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作中劇 偽物

 フェリックスの元から戦場の端まで逃げてきた法子は、立ち止まってエミリーを下ろした。

 横たえたエミリーの口元に手をかざす。息をしていない。胸を触ると辛うじて鼓動がある。だがいつ止まるのか分からない位に弱い。体の中の魔力がまるで無い。

「どうしよう」

 呟いて辺りを見回す。

 摩子が居れば治せるんじゃないかと思った。あるいは他の誰か治療の出来る人が居ないだろうかと辺りを見回したが誰も居ない。

 遠くで戦っているが、それを呼びに言っている間に死んでしまいそうな程エミリーは弱っている。

「どうしよう」

 呟きながら、法子はエミリーの傷に手を当てた。だがそれでどうなる訳でも何が出来るでもなく、ただ手を当てただけ。

 その時タマの声が聞こた。

「法子、そのまま手を当てて、その子の体に魔力を流すんだ。少しずつね」

「タマちゃん!」

 タマの声で法子は泣きそうになる。

「良いから、魔力を流して、少しずつだよ。助けられるかもしれない」

「でも私、傷を治す方法とか分かんないよ」

「良いから流して」

 法子は言われるままに、エミリーの傷口に当てた手を通して、エミリーの体の中に少しずつ魔力を流し入れた。

「何にでも自己修復能力がある。人もそう。戦闘に赴く魔術師ならまず間違いなく、それを強化している。だからほんの少しでも魔力が残っていれば、本来であれば元気になれる。今のこの子みたいに魔力を完全に奪い取られていなければね」

「じゃあ、魔力をあげれば」

「でもそれだけじゃ駄目」

「え?」

「今、この子の傷には呪いが掛かっている。だから魔力をあげても傷は治らない」

「じゃあ」

「だから私がその呪いを解く」

「タマちゃん。治せるの?」

「治す。だからちょっと待ってて」

 法子はエミリーの中に魔力を流し続けた。更にタマの構築した魔術が法子の手を灯らせ、エミリーの呪いを溶かし崩していく。

 しばらくすると、エミリーの傷が塞がり始めた。

「タマちゃん!」

「続けて。まだ足りない」

 エミリーが口から血を吐き出した。続いてか細い呼吸の音が聞こえてきた。

「よし。これなら」

「助けられる?」

「うん。大丈夫そう。魔力が溜まり始めてる」

「良かった」

 法子が安堵して、項垂れた。眦から涙が零れ落ちる。その涙がエミリーに当たる。当たった拍子にエミリーの睫毛が微かに動いた。

「神様」

 呟きが聞こえる。微かに手が動く。

「エミリーちゃん、良かった!」

 法子が嬉しさに、その手を掴もうとした。

 その時、突然タマが鋭い思念を送ってきた。

「法子! まずい」

 振り返ると、目の前に光の壁が出来ていた。

「くそ。防ぎきれない」

 同時に、光の壁が崩れ、法子の体に衝撃が走る。それだけで特に痛みも何も無かった。

 けれどタマが焦った拍子に聞いてくる。

「エミリーって子は大丈夫かい?」

「え?」

「今、魔力を掻き消されたんだ。さっきのジョーとか言う奴の魔術だろ。くそ。治療中だってのに」

 法子がエミリーの居た場所を慌てて見ると、そこには誰も居なかった。

「あれ?」

「ん?」

 法子とタマが二人して疑問符を浮かべた。

「タマちゃん? どういう事?」

「待て待て、おかしい。何でだ? 何処に消えた?」

「もしかして魔力が消されたから」

「だからって肉体まで消える訳が無い! おかしい。何でだ」

「でも、ならエミリーちゃんは?」

「分からない」

「何それ! だって消える訳がないなら、どうして居ないの?」

「だから分からないんだよ! 消えるってそんな訳が」

「でもエミリーちゃんはあんな傷があって、動けそうにないのに」

「ああ」

「動けなかったよね? それなのに居ないなんて、それじゃあまるで」

「消えたみたいだね」

「消えたみたいだね、じゃないよ! だってあんな、あのままじゃ死んじゃいそうだったのに」

「ああ、そうだね」

「魔力が無いと回復出来ないんでしょ? それなのに魔力を消されたんじゃ」

「ああ、そうだね」

 タマははっきりと言わない。法子もはっきりと口に出せない。けれど何となく想像がついてしまう。

 法子はエミリーの横たわっていた地面に触れる。微かに温かい。指を曲げ、爪を立てて、地面を引っ掻く。それでどうなる訳でもない。

 法子の目から涙が流れだした。

「どうして、何で」

「法子、まだ決まった訳じゃない」

「うん」

 そう呟く。そして立ち上がり、涙を拭って振り返った。

 広場からは、昔の格好をしていた人々が綺麗さっぱり居なくなっていた。散らばった魔術師達が皆、広場の中央を見つめている。そこにはフェリックスがただ一人で居る。

 法子はそれに向かって歩き出した。

「法子、無茶は駄目だよ」

「分かってる。みんなと一緒に戦えば良いんでしょ」

 法子が歩いていると、ジョーが声を掛けてきた。

「法子ちゃん、大丈夫やったか?」

 法子は立ち止まって、ジョーの方を見ずに暗く答えた。

「うん、私はね」

「そか。良かったわ。とりあえず俺が相手の人形は全部消したから、後はあの爺さんを倒すだけや」

「うん」

「つっても多分まだまだあの爺さんは余力を残してるで。ここは下手に動かず様子見して」

「分かってる」

「そんなら、ええ。こんなに味方が残っとるんや。真っ当にかかれば絶対勝てる」

「分かってるって!」

 法子が突然怒鳴り声を上げた。ジョーが面食らう。

「え? ああ、そか。なら良かったわ。とにかく下手に突っ込んで無駄死だけはあかんで」

「五月蝿い! 分かってるって言ってるじゃん!」

 法子が怒鳴りながらジョーを見上げた。

 ジョーは法子の目に涙が溜まっているのを見て、口を開けたまま固まった。

 タマが宥めようと思念を伝えてくる。

「法子、落ち着いて。下手に仲違いなんかしたら」

「分かってるよ でも、でも、悔しいじゃん。何も知らなくて。消したのはジョーさんなのに!」

「君の気持ちは分かるよ。でも我慢だ」

「うん。分かってる」

「法子ちゃん? 何か、気に触ったんなら」

 気遣う様なジョーの言葉に、法子はジョーから目を逸らしながら答えた。

「すみません。言い過ぎました」

「いや、別に」

 ジョーの言葉を無視してフェリックスを見る。

 おかしい。どうしてエミリーが死ななければならないのか、法子はその理不尽さを呪う。ずっと付いてきてくれて、一緒に戦ってくれて、この混乱を収めようと頑張っていた子が、どうして消えなければならなかったのか。フェリックスを相手取り立ち向かっていった子がどうして。しかもその死を他の人々は知らない。消した本人も知らない。死体すらも残っていない。それではあまりにも、あまりにも報われない。

 法子は悲しくなって、涙が出そうになったが、それをこらえてフェリックスを見つめた。ここで泣いて、挫けてしまう訳にはいかない。エミリーの死を無念に思うのであれば、せめてエミリーのやろうとしていた事を成し遂げてあげなければならない。

 法子は何度も啜り上げながら刀を強く握る。

 刀を握ると不思議な事に、堪えていた涙が止まった。頭の中が掃除されて、何だか世界がはっきりと見える。悲しみが消えていた。ただ視界の先に居る仇を討ち取らなければならないという目的だけがはっきりとある。

「法子、腐る気持ちは分かる。でも今は」

「大丈夫だよ、タマちゃん」

「法子?」

「本当に大丈夫。嫌な思いが消えちゃったから」

「法子。君は」

 本当に悲しみが消えていた。今はただ戦う事だけが頭の中にある。悲しみだとか苦しさだとかやるせなさだとか、そういった雑念が全て無くなっていた。単に無理矢理押し込めただけなのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。心の中では本当のところ、悲しみが荒れ狂っているのに、それを無理矢理封じ込めているのだと、法子自身分かっていた。けれどそれで良い。戦う事に支障をきたさない位には、戦う事に集中している。今はただ戦えればそれで。

「法子。そうか、集中してるんだね。悲しみを感じない位に」

「うん」

「それが魔術の奥義だよ、法子。一番の基礎で、そして一番大事な事。君は本当に、優秀だよ」

「ありがと」

「でも偶に不安になるんだ。君の成長が速すぎて。良い事のはずなのに。どうしてだか分からないけど」

「そっか」

 タマの言っている事は良く分からない。きっとそれは後になって見れば分かる事なんだろうと法子は思う。だからそれを今考える必要は無い。今はただ目の前の戦いに集中する。


 広場に居る魔術師達が少しずつ中央へと近付いていく。

 時代掛った人形達を失い丸裸になったフェリックスへ向かって。けれど警戒は緩めずに少しずつ。

 遠郷はそんな魔術師達を水ヶ原達と共に静観していた。広場中の誰もが思っている。広場の中央に居る老人は全くこたえていない。必ず次の手を繰り出してくると。それに対抗する為に、あえて向かっていくか、あるいは迎え撃つか。あえて踏み込む魔術師が約半分。遠郷達と同じ様に様子を窺っている魔術師も約半分。

 半数の魔術師が近付く中、案の定、次の一手がやって来た。

 傍観していた遠郷の前に唐突に人影が現れた。遠郷は驚きつつも錫杖を向けて攻撃しようとしたが、その手が止まる。

 現れた人影が口を開いた。

「玲」

 遠郷は名前を呼ばれ、動揺する。間違いなく聞き覚えのある声。間違いなく見覚えのある姿。ラスティノートと読んでいた羽鳥と言う名の腐れ縁が目の前に立っていた。

 羽鳥が片手を上げて微笑んでくる。

「よう、久しぶりだな。元気にしてたか?」

「奏亜、何でお前」

「おいおい、ラスティノートだろ? 何だ? あの呼び方は流石に恥ずかしくなったか?」

「お前死んだはずじゃ」

「ん? ああ」

 羽鳥奏亜は自分の体を見回してから、振り返る。病院の広場に、さっきまでは居なかった沢山の人々が犇めいている。

 羽鳥は顔を戻すと、笑った。

「どうやら無理矢理生き返らせられたみたいだな。てっきりまた蘇生が成功したかと思ったんだが」

 遠郷が更に問い尋ねようとした時、先に水ヶ原が震える声で尋ねかけた。

「羽鳥さん、あなたはどうして」

「おお、水ヶ原。世話になったな。ああ、別に殺された事は恨んじゃ居ないよ。お前誰かに操られてたんだろ?」

 羽鳥の言葉に水ヶ原の体が震えた。

 遠郷が水ヶ原を見ると、水ヶ原は錆び付いた様な動きで遠郷に顔を向けた。

 遠郷が問う。

「やっぱりお前が殺したのか?」

 水ヶ原は一度唾を飲み込み、そうして覚悟を決めた様に目を細める。

「ええ、否定はしませんよ」

 遠郷の目が細まる。

 そこへ羽鳥が口を出してきた。

「おいおい、俺が気にしないって言ってるんだから良いだろ?」

「お前は黙ってろ、ラスティノート」

 遠郷の鋭い声に、羽鳥が笑った。

「良いねぇ。ピリピリしてるねぇ。そう来なくちゃ」

 笑う羽鳥に、佐藤が尋ねる。

「おい、羽鳥よう」

「ん? ああ、佐藤か。久しぶりだな。どうだ? そろそろ一人で狩れる様になったか?」

「おお、とりあえず、全部クリアして、装備も全部作ったぜ」

「すげえじゃん」

 佐藤と羽鳥が笑い合う。あまりにもありきたりな会話。羽鳥が既に死んでいる事を忘れさせる様な光景だった。

「で、ちょっと聞きたいんだけど、羽鳥、良いか?」

「何だ?」

「鈴木の事、やっぱまだ好きなのか?」

「は?」

「え? 私?」

 羽鳥が呆けた様子で、鈴木を見る。鈴木も口を開いて声を漏らした。

 皆が羽鳥に注目する。羽鳥は呆けた様子で鈴木を見ていたが、唐突に表情が崩れ、怒りと喜びと悲しみを順繰りに表した後、また元の呆けた表情に戻った。

「何言ってんだ、俺は別に」

「ああ、やっぱりお前偽物か。死ねよ」

 佐藤が素早く羽鳥の頭を掴む。途端に羽鳥の顔に黒い斑点が浮かび、次の瞬間顔の皮膚が崩れ始めた。

 羽鳥は飛び退って、顔を抑える。

「偽物? 俺が?」

「おう。恐らく俺達の記憶から作られた偽物だよ」

「自分では本物だと思ってたんだが」

「いーや、絶対お前は偽物。自覚がねえだけじゃねえの?」

 言い切った佐藤の肩を遠郷が掴んだ。

「おい、何を根拠に」

「いや、馬鹿か? あの爺さんの魔術だって分かるだろ」

「そうかもしれないが、ただ蘇らせられただけの」

「それでも殺すけど、目の前の奴はとりあえず偽物だよ」

「だから何を根拠に」

「俺の質問を処理しきれてなかったから」

「鈴木の事を好きかって質問をか?」

「そう。お前等知らなかっただろ?」

「まあ」

 遠郷が水ヶ原と鈴木を見た。遠郷だけでなく二人も知らない様子だった。羽鳥の言動を思い返しても、そんな素振りはまるでなかった。

 だから遠郷は疑わしげに尋ねる。

「お前の勘違いじゃないのか?」

「かもな。でもそれは問題じゃねえんだよ。俺はそう思ってて、俺の羽鳥に対する認識とお前等の認識が食い違いって、俺等の認識から作られた羽鳥の偽物がエラーを起こしたっつーわけ」

「さっきの表情がおかしくなった瞬間か?」

「そういうこった」

 遠郷は納得がいったものの、それでもまだ羽鳥が実は本物なんじゃないかという思いが残っていた。何かの間違いじゃないかと。

 思わず救いを求める様に鈴木に目をやると、鈴木はうっすらと笑みを浮かべていった。

「その通りね」

 唐突に背後で水を煮沸した様な音がして、振り返るといつの間にか現れた手を模した巨大な看板が、腐って溶け崩れているところだった。

「少なくとも攻撃してくる以上は敵。間違いない」

 鈴木が巨大な掌の看板をもう一枚生み出して羽鳥へと叩きつける。だが直前でそれは腐り落ちた。腐った看板をすり抜けて羽鳥が突っ込んでくる。

「おお、偽物の癖にやるじゃん」

 鈴木がそれを迎え討とうとする。だがかち合う前に、水ヶ原が鈴木の手を掴んで姿を消した。

 元居た場所からほんの数歩離れた場所に水ヶ原が現れ、掴んだ鈴木を窘める。

「足元に気をつけてください」

 転移する前に鈴木の立っていた場所はいつの間にか奇妙に変色した地面で囲まれていた。もしもあのまま迎え撃とうと羽鳥に気を取られていれば、地面からの侵食によって腐敗させられていた。

「おし、後は俺が」

 羽鳥に向かって佐藤が飛び出したが、その手を遠郷が引っ張った。そのまま佐藤を後ろに引いて、前に出た遠郷が錫杖を羽鳥に向ける。

「俺がやる」

 途端に羽鳥の目の前で爆発が起こって、羽鳥が吹き飛ばされた。吹き飛ばされた羽鳥へ、遠郷は更に錫杖で狙いを定める。炎が滑る様に羽鳥の体に巻き付いた。巻き付いた炎が腐敗させられて色を変える。だがそれを覆い尽くす様に更なる炎が羽鳥を巻き上げた。

「じゃあな、ラスティノート。! 浄加焼鬼!」

 炎が渦となり天まで昇る柱となって、一瞬の内に羽鳥を焼き尽くした。

 遠郷が錫杖を逸らすと炎が消え去り、焼け焦げた地面の上にもう羽鳥の姿はなかった。それを確認した遠郷は水ヶ原を見る。その視線に晒されて水ヶ原は背筋を震わせた。

 遠郷が微笑む。

「やっぱり偽物だな。あいつはこんなに弱くない」

 弱々しい遠郷の笑みに、水ヶ原が俯いて弱々しくいった。

「遠郷さん、僕が彼を」

 その言葉を、遠郷が途中で遮った。

「良いんだよ。あいつがお前を許したんだからな」

「遠郷さん。でも今のは」

「もし、本物のあいつでも多分、同じ事を言ったよ」

 そう言って、遠郷は錫杖を広場の中央に居るフェリックスへと向けた。

「それよりも今は、あの糞野郎を殺さなくちゃな」

 水ヶ原は少し迷う様に黙っていたが、やがて顔を上げて頷いた。

 それを見ていた佐藤が笑う。

「おいおい、あいつを殺すのはこの俺だぜ?」

 そう言って親指で自分を指差した瞬間、佐藤の腹を槍が貫いた。

「がっ」

 唐突に現れた、鹿の様な角の兜を被った鎧武者は、槍で佐藤を突き倒すと、引き抜き、倒れ伏した佐藤の顔面に向けて、槍先を向けた。

「止めろ!」

 遠郷が錫杖を向ける。

「シャッカトリマ!」

 遠郷の生み出した炎が波打ちながら鎧武者へと向かう。

 鎧武者が炎へ向かって槍を振るった。

 それだけで炎が消えた。

「くそ」

 遠郷が更に新たな攻撃を行おうとした時には、既に鎧武者は佐藤の顔に狙いを定め、次の瞬間槍が突き降ろされた。

 槍先は佐藤の顔面を破って潰し、次の瞬間佐藤は消えた。


 病院の入口まで陽蜜達を守り切った剛太達だがイーフェルとサンフが唐突に立ち止まったので、出口を前にして皆止まった。

「どうしました?」

 剛太が尋ねると、イーフェルは敷地を囲う森を眺めながら言った。

「すみません。ちょっと行ってきます」

「何処へ」

「ここまで来れば、まあ助けた事にはなるでしょう」

「どういう事ですか?」

 剛太の問いを無視して、イーフェルとサンフが走り去ってしまった。

 後には剛太達だけが残される。戦えるのは剛太だけ。元華やマサトやファバランは異変を感じて広場に戻ってしまったし、広は意識を取り戻したものの変身する様子は無く、怯えながらついてくるだけ。

 一人で守れるだろうかとどうにも不安な気持ちで居ると、足音が聞こえた。真央だった。

「真央さん!」

 心強い味方が増えた事で、勇んで呼びかけた剛太だが、直後に真央の様子がおかしい事に気が付いた。

「真央さん?」

「有黍明日太は帰ったわ」

 真央がやけに事務的な口調で言った。

「姿は確認したんだけど、残念ながら連れて来る前にさっきの衝撃波で消えた」

 周囲に居る一般人に配慮して曖昧にぼかしている様だが、剛太はすぐに真央の言わんとしている事を理解した。

 剛太の中に悔しさが滲んだ。

「おい、それ、もしかして死んだって意味じゃ」

 広が言わなくても良い事を言い、それを聞いた四葉達の表情が固まった。

 剛太はゆっくりと笑顔を向ける。

「いいえ、違いますよ。彼は助けを呼ぶ為に帰っただけで」

「嘘だ! その女が言ってた事と違うじゃないか」

「いえ、そんな事は」

 剛太がどう言い訳を言ったものか考えていると、真央が背を向けて歩き出した。

「じゃあ、私は行くわよ。その子達はよろしくね」

「え、真央さん」

「今は一刻も早くこの事態を収束させるのが大事でしょう?」

「それはそうですけど、ちょっと、真央さん!」

 剛太の呼びかけに、真央が振り返った。表情の抜け落ちた見返り姿から発せられる怒気に驚いて剛太が後退る。

「私は行くわよ。このままなめられて終われない」

 真央の威圧にしばし気圧されていた剛太だが、やがて持ち直した。

「構いませんけど、冷静にお願いしますよ」

「誰に口聞いているの?」

「あなたにです。暴走だけはしないでください」

「分かったわよ」

 真央が顔を逸らして、再び歩き出す。

 剛太は溜息を吐いてそれを見送った。


 森の中を分け入るイーフェルとサンフは、その一角にルーマを見付けた。

「ルーマ様」

 サンフが駆け寄ろうとしたが、ルーマの対面に獣が座っているのを見て立ち止まる。獣面人身の巨大な化物が居た。

「ラベステ! どうしてここに!」

 サンフの問いかけにラベステは獣面を振り向かせて笑った。

「何、ルーマの小童が悪巧みをしていると聞いてな。この俺様が止めに来てやった訳よ」

「よくも抜け抜けと!」

 熱り立つサンフだったが、ルーマの声がそれを遮った。

「良し! 出来たぞ!」

 ルーマの宣言にラベステが驚いた声を上げる。

「何? 本当だ! くそ、次だ。寄越せ!」

 そう言って、ラベステがルーマに向けて手を差し出す。ルーマはその手に金属片を放った。するとラベステはその小さな金属片を覗き込みながら弄び始めた。

 サンフが引きつった表情で問い尋ねた。

「あの、ルーマ様、何をしていらっしゃるのでしょうか?」

「何って、知恵の輪だ」

「知恵の輪?」

「うむ。こちらの世界のパズルだよ、パズル。中々面白いぞ。一緒にやるか?」

「いかん! いかんぞ、ルーマ! 神聖な戦いに邪魔者を入れては」

「ああ、それもそうだな。すまない、ラベステ」

 ルーマとラベステの気安いやり取りを見て、サンフが一層顔を引き攣らせた。

「あの、パズルという事は、遊んでいらっしゃるのですよね? どうしてお二方は遊んでいらっしゃるのでしょうか?」

「勝負だよ」

「勝負?」

「そう。お互い全力で戦ったら、町ごと吹っ飛ぶだろ? そういう訳にもいかないから、平和的に解決をな」

 サンフが肩を落とす。

「成程。勝負、ですか。それで、その勝負には一体何を賭けていらっしゃるのですか?」

「何を? ああ、そういえば決めてなかった。どうする、ラベステ?」

「どうするも何も、俺様はお前の悪巧みを止めにきただけだからな。俺様が勝ったらお前はその悪巧みを止めるんだ」

「悪巧みと言われても、さぱり。この世界に来た目的は大したものじゃ」

「良いから止めろ」

「分かったよ。じゃあ、俺が勝ったら、そうだなぁ、俺が勝ったらあんたには町を壊すのを止めてもらおうか」

「町を? 最初から壊す気はまるで無いが、まあ、良いだろう」

「うっかり壊すのも無しだぞ」

「せんよ。この町には上手い肉があるからな」

 ラベステの言葉にサンフが反応した。

「肉? まさかあなた人間を襲って。今、人間とは微妙な時期だというのに」

「おい、仮にも俺様は王族なんだが、お前の部下はやけに失礼じゃないか」

「ああ、すまない。後で教育しておく」

「人間の経営していた店だし、人間の肉の可能性は低いと俺様は思う訳だがどうだ?」

「まあ、多分牛か豚じゃないかな? 高い店だと人間を出すらしいと、この世界のお偉方が言っていた気がするが」

「共食いとは奇矯な生き物だな。まあ、別に人間を食っても良いんだが、息子がどうにもなぁ」

「甘々だな」

「良し出来た」

 知恵の輪を外し終えたラベステは、知恵の輪を別の形に再構築してルーマへと放った。ルーマは顔を知恵の輪から逸らさずに、落ち込むサンフとにやついているイーフェルに向けて言った。

「そうだ。法子の友達は無事か?」

 イーフェルが答える。

「ええ、もう問題ありません」

「そうかなら良い。こっちはまだ時間がかかりそうだから、適当に遊んでいて良いぞ」


 法子は次から次へやって来る敵を切り裂き続けていた。唐突に広場に現れた数多の人々は明らかに敵だった。操られた一般人かもしれないという懸念があったものの、解析し、それが単なる魔力の塊であり、広場に居る魔術師達の記憶によって生み出された偽物だと分かると、法子はやって来る偽物達を躊躇いも無く殺し続けた。

 切り裂く毎に、偽物は消えていく。以前ピエロと戦った時の事を思い出させた。ただキリが無かったあの時と違って、今は明確に終わりが見える。初めの内は動けば肘の当たる程、犇めいていた偽物達もその数をどんどんと減らしている。

「法子、大丈夫かい?」

「うん、まだまだ行ける。調子良いよ」

 法子は心底本気でそう言った。例え偽物とはいえ人を切る事に何の躊躇いも無くなっていた。タマはそれが、悲しみを押し隠す為のものである事を見抜いたけれど、指摘してどうなる訳でも無いので、何も言わない。

 次から次へとやって来る敵達を切って切って切り続ける。前後左右からやって来る敵を殺し、上から降ってくる敵を切り殺し、離れた場所から魔術を放とうとする敵を一足飛びに近寄って切り殺す。

 次から次へと切り渡り、駆け抜けて殺していく。

「法子、この辺りは敵が多いよ。少し退いた方が」

「大丈夫大丈夫」

 法子は元気良く返して、更に切ろうとして、目の前に現れた少女に見覚えがあって手を止めた。

「エミリーちゃん!」

 手を止めた瞬間、周囲から襲いかかってきた偽物達に体中を突き刺される。

「うぐ」

 呻きながら周囲の敵を切り飛ばし、傷を修復しつつ、エミリーと向かい合った。

「エミリーちゃん」

 エミリーは答えない。

 法子は不安げに尋ねる。

「エミリーちゃん、だよね」

「法子、こいつは」

 タマの言いわんとしている事は法子自身も分かっていた。けれど、偽物と分かっていても、法子は目の前のエミリーを偽物だと断じる事が出来なかった。生きていて欲しいと願ってしまった。

「エミリーちゃん、お願い答えて」

「神様! 何でしょう?」

 エミリーが答える。

 それに希望を見出した瞬間、エミリーの背後から獣が襲いかかってきた。

「あ」

 法子が呟くのと同時に、獣が法子の四肢に食らいつき、法子は引き倒される。四肢を貪り食われながら、地面に貼り付けにされ、更にもう一匹の獣が法子の腹を食い破ろうと、襲ってきた。

「ひ」

 法子の口から悲鳴が漏れる。漏れた時には獣の牙に腹の筋肉を千切り取られた。不気味な感触が腹から全身に広がった。

 まずい。そう思ったが、体が動かない。

 死ぬ。そう直感したが、エミリーの姿が呪縛となって、体が動かない。動いてくれない。

 獣が今度は法子の頭を見定めて口を開いた。

 殺される。

 生暖かい息が顔に降り掛かって、法子は思わず目を瞑った。

「法子さん!」

 凄まじい風が吹いて、法子が目を開けると、食らいついてきた獣が消えていた。代わりに頭の近くに黒い鎧が立っていた。

「マサトさん」

「無事か?」

「うん」

 傷の修復が終わって、法子が立ち上がる。が、よろけた。それをマサトが支えてくれた。

「あいつ等はみんな偽物だ。見知った顔でも、偽物なんだ」

「分かってる」

 分かっているけれど。

 法子がマサトから体を離してエミリーと向かい合う。

 でもやっぱりそこに居るのはエミリーの姿をしていて、それに刀を向ける事が出来そうにない。

 それを見て、マサトが言った。

「そうだな。すまない、酷な事を言った。あいつは俺が帰す」

 法子がマサトを見上げると、兜のから覗く口が笑みを作った。そうしてマサトの姿が消える。一拍後にはエミリーの元に切り込んでいた。エミリーはそれを避けつつ獣を生み出して応戦する。けれどマサトはそれらをすぐに切り飛ばして、またエミリーに切り込む。エミリーは避けながら獣を生み出し応戦しているが、完全にマサトが圧倒していた。生み出された獣はすぐに切り伏せられ、マサトの剣が振られる度に、エミリーは避けきれ体の何処かに傷を作っていく。しかも傷が修復する様子は無い。

 終始押しているマサトが一際速く踏み込んで剣を振るった。エミリーは避けきれずに左腕を切り飛ばされた。切り飛ばされた腕が法子の元に飛んできて、足元に転がった。転がった腕を見て、それが違うと分かっていてもエミリーの腕だと思ってしまって、法子は頭の中が一瞬真っ白になって目を逸らした。

 その瞬間をエミリーは見逃さなかった。

 エミリーは傷付いた体のまま、数体の獣を生み出しつつ、法子の元へ突っ込んできた。

 法子は意識を取り戻して、慌てて迫ってきた獣を切り飛ばすが、全ての獣を切る事は出来ず、残った獣が噛み付こうとしてくるのを、無理な体勢で切り裂いた。余裕の無い法子はそのまま我武者羅に、切り裂いた獣の奥に居る獣の主に向かって、思いっきり刀を振るった。

「あ」

 振った瞬間、それが誰なのか思い当たり刀を止めた。止めた時には既に切り裂いていて、二つになったエミリーの体が足元に転がった。足元に転がったエミリーの上半身は目に涙を浮かべている。

「エミ」

 法子がそう呟くと、エミリーの目から涙が零れ落ち、エミリーは、神様と呟いて居なくなった。

「ああ」

 法子はエミリーの消えた場所を見下ろしながら、頭を抑えて呻いた。

「また、私」

 法子はエミリーが腹を貫かれた時の事を思い出す。瀕死のエミリーを必死で助けようとした時の事を思い出す。助けたと思ったのに消えてしまった時の事を思い出す。エミリーとの短い思い出を思い出す。笑いかけてくれたエミリーを、いつも元気につきまとってくれたエミリーを、自分の事を褒めてくれたエミリーを、いつも神様と叫んで飛びついてくるエミリーを、エミリーの無邪気な笑顔を。

 それ等が一気に心を責め立ててきた。法子の中の、押さえつけていた堰が崩れて、罪悪感や悲しみや怒りや無力さがどんどんと沸き上がって来た。今まで必死で支えていた綱が切れて、立っている事が出来なくなった。

 法子の足がふらついて、体が傾ぐ。その時、誰かの腕が法子の体を支えた。見上げると、マサトだった。

「大丈夫か?」

 法子は口を開いてただマサトを見つめた。

「辛いのは分かる。でも今のは偽物だよ。何も間違っちゃいないし、悪くもない。罪悪感を感じる必要なんて全く無い」

 その優しい言葉が辛かった。どんどんと申し訳なさと無力感が溢れてくる。目から涙が溢れ出る。

「泣かないで。俺が君の立場でも同じ様にした。気持ちは分かるけど、でも罪悪感なんて感じる必要無い」

 そう言われても罪悪感を覚えるし、涙だって流れ出る。

 法子の口から嗚咽と共に、後悔が溢れてきた。

「私、また守れなかった。また切っちゃった。また、そんなつもりなかったのに。助けたかったのに」

 マサトに抱き寄せられ、包み込まれて、更に涙が溢れてきた。

 孤独であった事や魔法少女になっても変われなかった事や間違いと断じられて打ちのめされた事や純を切ってしまった事やタマが離れて行った事やショッピングモールで誰も救えなかった事や池に突き落とされた事や陽蜜達を助けられなかった事やエミリーを救えなかった事や自分の力の無さや周りに頼る意気地の無さや将刀に恋をする滑稽さや友達と比べて自分が劣っている事や何をしても上手くいかない事やこんな状況で自分勝手に泣いてしまっている事や、その他のありとあらゆる嫌な事や悩みを思い出して、それが涙になって溢れに溢れ続けた。マサトの腕が更に力強く法子の背を抱く。その優しさがまた涙となって流れ出た。

 どれ位泣いていたのか分からないけれど、とにかく一頻り泣いた後に、法子はマサトから離れた。見ればマサトの鎧に涙と鼻水が付いていたので、慌てて拭いた。見上げると、マサトの口元が優しげに微笑んだ。

「大丈夫?」

 その言葉と同時に、マサトは剣を振り、横から襲いかかってきた偽物を切り裂いた。法子は自分が泣いている間にも偽物達が襲いかかってきていてそれをマサトが倒してくれていたのだと知って申し訳なくなる。それなのに自分は泣いてばかりで、ずっと助けてもらっていた。申し訳ない気持ちで一杯になったけど、その一方で少し気分が晴れた。泣いたおかげでですっきりしていた。

「大丈夫です。すみませんでした」

 法子が答えると、マサトは良かったと言って、法子の頬に触れた。

「気にしないで良いよ。こんな胸で良いのなら、いつでも貸すから」

 その言葉に法子がぼーっとしていると、マサトはまた一つ微笑んで、法子を背にして広場の中央へ顔を向けた。丁度、徳間がフェリックスに肉薄しているところだった。


 徳間が偽物達を針で蹂躙しながらフェリックスへと近付いていく。偽物達を蹴り、払いながらフェリックスに肉薄して、針の様な短剣を突き出した。だが触れる寸前でフェリックスの姿が消える。

 転移、と一瞬思ってしまったのが反応を遅らせた。

 体を沈み込ませたフェリックスが、立ち上がりながら掌底を徳間の顎に叩き込んだ。針の魔術は発動せず、徳間は顎を打ち抜かれ宙に浮く、更にフェリックスが体を回転させて回し蹴りを放った。徳間は腹を蹴られて吹っ飛び、転がって、血を吐きながら立ち上がる。そうして口内の血を吐き捨てて広場の中央を見つめ、一つ息を吐くと、切り札を使う覚悟を決めた。


 ジョーは刀を鞘に収め、今にも抜き放とうとする体勢で固まっていた。

 魔力を消し飛ばす術式を組み、魔力を溜めて刀に載せ、刀を振ると同時に開放する。言葉にすれば簡単だが、長い溜め、その間術式を維持し続ける事、更に溜めている間に敵に襲われた時の対処、問題は様々にある。

 それら全てをこなし、しかも広場中に達する程の魔力を一日で三度も放つという行為は、少なくとも常人の出来る事ではない。紛う事無き天才の所業だった。

 ただそうは言っても、疲労は限界に達し、三度目の今は溜める為に膨大な時間を費やしている。そもそも彼の魔術師としての戦い方は変身し魔術を狂わす魔術によって敵を自滅させる事であって、今の様に刀を使う戦い方は彼の剣士という別の側面であった。それが剣士として闘いながら魔術をも使おうとする不合理な戦い方をしている為に、激しい消耗を起こし、彼の魔力と精神と集中はほとんど尽きかけていた。

 ジョーはその刀に全てを込めてフェリックスの生み出した魔術を消し飛ばし、後事は他の魔術師達に託して退場する腹積もりであった。

 だからジョーが刀を抜き放って魔術を消し飛ばした瞬間、僅かな気の緩みと共に完全に無防備な空白が生まれ、必然の理として飛来した矢を避ける事が出来ず、あっさりと貫かれて、ジョーは消失した。

 結果として、ジョーの存在と引き換えに、フェリックスの生み出した偽物は極一部を残して消え去り、病院を舞台にした死闘は最終幕へ移行する。

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