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始まりの合図

「遅い!」

「ごめんなさい!」

 着くなり怒鳴られたので、法子は大声で謝り返した。

 約束の時刻にはまだ早い。だが陽蜜と叶已と実里は既にやって来ていて、陽蜜に至っては仁王立ちで腰に手を当て、遅れてきた法子を睨んでいた。叶已と実里はおかしそうに笑っていたけれど、法子には怒っている陽蜜しか目に入らない。友達を怒らせてしまったと大慌てで頭を下げた。

「ごめんなさい」

「駄目、許さない」

「お願い。何でもするから」

 本当に何でもするつもりで法子は陽蜜に懇願した。もしも命を絶てと言われたら数秒迷う位には本気の言葉だった。

「本当に?」

「うん、何でもする」

 きっとこんな言葉じゃ許されないだろうなと法子は内心思っていた。自分に出来る事など高が知れている。そんな人間から何でもするなんて言われたって、嬉しくもなんともないに違いない。それでも法子にはそう言う事しか出来なかった。他に喜んでもらえる様な事、許してもらえる様な事なんて思いつかなかった。まして陽蜜の冗談を冗談だと気付き冗談のままに受け流す事なんて出来よう筈がなかった。

 法子が一心の覚悟で陽蜜の沙汰を待っていると、やがて陽蜜はにっと笑って、背後の闇に塗れた病院を親指で指して言った。

「じゃあ、行こう」

「うん。え?」

 どんな難題を言われるんだろうと身構えていた法子が肩透かしを食らっている間に、陽蜜達は正門の横の通用口をあっさりと潜り、病院の敷地へ入り込む。法子は慌ててそれを追った。

「待って」

 法子が呼び止めると陽蜜が振り返った。

「どうしたの?」

「え? あの」

 どうして何の罰も言い渡さないのか聞きたかったけれど、まるで忘れているかの様にどうしたのと逆に問われると、切り出しにくい。

 法子は迷って、結局全く別の事を尋ねた。

「摩子は?」

 尋ねてから、自分の言葉であるのにその言葉に喚起されて、そういえばどうしたんだろうと不思議に思った。時間を見るとまだ待ち合わせ時間に達していない。待っていた方が良いんじゃないだろうか。

「摩子は何か来れなくなったってメール来た」

「え? そうなの?」

「うん。後でいけるかもって言ってたけど、無理だと思う」

 そうなのか。それは残念だ。

「全く。今回の探検の大事さが全然分かってないよね」

 陽蜜の言葉に、法子は恐縮して体を縮こませるしか出来ない。

 陽蜜達は何ら憚る事無く病院の中庭を闊歩して入り口に向かう。法子はどうするのか分からず後に続く。そもそも探検と言って何をするのだろう。何かが起こると言われたから、この辺りを見回るんだろうか。流石に建物の中には入れないだろうし。

 病院の入口を見ると、消灯されていて真っ暗だ。非常灯の明かりだけが微かに見える。反面、入り口以外には煌々と電気の点いている部屋が多い。法子は、病院って夜も頑張ってるんだなぁという単純な感慨を湧かせた。

 陽蜜達は入り口の前で曲がって病院の壁に沿う様に歩いて行く。しばらく歩くと診察棟が終わる。外壁を見ても一様に壁が続いているだけだが、ここから先の壁は一般病棟の一つで、閉ざされたカーテンの向こうにある病室では入院患者が眠っている。

 そして陽蜜はその並ぶ窓の内の他と何も変わらない窓の前で止まった。どうしたんだろうと法子が思っていると、陽蜜はあっさりと窓を開けて、中に入り込んだ。

「え?」

 窓に鍵が掛かっていると思っていた法子が事態について行けずにいる間に、叶已と実里も入っていく。ぼんやりしていると中から実里に手招かれたので、慌てて法子は窓枠に手を掛けてよじ登り、そして足を踏み外して病室の床に落ちた。

「大丈夫?」

 実里に抱き起こされて立ち上がる。薄暗い病室の中で陽蜜が患者の一人と話していた。目を凝らすと同じ位の年頃で、ベッドの上に胡座をかいて座っている。

「お、新顔じゃん」

「法子。つい最近友達になった」

「へえ、大人しそうだけど大丈夫なの? あんまり無茶させちゃ駄目だよ」

「させないさせない」

「いや、現に今させてるけどね」

 法子は良く分からないけれど、自分が紹介された様なので頭を下げた。患者が笑顔を手を振ってきたので何だか気恥ずかしかった。

「よし、じゃあ行くよ」

 陽蜜がそう言って、静かに病室のドアを開け廊下に出てる。実里と叶已が後に続く。

 法子もそれを追う。外に出る時、「大変だねえ」という声が聞こえたので、振り返ると何だか同情する様な表情で「頑張って」と言われた。

 法子は再び頭を下げて外に出る。外に出ると仄明るい電灯に照らされた廊下があって、歩くには問題ないけれど、ところどころの隅っこに暗がりが落ちていて、清潔の限りを尽くした様な白い廊下なのに何だかはっきりとしないのが怖かった。

 怖いなぁと思う内に、そういえば勝手に入って良いのだろうかという疑問が湧いた。見つかったら怒られるのではないだろうか。

「法ちゃん」

「え? 何?」

「今のはね、陽蜜の従姉妹さん。鍵を開けてくれる様に頼んでおいたの」

「そうなんだ」

「うん、この辺りって陽蜜の親戚多いから、もし何かあったら陽蜜の友達だって言えば、大抵なんとかなるよ」

 何それ、凄い。

 尊敬の眼差しで陽蜜を見る。後ろ姿が一層輝いて見えた。その陽蜜が急に立ち止まり、振り返ると手を払った。何かと思う内に、実里に手を引かれ、脇道に逸れて身を屈ませられる。

「な、何?」

 法子が驚いてそう尋ねると、目の前に人差し指が一本立っていた。黙れのジェスチャーだ。

「見回りが来た」

 そう囁かれて法子の心臓が止まりそうになる。

 やっぱり見つかっちゃ駄目だったんだ。

 見つかって怒られる事が怖くて、法子は口を押さえて息を殺す。陽蜜達も壁に張り付く様にして座り込み息を詰めている。暗闇の中に屈みこんでいると隣の体温が伝わってくる。肌寒い中に伝わってくる友達の温かさが妙に心強く、絶体絶命の状況なのに楽しかった。

 やがて足音が近付いて来た。

 法子は息を止め、やってくる足音を待つ。

 足音はまるで焦らす様にこつこつと少しずつ歩いてくる。

 法子が自分の服を思いっきり掴んで耐えていると、隣から実里が手を重ねてきて、励まされた。

 足音は更に高く、辺りに反響している。

 法子が息を飲む。

 そしてやって来るであろう角を眺めていると、そこに足が現れた。続いて手が。そして体が現れる。

 二人組みだ。

 服装からして警備員と看護師。

 法子がバレません様にと祈っていると、二人は気付かずに通り抜けていった。足音が離れていく。

 法子がほっと息を吐き出した。吐く息の音が妙に大きく聞こえた。

 その瞬間、離れていこうとしていた足音が止まった。

 見知らぬ大人の声が聞こえてくる。

「ん?」

「どうしました?」

「今何か変な音が聞こえませんでした?」

 法子の心臓の音が高鳴った。法子は慌てて口元を抑えこみ、これ以上息を吐かない様に力を込める。

「風の音じゃないですか?」

「ああ、確かにそう言われるとそんな気も」

 それっきりまた足音が離れていった。

 けれど今度は油断せず、完全に足音が聞こえなくなったところで、法子はようやく力を抜いて前に倒れこんだ。

「良かった」

「気付かれるところだったな」

 横を向くと、陽蜜が楽しそうに笑っていた。怖くないのだろうかと疑問に思う。

「さて、探索の続きだ」

「法子さん立てますか?」

 叶已に手を掴んでもらって、法子は立ち上がる。そしてまた歩き出す。

 そういえば、この探索の目的は何なのだろう。今更ながらにそう思った。

 今日が終わる頃に病院で何か大変な事が起こると言われたから、それを防ぐ為にやって来たのは分かっている。でも大変な事というのがどういう事なのか良く分からない。日付が変わるまで後一時間。それまでの間に何をするのだろう。

 気になって、聞こうかどうか迷って、やっぱりやめた。折角みんなの一員になったのに、ここで分からない事を晒しては、また独りになってしまう気がした。

 ここは黙ってみんなに付いて行こう。

 そう思って、皆の後ろを歩き、駄目だと自分の頬を張った。少し前を歩いていた実里が驚いて法子を見る。

 駄目だ駄目だ。ここで遠慮をして黙っていたら、そんなの友達になったとは言わない。友達っていうのは遠慮をし合わないものだ。そんな気がする。

 法子は気合を入れて、問いかけた。

「ねえ、私達、具体的には何をするの?」

 陽蜜が振り返り

「え? 何って……どうする?」

叶已に尋ねた。

「どうしましょうか?」

 叶已が実里に振る。

「うーん、どうしようね」

 そして実里が法子を見た。

 つまり何も考えていなかったらしい。

「法子はどうすれば良いと思う?」

 陽蜜に問われて、法子は考え、そして答えた。

「えっと爆弾を探すとか?」

「それは大丈夫です。病院の中に爆弾は持ち込めないはずですから」

 即座に誤りを指摘されて法子は縮こまった。

「あ、そう、なんだ。ごめんなさい。知らなくて」

「良いよ良いよ。うーん、何をするって言っても何が起こるか分からないし、このまま見回り?」

 陽蜜がそう言って、廊下の窓から外を見た時、突然ガラスの割れる様な音が遠くから聞こえた。

 陽蜜の顔が強張る。

「何?」

 叶已も緊張した様子で元来た道を振り返った。

「何だかガラスの割れる音と、あと人の悲鳴が聞こえた様な気が」

 その言葉が終わるのと同時に、今度ははっきりと高らかに、女性の悲鳴が響き渡った。


 病院というのは、まあ、とにかく人の集まるところで、診察入院見舞いは言わずもがな、医者に出入り業者に、主婦や高齢者の井戸端会議、暇を明かして涼みに来る者、何か理由を付けてとにかく人が集まってくる。病院という建屋は中にどろりと粘液質な死を孕んでいる割に、あれよあれよと人々が押しかけてくる。

 大病院ともなれば更に顕著で、こんな真夜中の草木の眠る少し前にも某か寄ってくる。

 先程忍び込んだ陽蜜達もそうだし、たった今正門に手をついて悩んでいる半渡武志もそうだ。

 武志は病院探検の参加は渋ったものの、摩子達が本当に危険を顧みず病院へ行くのだろうかと心配に思って、とりあえず様子を見にこの正門前までやって来ていた。そして来てみると、摩子は居なかったものの、陽蜜達が病院に忍び込んで居るのが見えて、呼び止めても振り返ってすらもらえず、後を追って直接止めようとしたが鍵の掛かった通用口に阻まれ、だったらと正門を乗り越えようとして、そこに見えない壁が張ってあって入れずに途方に暮れているところだった。

 聳え立つ病院を眺めると、何だか薄っすらと照明の灯っている様子がどうにも不気味で、こんな真夜中に一体どうして明かりが付いているんだろうと思いを巡らせると、夜間でも立ち働かなければならない大変さと重要さは分かっているものの、どうしてか想像の方は無機質な電灯の中で血に塗れた生臭い人体実験を行なっているという一種の馬鹿馬鹿しい様子がぼんやりと思い浮かんで、黙ってじっと無事を祈っている等という事は出来なかった。

 どうにかして中に忍び込まなくちゃいけない。けれどどうして良いか分からず武志は正門の前で悩んでいた。その時背後から声が聞こえた。

「まだ後一時間ある。何とか間に合ったわね」

「悲劇が時間厳守だったらな」

「あのね、元はと言えばあなた達が」

「二人共、喧嘩は止めてください。門の前に誰かいます」

 武志が振り返ると十人を超える人影が居た。前列にいる三人は二十代半ばの、右から男女男。その更に左に、武志と同じ位の年頃の外国人の少女が一人。その四人の後ろに付き従う十人の男達。バラバラの年格好だ。思い思いの姿で佇んでいる十四人は何だか奇妙な組み合わせで、何となく夜の闇から浮いていた。よくよく見ると前列の男の一人と少女は昼にフードコートで見た顔だ。

 前列の一人の、眼鏡を掛けた男が、値定めする様な目付きで問いかけてきた。

「どうしたんだい、こんな夜中に。何か病院に用事かな?」

「え? いや俺は、ただ」

 何と答えて良いか分からない。忍び込んでいる友達が心配で中に入りたいと言えば、陽蜜達が警察に連絡されて補導されてしまうかもしれない。陽蜜や叶已ならまだしも、法子さんにはショックが強いはずだと思って、武志は答えあぐねた。

 その時、エミリーが武志に近寄るなり顔を近付けて大きな声を上げた。

「中に侵入したいでしょう! そうでしょう!」

 武志は気圧されて思わず頷いてしまった。

 エミリーがにっこりと笑って、身を引く。

「じゃあ、一緒に入りましょう。私達も中に入ります!」

「ちょっと待ってください、エミリーさん。流石にそれは」

 エミリーが踊る様に回りながら抗議の声を上げる剛太に近寄って、その鼻先に指を向けた。

「彼は必要な方です。あなたは後悔をしますよ」

 剛太が思わず口を閉ざす。

 変わりに徳間が横から口を出した。

「おい、エミリー」

「徳間、私は言いました。あの場に居た人達はみんな集まってくるのです。この凡人も数の内に入っています」

 武志が自分を指差す。

「え? 凡人て俺?」

「勿論です。あなたは自分が凡人でないと?」

「いや、そうは言わないけど」

 徳間が武志の肩を掴んだ。

「おい、詳しくは言えないが、これからこの病院は大変な事になる。だからさっさと帰った方が良い」

 武志の表情が険しくなる。

「大変な事に?」

 そんな武志を見て剛太が項垂れ、呻いた。

「ああ、馬鹿真治。逆効果にも程がある」

 武志が焦った表情で徳間に詰め寄った。

「どういう事ですか? 中は危ないんですか?」

「ああ、理由は言えないが」

「中に友達が居るんです! 連れ戻しに行かないと」

「おい、待て。大丈夫だ。俺達が必ず助けるから」

 武志が徳間を見つめ、その後ろに居る人々を見る。そして不安そうな表情になる。

 そんな様子を見て剛太が溜息を吐く。

「馬鹿ですね、真治はもう、本当に」

「は? 何だ? 間違った事言ったか?」

「間違いだらけです」

 剛太が徳間の抗議を切り捨てて、武志の前でしゃがみ込む。

「ええっと、君の名前は? 私達は魔検の者です。私は角写。この通り正式に登録された、いわゆるヒーローです」

 剛太が魔検の身分証を提示する。それを見た武志の表情が和らいだ。

「僕は半渡武志です」

「武志君。先程も名乗ったけど、私達はヒーローです。だからここは私達に任せてください」

「魔物が出るんですか?」

「いえ、そういう訳では」

「でも何か起こるんですよね?」

「……ええ」

「それで病院の人達を助けに来たんですよね?」

「ええ、そうです。だから」

「病院には沢山人が居るのに、たったそれだけの人数で」

 剛太が一瞬固まる。剛太が改めて口を開こうとした時、先に武志が後ろを指さした。

「ヒーローが居なくちゃいけない様な事件に、俺が何か出来るとは思えないから。だからでしゃばったりはしないです。ただ友達を呼び戻す位なら」

「危険だ。君の友達も助けるから」

「でも病院には沢山人が居るのに。そんな一人一人逃がす様な事が出来るのかよ」

「とにかく駄目です」

「何でだよ! 助ける人数は少ない方が良いんだろ? 行ってすぐ戻って来るから!」

 焦りで逆上し始めた武志をどう宥めようか、剛太が考えていると、背後から真央が言った。

「良いんじゃないの? 行きたいなら行かせれば。その子の言う通り、手間は少なくなった方が良いんだし」

「真央さん、幾らなんでも」

「それにフェリックスを倒すのに必要なんでしょ? ね、エミリーちゃん?」

「はい! 彼はとても必要です!」

「ほら。追い払うなんてあり得ない」

「でも民間人を」

「この期に及んでそんな事言ってられないでしょ? ここで何が起こるか分からないけど、最悪の事態を想定するなら一人や二人誤差の範囲」

「そうですそうです! その通りです!」

 真央の言葉にエミリーが賛同する。

 剛太が絶望した顔で真央とエミリーを交互に見て、それから二人の背後の男達のどうして良いのか分からなそうな表情を見て失望し、最後の希望だとばかりに徳間へ視線を送った。

 徳間と目が合う。目が合った瞬間、徳間は突然眼を見開いて空を見上げた。

「剛太! 上だ! 避けろ!」

 剛太はその言葉に反応して、武志を抱えて前へ跳ぶ。

 同時に剛太の居た場所に何かが落ちて膨大な砂埃が舞った。

 砂埃が晴れるとそこにはスーツ姿の女性が居て、微笑みを浮かべながら詠唱した。

『第一の蔵を開帳致そう。我が祖より伝わる宝、その身にしかと刻み付けよ』

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