悪役令嬢はあの人が可愛い
ずっと書いてみたかった悪役令嬢ものを書いたら、なんだか変な方向に進んだような気がしてならないです。
「え、めっちゃ可愛い」
「は? めっちゃってお前、口調どうした」
薄ピンクの髪が風に揺らされるのを見て、呟いた。
幼い頃から厳しく躾けられた言葉遣いがつい吹っ飛んで、それから脳内でドバドバと湧き出た知らないはずの世界の記憶。
輪廻転生の思想はこの世界にもある。受け入れるのは早かった。
ああこれが悪役転生ってやつか、とやや口の悪い人格が心の内で悟り、理解は未だ及ばないのに何故か納得は出来て、そして私はぶっ倒れた。
流行病とか、転んで頭を打ったりとか、池に落ちたりとか、転生ものでありがちだった気がする物理的きっかけではなかったのは幸いだけれど、情報過多でぶっ倒れるのはテンプレ通りなんだ、と薄れる意識で考えた。
倒れる直前まで見つめていたヒロインは、私に気がつかず軽やかな足取りでどこかへ去っていった。
リルティア・ソリーア。ソリーア公爵家の第二子、長女の令嬢である。
前世の私は文字列を雑に俯瞰してソリティアと呼んでいた。本人になった今、誰がソリティアだ馬鹿たれ、とそんな呼び方をした奴を殴りたい心持ちである。
物心つく前から我が国の第二王子と婚約を結んでおり、厳しい王子妃教育を鼻唄まじりにこなす才色兼備を代名詞とした完璧なご令嬢だ。性格も特に問題はなく、婚約者の第二王子とも良好な関係を築いている。
そんな、是非お姉様と呼んでみたくなる完璧お嬢様なのだが、ヒロインとの接触により張り詰めた糸が切れるように心をやられるのだ。ヒロインと好意を交わす婚約者を見て、自分の人生を賭してきた全てが泡と化すことを恐れ、悪意を胸に抱え、ヒロインを攻撃する。
いやそりゃそうだろ、と思わなくもないけど。なるべくしてなった悪役でしょうこれ。被害者面しても許されるのではないだろうか。でも被害者面ってのは、やったもん勝ちなんだよねえ。やられたもん負けなのよ、ソリティアちゃんは。や、だから誰がソリティアだっての。
柔らかなシーツの感触を全身で感じながらふと持ち上がった意識で状況を判断しようとする。ああ、ここは私の部屋だ。
「ティア、目が覚めたか」
聞き慣れた父の声が降ってきて、数回の瞬きの後、返事をして体を起こした。ふらつく様子を見て側にいた侍女が肩を支えてくれる。
「ああ、そのままでいい、無理はするな。……それで、何があった?」
「何が、とは」
「殿下から、お前は倒れる直前に様子がおかしかったと聞いてな」
そういえば、ヒロインを目にしたあのとき、隣に婚約者である殿下がいたのだった。攻略対象者である、第二王子のクロード様。
婚約者がありながら不誠実なことをするような性格ではないと思うのだけど、実際はどうなるのだろう。交流する中で見える人物像としては、兄である王太子の支えとなることを目標とした、優秀で真面目な人、といったところか。
幼い頃からまあまあ仲良く出来ていると思う。恋愛感情はお互いないけど、政略結婚に誰もそこまで求めない。
「……可愛らしい女の子を見つけて、新たな自分が目覚めただけです」
「!?」
「今まで生きてきたのとは違う世界を知りました」
「!?」
そう。私はヒロインを見つけたことで、リルティアではない人格が目覚めたのだ。名前も忘れた、ここと違う世界の私は、リルティアと混ざり合った。
ゲームの世界なのかゲームに似た世界なのか、今はまだわからないけど、テンプレ展開上等だ。早世した前の自分の分まで楽しく生き抜いてみせよう。
「え、あ、ティアは、そういう……?」
父が何故か挙動不審におろおろしているがどうしたんだろう。
「女に惚れたというのは真か、リルティア!」
数日後、突然倒れて迷惑を掛けた謝罪のために王城に向かうと、クロード様に肩を掴まれガックンガックンと揺さぶられた。
この王子、女性に対する扱いがくそじゃないか。ああ、心の中とはいえ、くそとか言ってしまった。淑女教育を思い出せ私。
「女に惚れた……? 誰の話をなさっているのでしょうか?」
「お前だリルティア! 俺というものがありながら! くっ……この浮気者!」
私とクロード様がいる客間に控えていた侍従と侍女が目を剥いた。他の人の目があるところでこうも激しく責められるなど遺憾である。しかも何の話をしているんだろう?
「殿下は、私が女性に懸想している、とお思いなのですか?」
「ああ。そう聞いた。決して許さないぞリルティア。まさかその女が俺よりも可愛いとでも!?」
「何言ってるんですか!?」
「は、そうか。やはり俺の方が可愛いだろう!!」
あれー? 優秀で真面目な人は何処へ。
クロード様付きの執事、マシューに目で助けを求める。クロード様とは乳兄弟として育った彼も攻略対象者だったはずだが、今はそんなもの関係ない。
彼は私の視線に気がつくと、心得たというように頷いた。
「殿下、殿下、落ち着いてください。まずはきちんと事情を聞くのが先です。きっとリルティア様も殿下が一番可愛いと思っているに違いありません」
「む、そうか……」
……なんなん? 可愛いってなんなん。何故二人ともそこにこだわるん?
「前世? 乙女ゲーム? ヒロイン? 馬鹿かお前は」
「今日の殿下からは最も言われたくない言葉だわー」
「しかしあの日も今も、お前の口調がらしくなく崩れているのも確かだな。前世に足を引っ張られているじゃないか」
「それは否定できませんわ……」
内容が内容なので執事のマシューを残して他の者には部屋を出てもらい、クロード様に大まかに私の状況を説明した。
証明しろ、とやかましいので、寿限無を唱えたら不気味なものを見るような目で見られたが信じてもらえたようだ。これで駄目なら国家を歌おうとしていたのだけど、もう要らないと言われた。残念。私はいつだってアンコールを待っております。
しかし前世を信じたから、乙女ゲーム世界を信じる、ということはなかった。マシューなんかは私の口に入ったお茶と菓子の原材料を調べに行った。別に変なものを飲み食いしたとかじゃないから!
「ヒロイン、な。お前があの日に眺めていた女か」
「そうです。ピンクっぽい髪のかわ、あー女の子」
可愛いと言おうとしたらクロード様の目がギラリと光ったので省いた。その可愛いへの謎のこだわりこそどこで飲み食いしてきたんだよ。
「信じきれん。だが面白いな。物語通りなら俺がその女に惚れるのか」
「私も攻略対象らしいですからね。殿下、ライバルですよライバル」
顎に指を添え、彼は不敵に笑った。他に人がいないからか、マシューも砕けた態度で楽しそうだ。手癖悪く殿下のお茶菓子を摘まんで手を叩かれている。いやどんだけ砕けてんだよ。
でも、幼い頃はいつもこうだった。立場は気にせず、王城の中を三人で遊び回って。いつからか、相手にも周囲にも常に気を遣って他人行儀に表面的に接していたから、もうこういう関係には戻れないと思っていた。
「ヒロイン様様だなあ」
こぼれる笑みと共に呟くと、クロード様が目を吊り上げた。
「何がだ。というかそのゲームが本当ならリルティアは敵役なのだろう。どうするつもりだ」
「敵役というか悪役ですね。うーん、こんなことを攻略対象者に話してる時点で、物語の流れなんてどうなるのかわからないですよ。でも強制力って言葉も、無視できないですからねえ」
言いながら考えながら、紅茶を口に運ぶ。流石、王城はいい茶葉を使ってらっしゃる。マシューにおかわりを頼むと何故か自分の分も淹れ出した。だからどんだけ砕けてんだよ。
クロード様が苛立ったようにテーブルを指先でコツコツ叩いた。
「ぐだぐだうるさい。つまりお前はヒロインにみっともなく敗北して俺に婚約破棄されても構わないとでも言うつもりか」
「えええなんで怒ってるの。殿下はヒロインをちゃんと見てないんですか? すんごく可愛かったんですよ! あれなら皆が皆惚れ込むのもわか……」
鋭く睨むクロード様の青の目が、私の口を止める。選択肢間違えたのかなーと主人公でもないのに思った。
「本当に自分が悪役と言うのならちゃんと全うしろ馬鹿ッ! 誰より早く攻略されてどうする!」
確かに。
アリア、という名前だけ覚えていたので調べてもらうと、男爵家の娘だった。
私たちの通う学園にはもうじき入学予定らしく、まさにゲームスタートじゃないか、と思った。
「それで、宰相のとこの次男と、騎士団長のとこの長男、男爵家に養子として入ったヒロインの義弟、あとは隣国の王子が攻略対象者だったか」
「うん、そうそう」
「……リルティア、口調は早いうちに無理にでも矯正しなければ癖がつくぞ」
「かしこまりました。ご忠告感謝致しますわ殿下」
「よし」
犬にするように褒められた。べ、別に嬉しくなんてないんだからね! ツンデレという言葉はこの世界にはないんだったか。じゃあ口に出すのはやめとこ。確実に拾ってくれる相手がいないとボケづらいよね。
しかし、確かに口調は危うい。前世に引っ張られ過ぎている。クロード様やマシューのようにオンオフでしっかり切り替えられるようになりたい。この二人、これで外に出たら完璧だからな。いや、私も完璧だったんだけどな。
「ヒロインめ、狙う男が多すぎやしないか? 今時好色な貴族や資産家だってそんな大物を大人数狙おうとはしないぞ」
「流石に全員同時に落としはしないですよ。この人を攻略しよう、とある程度狙いを定めて行動や発言を選択するのですから」
「俺を落とすには何をするんだ?」
クロード様はなにやら興味津々に目を輝かせている。あれだけ馬鹿にしたくせに、結構楽しんでいるようだ。
「私は殿下ルートをプレイしたことがないので、第二王子という立場とリルティアという悪役令嬢の存在しか知りません」
「……」
「リルティア様、私は?」
マシューがはい、と手を上げたので記憶を辿りながらマシュールートについて思い出す。マシュールートは三番目くらいにプレイしたはずだ。
「ええと、身分のあまり高くないマシューが殿下の側にいることを疎んだ貴族から嫌がらせや圧力を受けているところに出くわして、それでも敬愛する殿下のために努力を怠らないひたむきなところにヒロインが先に惹かれて、一緒に自分を高めるために研鑽に努めているうちに恋が芽生える、って感じです」
「なんか暑苦しいな」
クロード様が嫌そうに顔を歪めた。
「敬愛する殿下のためらしいじゃないですか。流石私ですねぇ。いじらしくて可愛い!」
かわ……うん……。
貴族からの嫌がらせや圧力をこの彼が本当に受けていたとしても、全く堪えないんだろうなあ。へらへらとしているくせに優秀だし、優秀だからクロード様は絶対に手放さないだろう。現状、万が一嫌がらせが存在するのなら、明日にはどうにかなっているはずだ。
今日はそろそろお暇しようかと窓の方を見て空を眺めていると、クロード様が私の名前を呼んだ。リルティア。ソリティアではない。
「お前は誰が好きだったんだ」
「はい?」
「疑似恋愛のゲームだろう。ヒロインとして、お前はどの人物が好きだったんだ」
訊かれて、ゲームのパッケージを脳内に浮かべた。外見も中身も多種多様な攻略対象者。
パッケージを見て。キャラ紹介を見て。共通話を見て。何人かの個別ルートの話を見て。
私は誰が一番好きだったんだっけ?
何気なく見下ろしたテーブルの私の皿には、一枚のクッキーだけが残っている。王城の料理人が作ったお茶菓子はどれも、目も舌も楽しませる、多種多様なものだった。
最後のクッキーをそっと摘まんで、小さく笑う。
「私、殿下のルートだけプレイしてなかったんですよね」
「なんだと!?」
クロード様の声が裏返った。落ち着け。
「今も昔も、楽しみなものは一番最後にとっておくタイプなんです。……とっておき過ぎてプレイする前に死んじゃいましたけど」
「なっ……!」
一番大好きなクッキーを口の中で噛みしめ味わった。ああやっぱり美味しい。
私の侍女が遠慮がちに帰宅を促しに来たので、了承の旨を告げ、自分だけで椅子から立ち上がった。いつもなら手を貸してくれる婚約者様が座ったまま動かなくなってしまったからだ。
その顔が赤いことに気がついて、ふふ、と思わず笑みをこぼすと、彼はふるふると震えていた。
「どうやら私の婚約者様はどこかのヒロインよりも可愛らしいようなので、取られてしまわないように努めさせていただきますね」
殿下がヒロインでリルティア様がヒーローということでいいんじゃないですかね、と半笑いのマシューが呟いた。
お読みいただきありがとうございました。