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第十三話 感想戦

天狗事件の翌日の朝、柳雪の部屋に女中(和風メイド)が入ってきた。

 お疲れ様でした、と言いながら柳雪にお茶をそっと差し出す。


「本当にあれでよかったのですか?」と女中が心配そうに言う。

「ええ」

「でもあの子、泣きながら出ていきましたよ。私にも、『大変お世話になりました』って頭を何度も下げて……」

「あれでよいのです。彼女はもっと強くなる。ただ、いつまでも私と一緒にいては甘さが残ってしまう。勝負の鬼にならなければ——」

「柳雪様……」


 あなたがあの子の踏み台になるのですか——

 女中がとても寂しそうな顔をした。


 柳雪は黙ってそっと手を伸ばして、目の前の障子を少しだけ開けた。

 さらりとした心地よい風が部屋へと入ってくる。


「私はね。江戸で流行り病にかかったとき、聴覚を失うだけでなく不治の病も患ってしまいました。世襲だった名人が短命では都合が悪い——。それが私が廃嫡された本当の理由です」


 柳雪は湯呑を手を取って茶を口に少しだけ含む。


「私は、残された僅かな時間を使って、己の希望を誰かに託すことを決心したのです。」

「それが天野宗歩様だった——のですね」


 ——十年前、偶然出会った一人の少女。

 ——この子になら、ひょっとして私の夢を託せるのではないだろうか。


「そうです。彼女が大人へと成長する間も私は準備を進めることにしました」


「新しい将棋家は武家や一部の有力者のために創るのではない。市井の民のためにこそ創らなければならない。」


「そう考えていた私は、武家の影響力が江戸に比べ弱い上方を地盤にするのが良いだろうと決めました。」


 ——あとは、宗歩の来訪と己の寿命のどちらが早いか。


「ここは賭けでした。私は自分の運命を賭けたのです」

「そして宗歩様は、やって来られた——」

「ええ」


 柳雪は女中の方に体を向きなおす。

 氷のように映るその瞳が女中にはむしろ痛々しくさえ見えてくる。


「しかし、彼女が京の民の心を掴むにしても地道な方法では時間に余裕がありません。彼女が平凡な棋士と違って規格外の存在であるという印象を一挙に植え付ける何か良い方法はないものか。そこで私は上方棋界の後見人、松平定朝様にご相談して、一計を案じたのです」


 それが天狗計画——


 あらかじめ鞍馬山に賭将棋をする天狗が出没するという噂を流布する。

 噂好きの京の民衆はこれに飛びつき市中の話題に上らせる。

 機を見て宗歩が衆目の中、天狗を打ち負かす。

 この一事でもって彼女は一夜にして有名となるだろう。


 鞍馬天狗と修行をし、五条大橋で弁慶に打ち勝った牛若丸のように——


「でも、良くあんな将棋の強い天狗を探してこられましたね。」

「なぁに、定朝様から江戸の市川備中守蘭雪様に相談していただいたのですよ。蘭雪様は当時賭将棋の疑惑で江戸で五本の指に入る強豪棋士を捕縛されていたところでしてね。今回の件に協力する引き換えとして疑惑を不問にするとおっしゃられたそうです」

「皆それほどまでに宗歩様の活躍を切望されているのですねぇ。少しだけ妬けてきますわ」

「おやおや、あなたともあろう方が」

「で、もしも——宗歩様が万一負けてしまったらどうするおつもりでしたの?」

「そこは真剣勝負です。あの程度の棋客に負けるようでは先が知れていますから」


 柳雪は穏やかな顔をして部屋の障子の枠を見やる。

 そこには一匹の雀が止まっていた。


「しかし、まさか演出のために用意したお面が仇となるとは思いもよりませんでした」

「あら、宗歩様ならそれにも気づくと考えられたのでは…」

「ふふ、さぁどうでしょうね」

「そういえば宗歩様、太郎松さんといったん江戸に帰った後、一緒に西へ旅に出るそうですよ」

「そうですか。西国には猛者が山ほどいますからね。大坂の小林東伯齋、中国の香川栄松、そして四国の四宮金吾……井の中の蛙は大海を知ることになるでしょう」

「でも——」

「ええ、いつかきっとここ京都に戻ってきますよ。彼女ならね」


 雀がチュンと鳴いて空に飛び立った。

 京の厳しい残暑が陰りを見せ、ようやく秋が来ようとしていた。

 空は青く澄み渡っている。


(宗歩さん、みんな貴女のことが大好きですよ。これからも頑張って下さい)

【宗歩好み!】『感想戦』

将棋の対局が終わると互いに指し手を検討する振り返りの機会。戦と名がつくが戦うわけではない。だが完全に読み負けしていることを痛感させられると二回負けた気すらする。ノーサイドの精神が大事ですね。

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