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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ルーミアと食べてもいい人間の話

作者: あさか

 太陽が姿を消した宵の口、闇が黒く染める暮夜の空。

 その西の方で、宵の明星が大きく煌いている。


「あなたは食べてもいい人類?」

  

 鬱蒼と茂る暗い暗い森の中で、

 その場にはふさわしくない、幼子のような声が俺に掛けられた。


「…………?」

 俺は地面に向けていた視線を上げると……

 そこには年のころ8、9歳程度の女の子が立っていた。


 まず目に映るのは、ほおずきの様に紅いリボン。

 そのリボンは、肩で切りそろえられた金色の髪に結ばれている。

 そして、黒と白の異国を思わせる出で立ちをしており、リボンと同じように紅い両の目が俺を捉えていた。

 背丈は俺の半分ほどであるが、地面にあぐら座りではりつけにされている俺は、女の子を見上げる形になる。


 ………これは里の者……いや、人間ですらないな。


 妖怪。


 我々にとって忌避すべき怪異。

 超常の災い。


「ねえ、おじさん聞いてる? あなたは食べてもいい人類なの?」


 妖怪が両膝をついて顔を近づけ、俺を覗き込むように問いただす。

 外見こそ幼い少女のようであるが、その紅い瞳は獲物を狙う猛禽類のそれと同じように爛々と輝いている。

 俺はそんな妖怪に対して笑顔を浮かべ、静かに伝える。


「ああ、おじさんは食べてもいい、人類だよ」

「そうなのかー」


 俺の言葉を聞いて、妖怪はうれしそうに無邪気な笑顔を浮かべる。

 その笑顔に………俺はなぜか懐かしいもの感じた。 



★★★★★★★

 


 ばきり、ばきりと肉の断たれる音が森に響く。

 妖怪の少女が俺の右足を貪っている。

 華奢の印象の彼女であったが、顎の力は妖怪らしく人智を超えたものであるようで、難なく俺の肉を食いちぎっていく。

 そして、唾液に止血効果でもあるのだろうか? 右ひざのあたりまで食いちぎられ動脈も断たれているはずなのだが、激しい出血は見られなかった。

 幸いなことに痛みはほとんどない………里の人間がせめてもの情けにと、俺に処方した竹林の痛み止めが効いているようだ。


 妖怪は俺の右足を大腿部まで食うと、今度は左足のくるぶしを一口で噛み千切り、骨ごとばきばきと咀嚼する。

 まずは足を潰してしまおうということか………食べてもいいと言ったのに、いまいち信用されていないようだ。

 そもそも俺がいくら逃げようとしたところで、俺はここにはりつけにされているので、逃げることなど出来ないのだが………


 妖怪は俺の左足の甲にがじり、と噛み付いている、俺はそんな彼女に声を掛けてみたくなった。


「おじさんの足……臭くないかな? 一応洗ってはいるんだけど……」


 俺が不意に口を開くと、一心不乱に俺を食っていた妖怪はぴたりと動きを止め、きょとんと俺を見つめると

「おじさんの足………おいしいよ?」

と答える。

「ははは、そいつは良かった」

 自分の体を食われて、うまいと言われるのは………悪い気分ではない。




「ふう………おなかいっぱい。こんなに人間を食べたのは久しぶり」

 口のまわりを血まみれにした妖怪がおなかをぽんぽんと叩き、満足そうに俺の側で仰向けに寝転がる。

「お粗末さま―――ほら、口のまわり汚れてる」

 両足を失った俺が妖怪の口についた俺の血を拭ってやると、少女は目を閉じたまま「わはー」と気持ちよさそうな声を挙げる。

 

 確かによく食べたものだと思う。

 俺の半分ほどの大きさしかない少女が、足を2本食ったのだ。

 その小さな体のどこに、そんなに物が入るのだろう。


『妖怪が人間を食う、という行為は人間が物を食べるのとは意味合いが異なる』

『妖怪は肉ではなく魂、言わば人間の存在を食うのだ』

『だから、妖怪が食べると言うことは、君たちを殺すと言っていることと同義、妖怪の食事とは相手を殺すことで完成するんだ』

『いいかい? 興味本位で妖怪に近づいてはいけないよ。あれらは本来、人間とは混じらないものなんだ』


 何となく、幼い頃に通っていた寺子屋の教師が言っていたことを思い出す。

「なあ……」

「んー?」

 俺が寝転がって目を閉じていた少女に声を掛けると、少女は寝転がったまま目だけをこちらに向ける。

「もういいのかい? おじさんはまだ生きているけれど………」

「とりあえずおなかは満たされたから、今はいいや。人間をまるまんま一人食べるなんて、滅多に無いし、トドメはまたおなかが空いたらさすー」


 人懐っこい笑顔でそう話す妖怪に対し、俺は何故か会話をしてみたくなった。

「そっか………じゃあさ、君のおなかがまた空くまで、おじさんとおしゃべりをしてくれないかな?」

 我ながら何を言っているのだろうな………俺は。


 俺の言葉を受けて、妖怪はしばしキョトンと俺の顔を見つめていたが、次に顔を綻ばせて言う。

「いいよー。いいけど、おじさん何だか変な人だね。人間からそんなこと言われたの初めて」

「本当かい? じゃあ何から話そうかな!? えーっと………そうだ、君の名前は?」

 俺が年甲斐もなくうれしくなって、早口でたずねると少女は両手を広げ、

「ルーミアの名前は、ルーミアだよー」

と答えた。



★★★★★★★



 人間の里から離れた深い深い森の中。

 俺はそこで出会った妖怪の少女、ルーミアと色々なことを話した。


 普段は動物や虫、時々人間を捕まえて食べていること。

 人間が大好物であること。

 髪に結んだリボンは自分でも何だか知らず、触ることも出来ないのだということ。


 俺の他愛も無い質問にルーミアは身振り手振りを加えて一生懸命に答えてくれる、その様子はとても可愛らしく、やはりどこか俺を懐かしい気持ちにさせてくれた。


「それでね、赤い霧が出た時はルーミアにも、うおーって感じで力が湧いてきてね、すごかったんだよ! その時のルーミア!」

「赤い霧か………そんなこともあったなあ、何だったんだろうね? あれは」

 そこまで話したところで、興奮した様子だったルーミアが少し調子を落とす。

「でも………結局霧は晴れちゃって、ルーミアはいつものルーミアに戻ってしまったのだ」

「それは残念だったね、でも今のルーミアもおじさんはすごいと思うよ?」


 正直、生の肉をバリバリと食いちぎる咀嚼力は、俺の目から見て十分常軌を逸している。

「うー、いつものルーミアはあんまりすごくない。いつも森の中を一人でうろうろしているだけなんだー」

「森の中を? 一人で?」

「うん」

「それは………寂しいね」

「寂しい?」

 ルーミアはまたキョトンと俺の顔を見た後、破顔する。

「ルーミアは妖怪だから寂しくないよー」

 そう言ってケラケラと無邪気に笑うルーミアに、俺は微笑みながら

「そっか……妖怪は一人でも寂しくはないんだ」

と声を掛けると、彼女は元気よく

「うん!」

と返事をする。

 正直、人間の俺に妖怪の考え方はわからないし、きっと理解も出来ないのだろう。

 だが、孤独を感じないというルーミアが少し羨ましかった。


「おじさんは………寂しかったよ」

 俺は地面に視線を下げると、少し声を抑えて言う。

「この暗い森にずっと一人きりでさ………すごい寂しかった。

寂しくて、寂しくて、寂しくて………何より寒かった……」

「んー? おじさんは、おじさんなのに寂しがりやで寒がりなのかー?」

 俺は首を傾げてそう尋ねるルーミアの頭を撫でる。

「そうだね……おじさんは情けないことに、すごい寂しがりやなんだ。

一人だと寂しくて、寒くなってしまう」


 俺が少し困った笑顔でルーミアにそう答えると、ルーミアは突然、俺の背に手を回し、抱きついてきた。

 今度は俺がキョトンとする番だ。

「ルーミア?」

「でも、今はルーミアがいるから寂しくないね? それにこうしていれば寒くもないでしょ?」

 俺に抱きついたまま顔を上げ、ルーミアが「わはー」と無邪気に笑う。

 俺の胸に押し当てたルーミアの体から仄かに温もりが伝わってきた。


『こうしていれば、お父さんも私も温かいね』


「…………っ」

 懐かしい記憶と共に、俺の胸に熱いものが込み上げてくる。


「ははは……ありがとう、ルーミアのおかげでおじさんは……寂しく……ない……よ」

 俺は普通に話そうとするが、言葉尻に嗚咽が混じり、途切れ途切れとなってしまう。

 情けないことに、どうやら泣いてしまったらしい。

「おじさん………泣いているの? 寂しいのか?」

「いや………違うよ、ただおじさんは………おじさんの癖に泣き虫なんだ、ちょっとしたことですぐに泣いてしまうんだよ」

 そんな俺を心配そうに見つめるルーミアに対し、俺は慌てて涙を拭いながら取り成すように言う。


「おじさんは、寂しがりやで、寒がりで、おまけに泣き虫なのかー、大変だね」

 そう言って笑顔を浮かべるルーミアへ、俺は微笑み返し

「そうだね………確かに大変、………大変だったよ」

と呟いた。



★★★★★★★



 俺がルーミアと出会ってから、幾ばくかの時間が過ぎた。

 夜は更に深まり、心なしか闇が濃くなった気がする。

 いやこれは俺のめまいによるものか―――

 少しずつ意識が薄らいでいきながらも、俺はルーミアと更に沢山のことを話す。

 不思議なもので、戯れ程度のつもりだったこの少女との会話は、今や俺にとってかけがえのない大切なものとなっていた。


「ルーミア、そろそろおなかが空いたんじゃないかい?」

 何気なく俺がルーミアにそう尋ねると、ルーミアは少し逡巡しつつ、俺から視線を逸らすと

「んー、まだ空いてない………かな?」

と答え、更に

「そんなことよりおしゃべりしようよ、ルーミアもっと色んなこと聞きたい!」

とねだるように言う。

「そうだな………」

 色々なことが聞きたいというルーミアへ、俺は逆に質問をしてみることにした。


「そういえば、ルーミアは人間を食べるのは久しぶりって言ってたけど、普段はあまり人間を食べないの? 大好物なんだろ?」

「うーん………」

 俺の質問に、ルーミアは少し考え込む。

「人間は……食べたいけど、食べていい人間しか、食べちゃダメだって言われた」

「言われたって、誰に?」

「よくわかんない。でも確かにそう言われた。幻想郷で生きるのなら守らなければいけない掟だって言われた………と思う」


 妖怪の掟………?

 そういうものもあるのだろうか?


「じゃあ、ルーミアは妖怪の掟をしっかり守っているんだね、えらいなぁ」

「えへへー」

 俺がルーミアの頭を優しく撫でると、ルーミアはうれしそうに笑う。

「そんなことないよー」

「いや、たいしたものさ、えらいえらい」

 俺はルーミアにそう言うと、少し声を抑えてぽつりと言う。


「おじさんは………ダメだったよ」

「ダメ?」

 ルーミアが小首を傾げて俺に問い返す。

「うん、おじさんは掟を………人間の掟を守れなかったんだ」

「なんで?」

「おじさんは寂しがりやだって話したろ? 寂しくて、どうしても寂しくて掟を破ってしまった」


「それが掟で硬く禁じられていることも、何故禁じているのかもわかっていた。

掟を破るということが、どういうことなのかも分かっていた。

だけど、ダメだった。

どうしても耐えられなかった」


「おじさんは唯のおじさんじゃない、どうしようもないダメおじさんなんだ。

結局、掟を破って沢山の人に迷惑をかけた。

大切な人を……冒涜してしまった。

全ておじさんの弱さが、招いたことなんだ……」

「んー? ルーミア、おじさんが言っていること、よくわかんない」


 突然の俺の告白に、ルーミアは不思議そうな顔をしている。

 何で俺はルーミアにこんな話をしてしまったのだろう?

 贖罪か? 言い訳か? それとも誰かに自分を理解してもらいたいのか?

 何にしても浅ましい、醜い考えだ。


「………今日は星が綺麗だね、天の川がよく見える」


 俺は自分の言動を恥じ、半ば強引に話題を変えた。

 確かに空には無数の星が煌き、幻想的な光を明滅させている。

 

「あまのがわ?」

「天の川。ほら空を横切るみたいに明るくなっているところがあるだろ?」

「おおーっ」

 俺は空の一点を指差し説明すると、ルーミアは興奮した様子で食い入るように空を見つめる。

 素直な女の子だ。

 そんな彼女の姿は、懐かしさと同時にちくりとした痛みを、俺の心に与えるのだった。

 

 

★★★★★★★



 とある神社の境内。

 丑三つ時を過ぎた夜更けのその場所に、一人の少女が座っていた。

 少女は油皿の微かな明かりを頼りにひとり、杯をあおる。

 無言で杯をあおる少女へ、鳥居の方向から軽い調子で声を掛けられた。


「こんな夜更けに一人酒とは………風流だな霊夢」

「魔理沙………」


 魔理沙と呼ばれた金髪の少女は、霊夢と呼ばれた黒髪の少女の隣へどかりと腰を下ろす。

「何しに来たのよ、魔理沙」

 そんな魔理沙に対して、霊夢が睨むような視線を向ける。

「そんな怖い顔すんなって………唯の気まぐれで遊びに来ただけさ」

「こんな夜更けに?」

「こんな夜更けに一人酒をしている奴に言われる筋合いは無い」

 にやけた表情でそう答える魔理沙に対し、霊夢は手酌で酒を注ぐと

「まあ、いいけど」

と独り言のように呟いた。


 とある神社の境内に二人の少女が佇んでいる。

 二人とも無言で月のない、漆黒の夜空を見上げている。

「今日は新月か………月が無いかわりに星が綺麗だぜ」

 そんな静寂を断ち切るように魔理沙が口を開く、その表情に先程のにやけた様子は無い。

「そうね」

 霊夢もまた無表情に答える。

「静かだな」

「そうね」

「あー、そのなんだ霊夢………」

「…………」

「この間の異変のことは気にするな、あれはお前のせいじゃない。

どうしようもないこと………だったんだよ」

 明朗快活な彼女にはめずらしく、歯切れの悪い調子で魔理沙が言う。



 人間の里で起こった小さな異変。

 里の男が一人、禁術に手を出したのだ。


 彼が手を出したのは「蘇りの術」

 禁忌として人が触れることが硬く禁じられた術式である。

 男はその術によって、死んだ自分の娘を蘇生させようとした。

 しかし、術の心得もなく、付け焼刃で行われた蘇りの術は男の娘を蘇生させることなく、男の娘は衝動のまま人肉を喰らう屍鬼と成り果てた。

 

 里の人間がその屍鬼に襲われているという報せを聞き、

 霊夢はすぐに里へ赴くと、

 屍鬼を止めようと必死で娘の体を抱きとめる男の目の前で、


 屍鬼を退治した。


 

「別に気にしてなんかしていないわよ。要するに娘が死んでとち狂った馬鹿な男が、上辺だけの知識で禁術なんかに手を出して、みすみす娘を屍鬼に成り下がらせたっていうだけの話でしょ? 何でそんなことで私が気をやむのよ?」

「まあ……それなら、いいんだが………」

「里に被害は出なかったんだし、大体そんなこといちいち気にしていたら博麗の巫女なんてやってられないわよ」

「わかったわたった、………ほれ」

 早口でまくしたてるように話す霊夢に対し、魔理沙が彼女の杯に酒を注ぐ。

「ふん」

 霊夢は不機嫌な様子で杯を一気にあおり、目を閉じた。


『あの男は妻を早くに亡くしてな、ずっと娘と二人きりだった。

そりゃあ娘を大事にしていたもんさ』

 人里の老人が言っていた言葉だ。


 瞼の裏に、あの時の男の姿が浮かぶ。

 霊夢によって退治され、灰へと変わり地面に散らばる娘の亡骸を、呆けたように諸手で掻き集める男。

 爪が剥がれ、血が滴ってもなお、男はそれをやめなかった。

 愚かな……愚かで憐れな男だ。


「あの男………今夜、磔刑になったみたいね」

「磔刑?」

「里の外にある森に磔にして、生きたまま木っ端妖怪の餌にするの。

………人間の里では、一番重い処罰ね」

「事実上の処刑ってことか………」

「恐らく………もう生きてはいないでしょうね」

「そうか、それはしんどいな、霊夢」

「別に……私は異変さえ解決できれば、後はどうでもいいわ。」

 そう言って霊夢は無表情に手元の杯を見つめる。

 魔理沙はそんな霊夢を見つめ、一つため息をつくと、そっと霊夢の肩に手を触れる。

 人によっては冷淡だと捉えられる霊夢だが、その実、彼女が実は繊細な心の持ち主であることを魔理沙は知っていた。

 

 



「風が吹いてきたな………」

 境内を流れる冷気を帯びた風に、帽子を抑え魔理沙が何ともなしに呟く。

「魔理沙、あんたはもう帰りなさい。こんなところにいたら風邪をひくわよ」

「そうだな………そうするか。霊夢もさっさと寝ろよ。夜更かしは美容の大敵だぜ?」

「うるさい、わかったから帰れ」

「へいへい、そうするよ」

 霊夢に向けて魔理沙が軽く手をふりつつ、背を向ける。

 もしかしなくても、この友人はあの異変のことを自分が気にしていると思って、こんな夜中にやってきたのだろうと霊夢は感じていた。

 魔理沙はいつもそうだ。

 霊夢に何か悲しいことがあると、いつも隣にやってきて軽口を言っては帰っていく。

 おせっかいで、世話焼きの………大切な友人なのだ。


「魔理沙、今日は来てくれて……ありがとう」

 そんな魔理沙の背に向けて、霊夢が小さな小さな声で呟く。

「あん? なんか言ったか?」

「別に」

「? まあいいや、じゃあな」

 魔理沙は箒に跨ると、漆黒な夜空に消えていく。

 そんな魔理沙を尻目に霊夢は再び境内に座り込み杯をあおると、空を見上げた。

 月の無い空には、無数の星が瞬いている。

「本当に……むかつくくらい、綺麗な星ね」

 霊夢は一人そう呟くと、あの憐れな屍鬼のために、また祈りを捧げるのだった。


 

★★★★★★★


「ほら、天の川を挟んで大きく光っているあれが彦星で、そっちが織姫。

ちょっと離れた場所にあるのが箕星みぼしだよ」

「そうなのかー」


 空は満天の星空だった。

 俺はルーミアに空の星々について教える。

 幸い、俺は星の名前をよく知っていたし、また星の逸話についても多少の知見があった。

 俺の説明に、ルーミアは目を煌かせながら、ふんふんと頷く。


「おじさん、あれは何ていう星?」


『お父さん、あの星は何ていうの?』


「――――!」


 再び脳裏に懐かしい記憶が瞬き、俺は一瞬呆けてしまう。


「おじさん、どうかした?」

「いや……ごめんごめん、あれは添星そいぼし

大切な人と一緒に見ると、ずっと幸せになれるって言われているね」


 そういえば、娘はこの添星が好きだった。

 俺は星になど興味は無かったが、娘がせがむので天文学や占星術に関する書物を買い、一緒に勉強をしたのだ。

 そして、こんな月が無い夜は、よく一緒に星を見に行った。


 俺は娘の喜ぶ顔が見たかった。

 妻が死んだ時、俺の残りの生を全て娘に捧げようと誓った。

 娘の幸せのためなら、こんな命いつでも投げ出すことが出来た。

 娘の幸せ………それだけが俺の願い、生きるための理由。

 俺の全てだったのだ。


 そして、娘は死んだ。

 流行り病に、よるものだった。


 俺は空っぽになってしまった。

 俺はいったい何で生きている?

 俺はこれから何のために生きればいい?

 考えても、考えても答えは出なかった。


 妻も娘もみんないなくなってしまった。


 心にぽっかりと穴が空いてしまったようで………

 酒をどんなにあおろうと、仲間と馬鹿騒ぎに興じようと、

 その穴は俺を掴んで、離さなかった。


 寂しくて


 寂しくて、寂しくて、寂しくて


 そして、何より寒かった。


 そんな時、ある仙人から奇跡の話を聞いた。

 蘇りの術。

 嘘のような、奇跡の魔法。


 それが禁術であることは知っていた。

 里の……人間の掟で固く禁じられていることも、全て全て知っていた。

 それでも俺は試さずにはいられなかった。

 これで娘が生き返るのなら………俺のもとへ帰ってきてくれるのなら……

 俺はどんなことでもしよう。

 例えこの命が尽きようと、魂が業火に焼かれようと知ったものか。

 

 俺はその日から、蘇りの術式を完成させることに没頭した。

 寝食を忘れて術の書物を読みふけり、術式に使う材料を集めるためならどんなに危険とされている場所にも出向いていった。

 わずかな蓄えを全て使い果たし、一日中そんな奇行に走る俺を見て、里の住民は俺の気がふれてしまったと思ったようだ。

 いや……実際に俺はもう、気がふれてしまっているのだろう。

 それはまさに、狂人の所業であった。


 そうして起こした奇跡。

 蘇りの術。

 結果は散々たるものだった。

 俺は自分勝手な願いによって、娘を冒涜してしまったのだ。


『お前がしたことの罪は重い。

里を預かる者として、お前を許すことは出来ない』


 里の掟を破り、人の理を投げ捨てた俺に長老が与えたのは、里の外―――人外怪異の領域における磔刑たっけいだった。

 里に暮らす者にとって最も重い罰、事実上の処刑。

 それでも俺にとってそれは救いであったのかもしれない、

 俺にはもはや、生きる意味も、力も無いのだから……。



「おじさん………?」

「うん?」

 考え事をして、黙り込んでいた俺に対し、ルーミアが心配そうに言う。

「また寒いのか? もう一回ぎゅーってしてやろうか?」

「ああ、大丈夫だよ。ルーミアが来てくれたから、もうおじさんは寒くないよ」

 そんなルーミアに俺は微笑みかける。

「でも……おじさん、また寂しそうな顔をしてる」

「そんなことは、無いさ………」

 

 俺はまた空を見上げる。

 さっきまで無数に瞬いていた星が、その姿を少なくし、東の空が白んできている。


 …………夜明けが近いのだ。


 そろそろだな………と俺はひとりごちる。


「ルーミア」

「なに?」

 俺は空を見上げたまま、一晩を共に過ごした妖怪へ声を掛ける。

「そろそろ、おなかが空いてきたんじゃないかな?」

 俺の言葉にルーミアは狼狽したような表情を浮かべ、慌てたように

「そんなことない! ルーミアはまだまだおなかいっぱいだよ!」

と答えるが、同時にルーミアの腹がぐー、と音をたてる。

「あ………」

 自分の腹を抑えてしまったルーミアへ、俺はしてやったりと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ほらほら、本当はおなかが空いているんだろ? 妖怪が本当の意味で満たされるのは、人間にトドメをさした時だっていうもんな。

そろそろおじさんを食べてみないか?」

 軽い調子で俺はそう言うが、ルーミアは俯いて答えない。

「な…んで」

「ルーミア?」

「何で、そんなこと言うの?」

 顔を上げて、ルーミアが俺を責めるように言う。

「そんなことよりも、もっとおしゃべりしようよ!

ルーミア、もっと星のこととか、おじさんのこととか、お話し聞きたい!」

「ルーミア………」

 ルーミアはそう言って、俺の服の首元を掴み胸元に顔を当てる、そして―――


「おじさん………?」


 ―――どうやら、気付いたようだ。


「おじさんの体……冷たくなってる、さっきよりも……ずっと、ずっと……」


 実のところ、俺にはあまり時間が残っていないのだ。


 ルーミアに食われた両足、止血効果のためなのか血が噴出しているわけではないものの、あの時からずっと血が流れ続けている。

 そして、その出血は少しずつ、確実に俺の命を奪っていっていた。


 失血によるものか、先程から耐え難いめまいと吐き気、そして体温の低下による寒気が体中を襲っている。

 外の世界の発達しているらしい医療ならまだしも、この世界で俺の命を繋ぎとめることが出来る者はいないだろう。

 そもそも、両足を失って生きていけるほど幻想郷は甘くない。


 俺は、胸元に顔を押し当て、わずかに震えているルーミアの耳に口を近づけ、静かに諭すように言う。

「ルーミア、おじさんはもう長くない。どうか、最後は君に食べて欲しい」

「…………」

「おじさん、あまりおいしくないかもしれないけど……あ、好き嫌いをしてたら大きくなれないぞ?」

 俺が軽口を挟むも、ルーミアは俯いたまま微動だにしない。


「い…やだ……」

「え?」

「いやだよ………ルーミアは、もっとおじさんとおしゃべりしていたいよ……!」

「ルーミア………」

 ルーミアが顔を上げる、その紅い瞳には大粒の涙が浮かんでいた。


 ああ………

 俺は本当にダメな男だ。

 こんな年端もいかない少女を泣かせてしまうなんて………


「ルーミアは妖怪だから、一人でも寂しくなんかない……だけどおじさんがいなくなったら、……それはきっと、寂しいよ」

 言葉を詰まらせながら、ルーミアはそう訴える。


「ごめん、ルーミア。

 君にはすまないことをしてしまった。だけど、どうか許してほしい。

 おじさんの最後の願いを聞いてほしい」


 唯の妖怪だと思っていた。

 人間の持つような情など、持ち合わせていないのだと勝手に思い込んでいた。

 そんなわけないじゃないか。

 俺とルーミアはこの一晩の間、沢山のことを話した。

 一緒に笑ったり、微笑んだり、とても心穏やかな時間を過ごした。

 もう………友人なんだ。

 友人を、平気で食べられるわけがないじゃないか………


 ………それでも、俺は―――


「どうか、おじさんを食べてくれないだろうか?

 おじさんは寂しがりやだから、こんなところで一人っきりで死ぬのはどうしても嫌なんだ。耐えられないほど怖いんだ」

「…………」

「ルーミアが食べてくれれば、おじさんはルーミアの血や肉になる。

そしたらもうおじさんは一人じゃなくなる、きっと寂しくなくなると思うんだ」

「うん………」

「勝手なことを言っているのはわかっている。

 だけどおじさんは……おじ…さんは……もう」


「一人は……嫌なんだ……」

「そうなのか……」


 俺は泣いていた。

 涙が溢れて止まらない。

 子供のように嗚咽を漏らしながら、それでも俺はルーミアに懇願した。

 無様で……浅ましいほどに


「わかった……よ。

ルーミア、おじさんを食べるよ」


「ルーミア……」

 俺が顔を上げると、ルーミアは真っ直ぐに俺を見つめていた。

 その紅い目がうっすらと光を放つ。

 妖怪の捕食体勢、魂を呑み込むための妖気。

 俺はそんな彼女の瞳を見て、添星そいぼしを思い出す。

 夜空に煌く、小さくて可憐な紅い星。


 ルーミアは俺の肩を抱き、口を大きく開く。

 口の中には大きな鋭い牙。

 人間とは違う……肉食の生き物が持つ、獲物を刈り取るための牙が無数に伸びていた。


 俺はそれを美しいと思う。

 神聖なものだと思う。


「おじさん」


 ルーミアが俺の首筋へ顔を近づけて言う、無邪気で……そして少し寂しそうな優しい声。


「いただきます」


 すまない……ありがとう、ルーミア。

 我侭なおじさんで申し訳ない。

 情けない男ですまない。

 伝えたい言葉はたくさんあるが、俺は一言、言葉を発することで精一杯だった。


「どうぞ……召し上がれ」


 次の瞬間、ばきばきと俺の首筋が裂ける音がする。

 視界は一瞬で真っ暗になり、気道が裂けたのか息が出来なくなる。

 ごぼごぼと喉から何かがせり上がる感覚、同時に自分の意識が急速に沈んでいく。

 

 それでも、俺は、最後の力をふりしぼり―――


 震えながら、俺の首を食いちぎろうとしている少女の頭を


 さらり、と一回、撫でた。



★★★★★★★



 空が薄明を迎えた、早朝。

 人間の里から、やや離れた所にある深い深い森。

 鬱蒼とした背の高い木々が重なり、人を寄せ付けない静かな場所。

 そんな中を進む、人間の一団があった。

 一団は4~5人程度の少数で、若い男数人と一人の老人。

 そして、紅白の巫女服を着た少女が一人、森の中を進んでいた。


「巫女さま、何度もご迷惑をおかけして申し訳ない」

「別に、構わないわ」

 老人―――人間の里の長老が、巫女服の少女―――霊夢に声を掛ける。


「あれは、愚かな男です……しかし、同時に憐れな男でもあります。

これは私の我侭ですが………せめて亡骸だけでも家族と共に葬ってやりたい」

「…………」

 長老が静かに言葉を発するが、霊夢は何も応えなかった。


 この一団はいま、とある場所を目指している。

 人間の里で狂行に至った、一人の男。

 その男はこの先にある磔刑場で……おそらく死んでいるのだろう。

 里の恩恵もなく、妖怪が跋扈するこの場所へ向かうため、長老は博麗の巫女を一団への同行を依頼したのだ。


 霊夢としては正直気乗りのしないものであったが、こんな場所へ里の人間だけで行かせる訳にもいかず、重い腰をあげざるを得なかった。


 しばし森の中の小道を進むと、唐突にそれは現れる。


 磔刑場。


 これまで滅多に使われることなく、今後も使用されないだろうと思われていた、極刑用の場所。

 その磔刑場の中心に男―――男だったモノ…の残骸が残っていた。


 あたりに広がる血のにおい。


 一団にいた若い男が、その残骸を目にし、たまらず嘔吐する。

 妖怪に襲われた人間の死骸を何度か目の当たりにしたことがある霊夢でさえ目を背けたくなってしまうほど、男の骸は酷い有様だった。


 両足は失われ、腹が裂かれ臓物が食い散らかされている。

 体は大部分が削がれ、全身がかろうじて繋がっているだけの、凄惨な人形のようだ。


 霊夢はそこまで見て、思わずきゅっと目を閉じる。


 怖かっただろう。

 苦しかっただろう。

 こんな何も無い暗い森の中、たった一人きりで………生きたまま妖怪に貪り喰われたのだ。

 どれほどの絶望がこの男を包んだのか、霊夢は想像することも出来ない。

 

 心臓が早鐘のようにバクバクと鳴り、腹の中がぞわぞわする。

 あの異変を解決してから霊夢の腹の中にはモヤモヤとした何かが、ずっと渦巻いていた。

 出来ることなら腹の中の物を全て吐き出してしまいたい。

 だけど、それは許されない、自分は博麗の巫女なのだ。

 

 霊夢は覚悟を決めると、えづこうとする体の衝動を必死に抑え、男の顔に目を向ける。


「え………?」


 そして困惑した。

 苦悶の表情に満ちているだろうと思っていた男の顔は―――


「笑ってる………?」


 男はまるで優しく寝かしつけられた幼子のように―――

 そっと目を閉じられ、穏やかな笑顔を浮かべて………死んでいた。

 

 凄惨な全身に比べると不自然なほど、その顔にはキズ一つなく、血すら一滴もついていない。


「どういう…こと………?」


 霊夢は昨夜、この磔刑場であったことを知らないし、想像も出来ない。


 しかし、人生の最後の最後。

 事切れる、その瞬間。

 この寂しい男に……一体どんな奇跡が起こったというのだろうか………?


「……………」


 霊夢は空を見上げる。


 昇りかけの朝日が、白く染める薄明の空。


 その東の方に


 明けの明星が小さく小さく、瞬いていた。

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― 新着の感想 ―
何年も前、初めてなろうに辿り着いたのがこの作品であった事を覚えています。当時は東方にハマりたてだったのでルーミアについて調べていました。 改めて見てもとても良い作品でした。食人という重い内容にも関わら…
[良い点] 悲しいけど、感動できました [一言] いい作品でした、感動させてもらいました。
[良い点] ルーミアの可愛さや、素直さ、幼さ故に真っ直ぐに男と向き合う姿が、上手に、表現されていると思いました。 [一言] 文句なしに面白かったです(〃'▽'〃) ありがとうございました(*^▽^*)…
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