31 絶望的な状況の中で
「お嬢様……すみません」
「謝らないで!」
腕の中でエミリーが小さく謝るのを、イザベラはぴしゃりと遮った。
そんな風に謝らないでほしい。まるで死ぬ前の懺悔みたいで冗談じゃない。
「馬鹿っ。言っておくけど、貴女をいくらで買ったと思うの。私からすればはした金だけどね、貴女の家だとそれなりの大金よ。今貴女が死んだら貴女の家族のつけよ、つけ。借金!」
エミリーの傷口を押さえる手に力をこめて、イザベラは憎まれ口を叩いた。
これ以上流れるな。命まで流れてしまう。
「それは……困りましたで……すね」
エミリーが、弱々しく笑った。耳をそばだてていないと聞こえないような、消え入りそうな声。
「そうよ。貴女より大事な家族が困るんだから! だから頑張りなさい。大丈夫。直にセス達がモンスターをやっつけてくれるわ。そしたらすぐ医者に診てもらいましょう。それまでの辛抱よ」
左腕が折れたセスの動きは、素人目にも鈍くなっている。ジェームス王子の銃弾も、屈強な護衛騎士の剣も通っていない。石で出来たガーゴイルだけでなく、オークにさえだ。
どんなに攻撃しても浅い傷しか負わせられず、逆に一人、二人と倒されていく。
立ち上がったセスが、ガーゴイルに向かおうとして、折れた腕を押さえる。オークが無造作に護衛騎士を投げつけ、ジェームス王子を落馬させた。
体勢の整わない二人に、ガーゴイルとオーク、それぞれが爪と拳という凶器を振るう。
「ああああああっ」
「ぐぅうううっ」
二人の悲鳴と何かが砕ける鈍く重い音。
「セスーッ!」
「ジェームス様ッ!」
名を呼ぶイザベラたちの前に、どさりと二人が投げ出された。
「さァて。俺らモンスターがここにいるって意味、分かるなァ?」
「……魔王の復活……」
肋骨が折れたのか、地面を転がったまま腹を押さえたジェームス王子が蒼白な顔で呟く。
「その通りぃ。喜べ人間ども。絶望と闇の時代が来るぜ」
銃を握る王子の手をオークが踏みつけた。
「ジェームス様っ!」
ジェームス王子に駆け寄ったアメリアがモンスターに訴えた。
「そんな、魔王が復活してしまうなんて。お願い、ジェームス様を殺さないで下さい。大切な人なんです。彼は王家の、勇者の血を引く私たち人間の希望なんです!」
「なっ」
イザベラは思わずアメリアの背中を見る。
ジェームスを助けたくて必死なのか知らないが、アメリアは何を考えているのか。その内容では逆効果だ。
「そうか。ならその希望を潰してやるよぉ。まあ、どうせ皆殺してやるがなぁ」
ニイィッと口の端を吊り上げたオークが、ジェームス王子の手から足を退けると、ゆっくりと見せつけるように王子の頭上に足を持っていく。
「お嬢様……」
イザベラの唇に指が当てられた。視線をアメリアたちから腕の中に移すと、エミリーが口を開いた。
「わ、私はここに置いておいて、に、逃げて下さ……です」
「ッ!」
嫌だと言いたいのに、唇に押し付けるエミリーの指とひたと合わせる目の力が思いのほか強くて、イザベラは言葉を飲み込む。
「女ァ。お前だけ生かしておいてやる。人間どもに伝えな。お前らは終わりだってよォ」
「きゃあっ」
ガーゴイルがジェームス王子にすがるアメリアを蹴った。あっけなく転んで地面に伏せるアメリアの表情は見えない。
「お嬢様」
右足を引きずるようにして、にじり寄ってきたセスが、イザベラに囁いた。左腕は折れ、額からは血と脂汗が流れている。
「俺が時間を稼ぎます。大丈夫。エミリーさんと一緒に必ず追いかけます」
ふわりと微笑むとモンスターから守るようにイザベラの前に立つ。剣を持つ手も、左足もぶるぶると震えている。左腕と右足は同じようにぶらりと垂れていた。
嘘だ、こんな満身創痍の状態で大丈夫なわけがない。
すとん、と唇を塞いでいたエミリーの指が落ちた。体温は下がってきていて、呼吸も弱く浅い。
「セス……エミリー」
やめてよ、二人とも。
ザザッ。イザベラの耳にノイズが届く。胸の中に黒い染みのような絶望がゆっくりと広がっていく。
麗子の代わりに刺された裕助。
イザベラを助けに来て撃たれたセス。
また、死ぬの? 自分の目の前で、自分の為に命を賭けてくれた人が。何も出来ない自分の為に。
そんな。
視界が暗くなっていく。小さかったノイズは、少しずつ大きくなって、言葉を形作った。
――そうだ。絶望しろ。続けての力の行使は世界を壊す。今度は神も邪魔出来まい。もうやり直せない。終わりだ。皆死ぬ。死ぬ。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。死と絶望で埋め尽くしてやろう!――
――ああ、そんな。そんな、そんなこと――。
脳内を埋め尽くすノイズと何かの哄笑、暗い絶望の中、イザベラの胸に生まれたのは。
「じゃあなぁ、勇者の卵」
ドン! オークの足がジェームス王子に振り下ろされた瞬間、セスが折れていない左足で地面を蹴った。
イザベラはそっとエミリーを地面に下ろすと、手を前に伸ばした。
ザザザザザザザ。
――死ね、消えろ、光など捻りつぶしてくれる――
怒りだった。
なぜ二人が死ななければいけない。二人に守られなければならない。なぜ自分は見ているしか出来ない。
「アメリアッ! 力を……」
――そんなこと、許せるわけないじゃない!
「私に貸しなさいッ」
「は?」
ぽかんとするアメリアにイザベラは半ば体当たりで抱きつく。力一杯に抱きしめて、光を感じた。
懐かしい光。懐かしい波動。イザベラはこれを知っている。
「イザベラ様? 何をするんです!」
イザベラの腕の中で驚いたアメリアが暴れた。相変わらずノイズも頭痛をともなうほど響いている。それらを無視して、イザベラはますます力をこめてアメリアの体を押さえつけ、光に集中する。
アメリアの体を巡る白い光。弱く微かな光を、イザベラは強引に掴んだ。
掴んだ光は、空洞だった。本来なら体の奥底、魂から湧き出る聖女の力が表面上にしかない。どうりで足りない筈だ。器の中ではなく器そのものにしか力が巡っていないのだ。
イザベラは祈った。
死なせない。死なせるものか。なんでノイズなんかの思い通りになってやらなきゃならないの。絶望なんてしてやらないんだから!
私は悪役令嬢イザベラ。欲しいものは欲しいし、嫌なものは嫌。だから力を貸しなさい、神よ。
――愛し子よ、変わっていませんね、貴女は――
笑いと呆れを含んだ声がした。やり直す前に聞いた声だ。
イザベラはしっかりと掴んだ聖女の力を手繰り寄せ、自分の奥底で燃える怒りと共に練り上げた。
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