梅雨と傘 その1
バサバサ。
傘を回して、水気を払う。
トントン。
そして、傘の先端で地面を軽く叩く。
これで水もだいぶ取れたろうか。
最近は、この傘も撥水加工が取れてしまって、生地が水を吸ってしまうから、なかなかうまく水気も取れないのだ。
「さて」
ガチャッと、探偵事務所のドアを開けた。
「あら。開くん、おかえり~」
逸美ちゃんが笑顔で迎えてくれる。
「うん、ただいま」
傘をひょいと傘立てに入れる。
今日も探偵事務所にお客さんはいないみたいで、いまここにいるのは逸美ちゃんだけだ。
雨が降っているし、わざわざノノちゃんが来るかわからないな。
六月。
梅雨の時期だ。
雨の日が多く、ここ数日は特に、すっきりした晴れ間のほうが少ないくらいである。
今日も傘の力を借りて、学校帰りに探偵事務所までやってきた。
俺はさっそく和室に上がった。
逸美ちゃんもお茶を淹れていっしょに和室へ。
「雨は強くなかった?」
「うん。俺が来るときはそれほどではなかったよ」
「梅雨だから雨が降って大変よね~」
「だね」
まあ。
こうやって、雨が降る音を聞きながら逸美ちゃんとふたりでのんびり過ごすのも、それはそれで悪くないけどね。
「そういえば、なんで梅雨は『梅』に『雨』って書くんだろうね」
俺が疑問を呈すると、物知りな逸美ちゃんがさらりと教えてくれる。
「梅が実る時期の雨期だから、そう書くようになったみたいよ」
「へえ。そういえば、うちのばあちゃんも梅雨から七月の半ばくらいまで時期に、梅を干したりするもんなぁ」
「開くんのおばあちゃんは天然でおもしろいよね」
「そ、そうだね」
逸美ちゃんも結構な天然さんだと思うけど。
なんだかんだうちの家族はみんなちょっと天然さんな部分があるような気がする。天然さの欠片も片鱗もない気質なのは、俺くらいのものだ。
十五分ほどが経って。
探偵事務所に、凪と鈴ちゃんがそろってやってきた。
「よ」
「こんにちは」
軽く手をあげる凪と小さく会釈する鈴ちゃん。
凪は傘の生地をくるりと丸めて、傘立てに入れようとする。
が。
その手を止めた。
「開。これ、キミの傘かい?」
俺の傘を指差す凪。
「うん。そうだよ」
凪は俺の傘を手に取って、ゆっくりと開く。
「あちゃー。雨で生地がびちょびちょだね」
「そうなんだよ。なんでも物持ちがいい俺でも、自然の力には勝てないよ」
あはは、と苦笑いを浮かべる俺に、鈴ちゃんがうんうんとうなずく。
「あたしの傘も、パパに買ってもらったお気に入りだったのにびちょびちょになって、買い替えたことがあります。長く使っていて、もっと使いたかったんですけど」
お金持ちのお嬢様な鈴ちゃんのことだから、いい傘だったんだろう。お金持ちなのに物を大事にするのが、鈴ちゃんの良いところでもある。
すると、凪が言った。
「キミたち、知らないみたいだね」
「なにが?」
「先輩、なにか知ってるんですか?」
一体なんの話だろうと俺と鈴ちゃんが凪を見ると、凪は滔々と説明した。
「傘の生地は、熱で繊維の形が復活する習性があるんだよ。だから、撥水加工が弱まったら、ドライヤーなんかで熱風を当てるといいんだ」
「へえ~」
「あたし、防水スプレー使う以外の方法を知りませんでした」
感心する俺と鈴ちゃん。
逸美ちゃんはうふふと微笑んで、
「そんな裏技あったわね~。あと、傘の生地について言うと、撥水剤の多くは油分に弱いから、あんまり手の脂を生地につけないほうがいいのよ」
さすがは逸美ちゃん。いろんなことをよく知っている。無駄知識とか情報に詳しい凪にしてもそうだけど、知ってるなら早く教えてくれたらよかったのに。
凪は俺の傘を手に持ったまま、ドライヤーを引っ張り出して、稼働した。
「乾かそうぜ。ついでにぼくのもやろうかな」
「あたしもやります」
「じゃあわたしも~」
鈴ちゃんと逸美ちゃんも、順番に傘の生地にドライヤーを当てた。
俺は乾いた傘をまじまじと見る。
「なんだか、帰りが楽しみだな」
どれだけ雨粒を弾くんだろう。
ちょっとウキウキしそうになって、顔を改める。傘を差したいとか、子供みたいだと思われてしまう。
みんなの傘が乾いて、傘立てに置き直した。
またしばらくして。
今度は作哉くんとノノちゃんがやってきた。
まだドア越しだけど、作哉くんとノノちゃんの声で二人だとわかった。
作哉くんがバサバサと傘を回している音も聞こえる。あと、ノノちゃんがトントンと傘の先端を地面に当てている音も。
そして、二人がドアを開けて入ってきた。
「よお」
「こんにちは」
挨拶と共にびちょびちょの傘を傘立てに入れようとする二人を見て、俺たち四人は声を上げた。
「ちょっと待ったー!」