その4 晩夏
夜明けのひかり
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私は何をしていたんだっけ。でも、確実にこんなところに眠っていたのはおかしい。見慣れない部屋。体を起こすと、どこか妙な違和感があった。自分の体なんてじっくり見ることはそんなにないけれど、明らかに自分の体ではなかった。指先、腕、肘、他人にはわからないかもしれないけど確実に変わっていた。扉を開けて外に出ると洗面所があった。顔も私の顔ではない。その上、何処かで見た覚えのある顔だった。顔をごしごし何時もより強めに洗ってみる。さっぱりしただけでさっきと顔は変わらなかったのだ。
建物を歩いてみることにする。ここは何処なのか。記憶を辿っても、ここにたどり着いた理由はいまいちぱっとしない。最後の記憶はただぼんやりとした、そんな記憶だった。扉の向こうからご飯を作る音がする。魚を焼いているような香りも漂ってくる。急に空腹感を覚える。いつから寝てたのかは解らないけど普段より時間が空いているのは間違いない。
「さつき」
「ひぃやにゃ!」
突然後ろから名前を呼ばれて飛び上がる。しかも声をかけたのは、顔見知りの荒海さんだった。
「ここは何処なの?」
「ここは、新しいさつきの住む家」
「そうなの、でも、どうして?ここに」
「死んだ以上、元の家には住めないから」
派手に転んで死んだというのは事実らしいけど、ここに住まなければいけない、というのはそういう決まりなのだろうか。
「この家に住む他の人には知らせてあるから、さつきも朝ごはんの時に挨拶して」
「・・・・・・わかった」
それからいろいろな話を聞いて、ここが山の中腹に作られた街であることを知った。古い写真で見るような、どっしりとした古い木造家屋が並んでいる。しかしここはどこの山だろう。荒海さんが来ていたことを考えればそんなに遠くないのだろうけど。
そこで町から出る道を探すことにした。しかし見つかったのは獣道が一本。
「ねぇそこのあんた、ちょっといい?」
「私ですか?」
強そうなお姉さんに話しかけられる。
「そうそう、今ヒマ?手伝ってほしいことがあるんだけど」
「良いですよ」
なにもすることが無かったので快諾したけれど、
「これから何をするんですか?」
「下まで荷物とか手紙とかを運ぶんだよ」
「はい」
下?取り敢えず私は置いてあった荷物を担ぐ。
「あーいい、あんたは軽いあっちの荷物持って」
よっと、と私が一度担いだ荷物をお姉さんが担ぐ。もうひとつの荷物の箱はかさばるけれど軽かった。姉さんは獣道を下り始める。私も急いでついていった。
獣道を降りていき、竹やぶを抜けるとそこは・・・・・・見慣れた景色だった。いや、見慣れた景色というと違う。見慣れた建物、橋、道路は見えているけどこの視点から見たことはなかった。正面に見えているのは神社の鳥居。ということは・・・・・・ここは神社の裏山。神社はお祭りの時に来ているし、この前も東海くんと行ったのだけど裏山は始めてだった。お姉さんは神社の脇に荷物を置くと縁側で休憩している。私も持ってきた箱を置き、手紙をすべて近くの郵便局に投函して休む。
「いやー助かったよ、君なんていう名前なのさ」
「最上さつきと言います」
「さつきちゃんね。あたしは東根梨香。よろしく」
「よろしくお願いします」
梨香姉さんとお互いに自己紹介して、しばらく世間話。と言っても梨香姉さんがほとんど一方的にしゃべっていた。あの山の町のこと。彼女が言うにはあの町に住んでいるのは妖怪だけで、梨香姉さんも妖怪の類いだという。ということは私も妖怪、ということ?
「妖怪っていっても怖がることはないよ、みんな優しいし、それに人間より便利だよ」
妖怪は力は強く、人より物理的衝撃には強いという。あまり実感は無いけどそうなのかもしれない。
「ここにいたの」
そこへ現れたのは、ええと、いつ会ったひとだっけ・・・・・・。そうだ、東海くんと人探しをしていたときのことだ。東海くんを吹き飛ばした人。
「最上さつき」
「はいっ」
「あなたに妖怪として暮らすのに、新しい名前を授ける」
「えっ」
「心配しないで、きっとすぐ慣れるから」
「あたしもすぐ慣れたから大丈夫」
こそっと梨香姉さんが声をかける。慣れるとか、そういう以前に突然過ぎて困っているのだけれど。
「新しい名前は、湯殿たもと、よ」
「湯殿たもと!?」
「なんだ」
湯殿たもと、それは東海くんが探していた名前・・・・・・いったいどうして。
いや、落ち着こう。
「わかりました、湯殿たもとを名乗ります」
「気に入った?それじゃ」
そしてその人は姿を消した。
「・・・・・・ところで今のかたは?」
「知らなかったのか、あれが神様。うちらを従わせているんだよ」
「そうなんですか・・・・・・」
詳しいことは解らないけど、いろいろ覚えなければいけないことがあるらしい。今日覚えたのは新しい名前。
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翌日の朝はなかなかすっきり起きられた。新しく住む家だから緊張が解けないのかもしれない。この家は部屋は自分のものだけど、トイレや台所は共通のものだった。そういうところへの緊張もあるかもしれない。
朝ごはんを食べて私は外へ出た。昨日梨香姉さんにいろいろなことを聞いたのだが、その中で「この村の妖怪の掟」を聞いた。内容はただ助け合って暮らしなさい、というものであるけど、早速実践してみようと思う。
「お、たもと、元気か」
「梨香姉さん」
「鎌をもって何処に行くのさ」
「あの山道の草刈りをしようと思いまして」
「マジ?ありがとう、すごく助かるわ」
「がんばりまーす」
山道にはつるが伸びていたり、石に苔がむしていたりして危ないところがたくさんあった。片っ端から道沿いの草を刈っていく。ばっさばっさ、とかスパスパという擬音語が付きそうなくらいの勢い。お昼は朝に作った塩のおむすび。
「おーきれいになった」
梨香姉さんが荷物を運んでやって来た。相変わらず重そうだ。
「暑いから気を付けなよ、ほら麦茶」
「ありがとうございます、でもまだまだ大丈夫ですよー」
「ははーん、たもと、まだ妖怪の体に慣れてないね、人間の体とは勝手が違うから気を付けなよ」
何がどう違うのかは解らなかったが、気を付けなければいけない。確かにこんなに暑い中で作業してたら熱中症にもなりそうだけど。
「そうだ、神社の近くに笹藪があるんだけど、そこは刈ったらダメらしいよ、なんでも結界が隠してあるとかで残してあるらしい」
「わかりました」
その笹藪は昨日通ったから心当たりがある。取り敢えず麦茶を飲んで、作業を再開。梨香姉さんが降りていってしまえばまた人は私だけ。後は夏の日差しと森のざわめき、虫の声だけ。もくもくと作業を続ける。まだまだ半分近くも夕方になったので切り上げる。また明日にしよう。
翌日。
昨日のつづきの草刈りをしていると、荒海さんが通りかかる。荒海さんはきっと用があって山を登っていくのだと思うのだけど、対して忙しくないのかいろいろな話をする。
「夏休みは何するの?どこか行くの?」
「夏休みは明日で終わり」
「えっ、だってまだ」
荒海さんはケータイを取り出して日付を見せる。確かに盆も終わっていて学校の始まるところだった。
「知らなかったかも知れないけど、亡くなってから再び目を覚ますまで時間がかかった」
「そうなんだ」
妖怪として、再び目覚めるのには時間が必要だったみたい。当然間の記憶は無いけど、何か夢を見ていたような気もする。
「それじゃ、夏休み、どこか出掛けたの」
「しぐれちゃんと海に行った」
同じクラスだった湯田川しぐれの事かな。あまり喋ったことのなかった生徒だけど覚えてる。
「夏ももうおしまいなんだ・・・・・・来年の夏まで待ち遠しいね」
一番好きな季節が今年は本当に飛んでいってしまった。どこか悲しげな秋がやってくる。
「たもと」
「荒海さん?」
「やり残したことってある?」
「やり残したこと?」
「仮にあったとしても、それを解決するのに人を殴ったり、脅したりしてはだめ」
「やらないよそんなこと」
「ありがとう」
ありがとうと言われるってことは現にそういったことが発生しているのかも知れない。私は決してやらないと約束した。
荒海さんは山を上っていった。私は草刈りを再開する。虫の声がよく聞こえる。もう秋はそこまでやって来ていた。
続きます