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閑話 室内行灯

 イーフェルが意識を取り戻し、矢から逃れようとする。それよりも早く矢が放たれイーフェルの腕を貫いた。

 イーフェルは使えなくなった己の腕になど頓着せずに取り巻く状況の把握に努める。

 男は再び弓に矢を番えてイーフェルに狙いを定めている。板張りの簡易な鎧を身に纏った男の目には一片の情も無い。それ以前に生気が感じられない。死体を操る魔術だろうか。だが何か違う気がする。死体と言うよりはもっと別の。まるで人形の様な。それも違う。生きている様に見える。その感情を無理矢理殺した様な。

 上手く頭が働かない。

 とにかく分かる事は、敵は傷付いた自分よりも強く、同時に容赦をする気なんて欠片も無い事だ。

「条件を設定」

 イーフェルは呟きながら考える。敵の殲滅。は無理だ。ならば撃退。も難しい。相討ち。それも駄目。ならばと口を開く。

「一の敵の危害から法子を守る事」

 今はそれが精一杯。それすらも先の見通しが立たない。見通しが立たないというのはイーフェルにとって致命的だった。イーフェルは場の状況を極限まで把握して、その上で未来予知に近い思考で戦闘を勝利に導いてきた。けれどその思考が今はほとんど働かなくなっていた。

 ただでさえ人間の世界にやって来た代償に力をこそぎ取られているのに、敵の攻撃の所為で意識は朦朧とし、魔力も奪い取られている。今、イーフェルの認識は完全に歪んでいた。体も上手く動かない。魔力を練る事すら困難だ。

 ここから行われる事はほとんど戦いと呼べないものだろうと、イーフェル自身分かっていた。

 イーフェルふとルーマの事を思う。

 世界の横断で自分の力は半減したと言って良い。それは未来予知等という他者より精緻な戦い方をしている所為でもあるが、それを抜きにしても体力や魔力といった戦力の衰え方は想像を超えていた。

 それなのに全くどうしてルーマさんはあれだけ戦えているんでしょうね。

 何か笑いたくなる気持ちだった。イーフェルの目から見てルーマという存在は圧倒的だった。かつてルーマに敗れてから、ルーマの部下となってから一度としてルーマに勝てると思えた事が無かった。自分がルーマに比べて劣っているとは思わない。ルーマよりも得手な事は数有る。また単純な殴り合いでもほとんど互角だと思っている。それでも何故だかルーマを前にすると勝てると思えない。そう思わせる何か超越したものがあった。だからこそ仕方なく付き従った時の反感と叛意は、次第に心酔に、やがて親しみに変わっていったのだ。その理屈で見えない超越性に心を絡め取られたのだろう。

 そのずっと感じていた超越性に、今改めて気が付いた。惚れ直したとでも言おうか。ルーマと自分の間には某かの見えない隔たりがあって、その隔たりを自分が越えられなかった為に、今自分は死にかけているのだと思えた。その隔たりが超越性なのだ。だから自分は死ぬ。

 そう死ぬんだ。

 矢が放たれる。

 イーフェルが反撃の為に力を溜めていた右の腕に矢が突き立つ。腕がちぎれた。構わず横に跳ぶ。跳んだ瞬間、背を射られたが、むしろその威力を利用して先へ跳ぶ。背後から男の追いかけてくる気配を感じた。死が迫っている。

 成程ね。中々に無念だ。

 今まで自分が死に対して真剣に向き合っていなかった事が良く分かった。胃の腑の中と自分を取り囲む空気が黒く滲んでいく気がした。暗く重たい何かが蔓延していた。やるせない、後ろ髪を引かれる様な思いだった。まだまだやり残した事が沢山あった。

 だが喜びもあった。

 未来が確定する。たった今、弓を携え追ってくる敵が法子に一切の危害を加えられない未来が決定した。それがイーフェルの能力だった。未来予知に近い予想を本物の予知に変える能力。言い換えれば、九十九パーセントを百パーセントに変える能力。例え世界の何処で何が起こりどんな影響が波及しようと、決して背後の敵が法子を傷つける未来には到達し得ない。たった今そう定まった。

 それで満足だった。

 法子が恋の魔法を発現する事こそ、ルーマの最大の望みだ。その望みを叶える為には法子が無事でなければならない。ルーマの配下として、必ず法子の無事を確保しなければならない。

 本当なら満足などしてはいけない。せめて恋の魔法を生み出すまで守らなければ守った事にならない。

 そもそも法子がそこまでの才を秘めているかは分からない。恋の魔法を実践できるのか。。むしろその可能性は低いとイーフェルは見ていた。予知ではなく、あくまで単なる印象だけれど。

 ふとイーフェルは不思議に思う。

 何故法子を助けようとしているのだろう。

 法子が恋の魔法を行うなどとは到底思えないのに。

 それでも万が一にでもと考えるからか。そんなあやふやな未来の為に自分の命を捨てるのか。そんな訳が無い。かと言ってルーマが望んでいるからというのも違う。

 何故法子の命をそこまで助けたいのか分からない。分からないがそれで良いと思う。

 思えば、身命を賭した事など久しぶりだ。如何にルーマの命令であろうと自分の身を第一に考えてきたのに。そしてその久々がこんな無駄死にの様な結果に終わろうとは。笑顔で押し隠した心の中でただ冷徹に合理を見据える事が、自分という存在であったのに。

 法子に感付かれまいとむざむざ敵の攻撃を受ける事など考えられない。ルーマの片腕として内外に畏怖されてきた自分が、こんなところでただ一人の子供を守る為に死ぬなんて。

 何故だろうと考える。多分自分の中に変化があったのだと思う。人間の住む世界に来て何か、それがどんな変化かは分からないけれど。あるいは二つの世界が和合に向かおうとする新たな時代を前にして、柄にもなく気分を高揚させていたのかもしれない。

 矢が片足を貫き、イーフェルは地面に倒れ込んだ。倒れ込むのと同時に追い打ちの矢が背に射掛かる。

 もう目も見えず耳も聞こえない。

 ああ、死ぬな。

 思考だけが辛うじて続いている。

 死ぬといえば、死神という存在が居ると聞いた。イーフェルの知る神と言えば世界の初まりを作った創造主の事だが、人間の世界に来て死神という存在を聞いて、面白いと思った。

 死という現象を神に仮託した理由はきっと死に対する恐怖だけではない。死という暗幕に覆われた見えざる神秘に対する畏敬のこもった憧れと、その神秘を単なる人の考え出した神秘に零落させ、己の手が届く場所にまで引きずり降ろそうとした結果に違いない。

 死とは倒れて動かなくなる事。戦いに身を置く中でそんな結論を出したイーフェルにとって死を殊更飾り立てようとする思想は珍しく、面白かった。

 けれど今なら分かる。今イーフェルの中に死が特別であって欲しいと願う心が芽生えていた。例え幻であっても良いから死の間際に死神が寄り添って欲しかった。今にも何処かから死神の足音が聞こえるんじゃないかと期待していた。

 児戯の様な思いだとは分かっている。それでも死に特別を願いたかった。死によってまるで奇跡の様に世界が有利な方向へ動いて欲しかった。

 けれど実際は死んでも何も変わらないだろう。

 それはそれで分かりきった事なのだ。

 だから満足だ。せめて死ぬ前に僅かなりとも結果を残せた事が。例えそれが理性の上では手柄にもならない下らない結果だったとしても。

 死ぬ。

 そう死ぬんだ。

 あの時の様に味気なく、何も残さずに、ただ喪失感だけを残して。

 唐突にそんなあの時を閃いた。いや、考えない様にしていた記憶の扉が開いた。

 自分はただ守れなかった笑顔をもう一度守りたかっただけなのだ。法子を守ろうとした事もこうして死に対して特別を望む事も。

 死神だなどとは笑わせる。再び会える事を願っているだけだ。傍らに立って欲しいのはもっと別の。

 真っ暗な世界の中でイーフェルは己の矮小さを笑いながら、ただやり遂げたという清々しい満足感を抱いて眠りにつこうとしていた。

 足音が聞こえた気がした。


 法子は部屋に戻るなり泣きそうな顔でベッドに倒れ込んで顔をうずめた。

「もう駄目」

 タマにはその意味が分からない。

「どうしたんだい?」

 法子は無言で顔を布団に擦りつけている。

 煌々と電灯が部屋を照らしている。

 風が窓を叩いている。

 外から何か声が聞こえてくる。

 何処かから大地を震わす音が聞こえてくる。

「バレた」

 唐突な法子の呟きにタマは聞き返す。

「どういう事だい」

「絶対変な顔してた」

「え? 誰が?」

「私、さっき絶対変な顔してた」

「さっきって?」

「イーフェルさんと一緒に居た時」

 タマは法子とイーフェルの帰り道を思い出して、やっぱり分からなかった。

「別に変な顔してなかったと思うけど」

「駄目だよ。絶対バレてたよ」

「だから何が?」

 苛立ちの混じり始めたタマの問いに、法子はしばらく口をつぐんでから恥ずかしそうに答えた。

「私がイーフェルさんが私の事好きだっていう風に思ったって事」

「は? 何、君はあの魔物の事を好きなったのかい? 将刀って子も居るのに、随分節操が」

「違う! 違うよ! ただ何だかイーフェルさん変な雰囲気で、思わせぶりというか、何だか変な感じだったから」

「うん」

「だからもしかしたら、イーフェルさんて私の事好きなのかなって思っちゃって」

「えー」

「分かってるよ! 違うっていうのは分かってるし、そう思った時だってすぐ思い直したけど、でももしかしたら顔に出てたかもしれなくて、イーフェルさんって何だか鋭そうな感じがするし、もしかしてそう思った事がバレちゃってたかもって」

「ふーん」

 タマの相槌で場が再び静まった。

 風が窓を叩いている。

 後は法子の息遣いだけ。

 とても静かだ。

 法子が黙ったままなのでタマは不思議に思って聞いた。

「え? それだけ?」

「それだけって?」

「好かれてるって勘違いした事に気が付かれたかもしれないっていうだけで悩んでたの?」

「うん、だって」

「絶対気にされてないから」

「うう」

「気付かれてても、絶対何とも思われてないから」

「うう!」

「いや、ううじゃないよ。下らないなぁ。その前にもっと色々あっただろうに。いや、そういうところが君の良い所なのかなぁ?」

「何とも思われてなくても、気付かれてたら恥ずかしいのに。タマちゃん分かってない」

「知らないよ。それより病院だろ? 時間が迫っているよ。準備準備」

「うう!」

 文句を言いながら、法子は制服を脱いでラックを開けた。中を見るとお母さんに買ってきてもらった服が敷き詰められている。こんな服で友達に受け入れられるのだろうかと不安になったが買ってきてもらったもの以外に服は無い。ここは信じるしかない。

 法子が着替え終え鏡の中自分を確認して、時計を見上げると、まだ約束まで時間があった。暇なのでパソコンに向かい、電源を点けて溜息を吐く。

「何か病院でイーフェルさんに会いそうな気がするんだよね」

「どうして?」

「勘」

「当てにならないから大丈夫」

 法子がもう一度溜息を吐いた。

 外からはやはり風の窓を叩く音が聞こえてくる。

 何処かから爆発する様な音も聞こてくる。

 立ち上がって、何となしにカーテンを開き窓の向こうを見て、法子は心底切実に呟いた。

「イーフェルさんと会いたくないなぁ」

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