閑話 スタートアップコメディ
「水ヶ原?」
頭を失って血をほとばしらせながら倒れた水ヶ原を見て、遠郷は信じられない気持ちで呟いた。
勿論頭部を失った水ヶ原は何も答えない。ただ断面から血を吐き出している。
「水ヶ原?」
遠郷がもう一度呟く。
静寂。
誰も何も言わない。
やがて水ヶ原の体が突然に消えた。まだ死を受け止め切れない内に死の痕跡すら消えてしまった。
遠郷が道路を探すと、一点、穿たれた跡があり、近寄ってみると鉛の弾が埋まっていた。弾丸の埋まり方から飛来してきた方向を見当付けて、遠くを見ると、高いマンションが立っている。だが視力を強化して細部まで見回してみてもこちらに銃を向ける姿は無い。
まだ信じられなかった。
「おい、遠郷」
仲間に声を掛けられて、そちらを向く。
「遠郷、行くぞ」
唐突に言われて遠郷は困惑した。
「行くって、何処へだ?」
遠郷が聞くと、仲間は何て事無い様子で答える。
「病院の中に決まってるだろ。俺達のやる事を忘れたか? 願いを叶える何かを探すんだ」
もう皆、水ヶ原の死など気にせずに、病院に乗り込もうとしている。
「でも水ヶ原が」
「ああ、災難だったな。だがやる事は変わらない。むしろ良かっただろ? 最近、水ヶ原は何か企んでたからな。居なくなって不安要素が幾つか消えた」
確かにその仲間の言う事は最もで、ましてや自分にとって水ヶ原は羽鳥の仇だ。死んで清々するはずだ。けれど何故だか、こんなあっさりと死んでしまった事が、そして仲間の誰もがその死を見捨ててしまっている事が、どうしても納得出来ない。心が晴れない。
そうしている間にも仲間達は病院に乗り込もうとしている。
「そういえば、願い叶えるのって何なの?」
「さあ、水ヶ原は知ってたみたいだけど」
「おい、これ結界張ってあるよ。竹本、結界破って」
「じゃあ、手分けして探すか。その何か」
「ういっす。じゃあ破るんでみんな離れててください」
「てかさ、何か中で戦ってるっぽいよ。普通に戦闘してんじゃん。水ヶ原の嘘つき」
「マジで? ホント水ヶ原最後までろくな事しねえな」
「じゃあ、あの外人二人、一応呼んどく?」
「メールしとこ」
「結界破りました」
「じゃあ、手分けして何か探すか」
「おーし、行こうぜ、鈴木」
「えー、あんたのお守りとか嫌なんだけど」
「じゃあ、遠郷、行こうぜ!」
遠郷は信じられない気持ちで聞いた。
「いや、お前等、本気か?」
「え? 何が?」
「この計画に積極的だった水ヶ原が死んだ。しかも何者かの狙撃によって。それに事前の情報と違って戦闘が起きている。これだけの要素があって、まだ中に入る気か?」
これから病院に乗り込むなんてどう考えても先の見えない危険に飛び込むのと変わらない。遠郷は当然中止になるだろうと考えていた。けれど周りは違う様だった。
「だって、ここまで来て、帰るのはなぁ」
「竹本ー、もう一枚結界あった。剥がしてー」
「どう考えても危険だろ。ここは退くべきだ」
「剥がすのは良いですけど遠郷さんが何か言ってますよ」
「何? どうしたの?」
「中入りたくないって」
「びびったの?」
「どう考えても危険だろ。お前達何考えてるんだ?」
「のり悪いなぁ」
「良いよ。じゃあ遠郷残ってろよ。俺達は行くから」
「俺、一番乗り!」
「あ、待て! 一番は俺!」
「誰が一番にその何か見つけられるか競争ね」
「遠郷さーん、空気読みましょうよー」
「遠郷、意地はってないで行こうぜ」
「もう良いじゃん。行かないって言ってるんだから置いてけば。あんた等も置いてくよー」
「ういー。じゃあ、俺行きますからね。遠郷さん、俺行きますよ!」
「早く来いよ、遠郷」
遠郷が呆然としている内に、仲間は皆病院の中に消えていった。
信じられなかった。闇の中に見える病院が玄室にしか見えない。火に誘われて焼かれる未来しか見えない。それなのにどうしてあっさりと乗り込んでいけるのか。この数日で、羽鳥、水ヶ原、二人の死者が出たというのに、何故ああも死に無頓着でいられるのか。
遠郷は迷う。もし自分一人であればこのまま帰っていた。けれど仲間達は中に行ってしまった。何が起こるか分からない戦場へ。見捨てる訳には行かない。
そう、これ以上、仲間が死ぬのは。
遠郷は意を決して、病院の壁を乗り越えた。
乗り越えた瞬間、今までの静寂が嘘の様に凄まじい音が全身に襲いかかってきた。
中庭では酷い馬鹿騒ぎが起こっていた。
十人や二十人ではきかない人数が中庭を駆け回り戦っている。もう仲間達が何処に行ったのかも分からない混乱が広がっていた。
遠郷は一先ず仲間を探そうと中庭に足を踏み入れ、そして誰かに呼び止められた。
「あなたも世界の歪みですね?」
声のした方を見ると、美しい容姿をした吸血鬼の様な青年が居た。何者か分からない。世界の歪みというのも分からない。
「何者だ」
「私は精霊の王です。世界の秩序を保つ者です」
「精霊の王?」
強いなと、遠郷は思った。
立ち居振る舞いが明らかに戦い慣れている。不思議な威圧感が全身をちりちりと焦がしてくる。
何者かは分からないが、厄介そうだ。この混沌とした状況の中で相手にしたくは無い。だが易々と逃がしてもらえそうにもない。
「世界の秩序を壊した覚えは無いぞ」
「いいえ、あなたは今世でも前世でも前々世でも世界を歪ませているのです。ああ、何と嘆かわしい。この様な悪の」
「はい、失礼!」
芝居がかった台詞の途中で、突然横合いから女性が現れ、巨大な掌を模した看板を振って吸血鬼を吹き飛ばした。女性は組織の仲間の鈴木だった。
鈴木は遠郷に向かって笑いかける。
「危ないところだったわね」
とても晴れやかな笑顔だった。
「まだ何もされてない」
「大丈夫、安心して! あなたは私が守ってあげるから」
何だか会話が噛み合わない。
更にもう一人仲間がやって来た。
「あーあ、俺が殺したかったのに」
「早い者勝ち。佐藤っていつも遅いよね」
「はあ? 一回先越した位で調子乗らないで欲しいんですけど」
言い争う二人を見ながら、遠郷はとりあえずの光明が見えた事に安堵する。佐藤と鈴木の二人は組織でも武闘派だ。これなら何とかこの混乱を切り開いていけるかもしれない。
遠郷は仲間達を探す為に、まずは言い争う二人の仲裁に入った。
将刀は変身した状態で病院の正門の前に立って呆然としていた。
法子達が病院に行くと聞いて、不安に思って来てみれば、病院は戦場と化していた。中で法子達がどうしているのか、不安が膨れ上がっていく。
将刀の隣に立つファバランがそんな将刀を見てその腕を掴む。
「将刀、友達が心配?」
「ああ」
「将刀、私は手伝う」
真っ直ぐなファバランの目が将刀には眩しく、そして嬉しかった。こんな風に真っ直ぐとした言葉で助けを約束してくれるなんて本当に久しぶりだった。
「ありがとう」
「将刀は頑張って友達を助けて。私はそれを手伝うから」
「ああ」
「将刀、私手伝うから」
何度も何度もファバランは助力を伝えてくる。将刀は笑う。
「うん、ありがとう」
「将刀、ベテ!」
「ベテ?」
偶に発するファバランの単語の中に意味の読み取れないものがある。このベテというのもそうで、けれど少なくとも悪い意味で無いことは何となく分かっていた。だから将刀は笑う。
「ありがとう」
「ベテ!」
「ああ」
「将刀、乗り込む。私、手伝う」
ファバランが将刀の手を引く。それにつられて、将刀も足を踏み出す。
けれど立ち止まった。
背後に気配を感じた。
勢い良く振り返ると、そこにフロックコートを来た男性が立っていた。両の手に一丁ずつ拳銃を持っている。
ファバランが警戒して将刀の手を引いた。
「将刀、敵」
将刀が慌てて、ファバランの肩を抑える。
「大丈夫。彼は同じヒーローだ」
以前、公園で指名手配犯と戦っていたヒーローで、共に協力しようと約束した仲だ。どうやら異変に気が付いて駆けつけてきたらしい。戦場を前にして、仲間が加わってくれたのは心強い。
けれどファバランはまだ警戒を解いていない。
「こいつ、本当の姿じゃない。本当は将刀より幼い。偽ってる」
「いや、それは彼が変身ヒーローだからで。ヒーローの時は大人の姿なんだよ。そうだよな?」
将刀が話しかけると、ぼんやりとしていたヒーローは慌てて首を縦に振りはじめた。
「そ、そうです! 僕はて、敵じゃないです。これも、変身しているからで。ほ、ほら」
そう言って、ヒーローは変身を解いて、中学生の姿に戻った。
ファバランがその姿を睨む。
「やっぱり、偽ってた。こいつ信用ならない」
ヒーローが涙目になってまた変身する。
「ち、違います。今のは証明する為で。とに、とにかく、味方だから安心です」
ファバランはまだ睨んでいる。
それを将刀がなだめた。
「とにかく時間が惜しい。君も助けに来たんだろ? 一緒に病院へ乗り込もう」
「は、はい。一緒に行きます」
まだファバランは疑わしそうにヒーローを見つめていたが、将刀が病院の門を跳び越えたので、睨む視線を解いて将刀の後を追った。ヒーローもその後に続く。
そうしてすぐに三人は中庭に辿り着いた。大勢の魔術師達が戦っている。
将刀はざっと辺りを見回して、法子達の姿が無い事を確認すると、中庭の向こうの病棟を睨んだ。
「出来れば、密かに建物へ行きたいけれど」
回りこんでいるには時間が惜しい。
「ここは強行突破で行こう」
そう言って、将刀が振り返る。
ヒーローが口を半開きにして、何度も頷いている。
けれど同意してくれるだろうと信じていたファバランは、何処か別の場所を見つめていた。
「ファバラン?」
「ごめん、将刀」
「どうした?」
「用事が出来た」
「え?」
「将刀、そいつは信用出来ない。油断しないで」
将刀が驚いている間に、ファバランはそう言い残して走り出して行った。
残された将刀は呆然として、ファバランの消えた方角を見つめる。もう一人残されたヒーローが不安げに聞いた。
「あの、どうします?」
我に返った将刀は、再び病棟を睨む。
「今はとにかく皆を救う」
「はい! あ、あと、僕は信用ならないなんて事は」
不安そうにしているヒーローを安堵させる為に、将刀は笑った。
「分かってる。ただあいつは人間に慣れてないから変に疑っただけだ」
「人間に慣れてないって?」
「人間の世界に来たのが初めてみたいだから」
そこでヒーローは恐る恐るといった様子で尋ね直した。
「もしかして、魔物?」
「ああ、そうだよ」
ヒーローが恐ろしげに身を引いた。
「なんで。じゃあ、あなたは?」
「俺は人間」
「それならなんで」
「なんで、とは?」
「だって魔物でしょ? なんで。敵なのに」
将刀は悲しくなった。魔物の中にも良い者は居る。というより、魔物はほとんど人間やその他の動物と変わらない。殊更に人間に対して敵意を持っている者なんて、ほとんど居ない。
けれど今の世の中では魔物即ち悪という図式が浸透しきっている。魔物と仲良くしたいと思っている将刀にとって、それは悲しい事だった。
「魔物の中にも良い奴は居るんだよ」
「そんな、信じられない。さっきのだって、ずっと僕を敵視して」
確かに変に疑われてしまった後だとそう簡単に信用出来ないかもしれない。多分何を言っても今は納得させる事は難しい。将刀はそう判断して、説得する事を諦めた。今はそれよりも法子達を助けるのが先決だ。
「行こう」
「え?」
「今はみんなを救うのが先だろ? 魔物に関してはその後だ」
ヒーローはしばらく沈黙していたが、やがて言った。
「はい、そうですね。でも、魔物が居るなんて。もしかして、いややっぱりか。やっぱりこの騒ぎは魔物の」
「良いから、行くぞ。この騒ぎの中を突っ切る!」
「は、はい!」
目の前の混沌が広がっている。
将刀は意を決すると、駈け出した。
水ヶ原はある館の地下で目を覚ますと、自分が殺された事を思い出して、歯噛みした。まさかあんな不意打ちを食うとは思わなかった。幸いにして殺されたのは予め生み出しておいたダミーだったが、ああも衆目の前で殺されては組織に顔を出せない。自分の切り札である分身を他の者に知られてしまう。
一先ず水ヶ原は再び眠りに入って分身を生み出し、生み出された分身は狙撃手が狙撃してきたポイントへと転移した。
死ぬ直前、確かにマンションの最上階の一室に、自分へ向けてスコープを向ける姿を見た。まずはその狙撃手を殺す。どうして狙ってきたのか分からない。理由が分からないからこそ、殺しておいた方が良い。
水ヶ原がマンションの一室に現れ、辺りを見回す。空き室なのだろう。物一つ無い部屋に家主の姿は無い。そして狙撃手の姿も無い。どうやら既に逃げたらしい。
当然かと嘆息して、これからどう狙撃手を探せば良いか考え初めた時、弾丸が飛来した。
流石に二度同じ失敗はしない。
一度目は迎撃用の魔術を単純な防壁にしていたのが失敗だった。魔力の防壁に弾丸が触れた瞬間、弾丸は魔力を吸い取って加速し、凄まじい力でもって頭部を吹き飛ばした。
だから今度は迎撃用の魔術を転移に設定した。弾丸が飛来したら自動的に転移させる。向きを変え、狙撃手へ向かう様に。
そしてその目論見通り、弾丸は水ヶ原の迎撃圏内に入ると、自動的に転移が行われ、その瞬間、代わりに部屋中に数多の弾丸が現れ、部屋の中をずたずたにした。狙撃手に返るはずだった弾丸はその無数の弾丸の一つに当たって撃ち落され、水ヶ原は内の数百を転移させたが。転移しきれなかった数多の弾丸に襲われて、部屋の床や壁と同じ様な残骸になり、やがて消えた。
そしてまた水ヶ原は目を覚ます。すぐに分身を生み出し、そうして館を抜ける。
流石に直行したのは失敗だった。恐らく敵も、死んでいない可能性を考えていたに違いない。魔術は何を起こしてもおかしくないのだから。そうしてもし生きていたとしたら狙撃した自分を殺しに来ると読んで、狙撃に使った場所を見張っていたに違いない。案の定、生きていた標的がのこのこと現れた訳だ。馬鹿としか言い様が無い。
水ヶ原はとりあえず慎重になって、病院から少し離れたマンションの屋上に降り立った。二発目の狙撃は病院からだった。けれど狙撃手がまだ病院に居るかは分からない。一発目で殺せなかったと気が付いた狙撃手はきっと二発目でも殺せないと踏んでいるに違いない。だから標的が馬鹿だと信じて病院を狙える位置に陣取っているか。あるいは標的の知能を信じて探し回っているか。
とにかく見つかれば再び狙撃される。
だから狙撃手の狙いを定めさせない様に、水ヶ原は転移をしながら狙撃手を探す事にした。
そこへ弾丸が放たれる。
届く前に水ヶ原は別の場所へ転移する。
転移した先に再び弾丸がやって来る。
間一髪で別の場所へ転移する。
そこへ更に弾丸が。
また転移。
そこへ弾丸。
狙撃と鬼ごっこをしながら、水ヶ原は嫌な事に気が付いた。
弾丸の数が増えている。
どうやら弾丸は被弾するまで延々と追尾する様だった。
止まる事の許されない死の鬼ごっこが始まった。




