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舞台 混乱の中で

 ビルの屋上で狙撃銃の照準器を覗いていた海音は銃弾を放たず、照準器から目を離してゆっくりと顔を上げた。

 敦希がその行動を不思議に思う。

「どうした?」

 敦希の問いに、海音は何も言わず黙って遠くを見つめている。

 何かまずいのかと敦希の不安が大きくなる。

「どうした? 何かやばい事でもあったのか?」

 海音は手に持った狙撃銃に目を落とし呟く。

「追いかけてた弾丸が全部落とされた」

 海音の声音に嫌な響きが混じっている。敦希は思わず唾を飲んだ。海音の弾丸は対象を延々と追尾する。当たるまで必ず。他にも幾重の細工を施して、相手に当て殺す機能を先鋭化している。例え単に弾き落とされたところで殺傷機能は止まらない。

「落とされたって事は弾が分裂して相手をずたずたにするんだよな? それは発動したのか?」

 海音は答えない。否定の沈黙。つまり弾丸の機能が停止したという事。それは相手に対策を取られたという事。

 敦希の不安が高まり、逃げるという選択肢が湧いた時、突然に海音が首を振って大きな声を出した。

「違う! 違うの! そういう事じゃない!」

「え? 何が?」

 海音は静かに狙撃銃を見つめている。

「何で私こんな事してるんだろう」

「こんな事って、何だ? あいつを殺そうとする事か?」

「うん。そうだよ。そう。どうして?」

「どうして? あいつが俺達の仲間を殺したからだろ?」

「そうだよ。そうなんだけど」

 敦希には訳が分からない。海音は仲間を殺した敵を憎んでいた。あれだけ憎んでいたのに今更何を疑問がっているのか、敦希にはまるで分からない。

 そうしてそれは海音も同じだった。

「何で? 何でだろう。あんなにぶち切れてたのに、何で今はこんな」

 敦希には海音の突然の心変わりが不気味ではあったが、元々復讐に反対で、危険な事は止めて欲しかっただけに、今の変化は嬉しい事でもあった。

「じゃあ、もう止めにしよう。もうこんな町から逃げて」

 海音が首を横に振る。

「この町からは逃げられないよ」

「は? 何で?」

「知らない。けど壁が立ってて出られない」

 敦希は双眼鏡で遠くを見渡した。けれど何処にも壁らしきものは無い。

「壁なんて」

「魔術の壁。目じゃ見えないよ」

 敦希は双眼鏡から目を離して、海音を見た。海音は諦めと希望の入り混じった目で敦希と目を合わせた。

「手伝って。私達を閉じ込めた悪者を倒さなきゃ。お願い。迷惑かけるけど」

 敦希は一瞬虚を突かれて言葉に詰まったが、すぐに頷いた。

「迷惑なんて今更だろ」

「そうだね。本当にごめん」

 海音がはにかみ、そして鋭い目で遠くを見つめた。

「あいつ等、何とかしないと」

「あいつ等?」

 敦希が双眼鏡で海音の視線の先を追った。

 威容な集団が居た。黒胴黒袴に鉢金を被っている。誠と書かれた旗を掲げ整然と歩いている。

 敦希の口元が笑みに歪んだ。恐れと馬鹿馬鹿しさに声音が震える。

「新選組? コスプレ、だよな?」

「さあ? 他にも色々居るよ。昔の人っぽいの。歴史知らないから誰が誰なのか分かんないけど」

「本物じゃないよな?」

「さあ? でも、あれ、生きた人間じゃない」

 敦希は双眼鏡を使って町を見渡していく。まるで町を覆う様に時代遅れの人々が円を描いている。その円は段々と狭められている。中心は病院だ。

「どうするんだよ、あんなに沢山。いや、どうするも何もねえよ。逃げるしか」

「逃げられない」

「そうだった。じゃあ戦うのかよ」

「ううん。今は駄目。殺されちゃうから」

「だよな。え? 今は?」

「もう少し待ってよう。一番良いのは病院に集まってる人達と戦ってくれる事だけど」

「ああ、それだよ。何か病院のやつらむっちゃ強そうだし。あいつ等に任せとけば」

「うん、出来ればね」

「どういう意味だ?」

「多分、その前に今病院から逃げてく人達が襲われちゃうから」

「そんなの無視しとけばって訳にはいかないか?」

「うん、その時は助ける為に、こっちに注意を引いて」

「あの大量のコスプレ野郎達と戦う訳か?」

「多分、逃げるので精一杯だと思うけど」

 海音は言って、敦希と顔を合わせた。

「ごめんね、迷惑かける」

 敦希はうんざりした様に、手で拂う仕草をした。

「今更」

 海音が笑う。

「お願いします」

「お手柔らかに」


 病院の正門から沢山の人々が逃げていく。押し合って混みあい、一部の人間が正門から逃げる事を諦めて、壁やフェンスを乗り越え始めると、他の者もそれに従って、一斉に、蜘蛛の子を散らす様に、人々は病院から逃げ出していく。

 それを眺めていた実里が不思議そうに呟いた。

「あれ?」

 隣に居た陽蜜が聞き返す。

「どうした?」

「何、これ?」

「はぁ?」

「何? 何なの?」

 実里が急に慌てた様子で、辺りを見回して、背後の崩れ去った病院を見つけて、絶望した様子で呟いた。

「うちの病院」

「どうしたんだよ」

「何で、うちの病院が、あ、そうか、でも、何で?」

「何でって、何か訳分かんない奴等がぶっ壊したからだろ」

「うん、それはそうなんだけど、分かるんだけど、でも」

 実里の異常に気が付いて、イーフェルが寄ってきた。

「どうかしたんですか?」

 実里がイーフェルを見上げる。見上げ、不思議そうな顔をして、深刻そうな顔で黙りこむ。

「どうしたんだよ、実里」

 黙る実里にたまりかねて、陽蜜が実里を何度か揺さぶった。揺さぶられた実里はようやっと口を開ける。

「私、おかしくなったみたい」

「何? あんたまで病気になったの?」

「分かんない。でも、何か変。記憶が混乱してて」

「記憶喪失?」

「違うの。全部覚えてる。だけど何かそれが嘘みたいに思えて」

「どういう事?」

 要領を得ない実里の言葉に陽蜜が混乱する。イーフェルが少し考えてから労る様に優しく言った。

「恐らく、この異常な状況で疲れてしまったんですよ。何もおかしい事はありません。誰だって初めてこんな状況に放り込まれたらおかしくなります。それが普通です」

 そうしてイーフェルは背後を振り返った。

「ね、ルーマさん」

 ルーマが訝しむ。

「何の事だ?」

「戦いは終わったんですか?」

「ああ、存分に拳で語り合ってきたぞ」

 ルーマが偉そうに腕を組み、隣に立つ徳間に笑いかけた。

「なあ?」

「ん? 何だ?」

 逃げ惑う人々に気を取られていた徳間が聞き返す。

 イーフェルがにこやかに言う。

「別に良いですけど、少し位戦った跡をつけておかないと、サンフさんにどうこう言われますよ」

 ルーマが自分の体を見回し、不思議そうにイーフェルを見た。イーフェルは笑って肩を竦めた。

 そこへ剛太が四葉を背負って寄ってきた。

「真治! 戦いは終わったんですか?」

「ああ、存分に拳で」

「そんな事はどうでも良い。状況は何処まで掴んでいます?」

「大体は分かってるつもりだ。どうするにも面倒そうだな」

 徳間が剛太に背負われている四葉を見る。

「はい、状況はどんどん悪くなっています。病院が壊されて隠れる場所が崩れるわ、結界が部分的に効果を失った所為で人々がみんな混乱の中で逃げ出している」

「結界が部分的に?」

「そうです。魔力の多い者だけが外に出られない」

 魔力の少ない一般人はどんどんと逃げている。我先にと競いあって。そうして後に残されるのは、強力な魔術師と動けない病人だけだ。魔術師は結界に阻まれて外に出られないし、病人は動く事が出来ない。もしも魔術師達が戦い合えば、病人達は死ぬ。そしてもし戦わなくても、長時間外に曝されていれば病人達は死ぬ。

「不幸中の幸いと言いましょうか。結界は相当強力な者でないと効果が無いようです。だから私達と一緒に来た野丸君達は外に出られる。彼等には患者達の救助に当たってもらっています。他にも何人か手伝ってくれている魔術師が居ますが、如何せん救助対象の数が多い上に、この混乱で」

「剛太」

「しかも、感じますか? 彼方から異常な魔力が」

「剛太、状況確認はもう良い。問題は俺達が何をするべきなのかだ。そうだろう?」

「ええ、確かに、そうですけど」

「じゃあ、俺は行くぜ」

 そう言って、徳間は教祖の居る、そして今続々と魔術達が集まる広場へ向かって歩き出した。

「真治、私達がするべき事は」

「俺に出来るのはいつだってこれだけだ。人類を守るだとか世界を救うだとかは、お前に任せるよ。だからその子達をよろしくな」

 徳間がそう断定的に言い切たので、剛太は言い返せなかった。その横で、イーフェルがルーマに声をかける。

「ですって、ルーマさん。ルーマさんはどうするんですか? やっぱり広場で暴れます?」

「いいや、そろそろあいつが来るだろう。だから待ち受ける」

「ああ、忘れてた」

「嘘を吐け。あわよくば自分が戦おうと思っていただろう」

「思ってませんよ。ルーマさんじゃないんですから。戦わないでくれればなぁと思っただけです」

 ルーマは不思議そうにイーフェルを見た。

「戦わなければ? どういう事だ?」

「良いです。気にしないでください。ルーマさんに言っても仕方ないです」

「ふむ、何の事だ?」

 しばらくルーマは頭を悩ませていたが、やがて諦めた様に顔を上げた。

「まあ、良い。とりあえず、イーフェルは好きに動け。何だか策がありそうだしな。それからサンフが戻ってきたら、ここに居る非戦闘員達を守らせろ」

「策なんて無いですけどね。ルーマさんも程々に、出来れば魔術を使わずに頑張って下さい」

「魔術? 保証は出来んな」

 ルーマは笑って、徳間を向いた。

「ああ、そうだ。悪いが伝言を頼まれてくれるか?」

「俺が? 誰に何を伝えれば良い?」

「法子に、期待していると伝えてくれ」

「法子? ああ、あの子か。期待って、あの子にか? 言っちゃ何だが、あんたが期待する程とは思えない」

「それならあんたの目は節穴だ」

 そう言うと、ルーマは敷地を覆う様に生え茂っている林へと去って行った。

「俺の目って節穴かな?」

 去って行くルーマを目で追いながら徳間が言った。

 それに剛太が答える。

「今更です。あなたに人を見る目は全くありません。皆無です」

「そこまで言うか」

 徳間は溜息を吐いて広場へと向かった。その後ろから剛太が声を掛ける。

「真治、気を付けてください。とても嫌な予感がします」

 徳間が振り返らずに手を振って返す。

「この期に及んで良い予感なんかあるかよ。ま、安心しな。真央にはお前が心配してたって伝えてやるから」

「は、はぁ? 何を言って」

「じゃあな」

 徳間が去った。

 そこへサンフがやって来た。

「今、この辺りでルーマ様の声が聞こえませんでした?」

「何処に行ってたんですか? ルーマさんならもう行っちゃいましたよ」

「何処へ?」

「ルーマさんからの伝言です。ここに居る非戦闘員を守る様に」

「それじゃあ、ルーマ様は何処へ」

「ラベステさんを迎え討ちに行ったんでしょう。助けになんか行かないでくださいよ。事態が悪化するだけです」

「仕方ありません。ルーマ様がそう言ったのであれば」

 イーフェルが溜息を吐いた。

「どうしました、イーフェル?」

「いいえ」

 答えて、イーフェルは遠くを見つめた。

 どうしてあれだけ拘泥していたのに、忘れてしまっているんだか。

 この病院で起こっている先頭なんか問題じゃない。今起こってる戦いをどうするかじゃない。これから起こる戦いをどうするかじゃない。問題はそこから生じる魔力なんですよ。戦えば戦う程、魔力が辺りに満ちる。魔力が満ちれば待っているのは破滅だっていうのに。覇王の卵が孵るのに。

 今、事態は魔力を使う方向に向けられているのに。誰の差金か分からないけど、間違いなく状況は覇王の卵を孵化させようとしているのに。

 何でルーマさんもサンフさんも気が付かないんだろう。

 まあ、気が付いたところでこの事態を鎮める方法は無いけれど。

 そろそろ人間達も気がつくだろうか。

 自分達が戦わされている事に。

 まあ、どうせ止められないのだし、誰がどう戦おうと僕には関係無いけれど。

 イーフェルの心配は一つ。

 やっぱり覇王の卵が孵ったら、サンフさんに殺されるんだろうか。


 ファバランは将刀と病院で別れた後、町の料亭に来ていた。煌々と明かりの点いた廊下を歩んでいる。辺りから人の声はしない。物寂しい静寂だけが漂っている。窓の外は闇に沈んでいる。耳の奥に響く静寂が辺りを照らしている。

 明かりだけが煌々と点いている。ただ音が無い。まるで世界が止まってしまった様に。

 廊下には襖が居並んでいる。内の一つから音が聞こえてきた。かちゃかちゃりと硬質な音が、ある襖の奥から聞こえてくる。

 ファバランはその音のする襖へと向かった。小さなかちゃかちゃりは静寂を貫いてやけにはっきりと聞こえてくる。その音に向かって歩いて行く。

 音のする襖の前に立つ。夜も更け、時計の針がもうすぐ日を跨ぐというのに、この誰も居ない料亭の客室に誰が居るというのだろう。

 その異常が辺りの沈黙を更に強く沈み込ませる。

 けれどファバランは、襖の前に立つと逡巡する事も無く、襖を開け切った。

 部屋の中には魔女が居た。三角帽子を被り、黒いローブを来ていた。三角帽子の中から赤い髪が流れていた。卓の向こうに座って、食事を取っていた。

「あら、いらっしゃい」

 魔女はにこやかに笑って、そうして少し残念そうに溜息を吐いた。

「来るとしたら法子ちゃんだと思ったんだけどなぁ。それであなたはどんなご用件?」

「お前は仇だ。だから死ね」

 直截なファバランの物言いに魔女が楽しそうに笑う。闖入者に興味を持った様だ。

「仇だなんて。私が一体何をしたのかしら?」

「お前、私の周りをみんな殺した。だから仇。だから死ね」

「全く覚えがないのだけれど。そもそも私、誰かを殺めた事は片手て数えられる位よ? それを、みんな殺しただなんて」

「卵を孵してみんな殺した。だから死ね」

「卵? ああ、そういう事。あら、でもそれじゃあまるで誰かを殺害する為に卵を孵したみたいじゃない。そんな事無いわよ? 私はただ果てる事の無い恋の物語を終わらせてあげたかっただけ」

「お前は仇だ。だから死ね」

「聞かん坊ね」

「今度はお前、将刀も殺そうとしてる。この町で卵を孵そうとしている。だから死ね」

 ファバランが前に進み出る。

「あら、違うわよ。この町には卵を孵そうとしている方達が沢山居るんだもの。私が進んでせずとも、ね」

「お前も卵を孵そうとしている。多分、お前がそういう人を町に集めた。将刀の周りの人も操ってる。だから死ね」

 魔女は口元に手を当てて、笑みを抑えてから立ち上がった。

「怖いわね、あなた」

 魔女がファバランを指差す。

 指差されたファバランが魔女を睨みつけ、力強く言った。

「死ね」

 魔女の指が僅かに上にぶれる。

 瞬間、ファバランの居る場所が爆発した。爆風は瞬時に広がり料亭を吹き飛ばす。火炎が敷地中を覆って、料亭も木も池も石も全てを消し飛ばす。煙が空高くへ吹き上がる。燃え盛る火炎は全てを飲み込んで、一瞬きの後に嘘の様に消え去った。全てが収まった後、料亭のあった場所には大きくえぐれた地面だけが残り、その黒々とした剥き出しの地面に、魔女は軽やかにローブをたなびかせて降り立って、嬉しそうに笑った。

「凄いわ。あれだけの衝撃を全部受け流すなんて随分と良く出来ているわね、その鎧」

 いつの間にか全身を覆う鎧を着たファバランが、その黒々とした剥き出しの地面に、降り立った。

「あらゆる魔術に対抗する戦闘用のスーツ。古い魔術は全て遺物」

 鎧には一切の角が無く、人の形をしたまっさらな表面を持っている。それがファバランの全身を包み込んでいた。その滑らかな表面は時折波打って震えている。鎧を身につけたファバランは滑らかな指先で魔女を指した。

「お前の魔術は効かない。だから死ね」

「厄介ね」

 魔女がファバランを指差す。

 ファバランの背後に大鎌が生まれ、ファバランの首に向かって一人でに刃を走らせた。鎧を着込んだファバランの首に刃が突き立ち、そこに眩い光と轟音が起こった。光の消えた後、大鎌もまた消えていた。ファバランは元の姿勢で立っている。

「無駄」

 ファバランの言葉に魔女は答えない。

 魔女の指が再びファバランを指し、それが左右に振られる。ファバランの右側に緑がかった黒色の粘性を持った液体が生まれ、左側に白い毛に覆われてこんもりと膨らんだ生き物が生まれた。二体は唸り声を立て、ファバランに襲いかかり、そしてファバランの鎧に触れた瞬間、光と轟音が立って、生み出された二体は消え去った。

 魔女が指を下ろす。

 ファバランが訥々と言葉を吐き出す。

「攻撃が来たら対抗する爆発を起こす。魔術の攻撃を全部抑えこむ。だから無駄。だから死ね」

「流石、魔王の娘ってところかしら」

「父上もお前が殺した」

 ファバランが一際熱を孕んだ声音で呟いた。

 魔女が後退る。

 ファバランがゆっくりと右腕を上げた。その右腕から鎧を突き破って金属製の鉤爪が生える。かと思うと生えた鉤爪が一気に変形して、増殖し、膨れ上がり、右腕を巻き込んで形を変え、機械で出来た巨大な腕になった。

「だから死ね」

 ファバランが腕を振るう。魔女が避けようと身を動かしたが、振るわれた腕の速度は遥かに速く、魔女は腕に巻き込まれる。腕の先に付いた巨大な五本の指が魔女を握りこみ、魔女の姿が機械の中に消えた。機械化した腕全体から甲高い音がなって、握りこんだ拳の中から何かがこすれ合う凄まじい音がなって、指の間から赤い液体が漏れ出した。

 ファバランが振り返る。

 振り返った先に魔女が居た。にこやかに笑っていた。

「面白いわね。確か最先端の技術に変形出来るんだったかしら? そんな魔物が居るって噂を聞いた事があったけれど。ふふ、ここまで機械化した魔物は初めて」

 ファバランは機械化した自分の右腕に視線を戻し、指を開くと、拳の中から和服だった物らしい布切れと人間だった物らしい肉と液体の混ざり合ったジュースが辺りに飛び散った。

 ファバランが再び魔女を見る。

「どうやって逃げた?」

「どうやって逃げた? どういう事? 私はここであなたとこの旅館の女主人のやり取りを眺めていただけだけれど」

 魔女が首を傾げて笑った。

「モルデ!」

 ファバランが叫んで、巨大な腕を振り上げ、間合いの中に居る魔女を殺そうとする。

 その時既に、魔女はファバランの目の前に立っていた。

「今の時代にしては良く出来た鎧だけれど、まだまだ甘さが残るわね」

 魔女がファバランの着る鎧の頭に手を置いた。途端に甲虫が大量に生まれ、鎧を隙間無く埋め尽くし、真っ黒い人型になった。魔女は黒い人型の頭に手を置いたまま、何事か呟いた。甲虫の群れの奥から鎧の反応爆発による轟音が何度も何度も巻き起こる。その音を抑え込む様に、虫の嵩が増して行く。立て続けに轟音が起こり、時折生まれる合間から光が漏れ出す。だが虫は減る事無く、轟音に混じって金属を削るじゃりじゃりとした甲高い音が大きさを増していく。

 やがて魔女は頭から手を離して歩みだした。虫が消え、体中を食い破られてぼろぼろになったファバランが現れる。ファバランは魔女へ向かって振り絞る様にして手を伸ばすが、力尽きて地面に崩れ落ちた。

 魔女は振り返って、優しげに笑ったまま、ファバランに指を向けた。

 ファバランは動かない。倒れ伏して、身動き一つ取らない。

「それじゃあ、私はそろそろ行くわ。さようなら、誰かさん」

 魔女はにこやかに言って、指差した先を爆発させた。

 巻き起こった煙が晴れると、そこに黒い甲冑を来たマサトがファバランを守る様にして立っていた。

「将刀。どうしてここに?」

「何だか嫌な予感がしたから。遅くなってごめん」

「ありがとう」

 マサトは傷付いたファバランを痛ましげに見ると、爆発を切り裂いた剣を再び正眼に構え、魔女を睨んだ。

「俺が相手になる」

「あら」

 魔女が楽しそうに呟いて、ゆっくりと自分の腰に手を近づける。マサトが警戒して剣を持つ手に力を込める。

 魔女はローブのポケットから懐中時計を取り出して、残念そうに言った。

「けれど残念。もう時間だわ」

「時間?」

 尋ねるマサトを無視して、魔女は背を向ける。

「それじゃあ、また会いましょう」

 そうして姿を消した。

 闇の中に寒気をはらんだ風が吹き抜けていった。

 残されたマサトは尚も辺りを警戒していたが、誰も居ない事を確認すると慌てて振り返り、ファバランの元へと駆け寄った。

「大丈夫か?」

 倒れ伏したファバランの体中から小さな小さな機械の腕が無数に生えて、手に手に工具を持って、齧り取られた傷口を修理し始めている。

「今、修復中。問題無い」

 うつ伏せに倒れて、地面にこすれた口がそう答えた。

 マサトがファバランを抱き起こして表に返し、顔を覗き込む。

「治るんだな?」

「大丈夫。将刀は心配する必要無い。それより今の悪魔を追って。危険」

「確かに危険だけど、ファバランを置いて行けない」

「心配要らない。それより悪魔を追って。病院。きっと。殺さないと危ない」

「だけど」

「心配要らない。それより卵。悪魔の所為で卵が孵る」

 ファバランが弱々しく手をマサトの顔へと添えて、病院の方角を向かせた。

「早く。また酷い事になる。みんな死ぬ。また仇になる。アリファス!」

 マサトが逡巡して、ファバランを見る。ファバランの体は既に、少なくとも外見上は元の姿に戻っていた。

「もう治りそうか?」

「もう少し時間がかかる。でももう歩ける位は直った。だから早くマサトは行って」

「分かった」

 マサトは頷くと、ファバランを両腕で抱き上げた。

「将刀?」

「ここも危険だ。仲間が沢山居る病院に行った方が良い」

「それならすぐに行く。マサトは早く先に」

「危険な場所に君を置いていけない」

 ファバランはしばらく無言でマサトの瞳を覗きこみ、やがて頷いた。

「分かった。でも足手まといにはならない。すぐに直す。それで一緒に戦う。将刀を守る。将刀の周りも守る」

「ありがとう」

「でもその前に仇、殺す」

「殺すのは駄目だ」

「将刀? 手伝ってくれない?」

「ぶん殴るのながら手伝うけど」

「ぶん殴る?」

「そう」

「分かった。ぶん殴って殺す」

「そうじゃなくて」

 夜が明るくなった。遠く、病院の方角で大きな炎が夜空に立ち上っていた。

 病院で何かが起こっている様だった。

 マサトは強く息を吸い込んで言った。

「何かあったみたいだ。急ぐ。痛くても少しは我慢しろ」


 法子は広場で教祖達と対していた。

 広場には魔術師達が広場の中央に居る教祖達を囲む様に遠巻きにして立っている。誰もが教祖達へ敵意を漲らせているが、教祖達は平然として揺るが無い。法子にはその平然とした姿が不気味であったが、それでも広場に二三十人の仲間が居るので安堵があった。

 しばらく教祖達と魔術師達は睨み合っていたが、魔術師の一人が進み出て声を荒げた。

「おい! そろそろ降参しねえか? もうてめえらの逃げ場はねえぜ?」

 教祖がそれに対して柔らかい笑みで返した。

「降参? どうしてでしょう? 私達の悲願はもう間近で叶うというのに」

「この人数を相手にする気か?」

「人数だけなら我々の方が」

 教祖が魔術師達の背後を手で示した。

 魔術師達が振り返ると、魔術師達の作る隙間の多い円の外側に、いつの間にかもう一つ、人の円が出来ていた。全員手に手に武器を持っている。信者達だった。

「我々の目的に賛同して下さった仲間です。けれど勘違いをしないでください? 彼等は我々魔術師と対比すれば単なる一般人です。普通に生活を営む何の変哲も無い人々です。それが武器を持っているだけ。何の罪も無い普通の人々です」

 教祖の言葉通り、皆、その辺りに幾らでも居そうな人々で、老人も居れば子供も居る。格好も、武器を持っている事以外は当たり前の普段着で、その上武器の持ち方も単に持っているという風であり、戦い慣れをしている様には見えない。

「そんな善良な市民を、あなた方は殺すというのですか?」

 教祖が高らかに謳う。

 その時、木槌の鳴る音がした。音と同時に、武器を持った善良な市民達は地面に崩れ落ちた。

「何か馬鹿げた事を言っているけど」

 木槌を手で弄びながら、真央が進み出る。

「凶器を持ってればそれだけで罪。その上、この場であんたの味方をするなら、それだけで敵。そうでしょう?」

 教祖が真央へ微笑みを向ける。

「何をおっしゃいます。敵味方という括りはあまりにも浅薄です。その境界は限りなく薄く、そして幾らでも動きます。昨日の敵は今日の友、では遅い。一瞬前の味方が敵に変わる事だってあるのです」

「何の答えにもなってないわね。少なくとも、あんた等以外、今ここに居るのは全員あんたの敵よ」

「そうでしょうか?」

 教祖は尚も優しく微笑んで崩れない。

 真央と教祖のやり取りを見ていた法子は、何だか怖くなって、少し後ろに退がった。退がった法子に気が付いて、摩子が振り返り、そうして法子の後ろを見て、小さく声を上げた。

「ヒロシ君」

 法子も振り返る。少し離れた場所に、摩子の言葉通り、トレンチコートを着たヒロシが立っていた。

 摩子が嬉しそうに駆け寄る。

「良かった。姿が見えなかったから心配してた」

 法子も摩子の後を追う。味方が増えるのは心強い。

「今ね、あそこに犯人が居るから、みんなで捕まえるところ」

 摩子がヒロシにそう説明する。

 ヒロシが表情を浮かべずに摩子と法子を見る。

 法子は何だかその視線に嫌な予感を覚えた。

 摩子もおかしく思った様で、不思議そうに尋ねた。

「どうしたの? 具合悪いの?」

 ヒロシが無表情のまま口を開く。

「あんた等本気であの化物達と戦うつもりか?」

「え?」

 法子と摩子が同時に尋ね返した。

 ヒロシが初めて表情を表した。苛立たしげに眉根を寄せて、力を込めて言った。

「俺は向こうの化物に付く」

 ヒロシが二人に向けて静かに銃を構えた。

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