あけちけの朝
俺の名前は明智開。
世間からは《探偵王子》と呼ばれる高校二年生だ。
ただし学校ではそのことは秘密にしている。普段は探偵として、放課後を探偵事務所で過ごす、優等生。自分で言うのもなんだけど、成績優秀で頭脳明晰、運動神経だっていい。ついでに、ルックスもいい。
これは、そんな俺が送る日常のお話。
明智開 イラスト(2019-02-04追加)
明智家にて。
ある春の日。
お茶の間で、俺が妹の花音と並んで朝食を食べているときのこと。
くせ毛の少年がお茶の間に入ってきた。
「おはよう」
「おはよう。凪ちゃん」
俺と妹に挨拶されて、凪と呼ばれたくせ毛の少年が寝ぼけまなこで手をあげた。
「うん、おは~」
凪は、俺と同い年の高校二年生だ。
こいつも顔立ちはいいのに、いつもやる気ない表情をしているせいで到底美形に見えない残念なやつなのである。背も俺と同じなのに猫背気味だし、もっとシャキッとしてほしいものだ。
うちは掘りごたつだから、凪も腰を下ろして掘りごたつに足を入れる。俺から見て右側の斜向かいの席だ。
「いただきます」
凪は目を閉じたまま俺のお味噌汁を手に取り、ずずーっとすすった。
「うま~」
「おい、凪。それ俺のお味噌汁だぞ」
「そっか。じゃあ代わりにぼくのあげる」
凪は俺のお味噌汁をすすって、ふうとまったりと息をついた。
「サンキュー。て、いらないよ。まったく、ちゃんと起きろ」
花音はそんな凪を見て笑った。
「あはは。凪ちゃんは相変わらずだね」
「本当に困ったもんだよ」
と、俺はため息をつく。
凪はお味噌汁をテーブルに置いて、
「ほんと、まいっちゃうよね~」
「おまえの話をしてんだよ。俺といっしょに呆れるな」
やれやれ。凪にはこっちがまいっちゃう。
花音は俺に向き直って聞いた。
「ねえ、開ちゃん。いまから席立つ?」
俺は凪の味噌汁を飲み干して答えた。
「言っとくけど、花音の歯ブラシは持ってきてやらないぞ」
「そんなー。わかってるのにひどーい。お兄ちゃーん」
そんな妹を無視して俺は立ち上がり、歯ブラシを取りに行く。諦めた花音も渋々立ち上がってついてくる。
ここで、花音の紹介。
花音は、髪型は短めのツインテール、兄妹なだけあり俺といっしょで目鼻立ちがはっきりしている。俺より四歳下でいまは中学一年生。花音は兄である俺のことを、開ちゃんだったりお兄ちゃんだったり、統一感なく呼ぶ。特に凪といるときは開ちゃん呼びが多いかな。
明智花音 中学の制服姿 イラスト(2019-02-09追加)
さて。
俺と花音が歯ブラシ片手に洗面所から戻ってくると。
凪は目を閉じままのほほんとお茶をすすっていた。
「あ、お父さん」
花音がお父さんを見上げると、お父さんは軽快に片手をあげた。
「おう」
お父さんはもう朝食も終えて、あとは出かけるだけだ。さっきまではトイレに行っていたのである。
来るなりお父さんは俺たち三人を見回して、
「そういえば、開はこの前テストの成績よかったんだって?」
「まあね。数学は97点だったよ」
「おお! すごいな。さすがはオレの息子」
勉強が苦手だった父親が言うセリフとは思えない。
うちのお父さんは勉強より運動が得意だったタイプで明るく快活、面倒見もよく人付き合いも得意。だけど、ちょっと厚かましいところがあり、言い換えれば誰とでもフレンドリーに接することができるのが美点だろうか。眉毛が太く顔はちょっと濃い。
お父さんは、今度は凪と花音を見て、
「それで、凪と花音はどうだったんだ?」
凪は苦笑いを浮かべる。
「ぼくに聞くー?」
「あたしにも聞かないで」
花音も逃げるように明後日の方向を向く。
「二人共、開を見習ってちゃんと勉強しないとダメだぞ」
「もう、厚かましいなぁ」
ため息交じりにつぶやく凪に、花音が小声で注意する。
「凪ちゃんっ」
「ほよ?」
凪は花音を見返すのみである。
ドンドンドン!
これはドアを叩く音なんかじゃない。
お母さんが走ってきた音だ。母の名誉のために言っておくと、母は決しておデブさんではない。確かに最近また太ったとか言ってたけど、デブではない。ただ音が立ちやすいスリッパを履いているから余計そう聞こえるのだ。
「余計そうって言ったら、一応太っていることにならない?」
「凪、俺の心の中まで読むな」
テレパスか。
「ぼくたち一心不乱だしいいじゃないか」
「それを言うなら一心同体だ。そもそも断じて俺とおまえは一心同体じゃない」
いや、そんなことはどうでもいい。
お茶の間に来るなり、お母さんは慌てたように言った。
「ねえ、みんな。お父さんのお弁当箱がないの! みんなは知らない? さっきまではあったはずなのよー」
お父さんは急に身体ごと構えるようにして、あからさまに驚いた。
「え!? なんだって? どうすればいいんだ。チラ」
と、俺に視線が向けられる。うぜー。
「失くし物なんて、探偵じゃないんだし簡単に見つからないわ。チラ」
お次は母がこっちらを見てきた。
ついに、花音と凪が追い打ちをかけるように言ってきた。
「開ちゃん、探偵王子なんでしょ!? 見つけてあげなよ」
「そうだよ。探偵王子にしかできないことだぜ? よっ、探偵王子!」
「探偵王子!」
「探偵王子~」
お父さんとお母さんまで煽ってきた。
なんだかとても鬱陶しいんだけど、無視できそうもないみたいだ。普段は俺が探偵をしていて探偵王子と呼ばれていると言っても遊びかなんかだと思ってるくせに、こういうときだけ調子のいいことを言う現金な人たちである。
やれやれ。
俺は立ち上がって、
「わかった、わかったよ。探すから」
「頼んだ! 探偵王子!」
「さすがわたしの息子!」
「お兄ちゃんがんばれー」
「探偵王子はおだてに弱いんだから」
そう言ってやれやれと手を広げる凪。
「俺はおだてられたから探すわけじゃねーよ! みんながやかましいからだよ。お父さんもお母さんも困ってるみたいだしさ」
「親孝行な息子だ! なあ、美穂子」
ちなみに母の名前は美穂子という。さらにちなみにいっておくと、父の名前は秀行だ。
「そうね。本当にいい子に育ってくれてお母さんうれしい。開ちゃん、わたしに似て美形になったし言うことなしだわ」
こっちから言いたいことは山ほどあるけどな。
しかし母がこう言う通り、俺は母親似だ。俺が白皙の美少年なのもこの人の遺伝子のおかげが大きい。また、もし俺を自意識過剰だと思う人がいたら、それもこの人の遺伝子のせいだと思ってほしい。
「とにかく、いまは朝で忙しいんだ。さっさと探そう」
「そうね。探偵のクラブ活動? だかなんだかで鍛えた腕で、ぱぱっと解決お願いね」
こちとらクラブ活動じゃなくて本当に探偵やってんだよ。
さて。
俺は状況確認のために、お母さんに聞いた。
「まず、お弁当箱はいつなくなったの?」
「死んだみたいに言わないでっ」
「亡くなったって……。そっちじゃなくて、いつ失くしたのか聞いたんだよ」
本当に天然だから困る、うちの母親は。
「えーと、確かお弁当作ってるときはあったんだけど……」
ないと詰められないからな。
「なくなったのはついさっき、わたしが目を離してるときだったわ」
「つまり、お弁当が完成するまであったってことか」
「おっ! お兄ちゃんの推理が始まるね。まさか、もうわかっちゃったとか?」
煽ってくる妹は無視。
いや、待て。
ちょっと閃いたことがある。
俺は母親の履いているスリッパを指差した。
「そのスリッパに秘密がある」
「スリッパ?」
母と花音が小首をかしげる。
「そう。そのスリッパは、お風呂場での作業をするためのものだ。ビニール製のスリッパだね。これは普通、お風呂掃除などでお風呂場に入らないと履く必要もないものだ」
「つまりお兄ちゃん、お母さんがお風呂場に入ったってこと? お風呂掃除は朝からしなくない?」
「うん。うちでは朝から風呂掃除はしない。でも、浴槽に溜まった水を汲み取って洗濯に使うでしょ? そのとき履いたスリッパをそのまま履いてしまっていた。それは、忙しくて脱ぐタイミングを忘れていたからだ」
「おー」
と、お母さんと花音が声をそろえて感心した声を上げる。
俺は推理を続けた。
「うちのお母さんは、なんでも並行して同時にいろんなことをやろうとする。だから、お弁当箱におかずを詰めているときに洗濯のことが気になってそっちに関心がいってもおかしくない。さっき俺が洗面所を見たときはお弁当箱がなかった。したがって、お風呂場の中にまで持っていってたってことになるのさ」
「お兄ちゃんすごーい」
「開ちゃん、名推理」
「やるな、開」
花音、お母さん、お父さんと三人そろって拍手する。
「まあ、これくらいの推理なんてことないさ」
QED。証明終了だ。
タタタタッと花音がお風呂場に走って行った。
しかし。
「お兄ちゃーん! お風呂場にお弁当箱なかったよー」
「あれ?」
そんなはずはないのに、どうして……。
ここで、ひとりのんびり朝食を食べていた凪が、朝ごはんの味噌汁を飲み干して言った。
「ふぃ~。美味しかった。ごちそうさま。そういえばお母さん、今日はぼくのお弁当もサンキュー。ありがたくいただくよ」
バッとお母さんが振り返る。
「え? 凪ちゃんのは作った覚えないけど」
そういうことか。確かに、凪に弁当を作る必要はまったくもってない。
凪はつまらなそうにぼやいた。
「なんだ。ぼくのじゃなかったのか」
「当然でしょ。あれはお父さんの分なんだから」
「へいへい。じゃあ持ってくるよ」
だるそうに立ち上がり、凪は玄関に行ってバッグを漁り、弁当箱を持ってきた。
お父さんは怒りもせずに受け取ると、楽しそうに凪の背中を叩く。
「凪が持ってたのか! 人騒がせなやつだな。こいつ~! アハハ!」
「ほんと人騒がせだよね。ははは」
と、凪が頭の後ろをかきながら照れる。
「おめーのことだよ」
俺は小声でつっこんだ。
なんてバカバカしいんだ。
ため息をついて俺も自分の出かける支度をしようとすると、悲しそうな顔で花音が俺を見ていることに気づいた。
「な、なに?」
「お兄ちゃん、可哀想……」
「花音……」
そうか。この心優しい妹は、みんなに振り回される俺の苦労をわかってくれるのか。
俺が感動して目頭が熱くなったとき。
花音は視線をそらしてつぶやく。
「開ちゃん、探偵王子っていう割になんの活躍もできなかったんだもん……。推理間違えたし」
俺はジト目になって、そっと言い返す。
「俺の出る必要もないくだらない茶番だったからな。つーか、推理はさせてもらえなかったようなもんだ。俺はおまえらに絡まれたことのほうが自分で可哀想だと思うよ」
「お母さん、開ちゃんがクラブ活動で鍛えた推理楽しみにしてたのに」
と、お母さんも残念そうに漏らした。
「だからクラブ活動じゃなーい!」
はあ。
俺は疲れて、ため息とともに肩を落とした。
凪はそんな俺の肩に手を置いた。
「開、そんなに落ちこぼれるなよ」
「それを言うなら落ち込むな、だろ? 人をダメ人間みたいに言うなっ。そもそも、おまえのせいだろ?」
いつの間にか支度が完了したお父さんは、会社カバンを持って俺たちに手を振った。
「とはいえ、一件落着だ。それじゃあ行ってくる! おまえたちも急げよ。遅刻するんじゃないぞ」
そんな父に母が言う。
「お父さん、早くしないと電車に遅れるわよ。これじゃ遅刻じゃない」
「なにー!? どこも一件落着じゃないじゃないか! いってきます!」
お父さんは大慌てで我が家を飛び出した。
「いってらっしゃい」
と、俺たちは父を見送った。
すると今度は花音がバタバタ慌てて、バッグを肩に引っ掛けて、
「あたしも遅刻しちゃうよ! じゃあね、いってきます!」
また、俺たちはいってらっしゃいと見送る。
花音は今年から中学生になったから、いまは自転車通学なのだ。家を出る時間も俺よりちょっと早い。
それから五分後。
ちょうどいつも俺が家を出る時間になった。
そろそろ行こうかと思ったとき、おばあちゃんが起きてきた。
明智家では、おばあちゃんはいつも夜遅くまでテレビを観ているテレビっ子なので、平日は起きるのが一番遅く、このおばあちゃんもかなり天然なのだ。うちで一番かもしれない。小さくてころっと丸い、メガネをかけた優しいおばあちゃんだ。
ちなみにおじいちゃんは俺が中学一年生――つまりいまの花音くらいのときに他界したので、おばあちゃんはいまでは明智家で一番の長老だ。
おばあちゃんが起きてきたから俺が「おはよう」と挨拶をする。
凪も「おはよう」と言ったが、おばあちゃんは凪を見て、目を細めてつぶやく。
「誰だっけ?」
「ぼくだよ、凪」
「あー。あ? あー。そうそう、思い出した。あのときの。ああ、そうだった。うん。その節はどうも」
「こちらこそだよ」
なんか凪が噛み合わない会話を始めそうな雰囲気だったので、俺は家を出ることにした。
「じゃあ俺もいってきます!」
「いってらっしゃい。凪ちゃんも行きなさーい」
お母さんに言われて、凪は「ほーい」と返事をする。
そして、俺と凪はそろって家を出た。
玄関を出て、家の門を出る。
俺は右に曲がり、凪が左に曲がった。
「それじゃ、開。ぼくはこっちだから」
「ああ」
凪とはここで別れた。
なぜなら、俺たちは通っている学校の方角が反対だからだ。
俺の友人――柳屋凪は、俺に手を振ると昭和のマンガの主人公みたいに食パンを咥えて走り出した。
「あいつ、さっき思いっきりうちで和食を食べてなかったか?」
突然、凪が振り返ってパンを口から取って言った。
「開、放課後また探偵事務所に行くからねー」
「そうかよ」
実は、凪は少年探偵団のメンバーなのだ。
探偵の俺に対して、あいつは情報屋をしている。
なので、いつも俺の働く探偵事務所に遊びに来るのだ。
家にも探偵事務所にもやってきて付きまとう、自称「開の相棒」なのである。
その実態はただのトラブルメーカーなんだけど、本当に迷惑なことだ。
また走り出した凪の背中を見て、俺はぽつりとつぶやく。
「そもそも凪のやつ、朝からうちになにしに来たんだ?」
あっといけない。
すぐに我に返って時間を確認する。ちょっと急がなきゃ。
俺は学校に向かって走り出した。
イメージイラスト
柳屋凪 イラスト(2019-02-06追加)
イラスト(2018-01-12追加)
イラスト(2018-01-19追加)
2018/5/9 ルビ振り直しと改稿しました。今後、ルビ振りのされていない話をちょっとずつでも修正できたらと思います。