29 ガーゴイルとオーク
「さァて、どいつから殺ってやろうか」
ニタリとした笑みを刻んだガーゴイルが、これみよがしに鋭い石の爪をかかげた。あれに引っかかれただけで、ひとたまりもなさそうだとイザベラは思う。
どうする? どうすれば最善?
前世でも前回でも、こんな状況は知らない。
逃げる? 普通に逃げても逃げ切れない。戦う? 無理だ。どう考えても。
イザベラは二体のモンスターを前にして焦り、混乱してから――。
「逃げるわよ! 早く!!」
――即座に気持ちを切り替えた。
アメリアの覚醒イベントは小説内だけではなく、イザベラ自身がリスタート前に経験している。
今から一年後、学園の生徒たちになりすましたモンスターが、剣術大会のただなかで正体を現して高らかに魔王復活の宣言。剣術大会に出ていた選手たちを襲った。
そのモンスターこそ、男たちが変容だか変身だかをした、目の前のガーゴイルとこちらに向かっているオークだ。
「ぼーっとしない! 足を動かしなさい!」
放心しているエミリーを叱りつける。その声でびくっと体を震わせた彼女の腕をぐいっと引いた。最初こそ鈍くて重かったエミリーだったが、二、三歩で軽くなる。自分の足で走り始めたのだ。横目で確認すれば、アメリアも一緒に走っていた。
「おいおい。待てよ、おい。おいおいおいおい、鬼ごっこかァ?」
ガーゴイルの声に愉悦が混じった。ドスドスと足音を立てて、オークもこっちにやってきている。
ガーゴイルとオーク。どちらも小説やゲームではおなじみのモンスターである。その強さは作品によるが、どの作品でもこのモンスターたちがボス級の強さを発揮することはない。
脅威ではあるが、勇者や英雄たちにとっては恐れることはない存在。それどころか一介の冒険者が軽く倒せたりもする。
しかしそれは、この世界の話じゃない。
前回、剣だけでは倒すことができず、ジェームス王子をはじめ攻略対象キャラたちがモンスターに殺されかけた。
そのショックで、アメリアが聖女に覚醒するのだ。
「ほれほれ、逃げろ逃げろォ!」
「きゃああっ」
ガーゴイルの爪先が、イザベラの背中をかすった。猫がじゃれるように軽く振るった爪。たったそれだけで容易くワンピースが裂け、背中に軽く灼熱が走る。
「お嬢様っ」
「イザベラ様!」
「平気っ、いいから足を動かして」
少しよろめいたものの、足を止めない。止めたら殺されてしまう。
イザベラには何の力もない。
やり直したから、転生者であるからって特別じゃない。モンスターと戦うチート能力も、この場を打開する知恵もない。
アドバンテージはただ、前の自分の愚かさを自覚したこと。他の人間よりも少しだけ前知識があるかもしれない。たったそれだけのことなのだ。
そしてそれは、この場で何の役にも立たなかった。
当たり前だ。未来を見通せるわけがない。予測した未来が来るわけなどない。知っている小説の世界だろうと何だろうと、その世界に生きる限り現実なのだ。
「ハッハァ! それそれェッ」
ふっとイザベラの周りが暗くなった。見上げれば、ガーゴイルの姿があった。鋭い牙を覗かせた口が凶悪な笑みの形を作り、イザベラの太ももくらいの腕が振り下ろされる。
「きゃああああっ」
ガーゴイルの腕が今度はアメリアの足を捉えた。バランスを崩したアメリアが転び、ごろごろと地面を回った。
「アメリア!」
イザベラは彼女に駆け寄り、助け起こした。
「痛い、痛い、痛いっ。どうしてっ、どうして私がっ」
やはりわざと外したのか、スカートの裾と皮膚を浅く裂いただけのようだ。獲物をわざとひと思いにやらず、遊んでいるのだ。
「大丈夫、怪我は大したことないわ。走って」
「無理、痛いっ。ううぅっ、我慢よね、神様ぁっ」
半泣きのアメリアと一緒に立ち上がった。
「追いついたぞぉ、一人、もらったぁ!」
そこへ今度はオークの一撃がきた。イザベラはアメリアの腕を持ったまま、夢中で横に跳んだ。
ガドン! ガーゴイルと違って遊びと無縁の攻撃が、轟音とともに地面をえぐる。揺れと無理な移動でアメリアの体重を支え切れず、イザベラは彼女と一緒に倒れた。
「さぁて、もう鬼ごっこは終わっちまったなァ」
慌てて起き上がろうとするイザベラだったが、ワンピースが引っ張られて動けない。見れば逃げられないように裾をガーゴイルが踏んでいた。
「離しなさいよっ」
抜け出そうと力任せに裾を引っぱるが、びくともしない。
「イザベラ様っ」
隣には逃げようかイザベラを助けようか、迷っている様子のアメリアがいるが、彼女に逃げろと言う余裕がなかった。
「死ね」
ガーゴイルの腕が振り上がり、そしてイザベラに向かって振り下ろされた。その動きがスローモーションのように見える。
これだけゆっくり動いているのなら普通に逃げられそうなのに、自分の体の動きもゆっくりだった。もどかしく思いながらも身をよじる。
それでもあの爪に裂かれるのは避けられない。
衝撃に備えてイザベラが歯を食いしばった、その時。
「駄目えぇっ、お嬢様!」
イザベラの代わりに目の前に躍り出た誰かの影が、ガーゴイルの爪に裂かれ。
「お嬢様っ!!」
「アメリアッ!」
花が咲くように飛び散った赤、複数の馬のいななきと蹄の音、耳をつんざく銃声が飛び込んできた。
ピピッ、とイザベラに細かい液体が飛び散ってくる。遅れて鼻をつく鉄臭さと、どさりとイザベラの方に倒れてくる体を受け止める。
「エミリーッ、どうして」
ガーゴイルに裂かれ、まだ血が溢れている肩口をぎゅうっと押さえた。
「アメリアから離れろっ、モンスター!」
「殿下!」
ガァアァン。また銃声が響き、アメリアに伸ばしていたオークの手が弾かれる。
「お嬢様ぁあああっ」
馬に乗ったセスが剣を抜き、勢いを殺さないままガーゴイルに剣をぶつけた。
「うおッ」
石のガーゴイルを斬ることは出来なかったものの、数歩よろめかせることには成功。ガーゴイルにぶつかった馬が耐え切れずに転倒するが、飛び降りてイザベラの前に着地した。
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