閑話1 壺を抜けたらマダガスカル?
まず、これだけは言っておきたい。俺の名前はマダガスカルではない。
遠足に向かう途中のバスに乗っていて、ついつい居眠りをして起きたらここにいた。どういうことだ。ここは明らかに日本ではない。
今日、5月1日は俺の17歳の誕生日だ。俺の生まれた日を祝いたいという、誰かの善意から出たサプライズだとしても、いきなり海外に連れ去るなんてやりすぎだ。
いくらなんでも、あんまりだろう。何せ、ここは北半球ですらない。俺の推測が確かなら、ここは南半球。マダガスカル共和国だ。
世界地図を開いてみてアフリカ大陸の右下、インド洋にポツリと浮かぶあの島である。
メルカトル図法で描かれた日本国内の一般的な地図で見ると、下手すれば日本より小さく見えるかもしれないが、日本の約1.6倍の面積を持つ世界第4位の大きさの島だ。
マダガスカル共和国は面積587,041平方キロメートル、首都はアンタナナリボ。主にアフリカ大陸系、マレー系の民族と約18の部族が住み、公用語がマダガスカル語とフランス語。米を主食とし、通貨の単位がアリアリと、何だか可愛らしい国だ。気温は一年を通して一定で平均19℃と過ごしやすい。そして独特の生態系で有名だ。
何故にここをマダガスカルと判断したか。その根拠はというと、先ずは5月の日本にしては暖かすぎる気候、多少の混在はあるものの熱帯性のものを中心とした植生、そして何よりアダンソニア・グランディディエリ!
これはサン=テグジュペリの『星の王子様』に出てくることでも有名な木である。俺自身、読んだことはないがその一節だけは知っている。通称バオバブ。アダンソニアは学名である。
CMやら旅行番組などでもよく取り上げられるので、誰しも一度は見かけたことがあるだろう。棚田の真ん中で上下逆さまになったような奇妙な外観の木が、真っ直ぐに伸びた丸太のような幹の上、人間でいうならば頭がある位置に髪の毛のように枝葉が茂らせ、巨人のような姿でアフリカの太陽の元、いくつも佇んでいるのを。
イメージしていただけただろうか。それがバオバブである。
ここに棚田はないが拓けた草原があり、他の植生を圧倒してそびえ立つ姿はバオバブの木以外の何ものでもない。
中でもこのつるりとした太い幹、頭頂部の豊かな枝葉と、際立って大きなフォルムは、間違えようもない。最も有名なバオバブ、アダンソニア・グランディディエリ。マダガスカルの固有種である。
観葉植物として売られてもおり、他の土地でも育たないことはないが、映像で見かけるこのサイズのものは樹齢1000年ともいわれ、これだけ大きく育った巨木が生えているのは原産国であるマダガスカル以外にない。
俺は幼い頃、ドキュメンタリのホロ映像でそれを見て、とても感動した。一度はこの眼で見てみたいと思った。だからといって、こんなサプライズはないと思うが、それでも、少々浮かれてしまったのも仕方がないことだろう。
どこを歩いても人工物に遭遇し、ありとあらゆる土地に、誰かしらが所有権を主張する現代日本に生きる高校生として、見渡す限り人の姿のない大草原など滅多に経験するものではない。開放的な気分になって当然である。
その、”ちょっと浮かれた姿”を、他人に見られていたことは不覚だった。正直俺は今、死にたい気分である。
問題は、そのピーピングトム。覗き見の犯人のことである。見た目アラブ系ダブルっぽい、褐色というには些か白い肌にカールした黒髪、ちょっと珍しいインディゴブルーの瞳の持ち主で、黙っていれば等身大の人形か、宗教画のようだ。そう、黙ってさえいれば。
中身はハチャメチャもいいところだ。人の名前を勝手に決めつけ、上から目線で謎な論理を展開する。その論理の飛躍はまさに一昔前、00年代に流行った『厨二病』ってやつそのものだ。
見たところ年齢もその辺、13~14歳位なので、そういう年頃なのかも知れない。
他人事ならそうやって微笑ましく見ていられるのだが、現在絶賛被害被り中の俺としては、なかなかそこまで達観出来ない。
何せ、自称神様だ。扱いに困る。
「神様だから」
と、変なポーズを取り、半眼の気持ち悪い笑い方をした後、ドヤ顔になるコイツをどうしろと。
しかも前髪が鬱陶しいのか、しきりに弄っている。その姿がとても鬱陶しい。思わず懐に入れていた携帯スリッパで叩いてしまった。これはバス内でくつろぐ為に持ってきたものだが、履き替える前に微睡んでしまったので、未使用のままである。だから汚くはない。
一瞬、しまったと思わないでもなかったが、本人は気にはしていないようなので良しとする。
少年は引き続き、よくわからない理論でよくわからないことを言ってくる。ここが異世界だとか、俺が壺から飛び出してきたとか、どこをどう飛躍したらそうなるのか、訳のわからないことを話し続ける。
何だ? バスに乗っていた俺が何故、壺から飛び出すなんて愉快な目に合わなければならないんだ? バス内で催眠ガスを嗅がされて、何処とは言わないが半島方面に拉致されたとでも言われた方が余程信憑性がある。
だいたい何で壺なんだ? 壺を抜けたらマダガスカルがあるっていうのか?
それともあいつ曰く、異世界が壺の中にあるっていうのか? 設定か!? そういう設定なのか!? これに合わせなきゃならないのか? 俺はどんな遊びにつき合わされているんだ? 全く持って意味不明だ。
それを堂々と変な理屈でもって滔々と論じ続ける。これを厨二病と言わずして、誰をそう言えと?
しかも、自分を「神」それも「女神」だという。何だ、それは。お前はアニメか漫画の登場人物か。女神がアニマでお前がアニムスか。それとも教祖:自分、信徒:自分だけの新興宗教でも開こうっていうのか。
何にしても「女神」はない。こいつが正真正銘男であることは、この目で確かめている。その証拠はつい先程まで曝け出されていたのだ、嫌でも目に入る。
「女神」に固執するところから、服装倒錯の趣味でもあるのかと思いきや、服装はいたって普通。今は、ゆったりとしたズボンに丈の短い貫頭衣、その上から装飾帯と銀糸の縁取りの古代紫のチョッキを纏っている。全体的に淡いラベンダー色から藍色へと、グラデーションになるように配色されている。女の子が着ていてもおかしくないデザインではあるが、これは多分男物だろう。
露出癖もあるみたいだし、立ち居振る舞いや行動に女性めいたものはない。差別する訳ではないが、そういう嗜好が全く見えないにも関わらず何故「女神」に固執するのか。純粋に気になった。
「おい、お前んとこの闇の神はガキなのか? んでもって女神は男なのか?」
疑問が拭えないので本人に直接訊いてみた。その答えが、
「大人が脱いだら猥褻罪だし、女が脱いだらそれはそれで問題だろう?」
「何故に脱ぐ前提なんだ!」
相変わらずの明後日の返答に思わずツッコんだのだが、「お前はギリギリアウトだがな」と、哀れむような眼で下から蔑まれた。こいつほんっきでムカツク。
「シェヘラザードみたいな格好しやがって。お前は神というよりジンニー、いや、むしろマジュヌーンだろ!」
「シェへラザードって何? ジンニーって? 食べ物か?」
とりあえず見た目や服装に反して、中東圏出身ではないらしい。いや、俺の発音の問題って可能性もあるのか? 結論を急ぐのはよそう。
とにかく俺は一刻も早く、現状把握に努めたいのだが、現在唯一の会話の対象であるコイツが明後日の方向の返事しかしやがらないので、全く状況をつかめないでいるのだ。
他に話し相手がいれば良いのだが、今のところまだいない。というか、こいつ以外の人間に遭遇していない。
それでも、この明らかに日本ではない土地で、日本語が話せる相手と遭遇出来たのはラッキーだといえよう。
もしかしたら、俺をマダガスカルに連れてきた人間が手配したのかもしれないが。
身一つで、自力で日本に帰るのは流石に大変だろうから、事態が進展するまでは、状況を把握しつつ俺をここに連れてきた人間を待つのが吉だろう。
わざわざ手間をかけて南半球まで連れてきて、このまま放置ということはあるまい。ならば、もう少しこのまま、この状況を楽しんでも良いだろう。俺は、この変な遊びに付き合うことにした。
少し腰を落ち着けようと、草原の端、少し樹木が生え始める林の入り口にある、少年の言うところの”俺が出てきた”設定の壺の方へ向かった。
そうしたら後ろからその少年、エレの声が掛かった。
「壺には近づかないほうがいいよ。あの中でミエイさんはペットを飼っていて、そいつは人間を餌だと思ってるんだ」
また変なことを言い出した。ミエイさんって誰だ? 新しいキャラクターの投入か? 同じようなのが増えるのか?
このサプライズの迎えは、いつ来るのだろうか。