向いた。
「少し考え事をしていただけ。大丈夫よ」
誤魔化すように教室を見渡すと、生徒たちが思い思いに歓談しながら荷物を整理していた。その中の一人に視線が止まる。
一人の男子生徒がアメリアと話していた。
グレーのようなくすんだ金髪に青い瞳。甘いマスクには爽やかな微笑みが浮かんでいる。イザベラよりも頭一つ高い細身の体を包む制服が、彼のスタイルの良さを際立たせていた。
ジェームス・ヘンリー・キャンベル。小説内のヒーローで、イザベラの現婚約者だ。イザベラの一つ上で、今の時点では王位継承権、第二位の王子である。
今の時点としたのは、これから五年後、王位継承権第一位の王太子が崩御してジェームス王子が王太子になるからだ。
「ああ、愛しのイザベラ。元気になったんだね。心配していたんだよ」
イザベラの視線に気付いたジェームスが、こちらを向いた。
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