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あの子と過ごした夏休み

作者: 蒼井 柊

だいぶ前に書いた話です。

楽しんでくれたらうれしいです。

車に揺られ二時間。現在の時刻は夕方六時。東京から仙台まで林紀一は家族と共に祖母の家へ向かっていた。車内ではついこないだ七歳になったばかりの妹美咲が母とポッキーをシェアし、楽しそうに話していた。助手席に座っている二つ年上の長男大樹も「俺も俺も」とお菓子の袋に手を伸ばした。

 今回の目的は祖母に孫の顔を見せに行くついでに高知に行ってちょっとした家族旅行をすることだ。しかし、楽しげな車内で紀一は一人テンションが上がらない。紀一は来年高校三年生。つまり大学受験を控えているのだが、行きたい大学が有るわけでもなく、やりたいこともこれといってない。高校二年生の夏休みは皆将来について考え始める頃。スタートダッシュは早めにしておかなければ後で追いつけなくなる・・・ということは分かっているのだが、決まらないものは決まらないのだ。紀一は通り過ぎてゆく景色を眺めながら一つため息をついた。


 日が沈んだ後も延々と車を走らせつづけたが、着いたときには時刻はもう八時を回っていた。祖母の家は山奥にあるため辺りは真っ暗でほとんど何も見えない。

「おばあちゃん、ただいまー!」

大きな声を張り上げて美咲は勢い良く扉を開け、家の中に入っていった。その後に母が美咲が置いていったリュックを持って続く。紀一と大樹は車から荷物を下ろし、家へ運ぶ役目が残っている。荷物を運ぶ途中、ふと運転席を見ると父がいびきをかいて寝ていた。交代もせずに長時間車を走らせつづけりゃそら疲れるわなと思いつつ、紀一は最後の荷物を運び終えた。父の様子に気づいた大樹は父を起こしに行った。

「父さん、こんなところで寝たらダメだって。風邪引くでしょ」

父はウンウンうなりながら車から降り玄関の方へ向かった。その隣に大樹が並び「運転お疲れさま」とつぶやいて父と共に家へ入っていった。紀一も車のキーをかけ、二人に家へと向かった。

 電気一つないくらい廊下を抜けるとそこはリビングだ。といっても和風の家をリフォームしているので“リビング”というよりかは“居間”の方が雰囲気には近い。田舎なので土地だけは広く広々とした開放的な空間ではあった。家族は皆そこに集まり土産話に花を咲かせていた。

「美咲ももう小学生か。早いねぇ」

祖母が美咲の頭をなでながら語りかけた。美咲もうふふっとにっこり笑って答える。

「うん!ランドセルね、パパが入学式の前の日に大急ぎで買ってきたんだよ。美咲の好きなピンク色っ」

「えぇ。筆箱とか体操服とかは買ってていたのに、ランドセルだけはなぜか忘れてて」

母はおかしそうに笑った。

 和やかだな・・・。紀一は自分の小学校の入学式を思い出した。桜の花びらが風に舞い、

春の日差しが温かく気持ちよかった。式の初めは緊張で頭が真っ白だったけど、在校生の発表を聞いているとだんだん学校生活への期待で胸がいっぱいになった。あれがやりたい、これがやりたいと色々空想していたから、その次の校長先生の話はほとんど聞いていなかった。

紀一の中でそういう気持ちが消えたのはいつからだろう。年を重ねていくにつれて、世の中を知っていくにつれて紀一の心は冷めていった。負の報せばかりが溢れる世の中で誰が幸せになれるのだろうか。いや、なれるやつはなれるだろうがそれは一握りの人間だけだ。残りの人間はある程度の職につき、ある程度の家庭を持ち、流れる月日に身を任せ、自らの生がつきるのを待つ平凡な人生。誰が死のうが生きまいが、世界はずっと回り続ける。紀一もその一部になるのかと思うと、何かやりきれない気持ちになるのだった。


その後順番に風呂に入り、明日に備えて皆さっさと眠りについた。紀一が寝室に行く途中、縁側の窓から山の麓の景色が見えた。山の奥の小さな集落、もうほとんどの家の灯りが消えていた。また一つまた一つと消えていく光は川に住み着いた蛍を思い出させた。夜中ずっと輝き続けた蛍の光は明日の朝には全て消える。それが蛍の運命であり、変えることは出来ない。灯りが消える様子が蛍の最後の瞬間の様だった。その光景に紀一ははかなさを感じたのだ。


 翌日、いとこ達が彼らの両親と共にやってきた。着いたのがちょうど昼頃だったので、祖母と林家の部屋を分けるふすまを開放し、皆で昼食をとることになった。

「紀一、実香達来たからそろそろ起きろ」

昼まで寝ていた紀一を大樹が起こしに来た。うなりながらもなかなか起きない紀一を見て、大樹は無理矢理布団をはぎとった。布団からいきなり放り出されるとは目覚めの悪い。紀一は若干大樹をにらみながらしぶしぶ立ち上がり洗面所に向かった。

 紀一が身支度をして戻ってくると、既にテーブルはセッティングされており皆席に着いていた。昼食のメニューはそうめん、唐揚げ、レタスのサラダ。夏になると始まるそうめんラッシュに飽き飽きしていた紀一は「またか・・・」と愚痴をこぼした。

「何言ってんの!作ってもらえるだけありがたいと思いなさい。ねぇ、おばあちゃん」

紀一の一言を聞き逃さなかった母は声を荒げた。

「そうだよ、紀一。おばあちゃんの子供の頃は小麦なんてめったに手に入らなかったんだから」

説教くさくなりそうな気配を感じた紀一はまだ話している途中の祖母に「はいはい」と返し、話を終わらせた。祖母の話はいつも長い。

 「そういえば大樹くん。K大学受かったんだって?さすがだねぇ」

叔父はいきなりそうきりだした。大樹はK大という都内の難関国立大学に現役合格した。将来は弁護士になりたいのだそうだ。

「いやいや、そんな。まぐれですよ、まぐれ」

大樹は照れて頭をかきながら答えた。

「そんなことない」

紀一が口を挟んだ。大樹はサッカー部の部長を努めながら塾に通い、寝る間も惜しんで勉強し合格した。弟から見ても引くほどの努力をしていた。だから、まぐれな訳がないのだ。それに比べてお前は・・・。皆の心の声が聞こえてくるような気がした。

「嫌になるくらいよくできた兄貴だって、ほんと」

紀一は自嘲気味に笑い、大樹を見て言った。

「何だよ、いきなり。恥ずかしいな」

大樹は照れくさそうに笑った。純粋、こういう事に疎い兄で良かったと紀一は密かに思う。

 「紀一君はもうどこの大学に進むか決めたのかい?」

叔父が紀一に問いかけた。まずい。こちらに飛び火してしまった。

「あ、まぁ、都内の大学に進もうかなとか思ってます」

紀一はあやふやにそう答えた。すると、母がすかさずつっこんできた。

「そうなの?知らなかった。ねぇねぇ、都内ってどこ?T大?それともH大?」

どちらも難関国公立だ。大樹の事があるから紀一に対する周りの期待は大きい。両親は紀一が大樹と同じように“エリート”の道を進んでくれると思っているようだ。紀一は勉強が苦手な訳ではないし、むしろ得意な方だ。でも、それだけだ。自分の能力を生かして何かしたいなんて気は全くなかった。

「まだそこまで決めてないよ。でもT大もいいかもな~」

紀一は曖昧に笑いながら答えた。T大に行こうなんて思ったこともないが、早くその話題を終わらせたくて適当に言ったのだ。紀一の言葉を聞いた母は安心したようで、話題は美咲の小学校の事に移った。

 紀一は何とかその場を乗り切ったが、今は大学も将来の仕事についても決められる気がしないと思っていた。


 昼食後、紀一は大樹やいとこと共に裏庭に散歩に出かけた。正直散歩など行く気分ではなかったが、大樹に無理矢理連れ出された。大樹は面倒見がいい。それは周りから見れば良い事なのかもしれないが、当人からすれば時にウザイ。

そういうわけで紀一は多少イライラして石ころを蹴りながら、草むらの中を歩いていた。

こんっ。紀一の蹴った石ころが何かにぶつかったようだ。

「何だ?」

紀一が駆け寄るとそこには小さなお地蔵様が立っていた。安らかに目を閉じ、手を合わせてほほえんでいる。黒ずみ、色々な所にコケが生えているのを見るとずいぶん前からここに立っていたものと思われる。

「うわ~、お地蔵様にあてちゃったのかよ。なんかこわっ」

紀一は少し後ずさりして、お地蔵様を眺めた。

「しかし、何でこんな所に立ってるんだ?」

紀一は辺りを見回した。周りは草むらばかりで立っているとしたら祖母の家くらいで、お地蔵様の後ろは崖になっている。鳥居なんてものもなさそうだ。

「ったくよ~、お地蔵様なら叶えてくれよ。俺、最近何も良いことなくってさ。何か楽しい人生が変わるようなこと起こしてくれよな」

紀一はしゃがみ込んでお地蔵様に話しかけた。ふとお地蔵様の後ろに目を向けると、

「ん?あれって」

崖下に真っ赤な鳥居が設置されていた。またその後ろには巨大な岩も置かれていた。岩には一本の細くて白い布が巻き付けてあり、いかにも神聖な空気が漂っている。

紀一が立ち上がりもっとよく見ようと身を乗り出した瞬間、トンッ、誰かに体を押され紀一は急斜面を転がり落ちた。スピードが速く、止まれず声を出すことさえ出来ない。たった数秒の間に崖下まで落下した紀一は勢いで鳥居をくぐってしまった。それでも勢いはおさまらず、紀一が岩にぶつかる寸前の位置まできていた。やばい、死ぬっ。紀一がそう思い目をつむった瞬間、シュンッ、まばゆい光に包まれて紀一の体は岩につっこんだ。

蝉が大きく声をあげ鳴り響く、蒸し暑い夏の日のことだった。


 体中が痛い、誰か助けてくれ。紀一は寝そべったまま祈っていた。意識が戻ると痛いという感情しか出てこなかったので、今がもう夕方だと気づくまでに少し時間がかかった。かすかに目を開けてみると、そこは折れた木が倒れているだけで人がいそうな気配はなかった。振り返ってみると岩と鳥居が紀一を上から見下すように立っていた。鳥居の向こう側は崖になっていて紀一のいる場所が崖下だというところから見ると、紀一は岩にぶつかる直前のところでうまくよけたのだと推測した。本当はそんな超人的なことをした記憶は全くないが、今はそれ以外の答えが考えつかなかった。くそっ、何でこんな事に。親戚達に嫌なこと考えさせられると思ったら次はこれだ。

「本当に、最悪の夏休みだ」

紀一は目を閉じ、つぶやいた。


 タッタッタッ、どこからか足音がきこえてくる。どうやらこっちに近づいてくるようだ。

紀一がゆっくり目を開けると、

「誰・・・?」

そこには見知らぬ女の子が立っていた。紀一を不思議そうに見つめている。背丈から考えると、十六、七くらいだろうか。こんな場所を知っているということは地元の子か。しかし、今の紀一にとってはそんなことどうでもいい。

「助けて・・・」

紀一はか細い声をもらし、その子の方へ手を伸ばした。すると、その子は紀一に手を貸して起こし、紀一を躊躇なくおぶると走り出した。

いきなりのことで紀一は驚いた。女の子におぶってもらうのは男として少し抵抗があったが、今は自分で歩く気力もない。紀一は少しの間そのやわらかな背中に身を任せることにした。そして揺られる背中の心地よさから、いつの間にかうつろな目を閉じていた。


 紀一が次に目を覚ますと目の前が草や岩でなく、天井に変わっていた。紀一は起きあがり周りを確認した。殺風景で物はほとんどない。ガランとした部屋に紀一は寝かされていた。戸は玄関しかなく、台所も居間も共同スペースだ。台所に関しては地面にそのまま置かれている。映画のセットみたいだ。部屋の真ん中に陣取った布団の上で紀一はそう思った。ふと紀一は先ほどよりも体が楽になっているのを感じ、布団をめくり足に目を向けると硬い布きれで固定されていた。包帯代わりなのだろうが、その布きれは伸縮性はまるでなく暗い色で模様も入っている。

 これは・・・。あの子が手当してくれたのだろうか?

 紀一がまだちゃんと働かない頭で色々考えていると、玄関の戸が開き背に赤ん坊を背負った女の人が入ってきた。その手には大根や米などの食べ物を抱えている。この家の奥さんとかだろうか。彼女は髪を動きやすそうな一つくくりでまとめており、首筋には汗が見える。年はおそらく紀一の母よりは若そうだ。しかし気になるのは服装。薄れた赤の着物に紺のズボン。いや、あれはもんぺ?その姿はまるで戦後。といっても紀一自身ファッションに敏感の方ではないので、流行が一周したのだなと勝手な解釈をした。

 彼女が荷物を置き振り返ると紀一と目があった。

「あっ、気がついたの?よかった。リンが泥だらけのあなたをおぶって帰ってきたときは何事かと思ったわよ。もう大丈夫?」

「はい。ありがとうございます。あの、これ、その子が手当してくれたんですか?」

 紀一は足を指さし、米を釜に入れ食事の準備をしている彼女に尋ねた。

「そうよ」

彼女は米をといでいる手を止めずに手短に答えた。

「その子は今どこに?」

紀一は自分を救ってくれたその子に一言礼を言いたかった。すると彼女は紀一の気持ちを察したのか、

「安心して。あの子は私の娘。今は市場に出かけているだけだから、もう少しで帰ってくるわ」

と紀一に振り向き言った。それを聞いて紀一は安心した。

「どうも。すいません、こんなにお世話になってしまって」

「気にしないで。今はみんな助け合わなきゃでしょ」

最後の言葉に少し疑問を感じたが、奥さんが作業に戻ったので聞くタイミングを逃してしまった。紀一は再び寝転がり天井を見上げた。天井には蜘蛛の巣がはっていた。紀一はそれをぼーっと眺めていると、あることに気づいた。天井が木造だ・・・。最近の家はほとんどコンクリートに変わっている。しかし、よくよく考えてみるとここはかなりの山奥。まだ整備されていないところがあっても不思議ではない。ただ彼女のもんぺ姿に影響を受け、気になったのだと紀一は思った。

 ガチャン。紀一は驚いた。紀一の隣で皿が割れるような物音がしたが、そこには何もない。あるのは壁だけ。・・・、壁?それは土で出来ており、木の枠組みがむき出しになっている。紀一が手を伸ばそうとすると、紀一に気づいた奥さんがあわてて止めた。

「そこはさわらないで。壊したらお隣さんにも迷惑かかっちゃうから」

「あっ、すいません。・・・、え?お隣さんがいるんですか?」

「えぇ。沢田さんっていうおばあさんが住んでらっしゃるわ」

 おかしい。紀一の家は他の家と三キロ以上離れていて、車でも三十分はかかる。あの女の子が自分より重い紀一をそんな長時間しかも歩いて運ぶには無理がある。またそのお隣さんの家も他の家との間隔が広いため、家が集合している町まで行くには二時間ほどかかるはずだ。これは絶対におかしい。ここはどこだ・・・。

「奥さんっ、今は平成何年ですか?」

「平成?今は昭和二〇年、一九四六年よ」

「昭和二〇年?うそ・・・」

二〇一五年から四九年前?まさかタイムスリップしたのか?本や映画でしか出てこない現実には起こり得ないことだと紀一は認識していた。しかし、現実的に考えても答えはそれしか見つからなかった。


 「ただいま」

戸が開き、例の女の子が入ってきた。その子ももんぺをはいている。弟や妹と思われる子達も後ろにいる。

 「あ、いてっ」

紀一はその子の元に駆け寄ろうとしたが、痛みが襲い、足が思うように動かなかった。するとその子の方から駆け寄り、紀一を支えてくれた。

「助けてくれてありがとう」

紀一は今のことも含めて礼を言った。

「ううん。それより今は動かないで。あまり大きい傷はないけど、打ち身と捻挫がひどいから。今夜は家に泊まっていきなよ」

「そんなの悪いって」

しかし紀一はふと思った。ここが四九年前の世界なら祖母の家はないのではないか。いや、あったとしても家族はそこにはいない。つまり紀一には現在帰る場所がない。

「・・・やっぱ世話になっていい?」

「うん」

その子は満足そうにほほえんだ。

「そうだ。あんた、名前は?」

その子は紀一に尋ねた。

「林紀一。林はそのままで、紀一は糸編に己の紀に漢数字の一」

「林?偶然だね。うちも同じ名字だよ。私の名前は林リン。よろしく、紀一君?」

「よろしく、リンさん」

 その日紀一は夕食をごちそうになった。といっても食料はあまりなく、ほんの少しの米を皆で少しずつ分け合って食べた。紀一は昼食の時に言った自分の言葉を思い出し、みんなに対しいたたまれない気持ちになった。

 風呂には入らず、夕食を終えるとリンの弟たちと共にすぐに布団に入った。子供達は皆眠りについたが、リンとリンの母だけはまだ寝ずに子供達の服を繕ったりおそらく売り物にするのであろう洋服を古いミシンで作ったりしていた。

一九四六年といえば終戦から一年後。先ほどの奥さんの「助け合わなきゃ」の意味がようやく分かった。この時代では女手一つで子供を育てるだけでも苦しいはずだ。長居はできない。紀一の早く帰らなければという気持ちはよりいっそう強まった。

紀一はタイムスリップしたときの事を振り返ってみた。確か足を滑らせて落ちて、巨大な岩にぶつかった瞬間何かの光に包まれて・・・。いや、違う。誰かに押された。でもあの時近くにいたのって・・・。

「はは、まさかな」

紀一はオカルトには興味ない。よし、明日はその岩と鳥居を探しに行こう。そうすれば何かわかるかもしれない。紀一はカタコト奏でられるミシンの音につられ、深い眠りについた。


 翌朝、紀一はみんなよりも少し早めに目が覚めた。早朝の空気は昼間と違い、気温がかなり下がっていた。足の具合を確認してみると、なんとか歩けそうな感じであった。しかし肝心の岩と鳥居の場所はわからないので、誰かに聞かなければいけない。

 まだ日が完全に昇っていない頃に突然玄関の戸が開き、リンが入ってきた。紀一は目を丸くし、リンを見た。なぜこんな時間に外から帰ってくるのだ。

「どうしたの?」

「ん、ちょっとね」

リンは口が開いた紀一を見て、少し笑って言った。その時リンは肩からかけた鞄をを隠すように後ろに回した。その時見えた手は汚れており、爪は黒ずんでいた。紀一の視線に気づいたリンは話題を自分から逸らすように話し出した。

「紀一君こそ早いね。眠れなかった?」

「まぁ、ちょっと。これからどうしようかと思って」

リンがどこに行っていたのかも気になるが、今は自分の問題の方が先だ。

「そっか。何か手伝えることあったら言ってね」

リンは笑顔で紀一に言った。

「ほんとに?じゃあ一つ聞きたいんだけど、俺が倒れてた大きい岩と鳥居ってどこにある?」

「え?あんなところに紀一君の家があるの?」

リンは不思議そうな顔をして紀一を見た。

「ま、いいじゃん。そこへの行き方教えてくれない?」

紀一は曖昧に笑ってごまかした。

「あそこは北見神社って言って、この地域の守り神が住んでいると言われているの。私は今日用事あるからダメなんだけど、良かったら弟達に連れてくよう言っとこうか?」

その申し出は紀一にとってかなり助かる。自分一人で知らない道を進むより、知ってる人に案内して貰った方が楽だ。迷うこともないし、足にも負担が少ないだろう。

「ほんと?じゃあお願いしていい?」

「大丈夫」

「ありがと」

リンは窓の外を眺めながら「うん」とうなずいた。その時リンの横顔を見ていた紀一は目の下のクマに気づいた。それは濃く、深いものだった。朝出かけているのは今日だけだろうか、普段からあまり眠れていないのではないか。それなのにリンは・・・。紀一は足下に視線を落とした。

申し訳なさと感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。しかし同時に何か淡い気持ちも感じられた。紀一はもう一度リンのほうへ目を向けた。リンはまだ外を眺めていた。その表情は凛としてそこはかとない強さがあった。一枚の絵みたいだ、と紀一は思った。

二人の頬をひんやりとした早朝の空気がふれる。それは妙に心地よく、紀一はこのまま時間が止まってしまったかのように錯覚した。


日が完全に昇った頃皆は起き出し、昨日釜に残しておいた少しのごはんと漬け物で軽い朝食を取った。子供達は昨日の夕食も足りず空腹だったらしく、食卓に並んだ数個の握り飯を取り合うようにして食べていた。

朝食を終えるとすぐさまリンは立ち上がり、どこかに出かける準備をしていた。

「リンさん、どこ行くの?」

紀一は手についた米粒をなめながら尋ねた。

「役場まで行って配達の仕事手伝ってくる。知り合いに紹介して貰ってね。紀一君はここで自由にしてていいから。あ、岩のとこに行くんだっけ」

リンは鞄に荷物を詰めながら答えた。

「うん。そうだけどリンさん、仕事してるの?学校は?」

「ん~」リンは頭をかいて笑って言った。

「あたし、あんまり勉強得意じゃないから。それにこの子達養うお金もないし」

「そうなんだ・・・」紀一は小さくつぶやいた。

「じゃあ、私そろそろ行くね。慎一、今日紀一君を北見神社に連れてってあげて」

リンは戸に手をかけたまま、妹と遊んでいる一番上の弟に声をかけた。慎一は「わかった」と答えたが、リンは慎一の返事を聞く前に玄関からいなくなっていた。


 一通り支度をした後、紀一達は北見神社へと出発した。慎一以外の兄弟もついてきて、皆紀一の歩くスピードにあわせて進んでくれた。十五分ほど歩くとあの鳥居が見えてきた。鳥居と岩の周りを木々が囲み、鳥居の少し奥へと進むと本堂がポツリとたっていた。正確には本堂だった物だ。それは焼けこげ、倒壊寸前である。

「どうしたの、これ?」

「空襲で焼けちゃったの。鳥居は何とか無事だったんだけど」

慎一の妹が悲しそうに答えた。

「そっか・・・。ん?これって」

紀一は目を見張った。その視線の先にはお地蔵様が一体立っていた。紀一の祖母の裏庭にあったものとそっくりだった。やはりこちらも穏やかにほほえみ、手を合わせている。

「これはこの神社のお地蔵様だよ。この地蔵様には色んな伝説があってね。死んだ人に会わせてくれるとか迷った者を導いてくれるとか。まぁただの噂だろうけどね」

言い終わると、慎一はお地蔵様を見てへッとバカにしたように笑った。しかし紀一はそんな慎一と裏腹に、さまざまな思考をめぐらせていた。俺はあの時お地蔵様の後ろの崖から足を滑らせた。転がっていったら違う世界ってよくドラマとかであるよな。確かにこの神社の上は崖になってる。でも、何でお地蔵様がここに・・・。

 紀一の深刻な様子に気づいた慎一は不安げに尋ねた。

「おい、どうしたんだよ」

紀一は慎一の言葉を無視してきいた。

「このお地蔵様って昔からずっとここにあるのか?」

慎一はさっきまでと違う紀一の様子に不思議がりながらも、紀一の問いに答えた。

「あぁ。隣のばあちゃんが言うには百年前くらいからここにあるって」

「そうか」紀一はそれを聞き、また考え込んだ。

 タイムスリップっていうのは飛んだときと同じことをしたら帰れるんだよな。ってことはこのお地蔵様を自分で崖の頂上に持って行けってことか。

「なあ慎一。このお地蔵様を崖の頂上に持っていきたいんだけど、手伝ってくれないか?」

紀一の言葉に慎一は嫌そうな顔を見せた。

「そんなことしたら祟られちまうよ。何でそんなことする必要があんだよ」

「何でって、俺が家に帰るために必要なんだよ。頼む、手伝ってくれ」

紀一は顔の前で手を合わせ、慎一に頼み込んだ。慎一は数分考えたが、紀一の真剣な態度に押され最後にはしぶしぶ了承した。

 お地蔵様は紀一の体重の半分以上の重さで、運ぶどころか持ち上げることも困難だった。

「くそ~、どうしよう」

紀一は汗ばんだ額を拭いながら言った。子供達も疲れ切って、座り込んでしまっている。

すると慎一が何かを思いだしたように「あっ!」と声をあげた。

「何だよ、びっくりさせるなよ」

紀一がそう言うと、慎一は紀一に笑顔で振り返った。

「家に冬使うそりがある!それで運んだら楽なんじゃねぇか?」

慎一の案に早速紀一は賛成した。

「それいい!俺取りに行ってくるよ、どこにある?」

「タンスの横に立てかけてある。俺もいくよ」

慎一が名乗り出たが、手伝って貰っている皆にこれ以上負担はかけられない。自分で出来ることは自分でやろうと紀一は思った。慎一達には少し待っていてもらい、紀一はなるべく早く家へと急いだ。

 そりはすぐに見つかり、紀一は二〇分ほどで皆の元へ戻ってきた。紀一が取りに行っている間に皆体力が回復し、元気になっていた。

「紀一、おかえり。大丈夫?少し休むか?」

慎一が紀一に言った。肩で息をしており、すぐには動けなさそうだ。

「大丈夫。それより早くこれ運ぼっ」

紀一は疲れよりも早く運んでしまいたい気持ちの方が強かった。今日中にはここを離れなければ・・・。紀一が一人増えるだけでみんなの食料が減ってしまう。奥さんも子供達も口にはしないが紀一の存在が家庭を圧迫しているはずだ。

 みんなの反対を押し切り、紀一は地蔵を運んだ。そんな紀一を見てみんな言っても無駄だと諦めたらしく、地蔵運びを手伝った。そりがあるとないではつらさは全然違い、今まで少しも動かなかった地蔵が少しずつ上へと持ち上がった。

 一時間以上かけてようやく頂上へ地蔵を運び、崖の際へ設置した。皆息遣いが荒く、汗の量も尋常じゃない。だが、紀一は達成感に満ちていた。紀一は立ち上がり、座り込んでいるみんなに向かって頭を下げた。

「ありがとう。これまでの事も含めて全部みんなのおかげだよ。本当に感謝してる俺、これから家に帰るよ。お世話になりました」

今まで笑顔で聞いてた慎一が最後の言葉に反応した。

「何だよ、急に帰るって。お前の家まだ見つかってないだろ」

「いや、見つかった。今から帰るよ」

慎一達は訳が分からず混乱している。しかし、紀一が冗談を言っているのではないということは伝わったようだ。

「ちょっと待てよ」

「じゃ、さよなら」

 紀一は慎一の言葉を遮り、別れを告げた。次の瞬間、紀一は慎一達の前から消えた。

 正確にいうと、崖から飛び降りた。紀一はブレーキが壊れた自転車の様に斜面を転がり落ちた。時々土から出ている木の枝が紀一の体を攻撃した。登るときはあんなに時間がかかったのに、下りるときは一瞬であった。紀一の体はさっさと鳥居を抜けて、岩にぶつかる直前まで来ると、紀一は目を閉じた。さようなら、みんな。

 ガッ。紀一の背中に激痛が走った。あまりの痛さに紀一は「うっ」と声を漏らした。痛みから考えると岩にぶつかった、それは紛れもない事実のようだ。なぜだ・・・。紀一は呆然としていた。

「お~い、紀一大丈夫か?」

慎一の声が上から聞こえてくる。慎一は斜面をゆっくり下り、紀一の元へ駆け寄った。

「お前のいう家ってのはあの世のことかよ」

慎一が半分冗談、半分本気で苦笑いして言った。紀一は否定の言葉も出ず、ただ首を横に左右に振るだけであった。


 紀一は慎一達のそりに乗って家へと向かった。慎一がそりをひきながら、口を開いた。

「なぁ紀一」

「ん?」体が疲れ切っていた紀一は手短に返事をした。

「そり持ってきといて良かったな」慎一が紀一の顔を見てにやにやしながら言った。

「うるせぇよ」紀一は恥ずかしくなって顔をそらした。

その様子に慎一のみならず、その下の妹もクスクス笑っている。紀一は穴があったら入りたいとはこういうことかと思った。

しかし、なぜ戻れなかったのだろうか。来たときと同じようにしたのに。他に何が足りないのだ・・・。

 

 家に帰ると、まず紀一の姿を見たリンに説教された。慎一が理由を話すと、リンはなぜそんなことをしたんだと首を傾げていた。紀一は男の野望だッなどと意味不明の解答でごまかすしかなかった。2回目なので落ちるコツをつかんだのか怪我はそこまでなかったが、結局その日もリンの家へお世話になってしまった。

迷惑かけまいとしたことによってさらに迷惑かけるとかアホすぎる・・・。紀一は布団の中で自分に対しあきれた。帰る宛もなくなってしまったし、本当にこれからどうすればいいんだ。その夜は昨日よりも涼しく過ごしやすかったが、紀一はなかなか寝付けなかった。


翌朝紀一はまだ暗い、しかも昨日より暗い時間に目を覚ましたが、起きあがりたくなかった。一昨日の朝の大寝坊がウソのようだ。これは悪い夢で、起きたらもう昼頃になってるっていうおちなんだよな。紀一はそうあることを願ったが、足の痛さが現実だと叫んでいる。

すると、奥の方で物音がした。暗闇の中で何かが動いている。紀一が起きあがり、じっと目を凝らしていると、そいつはこちらに近づいてきた。窓から差し込む月明かりに照らされたそいつは・・・、リンだった。紀一は内心やはりと思った。リンは普段からこの時間に起き、どこかへ出かけてるようだ。

「今日もこんな早くからどっか行くの?」

「紀一君こそ早いね。いつもこの時間に起きてるの?」

やはりリンはこの話題には触れられたくないようであった。しかし、紀一は質問を変えなかった。リンにはもう無理をして欲しくなかった。

「リンさん、毎朝どこ行ってるの?睡眠不足は体に毒だと思うけど」

紀一の反応を見たリンは観念したように、つぶやいた。

「一緒に来る?」

紀一は無言で立ち上がった。二人で音を立てぬように家を抜け出した。朝はやはり冷える。紀一は妙な緊張感を覚え、怪我した方の足を庇いながら歩き出した。リンはそんな紀一の肩を支えながら歩いた。無言のまま歩き続ける二人を見守るように満月が輝いていた。


 紀一が足に疲れを覚え始めた頃、リンはいきなり立ち止まった。そこは紀一も知っている場所だった。

「ここ・・・」

北見神社の鳥居が二人を見下ろすように立っていた。

「こっち」

リンは岩の方を指し示し、紀一を誘導した。そして岩の前まで来ると紀一を横たわった木に座らせた。

「大丈夫?足つらくない?」

「うん。大丈夫だけど、何で?ここに何しに来たの?」

リンは一瞬の間をおいてから、口を開いた。

「実は、私ここで絵の練習してるの」

「絵?」「うん」

リンはそれを告げると、紀一の横に腰掛け嬉しそうに話した。

「私小さい頃から絵を描くのが好きで、毎日毎日画用紙に向かって絵をかいてた。景色とか人とかその日食べたごはんとか。初めはずっとクレヨンで書いてたんだけど、一五歳の誕生日の時にお父さんに絵の具を買って貰ってからは絵の具の方が好きになって・・・」

そこまで話すと急にリンは寂しそうにうつむいた。

「でもね、戦争が始まってからはそんな暇なくなっちゃって。画用紙もパレットも絵の具も全部売られて、しまいには父さんまで持ってかれちゃった」

リンの声はだんだん小さくなっていった。リンの目には光るモノが見えた。紀一はリンから視線を逸らした。その隙にリンは服の袖で瞳を拭って、笑顔を作り夜空を見上げた。

「でも、やっぱり絵を描くのはやめられなくて今もここで絵を描いてるの。画用紙と絵の具は市場で売り物にならない物をゆずってもらって。一昨日は絵の具を一本ここに置き忘れたことに気づいて見に来たら人が倒れてて、ほんと驚いたよ」

リンは目を細めて笑った。紀一は「その節はどうも」と苦笑いで答えた。

「でも、睡眠時間削るのは体によくないよ。仕事にも影響でちゃうんじゃない?」

紀一はリンを見つめて言った。リンは困ったように笑った。

「まぁね。でも絵を描くのはやめられない。私、将来画家になりたいんだよ」

紀一はリンのその発言に衝撃を受けた。普通に働いても食べるのに苦労するこの時代だ。画家という才能一本の世界で食っていくにはもっと大変である。紀一はなぜリンがそこまでして困難な道を選ぶのかがわからなかった。そんな紀一の心情を察したのか、リンは話だした。

「画家になるのは大変だよ。裕福な訳じゃないから、新しい道具も買えずに寄せ集めしか使えない。でも・・・、単純に絵がかきたいんだ」

リンの目はまっすぐで迷いがなかった。紀一はそんなリンを見ることができなかった。紀一は社会に対して希望ははないが、社会の渦に飲み込まれて生きるのは嫌だった。しかし、リンは夢を持ってその渦に飛び込み、立ち向かおうとしている。リンは自分と正反対だと、紀一は感じた。

「将来に不安を抱いたりしないの?」

「するよ、今も不安。でも、それで立ち止まっちゃうのは嫌だから。つらいかもだけど、それは私が選んだ道だから後悔はしない」

二人の間に少しの沈黙が流れた。

「でもね、結局成功してもしなくても私はきっと満足しちゃうんだろうな」

リンがくすっと笑って言った。

「絵を描いて暮らして生涯の内に一作でも自分の納得する絵が出来たなら、私は幸せな人生だったって言うと思う。だから短い人生の中でどこまで自分が突き進めるかが私にとって一番重要なこと」

リンは木に手をつき、顔をあげて言った。

「あ~、ずっと絵書き続けられたらいいのに」

リンがわがままを言う子供みたいに口をつきだしてつぶやいた。えっ。紀一は思わず笑みをこぼした。

「リンって意外と自分勝手だね」

「何、悪い?」

リンが紀一を横目でにらんだ。しかしその口角は上がっている。自分勝手と言われたことが嬉しいようだった。

「いや、むしろすがすがしい」

紀一は嫌みでなく本心を伝えた。紀一はリンは家族思いのしっかり者の長女だと思っていた。しかし、本心は自由気ままな夢見るただの女の子だったらしい。リンはいつも周りではなく自分と向き合っていたのだ。

「どうせ一回しかない人生なんだから、自分の為に生きたら良いんだよ」

なるほど、今までシリアスな雰囲気で色々語っていたが、本心はそれだったのか。

 紀一は今までの自分の考えが全て覆された様な気がしたが、それは悪い気分ではなかった。周りの目でなく、自分がどうしたいか・・・。結局俺は自分自身の問題から目を背けてただけだったのか。

「あっでも、弟達が自分で稼げるようになるまでは私が頑張らなきゃ。あの子達には私が必要ですから~」

リンは珍しくおどけた口調で言った。やはりこの話をしている内に恥ずかしさがこみ上げて来たらしい。リンの頬は少し火照っていた。訂正、やはりリンは家族思いの女の子であった。

 リンでもこんな風に自由に生きている。だったら俺がそれをするのをためらう事なんてないんだ。紀一はリンが本心を話してくれたのなら自分も真実を話すべきだと思った。

紀一はタイムスリップしてきた事を話す覚悟を決めた。

「あのさ、信じてもらえないかもしれないけど、俺実はこの時代の人間じゃないんだよ。俺の元いた時代は平成二七年、二〇一五年なんだ。つまり未来から来たんだよ」

リンは紀一の突然の告白に目を丸くし驚いた様子を見せたが、何も言わず静かに耳をすませていた。

「最初は何でだよ、最悪と思ってたんだけど、リンさんや慎一達に出会えて本当に良かったって今は思ってる。たくさん迷惑かけたけど、この二日間めっちゃ楽しかった。最後にリンさんと話せて良かったよ。ありがとう」

「え、最後って」

リンは紀一を不安げに見つめた。紀一は薄々もうここにはいられないと思っていた。リンの夢を聞いたのならなおさらだ。リンにこれ以上負担をかけさせてはならない。

「俺帰る場所見つかったんだわ。昨日やっと帰り方がわかって今から帰ろうと思う」

「だ、だいぶ急だね」

リンは明らかに動揺していた。こんな不審なやつにそんな反応しないでくれ。紀一は嬉しさよりも先に切なさを感じた。紀一は立ち上がり、リンの方へ振り返った。

「だから、ここでもうお別れ。慎一達にもありがとうって伝えといて」

「そんなの自分でいいなよ」

「湿っぽくなっちゃう気がするからいい。お願い、リンさんから伝えといて」

リンは少しの間黙り込んでから「わかった」とつぶやいた。

「私も紀一君といれて楽しかった。こちらこそありがとう」

紀一はのどの奥がグッとしめつけられた。紀一は感情を抑え、一泊の間をおいてリンに告げた。「それじゃ、さよなら」

「うん、さよなら」リンは紀一をまっすぐ見つめ、なるべく笑顔でそう言った。

 月はいつの間にか身を隠し、太陽が顔を出そうとしていた。


 「あぁ、これからどうしよう」

紀一は崖の上の地蔵の前にしゃがみ込んでいた。リン達に迷惑をかけられないと思い、つい家を出てきたが、帰る方法はまだ見つかっていなかった。朝の日差しが紀一をジリジリと照りつける。紀一はふと地蔵に目を止めた。そういえば俺あの時お地蔵様に向かって何か言ったような気がする。楽しいこと起こしてくれとかなんとか・・・。

「もしや、それか・・・?」

紀一は怪しみながらも一度やってみることにした。

「えっと、お地蔵様。あなたのお陰で林紀一は楽しい夏休みを過ごすことが出来ました。ありがとうございます」

紀一は正座して地蔵に向かって頭を下げた。しかし、何も起こらなかった。

「やっぱ、ダメか・・・」

紀一がつぶやいたその瞬間、安らかな顔をしていた地蔵がカッと目を開いた。

「えっ!」

そして地蔵は驚いてよろめいた紀一の体を押し、崖下に突き落とした。

 この三日間一日ずつのペースでここから落ちている。紀一はここまでくるともはや冷静になっていた。斜面を転がりスピードにのったまま鳥居をくぐり、シュンッというまばゆい光と共に岩の中をくぐり抜けた。この日もまた蝉の声が鳴り響く、ひどく蒸し暑い日であった。


 目が覚めると紀一の頭上は天井であった。この見覚えあるぼろい天井は、祖母の家の寝室である。紀一は興奮して跳びおきた。

「戻ったのか・・・?」

すると、戸が開き大樹が入ってきた。

「おぉ紀一、目覚めたか」

「よっしゃっ」

紀一は痛みも忘れ、ガッツポーズをした。そんな紀一を大樹は不思議そうに見つめていた。

 後から大樹に聞いた話だと、紀一は崖下の岩の前に泥だらけで倒れていたらしく、それを偶然キノコ狩りに来た祖母が発見したらしい。日にちはタイムスリップした日から変わっていなかった。状況を一通り把握すると紀一はふとリンのことを思い出した。彼女は今どこで何をしているのだろうか。画家にはなれたのだろうか。

 紀一は包帯を換えに来てくれた祖母に尋ねた。

「ねぇ、ここらへんに住んでた林リンさんって知ってる?」

リンの名前を聞くと祖母は驚いた顔をした。どうやら思い当たる節があるようだ。

「あぁ。その人がどうかしたのかい?」

「いや、ちょっと友達が知り合いらしくて。その人今どこで何してる?」

祖母はふぅと短くため息をついて答えた。

「その人なら名前は知らないけど町で絵画教室を開いてますよ。確か市の展覧会とかで二,三枚飾られてたんじゃないかしら」

それを聞いて紀一は自分の事のように嬉しく思った。リンさん、ほんとに画家になったんだ。幸せに暮らしてるといいな。

「ありがとう、ばあちゃん」

紀一は笑顔で祖母に言った。


 紀一の祖母は取り替えた包帯を持って洗面所へ向かった。包帯をゴミ箱に捨て手を洗うと、洗面所に隣接する部屋のドアを開けた。普段ここの鍵は閉められているが、祖母だけは鍵を持っていて自由に入れる。祖母は入った後再び鍵をしめ、つぶやいた。

「あの子あの様子だと気づいてないわね。私はうすうす気づいてたわよ、紀一が成長するにつれてあの人にそっくりになって行くんですもの」

その部屋にはたくさんの光がさしこみ、とても明るい。部屋の真ん中におかれた机を取り囲むようにあちこちに絵が飾られている。祖母は椅子に座り、机の上にある絵を見た。その絵はほとんど完成しており、後はサインを入れるだけである。

「ったく、自分の祖母の名前くらい覚えときなさいよね」

祖母はペンでサッとサインを書き込んだ。それはアルファベットでRINと書かれていた。


読んでいただきありがとうございました。

前書きでも言った通り、これは本当に初期作品なので、自分でも読み返すのが恥ずかしくてできない感じのヤツです、はい。

辻褄が合わなかったり、妙なフラグだけ立てて回収してなかったりするところもありますが、どうか多めに見てください(;^ω^)

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