舞台 ヒーローにて
「おい、パラメラって女を知ってるか?」
「ああ、勿論。我ら魔術結社マクベスの女首領様だ」
「そうだ。本名、中沼元華。十七歳で魔術結社を立ち上げ、東西の戦場を駆け回り、その全てを荒野に変えて今だ敵なし」
「花は恐れ慄き、壁だって道を譲る、天下に敵無しのお姫様」
「我らが女首領様は、次は何処へ戦いを求めるのかな?」
「丁度君位の年だったよ」
「陳老師はお姉様と昔からのお知り合いなのですか?」
「私が師、彼女が弟子。だった」
「だった?」
「面白い奴だった。ひたすら前へと進もうとする。例えばもしも彼女の右腕が折れたとして、私が修行を止めようとすれば、彼女はこう叫ぶだろう。まだ左腕が動くのに何で止めるんだってね。スポ根という奴だ。とにかく厳しいんだ」
「それは」
「彼女は内向的な性格だった。だからその厳しさはひたすら内側に向いた。ひたすら自分を叱責し続けた。だからこそ強い」
「強い」
「普通の人間が限界だと感じる境を、彼女は限界と思わずに越えていく。特別な才能も能力も持ち合わせていない。だが例え何があっても動ける限り前に進む。そんな誰にだって出来る当たり前の事をした結果、彼女は最強になったんだ」
「それがお姉様」
「ねえ、ちょっと! 後ろで好き勝手言わないでくれる?」
元華が背後に並ぶ仲間達に向かって抗議すると、仲間達は顔を見合わせて肩を竦め、そして消えた。
元華は再び法子達に向き直る。
「うん、まあいいや。とにかくさ、私は高い所へ飛びたいの」
元華は大きく腕を広げて空を見上げた。
「この広く高い世界の上を!」
そんな風に自分の世界に入っている元華に向かって、
「あの」
マサトが遠慮がちに話しかける。
「さっきからの元華さんの話を要約すると、この病院を守る為に戦いに来たって事ですよね?」
元華が笑ってマサトを見た。
「その通り!」
「なら、目的は俺達と同じです。一緒に戦いましょう」
そう言って、マサトは元華に握手を求める。
「勿論!」
元華がそれに応じる。
法子はそこから数歩離れた場所で事の成り行きを眺めていた。
出来れば法子は元華と一緒に戦いたくなかった。つい先程、元華に飛びつかれて気絶させられたばかりで、元華の事が怖かった。
一緒に戦いたくないのはエミリーも同じ様で、あからさまに嫌そうな顔をして抗議の声を上げている。
「駄目です。私は嫌です。その人はさっきの事に、私達へ対する謝罪を行なっていないです」
けれど、幼いエミリーの言葉はあっさりと無視されて、法子も法子で口が挟めず、ついでにヒロシも元華の事を怖がっているのだが口に出さないので、結局マサトと摩子が元華を迎え入れる形になった。
「うん、そうだよ。一緒に戦った方が良いよ。もうこの中庭だけでも沢山の人が戦ってるし、仲間は一杯居たほうが良い」
そう言って摩子が元華に近寄り握手をする。元華もそれに応じた。
「ありがとう。さっきはいきなりごめんね」
「良いよー。可愛いって言ってくれたから、良い」
摩子と元華が笑い合っている。
法子はそれを蚊帳の外から眺めている。法子の隣ではエミリーが喚いているが、それも蚊帳の外なので届かない。
摩子を見ながら法子は思う。ああやって誰とでも仲良く出来るなんて凄いなぁと思う。私は話しかける事すら出来ないのに。あっさりと壁を越えて、相手との距離を縮めてしまえている摩子が凄いなぁと思う。
きっと摩子が仲良く出来ない人なんてこの世界に居ない。
だって私とだって仲良く出来てる。今まで誰とも仲良く出来なくて一人ぼっちだった私とも仲良くなれる。
凄いなぁと思う。
それに魔法少女だ。
自分が憧れて、やっとなれて、浮かれて、凄く自慢に思っていた魔法少女にだって、摩子はあっさりとなっている。私よりも先になっていて、私よりも先に行っている。強くて、そして有名になっている。
自分とは全然違うんだ。
きっとこういう人が英雄になるんだろうなぁと思った。
自分なんかじゃなく、摩子みたいな人が。
法子の視界の中で、摩子がこちらを手招いていた。
嬉しい。そんな人が自分を気にかけてくれる。自分を日の当たる世界に手招いてくれる。暗い中でひっそりと生きて、それに満足しようと必死に息を押し殺していた自分を、明かるくて温かい世界に引っ張ってくれる。
それが嬉しい。
そして情けない。
同級生で、友達で、同じ魔法少女で、それなのにこんなにも違う自分に泣きそうになる。悔しくて、惨めで、けれど嬉しいと思っている自分が居て。
笑って手招いている摩子が居る。そこへ向けて法子は歩もうとする。視界に移る摩子の笑顔。それが突然険しい顔に変わり、鋭い声を発する。
「法子!」
法子がぼうっとした状態から脱する。
横から空気に電流を流した様なばちばちとした音が聞こえた。
慌てて横を向いて刀を構える。
そこへ目掛けて何か塊が飛んできて、法子はそれを躱す。体のすぐ横を塊が飛び抜ける。法子はそれを目で追って振り返る。塊は病院の壁に着地していた。塊は亀の甲羅を背負った人の様だった。そう分かった時には、その塊は病院の壁を蹴って再び法子目掛けて突っ込んできた。さっきよりもずっと速く。今度は避けきれず刀で受け止める。
衝撃が走り、塊に押されて足が宙に浮き、そのまま後方へと押し飛ばされる。塊と共に凄まじい勢いで背後へ吹っ飛んで、一度地面に擦れてから再度跳ねて更に後方へ吹き飛び、吹き飛びながら法子が後ろを向くと、そこには沢山の人が居た。どうする事も出来ずに法子と塊はそのまま大勢の人々の間に突っ込んで、幾人かを巻き込んで押し倒し、止まる。
法子が慌てて立ち上がると、そこには噴水があって、辺りを見回すと丁度広場の真ん中だった。遥か先の建物の足元に摩子達が居る。摩子達はこちらに向かって駆けている。大分離されてしまった。
すぐにでも皆の元に戻りたいが、周りの状況がそうはさせない。
今、法子の周りは時間が止まっていた。
大勢の人間が手に手に獲物を持って、お互い相対している。今の今まで戦い合っていた様な格好で、時が止まった様にその場で皆立ち尽くし、顔だけを法子へと向けている。
法子は一目で状況を把握した。
乱戦の真っ最中に突っ込んでしまったのだ。今は突然の乱入者である法子に驚いて固まっているが、下手な動きをすれば再び時が動き出し、戦いが始まってしまう。そしてその矛先の多くが法子という異物に対して向けられるに違いない。
法子は場を刺激しない様にと体を固くし静止した。
けれど法子の足元に居たもう一人の乱入者が勢い良く立ち上がって叫びを上げる。
「畜生! 防がれた! やるな、お前!」
甲羅を背負った全身タイツの男は座り込んでいる法子の事を睨み下ろしたが、やがて気が付いた様で辺りを見回し呟いた。
「何だ、この状況」
そう言って、訝しんでいる。
濃い顔立ちの髭を生やした少し太り気味の初老の男は、首を捻って、不思議そうにして、背中の甲羅の位置を直してから、もう一度不思議そうに辺りを眺める。
この人、何にも分かってない。
法子が危機感を抱いた時には既に、甲羅を背負った男の所為で止まっていた戦いが再び始まった。
法子の危惧した通り、大半の攻撃は法子と甲羅を背負った男に向けて放たれる。
「何で、お前等!」
甲羅を背負った男は戸惑いながら離脱する為に跳躍する。法子はその背の甲羅の端を掴み、一緒に離脱する。
大きく跳んで、乱戦から大きく離れる。着地の拍子に、法子は地面に投げ出される。
投げ出された法子が立ち上がると、甲羅を背負った男がこちらへ向かって抗議の声を上げながら近づいてきた。
「お前か! お前の所為であいつ等に攻撃されたのか!」
自分が場を乱した可能性など頭の片隅にも存在していない様だった。
発言の内容もさる事ながら、その姿格好が気持ち悪すぎた。
濃い顔立ちの髭を生やした初老の、甲羅を背負った全身タイツの少し太った明らかな変態が抗議の声を上げながら、こちらを指さしどんどんと近付いてくる。
恐怖以上の何物でもない。
法子は背を向けて逃げ出す。
すると背後から声が聞こえる。
「あ、待て!」
男の声を聞いて、嫌な予感がして振り返ると、男が頭をこちらに向けて、直立をそのまま水平にした姿勢で突っ込んできていた。顔をこちらに向けて、気をつけの姿勢で突っ込んでくる。濃い顔立ちの髭を生やした初老の変態の顔面がこちらに向かって突っ込んでくる。ぴったりとしたタイツを身につけている所為で、その髭の生えた濃い顔は少し引き伸ばされている。
「嫌ぁ!」
法子は恐怖のあまり悲鳴を上げながら、突っ込んでくる男に向かって刀を振り下ろした。
振り下ろされた刀は、少し目測を誤って、法子の狙った男の顔面の後ろ、背負う甲羅へと当たり、甲羅を切る事こそ出来なかったが、振り下ろした刀は無理矢理男を地面へと叩きつけた。
恐慌状態に陥った法子の攻撃はそれで止まず、更にもう一本刀を生み出して、男の甲羅を切りつけると、男が変な声を出して、地面に沈んだ。
法子は荒い息を吐きながら弱々しい足取りで男から離れ、顔を上げると、目の前に光を照り返す刃が迫っていた。
「に!」
法子が慌てて顔を引きながら、刀身の欠けた刀を振り上げその刃を弾き、更にもう片方の刀を振るう。
勘で振った攻撃だったが、刀には確かな手応えがあり、目の前の敵を切り飛ばす。
だがまだ終らない。
法子が体勢を立て直す間もなく、先程広場の中央に居た者達が続々と法子へ向かって押し寄せてきていた。
その内の最も先頭に居た者が法子に向かって杖を振り下ろそうとしている。
法子が崩れた体勢からその攻撃を防ごうと身を捻った時、敵の杖を持つ腕に矢が突き立った。更にもう一本矢が飛来して、ごんと重たい音がしたかと思うと、敵の顔面がのけぞり、体も一緒に後方へ吹き飛ばされ、他の者を巻き込みながら倒れこむ。更に銃声が二発聞こえ、前面の敵達が一斉に足から血を散らして崩れ落ちる。そこへ巨大な獣が数匹飛び込んできて、敵を弾き飛ばしながら突き進んでいく。
「法子、伏せて!」
摩子の声が聞こえ、法子が言われるままに地面に伏せる。
伏せた法子の上を巨大な光が走り、残っていた敵達を一掃する。
法子が立ち上がると、迫っていた大勢の敵達は一人残らず倒れていた。
けれどまだ終わっていない。一人また一人と、戦意を失っていない者達が立ち上がろうとしている。弱々しい動きではあるが、まだ立ち上がろうとしている。
そこへトドメがやって来た。
「よーし! いくよ、みんな!」
上から落ちてきた元華は法子の前に着地すると同時に拳を振りかぶる。
「行っけー!」
そして拳を突き出した。
その瞬間、大勢の人間が現れた。
年齢も性別も人種も服装も何もかもが違う大勢の人間は思い思いの方法で、立ち上がろうとしている者達に攻撃を加え、次の瞬間には消えた。
後には全滅した敵達が地面に転がって気を失っている壮観な地獄絵図だけが残った。
法子がそれを見て呆然としていると、元華が振り返って笑顔をくれた。
「大丈夫だった?」
法子が頷く。
「そっか。良かった、良かった。ごめんねぇ、お姉さんが居たのに怖い目に合わせちゃって」
法子がお礼を言おうとすると腹の辺りに何かが突っ込んできて地面に押し倒された。
「神様! すみません、神様! 大丈夫でしたか、神様! お怪我はありませんか、神様!」
そうしてぎゅっとお腹が締め付けられ、苦しくなる。
「大丈夫、法子」
摩子の声と共に頭上から手が差し伸べられた。それを掴むと立ち上がらせてもらえた。エミリーも引きずられながら法子の腰にくっついて立ち上がる。
「大丈夫だったか?」
マサトと目があった。
法子が頷くと、
「間に合って良かった」
マサトの口元がほころんだ。
「無事で良かったです」
ヒロシが煙の立ち上る拳銃を肩に当てながらそう言って微笑んだ。
法子は黙っている。黙ったまま一人一人を順繰りに眺める。
「大丈夫?」
摩子が心配そうに聞いてきたので、法子は頷いた。
そして何となく実感した。
これが一緒に戦うって事なんだろうなぁと。
自分を取り巻いている空間が一つ厚みを増した様な、そんな心地だった。
嬉しい気持ちでも、楽しい気持ちでも、まして寂しくも悲しくも悔しくも全然無くて、ようやくここに来れたんだという達成感があった。
ずっとこんな戦いに憧れていた。仲間達と助けあって巨大な敵を打ち倒す事に。それが今目の前にある。何か不思議な広がりが心の中に生まれていた。
法子はまた一人一人の仲間を順繰りに見る。
一人一人を眺め、自分と比べ、思う。
敵いそうにない。自分はまだ、この人達みたいな風にはなれないと思う。とても強そうで、優しそうで、自分とは違って、ヒーローの様だ。自分はまだ届かない。
けれどいつかなれる、そんな気がした。
摩子を見ても、今はまだ届かないけれど、みんなと一緒に居れば、いつか摩子と同じに、摩子の横に並べる様なそんな風に思えた。気持ちが大きくなっていた。
何でも出来そうな気がした。どんな自分にもなれる気がした。
法子は拳を握る。今、この病院は誰か達に襲われている。不謹慎かもしれないけれどチャンスだ。ショッピングモールの時には結局何も出来ず、ヒーローになれなかった。けれどあれから強くなった。強くなった今なら、そして周りにみんなの居る今なら、今度こそ病院を救う事が出来るかもしれない。私が人々の役に立てるかもしれない。
法子はみんなを見る。自分の周りに立つヒーロー達を見ているだけで、何でも出来そうな気がした。自信を持って、世界を救えると言えそうだった。
きっと摩子の見ていた景色はこういう景色なんだろうなぁと法子は思った。
「断絶した空間じゃなかったのか? 病院の屋上にしか思えないんだが」
「病院の屋上だ」
徳間の言葉を、ルーマはあっさりと肯定した。
「ここで戦うのか?」
「いや、戦う気は無い。少なくとも俺は」
徳間の時に、ルーマは気乗りしない様子で答える。
「てっきりただの戦闘狂だと思ってたんだけどなぁ。で、何が目的だ?」
「別に。ただ俺とお前が居ると邪魔なんだよ。成長の」
「成長? お前のか?」
「あいつの」
「誰だよ」
ルーマが屋上の縁の低い柵に身を預けて、下に広がる広場を眺めはじめたので、徳間もそれに倣う。広場ではあちこちで小競り合いが続いているが、中央からやや離れたところでだけは戦いが行われていない。戦う人間の代わりに、沢山の倒れた人間が居る。その傍で摩子達が何かを話している。
「お前は戦いだけを求めて戦うタイプだと思っていたよ」
「俺もそう思っていたよ。少し前の俺だったらお前と戦っていただろうな」
ルーマはぼんやり答えながら広場を見つめている。
徳間が納得のいかない様子でルーマを見る。
「何か心境の変化があったのか? まあ、戦わなくて良いんだから、良い事だけど」
「自分以外に興味が出てきた。王になる自覚が出来たのか? 良く分からないが、まあ人の成長を見るのも楽しいと気が付いたんだ」
「そうかい。やっぱりあんたは正義の魔物なのかもな」
「いや、全然」
ルーマが口の端を吊り上げて徳間を見る。
「で、そういうあんたはヒーローなのか?」
「まあ、世間ではそう呼ばれてるな」
「巷間でそう呼ばれているなら、あんたは英雄なんだろう」
「英雄か」
徳間が苦笑する。
ルーマが不思議そうな顔をする。
徳間が広場に目を戻してルーマの疑問に答える。
「ヒーローでも身に余るのに、英雄なんて恐れ多いと思っただけだよ」
「ヒーローと英雄は同じものだろう? この前読んだ本にはそう書いてあったぞ」
「まあ、そうかもな」
徳間は広場を眺めている。広場では法子達が居る。摩子や元華が笑っている。
広場を眺める徳間の隣でルーマは宙に指を這わせ、紙で出来た飛行機を生み出して、法子へ目掛けて投げた。
徳間が口を開く。
「ずっと昔、自分は英雄になりたいんだと思っていた」
「妙な言い回しだな」
ルーマがそう呟いて紙飛行機の行く末を追う。
徳間も飛んでいる紙飛行機を目で追う。
「実際は違った。ヒーローはヒーローでも俺は主人公になりたかったんだ」
飛行機はやがて、地面へと近づいて、その前に法子の顔に当たった。
法子は当たった場所を撫で、下に落ちた紙飛行機を見て、不思議そうに辺りを見回している。
ルーマはそれを眺めて笑いながら、徳間へ尋ねた。
「主人公と英雄、どう違うんだ?」
「英雄は多くの人から認められる存在、主人公は読者が認める存在」
「ふーん。ならあんたが認めて欲しかった読者は誰なんだ?」
「昔は俺で、途中からはあいつ」
「あいつ?」
ルーマが徳間を見る。徳間はルーマを見ずに目を閉じて、耳を澄ませている。
「どうやら人が集まり始めているな。戦いの主戦場はこの中庭になりそうだ。俺達も、ここでこうしている位なら」
「まだ出るなよ。どうせこれは内輪揉めだ」
「ん?」
「まだ俺達の出番じゃない。それまで休んでいよう」
徳間は一瞬眉根を潜めたが、その表情に理解の色を見せる。
「出番てのは、明日の事か?」
「この世界の単位で言えば、残り三十分」
「魔子も法子も大丈夫かなぁ」
陽蜜が窓の外を覗きながら呟いた。
窓の外では戦いが繰り広げられている。大勢の魔術師達が戦っている。法子達の姿は見えない。
「陽蜜、危ないよ。見つかっちゃうよ」
実里にそうたしなめられ、陽蜜は慌ててしゃがみ込んで窓の視界から逃れた。
剛太が安心させる様な微笑みを送る。
「大丈夫。見つからない様にこの病室には魔法をかけているから」
その微笑みが強張り、振り返る。振り返っても病室のドアしか無いが、その更に先を見つめて、剛太は緊張した面持ちになった。
イーフェルが楽しそうに、焦りを見せる剛太に声を投げる。
「外が気になりますか?」
剛太がイーフェルを見る。
「気になりますよね、それは。だってあなた達は人々を救う為にここへ来たはずだ。それなのに今、こんな狭い病室に押し込められて僅かな人間を守っている。本当なら今すぐにでも飛び出して、より多くの数を助けたいのに」
イーフェルの言葉に、剛太だけでなく、匿われている陽蜜達も不安げな表情になった。一瞬呆然とした剛太だったが、不安そうな陽蜜を見て、すぐに表情を改める。
「いいえ、現状はあまりにも混沌としています。彼女達の話を聞くと、病院の患者の中にもこの騒動に一役買っている者達が居るらしい。つまり私が出張って間違えれば病院の中で戦闘になる。ならばまず救える者から順番に救っていくのが最良でしょう?」
「さあ、僕は誰かを救おうと戦地に赴いた事は無いので分かりません」
イーフェルは飄々と言って、サンフと四葉に顔を向ける。
「そちらはもう問題ありませんか?」
四葉を覗き込んでいたサンフがイーフェルへと顔を向ける。
「ええ、大丈夫そうですね。今のところは健康そのもの」
その言葉に四葉の周りに居た純と仁、それから病室に居る全員が安堵した様子で息を吐いた。
剛太は再び外の騒乱を感じ取った。人が一所に向かって集まり始めている。先程の一瞬感じた大きな魔力に引き寄せられた為だろうかと考え、それを否定する。同じ規模の魔力のぶつかり合いは既に何度も起こっている。だからきっと別の何かがあったのだ。
とても嫌な予感がした。剛太は今すぐにでも飛び出して、現状を把握しに行きたかった。けれどこの場に居る民間人達を守らなければならない。そう親友と約束したから。
エミリー達の向かった中庭で何かが起こっている。一体何が起こったのだろうか。それは民間人にまで波及するのだろうか。そもそも今までの混乱でどれだけの人が犠牲になった。真央は今どうしているだろうか。騒動の首謀者は一体誰か。誰がこんな。もしもこの先、戦闘が激化すれば病院の中に居る人々が犠牲になる。多くの逃げる事の出来ない人々が犠牲になる。もしかしたらもう既になっているかもしれない。病院の中で惨劇が。あまりにも心配な要素が多い。時計を見れば、まだ日付は変わっていない。話によれば、事が起こるのは明日。明日になれば今よりも更に酷い状況になる可能性すらある。
剛太の心の中に多くの心配事項が去来し、それに苛まれながらどうする事も出来ずに、ただ焦りだけが募っていく。けれど剛太は、病室の中に安心を与える為に、人々を守るヒーローとして、笑顔を崩さずに病室と外を断絶させ続けた。