愚者にも一得あり
「くそっ…ハーゼに行くまでに…100年かかるかと思った…!!」
俺は少しの距離を水平移動するまでに急上昇・急降下を繰り返しながら絨毯を動かし、約四半日かけてようやくハーゼの街の外れに出て来ることができた。絨毯から飛び降りると、ずっと空を飛んでいたためか平衡感覚を一時的に失っていたようで、地面に足を付けた途端目眩がして倒れ込んでしまった。
ずいぶん時間をかけたが、あの地点から徒歩でハーゼまで移動するなら半日かかっていたので、時間短縮には成功したと自分を慰めた。
「魔力もギリギリ…エリクサーには限りがあるし、どこか安い宿でも…」
街の外れには畑が広がり、森から出てきた動物避けの針金が括り付けられた柵がかけられている。
それに、よく見たら簡単な魔術結界が張られている。まあモンスターが生息している森に面したところにある畑なら、これくらい厳重にもなるだろう。畑泥棒がやってこないとも限らないし。
「柵の切れ目から入るか…?これどこまで続いてるんだ」
柵に対して平行に歩いて街の方へ入り込む切れ目がないか見ていると、ふと、人影に気付きそちらに顔を向けた。
「………」
「あっ…怪しいモノじゃないです!!」
畑の中心で桑を持ってこちらを見ていた禿頭の男の、なんとも警戒心の強い視線に、俺こそが畑泥棒だと思われていることに気がつき慌てて弁解を始めるのだった。
畑にいたおじさんにどうにか事情を分かってもらい、懐に忍ばせているのだろうナイフの存在をチラつかせられながら俺はハーゼの領地内に入り込むことができた。
滞在届けを出さないとどうやら不法滞在者として自警団が捕まえに来るとのことだったので、俺は真っ直ぐハーゼの役所に赴いた。
「すいません…滞在届けを出したいのですが…」
こういう手続き的なことは何もわからなかったので、俺は受付の人に丸投げするようにそう一言だけ告げた。受付にいたやる気のなさそうな中年の女性は、俺を見てぶっきらぼうに「身分証は?ある?」と尋ねてきた。
身分証を持っているのは身分の高い人や、職業の関係で移動するような人だけなので俺は素直に首を振った。
白い粉が所々ついた板を差し出されると、名前や年齢、出身地や職業などの個人情報をそこに書くように指示された。筆記具はいびつな形をした白墨。
「あの…職業のところは…」
「ないなら無いでいいよ。他にもわからないところがあったら空欄でいい。ただ名前だけはしっかり書きな。偽名でもこちとら構わないからね。文字はわかるか?わからないなら口で言ってもらうけど」
「書けます」
そういうと女性は葉っぱを丸めたようなものを口に加えて、火をつけて煙を薫せ始めた。
なんだか、態度が悪いな…。仕事も、自警団が出るなど言った割には個人情報の正確性は重要視されていない様子。俺が国から指名手配されているような極悪犯で、街に潜伏しようとしてるとか思わないのだろうか。
まあ、山育ちでどこの街の籍にも入ってないような浮浪者みたいなものだから、こういう色々なところを見逃してくれるのはありがたいのだけれど…。
俺が板に諸々の情報を書いて受付に渡したところ、今度は小さな板を出してきてその上に何やら片面が黒い紙を重ね合わせると、その上から俺の書いた文字を複写し始めた。黒い紙を取ると、木には黒い文字で俺の名前が写し取られていた。
それを、小さなナイフを使って黒い文字の部分を掘って、その上に黒い墨を針を使って流し込めば、あっという間に繊細な意匠の立派なプレートが出来上がっていた。
「す、すご…」
「この街を出て他の街に移り住むときはそいつはちゃんと返しなよ!表面削って再利用するんだから!」
「はい…ありがとうございます!」
適当に仕事をしていると思っていたのに、彼女の手が紡ぐ『仕事』に俺は思わず感動を覚えていた。
どうせやるなら、こういう『綺麗』な仕事がしたい。そう思いながら俺は受付を後にした。
リヒトは、素直すぎるとことがあるようです