初めは希望に満ちていた
「リヒト…私は、もう、長くはない」
嗄れた声で最後の言葉を紡ごうとする母親の言葉を、聞き漏らさないようにしっかりと耳をたてた。
震える手を握ると、母は安心したように表情を柔らかいものにした。
「私が、死んだら…遺体は、燃やして、灰にしてしまって」
「それは…」
「魔女の、体なんて、残しておいたら、悪魔の格好の餌食になっちゃう、でしょう」
「わかった。きちんと、火葬する」
「それと、家の中の、ものは、全部、貴方に…たいしたものは、残ってないけど」
山奥に建てられた小さな家。しかしその中には、一人の大魔女の叡智が其処彼処に散らばっている。俺も母を見て魔術の道へ進んだ人間として、これほどの財産はないと思った。
「それから…貴方に一つ、お願いがあるの」
「ああ、なんだ。なんでも聞くよ」
「山を、降りなさい。リヒト。世界を、もっとよく知るの。私には…世界を恐れた私には、できないこと、だったから」
「山を…あの、下にある街に行けってことか?」
「若い貴方が、いつまでもここに縛り付けられる必要はないの」
「でも、俺…うまくやっていけるか…」
「考えなさい。常に最善を考えることをやめなければ、きっと…」
母の目が虚ろになっていくのを見て、俺は、しっかりと手を握り、ちゃんとその耳に届くように言った。
「ああ、俺、頑張るよ。頑張って、外の世界で生きていく……いままで、ありがとう。母さん」
眠るようにやがて閉じられた目は、二度と開くことはなかった。
遺灰を魔術で清め、壺の中へと仕舞い込み、それを地面に埋めて、上には石で作った俺の背丈ほどの尖塔を建てた。【781年。偉大なる魔女ナハト、ここに眠る】と刻んだそれは、もし俺がいなくなった後も彼女は確かにこの世界にいたのだと記録するように、森のギャップの中で小さな輝きを放っていた。
「森の外の世界か…確か、ここは【シュバルツ王国】の領土内だったよな…いくなら、シュバルツの何処かか…」
今までずっと自給自足の生活を山の中で送ってきたので、いきなり街に出て生きていけるか心配だった。生きるということは、仕事を持ち、住まいを持つことに他ならない。魔女に育てられてきただけあって、文字も読めるし魔術も少し扱える。仕事を持つなら、魔術関係の仕事がいいだろう。外の世界にも魔術はあり、魔法職として成立していたはずだ。
「よし、まずは行動あるのみ、か」
家の中へ戻り、母と、たまに俺が作り出した魔法具をかき集めた。錬金術で錬成した金属塊から作り出したので、それなりのお金に変えられるはずだった。それを元手に、職を探そう。何か困ったら、またここに帰って来ればいい。
少しの間家を開けるが、結界を張って行けば魔物や、まさかこんなところにまで現れると思わないが、泥棒などの心配はない。
それと、道中疲れるだろうから、エリクサーも持って行こう。麻袋に大量に入れて、少し疲れた時に一本飲むだけで体力と魔力が全回復する、魔術師にとって重宝する必須アイテムだ。流石にこれは売り物にはならないだろうが…。
最低限持っていく荷物を鞄に詰めて、家を施錠する。数歩歩いたところで振り返り、家全体に結界をかける。土地の魔力を利用しているので、俺が解除しない限りこの家は空から火の雨が降ってきたって傷一つ付かない、らしい。この魔術は、母が教えてくれたのだ。
「それじゃ、言ってきます。母さん」
俺は、母の墓に一言告げると、外の世界への第一歩を踏み出したのだった。
初めは、未来への希望に満ちているもの。