『酒もありますが、飲みすぎ厳禁!』by店主
ドレミーレド、ドレミレドレー♪
あのメロディが、ダンジョンの中に響き渡る。
奏でているのはもちろん屋台の店主、秋子だ。
ドレミーレド、ドレミレドレー♪
それは彼女が小学生の頃に使っていた鍵盤ハーモニカだ。
ドレミーレド、ドレミレドレー♪
ダンジョンの第四層。そこが秋子の職場だ。
ここには安宿がいくつか建ち並び、冒険者や魔術師、発掘者や盗賊といった少々血の気の多い者達が集まる。
ドレミーレド、ドレミレドレー♪
開店の合図がダンジョンに響く。
「おお! やっとるかな?」暖簾のずっと下をくぐり、本日最初の客が来た。
「いらっしゃい! 久しぶりね、デリーさん」
秋子の半分ほどの身長しかない毛むくじゃらの男、ドワーフのデリーだった。
彼は勝手知ったるふうにビールケースを二つ重ねると、そこにヒョイと座った。彼専用の椅子だ。
「まずは”ヒヤ”をくれ。あとは”メンマ”を。……ラーメンはまだいいや。今日は三杯は飲みたいからな」
「どうせ、宿に帰ってからも飲むんでしょ?」
「よく知ってるな?」
そして二人は高らかに笑いあった。
秋子はデリーの前にグラスを差し出し、受け皿まで並並と冷酒を注いでやった。
「およよよよよ! っと、おう! 嬉しいのー」そう言って、持ち上げずに一口グラスをすする。「ああ! うまい! 最初はこの受け皿の意味がよくわからんかったが。近頃はなんだか嬉しい気がしてきたぞー」
考えたことはなかったが、確かに不思議な文化だ。と秋子も思う。
タッパーからメンマを小皿によそい、それも差し出す。
「今日は何か収穫がありましたか?」秋子が聞いた。
「む! よくぞ聞いてくれた! 実はな、ずっと下層で、よい鉱石を見つけた。練成してみなければわからんが、随分と質のいい物だと思うんだ!」
デリーは腕利きの鍛冶師だ。材料となる鉱石を探すため、しばしばこのダンジョンを訪れている。
「それはよかったですね」
「ああ! ちょうど宿場まで戻ってこれたしな。おかげで、こうして”ヒヤ”とラーメンにありつけた」
「それはどうも!」
そう言って、秋子は人差し指を唇に付け、”ないしょ”のポーズをした。そして、こっそりとグラスに冷酒を継ぎ足してやった。
その表情をみたデリーの顔がポッ! と赤くなったのは冷酒のせいかもしれない。
「店主! チャーシューメン大盛りの、トッピングはニンニクで!」
次の客は今、飛ぶ鳥を落とす勢いの冒険者のダニエルだった。金色の短髪に、浅黒い肌。貴族出身の、昨年デビューしたばかりのまだ若い冒険者だ。
「いらっしゃい! って、うざったいから鎧は脱いで入ってよ!」秋子が迷惑そうに言った。
彼は高級な鎧を身にまとい、ガチャガチャと五月蝿く暖簾をくぐってきた。
「無礼だぞ! 商人ごときが、なんだその口の利き方は! 仮にも我はヴァン・ザント家の後継者であるぞ!」
「知らねーよ! 他のお客さんの迷惑なんだよ! とにかくラーメン食いたきゃ、その大げさなの脱いでから席につきなよ!」
「まったく。相変らず無礼な……」と、言いながらも、ダニエルは案外素直に道端で自慢の鎧を脱ぎ始めた。
不承不承と言った表情でダニエルがカウンターにつくと、秋子は満足げな表情で寸胴に麺を一玉半放り込んだ。
「ふっふっふ……。さすがの貴族さまも、アキコにかかればなんてことないなあ」
ドワーフのデリーがダニエルをからかった。
「なにを! ドワーフごときが! 口のききかたに……」
ドン!
秋子がまな板の上でニンニクを真っ二つにした。
その只ならぬ殺気を感じたダニエルはサーベルの柄にかけた右手をそっと引いた。
「まあまあ、おたくもどうよ? ”ヒヤ”はいけるか?」デリーは馴れ馴れしくダニエルに聞いた。
「”ヒヤ”とは酒か? そんなに澄んだ酒があるのか? まるで水ではないか?」ダニエルは不思議そうにそのグラスを覗き込んでいる。
「試してみなよ! ここは俺の奢りだ! なんたって今日は良い物が手に入ったからなぁ」
秋子はダニエルの前にも冷酒を出してやった。
「なるほど。これは面白い。味も澄んでいるが確かな酒精がある。この店には何度か来ているが、初めて飲んだ」
「だろ? ラーメンの前にこれを何杯かやってからってのが、俺の流儀さ。……それより、ダニエルさんと言ったかな? よいサーベルをお持ちで」
デリーはダニエルの脇に立てかけられたサーベルを見た。
「ああ。これか? そう。これは、”ゴーレム・ブレイカー”。間違いなく一級品だ。これとの出会いがなければ、俺は冒険者としては三流のままだったろう」
ダニエルはそれをドワーフの鍛冶師に渡して言った。
「ちょいと拝見……」そう言って、デリーはチラリと鞘から刀身を覗き見た。そして、
「ふむ。よいな。……よい主人と出会えたようだ。太刀筋がキレイだ。しかし、そろそろ磨き直しをした方がいいな。この鉄はまだ育つからな」
「鉄が、育つ?」ダニエルは不思議そうに聞いた。
「そう。剣はな、最初の一年は使い手によって育つ。その者の太刀筋によってクセがつくんだ。その次が三年目だ。そこでもう一度磨いてやる。そうすると、切れ味が変わる。その本来の切れ味を取り戻すことで、使い手が正しい太刀筋に導かれる。……剣は剣士によって育つ。そして、剣士は剣によって育つ。……その剣を打ったのは、……そう、ちょうど三年前だったかな。それも、たしかこのダンジョンで採掘した鋼鉄をつかったんだったな」
その言葉を聞いて、ダニエルは目を見開いた。
「あの……失礼ですが、もしかして……破剣技師の、デリー・ソドヴィル殿ですか?」
ドワーフのデリーが意地悪そうにニヤリと笑う。
「ああ……、そうじゃよ」
その後ダニエルは大騒ぎだった。土下座をしたり、デリーにお酌をしたり、肩を揉んだりと。
秋子は呆れながらそれを見ていたが、ダニエルが落ち着いたところを見計らって、二人の前に新しいグラスを出した。
「ん? なんだ? これは」デリーが聞いた。
「二人が、なんだか”いい縁”だったみたいだからさ」
「”えん”?」ダニエルが聞いた。
「人と人との、奇妙な運命の出会いのこと」
「ああ! それはそうだ! これは素晴らしい”えん”だよ! なんたってこの名刀の作者と出会えたんだから!」
「そう。そういうのはね。私も嬉しいから。これは私からの奢り!」
見ず知らずの他人同士が肩を並べる屋台では、こうした奇妙な縁に出くわすことがしばしばある。そういう時、秋子は必ずあるお酒をそのお客に出すことにしている。
「はいよ! 久保田の千寿!」
「”クボタ”?」
「私の故郷で作っているお酒。とにかく二人は”お友達”になったんだから、その証としてこれを飲む! 私も一杯貰うね!」
そうして、三人は久保田の常温で乾杯をした。
「ううぇーい! なんじゃこりゃ?! 美味すぎる!」
「これは芳醇だなぁ。こんなものは初めて飲んだ」
異世界の二人はその未知なる美味にただ酔いしれた。
秋子はその様子を見ながら嬉しそうに麺の湯を切った。