14 主従ではなく、生徒同士
「何だったんですか、一体」
呆然とエミリーを見送ったセスが、ぽつりと呟いた。
突然の嵐のように、買い物のテスト問題を置いていったエミリー。彼女に翻弄されて、呆気にとられているのはセスも同じ。いや、イザベラ以上かもしれない。セスとイザベラをくっつけようというエミリーの意図を分かっていないのだから。
これからセスとデート。デートなのよね。
騒がしいエミリーがいなくなると、イザベラは急に傍らのセスの体温が気になってきた。エミリーの勢いに呑まれて忘れていたが、セスとは密着したままだ。腰にはセスの手が添えられていて、イザベラの肩がセスの胸に触れている。怪しい動きをしたエミリーを警戒して、セスがイザベラを護ろうとしてくれたからである。
「セス」
名前を呼ぶと、間近に青い視線が落ちてきてどきりとする。そういえばセスとこんなに距離が近いのは、はじめてかもしれない。
護衛騎士だけでなく侍従の役割もしていたセスは、いつも側にいたけれど必ず一歩ひいていた。病の床で手を握ってくれたことはあったが、必要以上の触れあいはなかった。ましてや密着することなんてない。
しかも前回と違って、今のイザベラはセスを好きなのだ。嫌でも意識してしまう。
でも、セスはどうなのだろう。
じっと見上げているとセスが不思議そうな顔になった。さらに目線が下りて、腰に添えた手に行くと、はっとしたように目を開いた。
「申し訳ありません!」
弾かれたように手を離し、セスが後ろに下がった。
「そう、そうよね」
分かっていたことだ。イザベラを抱き寄せたのは、護衛騎士の職務を全うしただけ。好意ではない。もし好意だとしても、セスの気持ちはイザベラとは違う。
守るという理由がなくなればくっついてはくれない。
分かっていてもやはり心が痛かった。
「セスは自分の仕事をしただけ、なのよね」
泣く寸前の表情を隠したくて、下を向いた。まつ毛が震える。
「お嬢様?」
顔を覗きこまれる気配を感じてイザベラはぷいっと横を向く。涙を見せたらきっとセスは謝るだろう。でもそれは嬉しくない。
女の涙の威力をイザベラはよく知っていた。涙は相手に対して強制的に罪悪感を抱かせてしまう。同情されてしまう。お手上げだと白旗を上げさせる。
「お嬢様」
え?
ふいに手を握られて、まつ毛を跳ね上げた。青い目を細めて微笑むセスの視線とぶつかる。同情でも罪悪感でもない優しい色だった。
驚きと嬉しさで、イザベラの心臓がうるさいほどに鼓動を刻んだ。
同情や罪悪感でないのなら、どうして手を握ってくれたのだろう。どうして、そんなに優しい顔で微笑んでくれているのだろう。セスの真意が分からない。
「今の俺とお嬢様は、その、護衛騎士と公爵令嬢ではなくてテストを受ける生徒ですから」
「今は同じ、生徒?」
途方に暮れた子供のように小さく呟いて、イザベラはゆっくりと瞬きをした。
『護衛騎士と公爵令嬢』という立場は、どんなに振り払いたくてもずっとつきまとって消えないものだった。だけど今なら。立場を蹴っ飛ばして対等でいられるのだろうか。対等に接してくれるのだろうか。
「はい。素敵なプレゼントを贈り合って、先生をぎゃふんと言わせてやりましょう」
片目を瞑ったセスが、イザベラの手を握っていない方の手を、ぐっと上げてみせる。
「ぷっ、ぎゃふんってエミリーなら本当に言いそう」
ぎゃふんと言うエミリーが脳裏に浮かんで、イザベラはクスクスと肩を震わせる。
普段あまり軽口を叩かないセスが、おどけてみせてくれたのも可笑しくて嬉しかった。
「じゃあ、とびっきりのプレゼントを選ばないとね。ねぇ、何がいいと思う?」
今度は笑いで滲んだ涙を指先で拭い、悪戯っぽく聞いた。
「お嬢様には、やはり花や宝石でしょうか」
首を傾げて答える。ありきたりなものしか浮かばないらしい。その生真面目な純粋さも好きだが。
「もう。花は形が残らないし、宝石なんて沢山持っているわ」
せっかくの初デート。もっと特別なものがほしい。
「大体、エミリーはいくら置いていったの?」
貨幣に弱い二人に代わって、用意したのはエミリーだ。果たして彼女はいくら用意してくれたのだろう。エミリーから渡された財布を二人して覗き込んだ。
がま口になった色違いの財布の口を互いに開けると、入っていたのは畳まれた紙幣が五枚。つまり五千セーントずつ。
「ええと……これで買えるものってなんでしょう?」
「そんなの私にも分からないわ。分かるのは、宝石の類が買えないってことくらいね」
買い物の仕方は学んだものの、物の相場が分からない。とりあえず、パンが800セーントくらい。エミリーの買った軟膏は3000セーントだったということしか知らなかった。たったそれだけの情報だけでは物価が分からない。
「雑貨屋に戻りましょうか? あそこなら色んなものがありましたよ」
「悪くはないけれど、面白くはないわ」
「そう言われましても。お嬢様が満足なさるような品なんて、そうそうありませんよ」
お嬢様という呼び名に、浮かれていた気分がしぼんだ。
「セスぅ?」
イザベラは頬を膨らませてセスを睨む。
「お嬢様、じゃないでしょう。同じ生徒なんだから」
とがめるようにきゅっと力をこめてセスの手を握り返し、顔を寄せた。
「お、お嬢様」
「だから、お嬢様じゃなくて、イザベラ!」
「……っ」
思わず腰を引こうとするセスを引き留めるため、手を引っ張る。それでも足りなくて、逃がさないというように、セスの上着の襟を掴んだ。
護衛騎士と公爵令嬢ではなく、テストを受ける生徒だと言ったのはセスだ。それなのに結局壁を作っている。それは寂しいし嫌だ。
せっかくエミリーが作ってくれたチャンス。もっと素のセスに近づきたい。
自由奔放で我儘放題のイザベラ。それが周囲の認識で、イザベラ自身もそうだと思う。しかしイザベラは常に公爵令嬢という枠組みの中の振る舞いをしてきた。
こんな風に両親や使用人の目がなく、ただのイザベラとしての時間はなかった。
だからこんな時でもセスが護衛騎士として振る舞うことを余計に寂しく感じるのかもしれない。欲が出てしまうのかもしれない。
「イザベラ」
唇を結んだセスがぐい、と手を引いた。イザベラの手を握った方の手を。
「えっ」
虚を突かれてセスの胸に飛び込む格好になる。セスの手が一瞬だけ腰に周り、軽く抱き締められてから離れた。手を握ったままのセスが身をひるがえす。
「では、探しに行きましょう。店はいっぱいあります」
「ふわっ、ちょっと、セス?」
セスに引っ張られ、イザベラの足が強制的に前に出る。プラチナブロンドとスカートが跳ねて、ふわりと広がった。セスの急な動きに対応できなくて、バランスが崩れる。転ばないように握った手に力を入れると、力強く握り返された。
固く握った手から、流れてくる熱。突然の抱擁と名前呼び。いつもより強引なセス。
「あ、ほら。あっちの髪飾り、イザベラの髪色にぴったりですよ」
「そう? それよりあそこ! あのネクタイピン、貴方に似合いそうよ」
二人して、踊るような足取りで通りをかける。
――今は同じ生徒。
この立場が何よりも嬉しく、輝いていた。
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