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生きるのが苦手なひとびと

明らかに挙動不審ですが、それが何か?

作者: 小日向冬子

 年に何度か、メンタルがひどく落ちる時期がある。

 頭にも感情にも膜がかかって、何をするのも億劫でたまらない。

 その期間は、本やテレビや新聞や、その他あらゆるものがただのノイズになり下がり、針のむしろのようにチクチクとわたしをいじめ続ける。しぼんだ風船のように頼りない心は、外界の刺激にたやすく圧倒され、混乱させられてしまう。

 許されるならサナギになって意識のある時間をやり過ごしたいという虚しい願いを抱きつつ、現実のわたしは這いずるように形ばかりの日常生活を営み続ける。


 その時期は、なんでもないことが面白いくらいできなくなる。

 いちばんわかりやすいのが、買い物だ。

 何を見ても食指が動かず、どんな食材を前にしてもイメージが湧いてこない。空っぽのカゴをひっ下げて浮浪者よろしくスーパーの通路をあてもなくうろつき回り、唐突に立ち止まっては眉間に悲壮感漂わせながら商品の棚をにらむ。脳味噌が完全に石の塊と化し、何かを欲したり決断したりするだけのエネルギーなどすっかりなくなっているのだ。 

 毎日空のカゴを抱え、呆けたようにスーパーで立ちすくむ女。

 明らかに挙動不審だと我ながら思うのだが、いかんともしがたい。


 自我が拡散していきそうな感覚を持てあましながら餓鬼のようにさまよい続け、バラバラになっていく精神をなんとか再構築しようともがき続ける日々。

 いったいどうしたら、この拷問のような精神状態から抜け出せるのだろう。もしかしたらもうずっと自分はこのままなんじゃないか。そう思ってはますます深みに嵌って行く。


 だが、終わりは突然やってくる。


 何がきっかけなのかはよくわからない。

 ただ、目には見えない空気の肌触りで季節の移ろいを知るように、ある日唐突に胸の中にポツッと、ごくごく小さなエネルギーの点が打たれたのを感じるのだ。

 ここまでくれば抜けだしたも同然、あとはその点をゆっくりじっくりと守り育てていくだけだ。


 そうして少しずつ息ができるようになったとき、ようやく気づく。


 気持ちが下がっていたのは、知らず知らずのうちに自分を肯定できなくなっていたからだ。


 自慢じゃないが、もともとのわたしはとっても自己肯定感が低い。それを後付けの自前でなんとか調達して生き延びてきたのだ。

 でも所詮それはどこか張りぼてみたいなもので、ちょっとコンディションが悪いと素の自分が所構わず顔を出してくる。


 素のわたしはたやすく忘れてしまうのだ。自分は自分らしくさえあればいい、そんな簡単なことを。


 さらに始末に負えないことに、落ちている真っ最中にそれを言われたところでまるで心に響かない。とことん落ちて、もう一度同じ道を辿りきった上でしか、ストンと胸に落ちてはこないのだ。

 我ながらなんて面倒な奴だ、とため息が出てしまう。


 というわけで進歩のないわたしは、毎度毎度わかりきったアップダウンを繰り返しながらもしぶとく生きている。


 これもまた人生さ、なんてぼそりとつぶやきながら。

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分は自分らしくあればいい。 単純明快なお言葉です。わたしも、しばしばそんな自問自答を繰り広げます。 ところが、意識してしまうと、それがなかなか難しく感じられるんですね。 つい、自分以上のも…
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