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第二十五話 花筏(前編)

 夜も更け切った小林家の座敷で、天野宗歩が静かに口を開く。


「では、寅吉さんの記憶を取り戻すことが私と将棋を指す目的なんですね?」


 宗歩が中山作三郎と平居寅吉の二人を交互に見ながら尋ねた。


「そうだ。そのために何かきっかけがあれば良いのだが……」


「ううむ」と思案顔を見せながら中山作三郎は両腕を組む。


「……たとえば、記憶にある状況を正確に再現してみてはどうでしょうか」

「なるほどな。そうすれば他に何か思い出すかもしれんな。寅吉どうだ?」


 寅吉が記憶を手繰り寄せようと頭蓋に手を当てて唸りだす。


「うーン、たくさんの人の前でワタシ、ショウギしてマス」

「ほかに何か思い出せませんか?」

「相手も考え込んでマス……あれこの人、裸デス。相手の人、上半身裸デス」

「上半身が裸とは……珍妙な……」

「あ! ショウギを止めて、ワタシを殴りかかってキタ。あ! 殴られた、イタイ、イタイ! ヤメテ!」


「……は?」


「……ワタシと相手、殴り合い止めて、またショウギし始めまシタ」


(え、えーと……なんだそれは?)


 市川太郎松の頭がぐらぐらと混乱してきた。


「うぅ、だめデス。これだけしか思い出せまセン。ゴメンナサイ」

「ふむ……そうすると寅吉さんは将棋の相手と喧嘩しているということでしょうか」


 宗歩のこの言葉を聞いて太郎松がピンときた。


「あのさぁ、裸で将棋して喧嘩するってことは、風呂屋じゃねぇか?」


 この時代、町の風呂屋には必ずと言って良いほど将棋所があった。

 体も頭も火照った中で、将棋を指せばおのずと喧嘩にもなりやすい。


「うーン、チガイマス。喧嘩というよりもコブシとコブシで勝負する感じデス」

「なにか武術試合のようなものかな?しかしこれを再現するにしても、皆の前でやらないといけないなぁ。皆の前で戦う武術となると、えーっと」


 突然、隣の部屋との襖が開いて、


「あの……、それってお相撲とちゃいますか?」


 次女の玉枝が話しかけてきた。

 どうやら隣の部屋で盗み聞きをしていたらしい。


「突然後ろからすみません。私、興行相撲が好きで昔お父さんに住吉大社まで連れてってもろたことがあるんです。体の大きな力士が見物客に囲まれて土俵際で張り手をしてたんをしっかり覚えてます。寅吉さんの言ってはるのとちょっと似てるんちゃうかと思うんですけど……」

「なるほど、興行相撲か……無くはないか。しかし異国に――」

「せや!思い出したわ!」


 いきなり東伯斎が素っ頓狂な声を上げる。


「ど、どうしました?」

「ついこないだ、相撲部屋の親方からわて相談されたんや。今度の難波新地の興行に人気者の花筏はないかだ関が怪我で出られへんようになってもたらしい。『みんな花筏関を目当てに来るのにどないしましょう旦那』いうてな。わて後援会の会長もやっとるから……」


(ほんとに顔が広いな。このおっさん……)


 太郎松が東伯齋の方を呆れ顔で見ると、「そんなに関心せんでもええやん」と思いっきり何かの勘違いをした返しを飛ばしてくる。


「それで?」

「なんぞ、他に目玉があればええんとちゃうか? 言うたものの、そんときはええ案が思いつかへんかった。えらい大変な相談受けてしもたなって、わて往生しとったんよ。せやけど、これや! これが目玉になるでぇ!」

「ちょ、ちょっと待て! すると、相撲を見にきた観客の前で俺たちは将棋と相撲を交互にやるのか?」

「ああ、そうや。無茶苦茶おもろそうやないか!」


(なんだそれは。聞いたことがねぇ。そんなの無理に決まってんだろ)


 露骨に不服そうな表情を見せる太郎松に、宗歩が彼の肩をポンと叩きながら、

「こほん、太郎松よ」

「なんだ?」

「大橋柳雪様は私にこう言われたのだ——」



『関西の棋風は自由闊達じゆうかったつ


 ニヤリと笑う宗歩。


(自由闊達すぎるわ!)


「ほな、この話進めることにするで。宗歩はん。寅吉殿のためにも、わてのためにも一肌ぬいでくれますか?」

「——え?」


 宗歩が呆気にとられた顔でポカンとしている。


(ああ――こいつ、何を言われたのか分かってないな)


「いや、だから宗歩はんが土俵に上がって寅吉はんと『将棋相撲』を取ってください」

「えええええ!」


 さっきまであれほど前向きでノリノリだった宗歩が途端に慌てふためき狼狽する。

 それもそのはず宗歩は女だ。そもそも土俵に上がれない。

 百歩譲って上がれたとしても、このままでは土俵の上で一肌どころか諸肌を脱がされてしまうことになる。


太郎松は、「えーっと、えーっと」と何か言い訳を必死に考えようとしている宗歩のことを、お釈迦様が犍陀多カンダタを見るがごとく憐れに見え、「はぁ」と深くため息をつく。


「いやいや、待て待て。天下に名を轟かす『天野宗歩』様がいきなり興行相撲ごときに登場しては申し訳がたたねぇ。ここは天野宗歩一門のお披露目も兼ねて一番弟子の俺がやってやるよ」

「うーん、言われて見ればそうやなぁ、確かに『天野宗歩が弟子を取った』っちゅうことを皆に知らしめるためにも、一番弟子のおまさんが登場した方が分かりやすいかも知れへんね。ほな宗歩はんには行事役をお願いしよかな」

「太郎松!本当にありがとう!」

 宗歩が仏様でも拝むかのように両手を合わせて俺に感謝する。


(はぁ、やれやれ……)


「ところで異人がいきなりそんな場所に出てきても大丈夫なのか?」


 たまらず太郎松が中山作三郎に不安そうに尋ねた。


「まぁそこは一度きりということだからな。白髪染めで毛を黒く染めれば……まぁ大丈夫だろう」


(ほんとかよ!)


「ワタシ、一生懸命がんばりマス!」


 その後はとりあえずお開きとなり、翌日さっそく東伯斎が親方に相談してみるとそれは良いということでとんとん拍子で話が進んだ。


 興行は六日後の難波新地、力士同士の取り組み後の特別試合として行うことに。

 なお、試合の取り決めは以下の通り、

 ①将棋→相撲→将棋→相撲の順番で交互に行う。

 ②将棋は互いに十手ずつ指し、合計二十手指した段階で相撲に移行する。

 ③指し手は行事が二十を数え終わる前に必ず指し、時間切れは負けとする。

 ④相撲は行事が二十を数えても決着がつかなければ中断し、将棋へ移行する。

 ⑤将棋と相撲のどちらかで決着がつけばその時点で勝敗を決するものとする。


「ひでぇ! こんなの絶対に相撲で決着つくじゃねぇか!」

「まぁまぁ。太郎松は子供の頃、相撲も得意だったじゃないか」


 実はこの市川太郎松、将棋も天然の才があるが、相撲も大の得意であった。

 近所の少年少女(もちろん宗歩も含む)だけでなく、隣町のガキ大将まで吹っ飛ばす始末。


 くふふとほくそ笑む宗歩に太郎松が、


「ほほぉ、やっぱり出るのやめよかな、俺」

「ちょ、それはだめ! ごめんなさい! 松兄が出てください」


 と平伏して懇願する宗歩。


(どっちが師匠なんだよ……ったく)

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