作中劇 茨姫
「おはよう、お姫様」
徳間は棺の中から若い女性を抱き起こすと、くちづけを交わした。
その瞬間、女性は茨に変わり、茨は枯れて変色し崩れ落ちる。
徳間は女性の居なくなった自分の両腕を名残惜しそうに眺めていたが、やがて唇を拭うと顔を上げた。
その先には老人が居る。
「新世界か」
老人が言った。
老人の言葉を聞いて、徳間がにやりと笑う。
「お、日本語喋れるのか」
「無論。ただ反吐の様な空気の所為で口を開く気がおきなかっただけだ」
老人が辺りを見回す。
「ただここは……少し故郷の匂いがする」
「故郷? まあ、あいつは色んな国に行ってたし、あんたの故郷の思い出もあるのかもな」
老人が徳間に向いて、ゆっくりと歩みだした。
「それで? 私をここに閉じ込めてどうするつもりかね?」
「そうだな。大人しく捕まってはくれねえか?」
「分かりきった質問はなるべくしない事だ」
「そうかい、残念だね。ここじゃ特に力の加減が利かないんだ。殺したくはないんだけどな」
徳間の心底残念そうな声を聞いて、老人が口を横に引き伸ばして凶悪な笑みを浮かべた。
「面白い冗談を言うな。この私を殺すと言ったか?」
「ああ。出来れば死なない様にしたいけど、多分死ぬよ」
くつくつと老人が笑う。
「素晴らしい自信だ。挑戦者とはそうでなくてはいかん」
「自信過剰はそっちも同じだろう。今、この世界は外の世界と法則が変わっているんだ。俺が圧倒的に有利な事位、分かるだろ?」
「故郷の名残が存在するこの場所であれば、私は真の伝説達を生み出せる。この骨身に馴染んだ本物の英雄を」
老人の言葉と共に、老人の周りに大小様々な人々が九の三倍現れた。
「君は伝説の英雄に勝てるのかね?」
老人の言葉を合図にして、巨人が雄叫びを上げて部屋の端まで届く大剣を徳間に向かって振り回した。更に別の一人が槍を投げ、槍は雷に変わり、雷鳴を轟かせながら徳間へと向かう。
二つの攻撃を前にして、徳間は一言呟いた。
「勝てるさ」
徳間が手を上げて、唸りを上げて迫る大剣に触れる。その途端、大剣は止まり、茨が生え、茨は一気に増殖して大剣を侵食し始めた。更に雷となって迫る槍も徳間の目の前で、その先端から膨大な茨が生やし、最後は茨の塊となって地面に落ちた。
徳間が手を振るう。
「茨は王子様以外の全てを絡めとって、深い眠りに落とすんだ。それが何であろうと」
その瞬間、老人の周りに居た人々の足元から茨が生まれ、体の大小を問わず一気に飲み込んだ。九の三倍の茨の山に変わり、次の瞬間枯れて崩れ落ちた。
老人の足にも茨が絡みついている。それが少しずつ上へ上へと上っている。
老人が苦々しげに呟いた。
「まさかこうもあっさりやられるとは思わなんだ」
それに徳間が答える。
「まさか耐えるとは思わなかったよ。けど茨の城に入った以上、俺の勝ちは揺るがない」
老人に絡みつく茨は少しずつ上へ上り、老人の両足を覆い尽くした。
老人が笑う。
「まだ切り札を出しとらん。確かに君は強い。この世界の中であれば確かに君が最も強いのかもしれん。だがだったらこれはどうだ」
老人が突然血を吐き出した。更に右腕が溶け崩れる。
それを見て、徳間が呟く。
「質量を魔力に変えたのか?」
老人がくつくつと笑う。
「人一人を作るのには、膨大な魔力が必要だ。戦闘の性能だけを再現するにしても、人々の記憶という依り代を補助に、こうして体を犠牲にしてようやっと作り出せる。それなのに百の本物を一つ作るよりも十の紛い物を千作った方が遥かに強いし簡単だというのだから、報われない」
茨に覆われかけている老人の前に一人の男が現れる。
「だが今こそ、その本物を作る価値がある。この世界は君が最も強くなれる世界。であれば君がもう一人居たらどうかね?」
徳間は、老人の前に現れた、自分とそっくりの男を睨みつける。
「記憶が色濃ければ色濃い程、生み出しやすくなる。その点、この世界は君の記憶だけが満ちている。戦闘だけを行う人形であれば、作るのはそう難しくないと思っていたのだが」
老人が腕の消えた肩を上げた。
「やはり君は素晴らしいよ。これだけの好条件で、腕一本に内蔵の大半。今まで作った誰よりも難しい。類稀なる強さだ」
もう一人の徳間を生み出した老人は笑う。
「だからこそ、作った甲斐がある」
老人は徳間に向かって問いかける。
「改めて聞こうか。君は自分自身に勝てるかね?」
老人の作り上げた徳間が、瓜二つの徳間へ向かって駈け出した。
それを見据えて徳間が答える。
「勝てるさ」
徳間が掌を向けると、老人の生み出した徳間が一瞬の内に茨で覆われて消失した。
老人が驚きに目を見開いた。
「何? 確かに全く同じ性能を」
徳間が笑う。
「俺のコピーを作ったところで殺すのなんか簡単なんだよ」
「何故」
「ヒーローっていうのはヒロインが居てこそ映えるもんだろ? 孤独なヒーローなんざ意外とあっさり死んじまうもんだ」
老人の茨が侵食の速度を上げていく。
「まだだ」
老人が再び血を吐き出した。
老人の体の大半を犠牲にして、部屋の中に巨大な蛇と狼が現れる。
だが現れたその瞬間、茨が二体の化物を覆ってしまう。
「もう終わりだよ」
茨が老人を飲み込む。茨の塊になる。
堅牢な茨の檻を作りあげた徳間は、大きく息を吐きながら、棺に手を突いた。
「めでたし、めでたし」
背後から声が聞こえ、徳間が振り返る。女性が屈託の無い笑みを浮かべていた。
「おやすみ」
徳間が微笑みを浮かべてそう言うと、女性の姿は消える。
徳間は笑みを消して、悲しげに眉を寄せ、棺の中を覗きこんだ。
棺の中に横たわった女性の死体を眺めながら徳間は立ち尽くす。
「めでたくなんかねえよ、馬鹿」
荊の城が崩れる中で、徳間は女性の死体を眺めながら悲しそうに呟いた。