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孤独な魔法少女は英雄になれるか?  作者: 烏口泣鳴
魔法少女は夜眠る
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ご主人様は一人ぼっち

 魔法少女はその正体を隠す。魔術は隠秘を旨とするから──という訳ではなく、多くは恥ずかしいからだとか、生活に支障をきたすからだとかの理由でその正体は隠されている。中には公言して憚らない者も居るが、その数は少ない。変身ヒーローのほとんどは正体不明である。

 魔法少女は系譜を魔女に辿る為か、使い魔、あるいはそれに類するお供を連れている事が少なくない。それどころか使い魔というのは現在、魔女の、あるいは魔法少女の連れるものだというイメージが強い。当然普段から使い魔を引き連れていれば正体はばれる。使い魔が常人に見えなければ良いが、そうでなければ使い魔を隠す為に、ある者は使い魔を家に留め、ある者は使い魔をアクセサリーに変じさせ、ある者は使い魔の人形の様な外観を活かして人形として押し通す。

 使い魔は魔法少女に出会うまで長年封じられていた者も少なくない。その為、会話に飢えている者が多く、お喋りな事が多々ある。その為、魔法少女が使い魔を大衆のはびこる場所へ連れて行く時には、喋ってはならないと厳命する事が多々ある。その約束が破られ一騒動起こる事もある。

 とかく魔法少女という者は自己の正体を秘密にする為に細心の注意を払うものである。


 地響きの様な唸り声が部屋に満ちた。ベッドの上には、膨れ上がった掛け布団があって、その枕側から黒い髪の毛がはみ出ている。しばらくすると、枕に掛かっていた黒い髪の毛がゆっくりと掛布団の中に引きこまれていった。そうしてもぞりもぞりと掛け布団が波打って、掛け布団の横から腕が現れ、頭が現れ、体が現れて、そのまま全身がベッドの端から落っこちた。床にへばり付いた法子が唸るように言った。

「体が重い」

 法子は這ったまま枕元のタマを掴み揚げる。

「軽い筋肉痛だよ」

「全然軽くない」

 頭の中にくすくすという笑いが響いてくる。それに苛立って法子は思いっきり立ち上がった。

 けれどすぐに立ち消え、法子はベッドの上に倒れ込んだ。

「無理。今日学校休む」

「ほら、さっさと用意する」

 無慈悲なタマの言葉を法子は渋い顔で受け止めて、もぞもぞと動き始めた。


 着替えを終えた法子は、タマに最後の確認を行う。

「分かった?」

「ああ、分かったよ。学校では」

「うん、私に喋りかけてきてね」

 紐を通され簡易なブレスレットになったタマは、髪を梳く法子に疑惑の念を送っる。

「でもどうしてだい? 普通正体を知られない為にも人前でのやり取りは禁じるものだろう?」

「だってタマちゃんと話すのに声に出したりしないでしょ? ばれる訳無いもん」

「まあ、そうだが、何があるか分からないだろう? 学校といえば四六時中人と関わる場所だ。うっかりという事もある」

「大丈夫だから安心して」

 妙に断定的な法子の言葉をタマはどうしても信じられなかったが、それでも、今迄会話に飢えていたので、話をして良いというのは嬉しかった。

 法子が黒い髪を結い上げる手の動きに合わせて、タマは揺れ動く。法子の目を通してセーラー服を眺めながら、先代の通っていた学校を思い出して、タマは何だかわくわくとした。


「ねえ、転校性来るって!」

「マジで? いつ?」

「今日! さっき居るの見た!」

「男ですか? 女ですか?」

「男子!」

「そんな嬉しそうな顔をしているって事は」

「そう、めっちゃカッコ良いの!」

「マジで!」

「転校生が来るってホントか?」

「あ、武志君。残念だったね」

「何だよ、残念て」

「転校生が女子じゃなかった事と、転校性がカッコ良かった事。きっと摩子取られちゃうよ」

「取られるって何だよ、別に俺の物じゃねえし」

「でも好きなんでしょ?」

「は? 別に好きじゃねえし」

「あ、噂をすれば。摩子!」

「聞いてください。何でも転校性が来たとか」

「へえ」

「どうしたの? 辛そうだけど」

「うん、ちょっと全身筋肉痛で」

「また? どんな運動してんの? 死ぬよ?」

「ちょっとってレベルじゃないでしょ」

「突っつかないで」

「大丈夫か、摩子」

「ああ、武ちょん。おはよう。全然大丈夫じゃない」


 仲が良さそうに話しているグループから摩子と呼ばれていた少女が抜けて法子の席の丁度真ん前に座って、ぐったりとした様子で机にへばり付いた。同じ様にぐったりとした法子は目の前で同じ格好をしているクラスメイトを見つめながら、でも私の方が疲れてるしという無意味な対抗心を抱いた。

 転校生か。法子は机に頬を付けながら、聞き耳を立てていた話に思いを馳せる。

 季節外れの転校生は何か秘密を持っていると相場が決まっている。何かの組織の一員だったり、特殊な能力を持っていたり、あるいは前の学校で暴力沙汰を起こしたとか。一体どんな秘密を持っているんだろう。そんな風に楽しい空想にふける。けれどふと自分の方が余程秘密めいていると気が付いてにんまりと笑う。そう法子は人々がうらやむ魔法少女なのだ。確かに昨日は失敗してしまったけれど、でも確かに私は魔法少女なんだ。

 転校生か。話してみたい。法子はにやつきながらそう考えたが、すぐにその笑顔が引っ込んだ。話してみたいけれど、でもカッコ良いと言っていた。そんな人が私と話す訳が無い。いやどんな人であっても私は話せないか。

 話せる人。そう例えば同じ魔法少女だったら。他の人と違った秘密を抱える者同士、話が合うんじゃないだろうか。あるいは私と同じ様にあんなノートを書いている人だとか。いや、そんな人居る訳無いか。

 そんな風に空想を巡らせる法子にタマはおずおずと思念を掛けた。

「向こうで賑やかに話しているけど、君は会話に入らないのかい?」

「うん、だってあの人達友達じゃないし」

 答えた法子の顔からはほとんど表情が抜け落ちている。昨夜タマを圧し折ろうとした顔よりも余程恐ろしい。朝の喧騒に包まれた教室は温かいのに、法子の周りだけは空気が違った様に冷え切っていて、何だか寂しかった。

「そうか……なら友達の所へ行ったらどうだね?」

「私、友達居ないから」

「友達が居ない? そんな事は無いだろう」

 学校と言えば同年代の子供達が沢山集まる場所だ。法子位の年齢であれば、学びの場としてだけでなく、仲間を見つける場所でもあるはず。少なくともタマが今迄見てきた学び舎は全てそうであったし、タマの主人やその周りで友達が居ないという者は居なかった。

「普通居るものだ」

 言ってからタマは気付いた。長年魔女という概念に振れていながら何故思いつかなかったのか。友達が居ない。孤独である。それはとりもなおさず、法子が出生や身分等の理由で迫害を受けているという事だ。

「タマちゃん」

「な、なんだね、御主人」

 タマが思わず改まった口調の思念を送ると、法子は冷徹に言った。

「私とあなたは繋がってるんだからね」

「分かっているさ。安心してくれ、私は君を見捨」

「だからあなたが伝えようとしなくても、はっきりとした言葉としてじゃなくても、なんとなくあなたの考えは伝わって来るんだからね」

「ん? ああ、そうだよ。今更言われなくても」

「あのね、多分あなた、私が何か特殊な生まれで、その所為で無視されていると思っているでしょ? そう同情しているでしょ?」

「う……ああ、そうだ。確かに同情されるのは心外だろうが」

「全然見当外れだから」

「何?」

「あのね、私はふっつうの生まれで、別になんにもおかしい所は無くて、周りの人達もわざと私の事を無視してるんじゃないから」

「どういう事だ? なら何故君は周りと話そうとしない」

 タマは本気で困惑している。そんな事在り得るはずが無いと信じ込んでいる。人はすべからく他者と交流をするべきだと信仰している。法子はちくしょうと思った。怒りや悲しみを始め、恥ずかしさや笑い等様々な感情が湧いたが、突き詰めればそれはただ一つの言葉、ちくしょうに収斂された。

「私が話せないから」

「何故?」

「何故も何も人と話すのが苦手だから」

 その言葉は益々タマを困惑させる。

「私とはこうして話しているじゃないか。思念のやり取りだが」

「そうだね。自分でも何でこんなに普通に話せているのか良く分からない。あなたが人じゃないからなのかもね」

「しかし、話すのが苦手とは、分からない。見た所、礼儀は欠けていない。礼を失さなければ人と話すなど特段技術が要るものでもないだろう」

 そんな言葉を言われたら、法子は自嘲するしかなかった。そんな普通の事さえ出来ないのが自分なのだと。

「何話していいのか分からない。話しても嫌われそうで怖い。上手く話せるかどうか分からない。だから話せないの!」

 段々と法子の思念が荒くなってくる。

「そうは言ってもだな、友達との会話なんて話す内容はそれこそ話す内に作っていく物だろう。嫌われるなんてよっぽどの事だ。別に話下手だからって恐れる事は無い。気にする人なんて居ないよ。案ずるより産むが易しだよ。話してみれば良いのさ」

「無理だよ! だってもうみんなグループ作って固まってるもん。今更私が話しかけたって何こいつってなるに決まってるし」

「そんな事は無いだろう」

「なる! 絶対なる! タマちゃんは学校を知らないからそんな事が言えるんだよ!」

「確かに今の学校は知らないかもしれないが」

 法子の息が荒くなる。それを近くで談笑している内の一人が気にして、法子へ視線を送って来た。それに気が付いて、法子は俯く。見られた。一人でぜえぜえ息を荒くしている所を見られた。気持ち悪い奴だと思われた。法子は途端に恥ずかしくなって、興奮していた自分を戒めて、思念を沈ませる。

「それにさ、私、話が下手なだけじゃなくて、皆が知ってる事も知らないし、流行なんて特に分からないし、むしろそういうのつまらないって感じるし、人と一緒に居るのが嫌だし、気持ち悪くなるし、むしろ私が気持ち悪いし、変な匂いがするし、肌も汚いし、油っぽい気がするし、体も曲がってるし、顔も体も貧相だし、運動とか出来ないし、得意な事も無いし、卑屈だし、すぐ落ち込むし、心が汚くて人の悪い所ばっかり見ちゃうし、本当に良いところないし」

 どんどんと法子の自虐が重なっていく。その自虐の大部分が法子の頭の中で形作られ発酵した妄想に過ぎなかった。だが法子はそれを本気で信じている。タマはそんな自虐が出る度に、そんな事無いさと否定していくのだが、法子は聞いていないかのように自虐を続け、タマは聞いていて気が滅入ってきたので、それを止めた。

「分かった。分かったから止まってくれ」

「あ、ごめん。本当にさ、私、話しててもこんなんだし、いっつもこんな事考えてるし」

「分かった。君が自分をどう思っているのかは十分に分かった」

「本当にごめんね。嫌だよね、こんなのと四六時中に一緒にさ。そもそも何で私が選ばれたの?」

「理由は無いよ。君が私を見つけた。運命が噛み合ったからさ」

「多分私よりももっとふさわしい人、居るよ。だから」

 法子が続けようとした思念の上に、タマが思念を覆い被せる。

「私は君が気に入った。私は君を魔法少女にする。だから君から離れるつもりは無い」

「え、な」

 法子の顔が赤くなる。

「べ、別に勝手にすれば。でもきっとすぐ嫌になるよ」

 法子の思念は言葉上、未だに頑なな自己卑下であったが、ほんのりと嬉しそうな思念も伝わって来た。タマも嬉しくなる。これ以上、言葉を重ねると逆に心を閉ざしてしまう可能性もあった。でもその前にどうしても言っておきたかった。

「君は自分の事を駄目だ駄目だと言っていたがな、私からすれば決してそんな事は無い。この世の何処にもいない完全な人間でも目指しているのかい? 君は何処からどう見ても可憐な女の子だ」

「嘘ばっかり」

 言葉ではそう言っているが、やはり喜びの感情が流れてくる。タマはとりあえず言いたい事は言ったので思念を伝える事を止めた。法子から混乱した思念が流れ込んでくる。多分、褒め言葉をどう受け取って良いものか迷っているのだろう。やがて法子がおずおずと思念を伝えてきた。

「ありがとう」

「いや、事実を伝えたまでだ」

「タマちゃんが男の子だったら良いのに」

「性別は君が下らない理由で決めたんだ。今からでも男に換えたらどうかな?」

「ううん、無理。もう私の中でタマちゃんは完全に女の子だから」

「そうかい。まあいいけど」

「タマちゃんが沢山居たらな。百本位居たら賑やかで楽しいのにな」

「やめてくれよ。自分が沢山居るなんて悪夢だろう」

 タマがぼやいていると、教師が入って来た。その後ろに一人の男子が連れていた。クラスは一様に色めき立ったが、法子だけは初めて楽しい朝の時間を過ごせたので満足していた。


 教室の一角、法子の席の少し後ろの席に人だかりが出来ていた。転校生に群がる人々だ。法子は振り返ってそれをちらりと見て、餌に群がる犬の様だと思った。

 転校生は盛大な歓迎と若干の妬みでもって迎えられた。鋭い目つき、高い背丈、最初に入って来た時はクラスの十中八九がとっつきにくそうな威圧感を覚えた。だがその表情には笑みが漂っていて、自己紹介で朗らかに元気よく挨拶を行った瞬間、ほぼ全ての後ろ向きな評価は覆され、後は好意と妬みだけが残った。

 法子はと言うと、タマとの会話の嬉しさを引きずって、空想に耽っていた為に転校生を見る事すらしなかった。それでも辛うじて入ってきた転校生に関する情報は下の名前が将刀という事と、季節外れの転校の理由がありきたりな親の仕事の都合という事だけだった。

 今も人垣に囲まれてその向こうに居る転校生の姿は見えない。顔を戻して机に突っ伏し、どうでもいいやと眠りに入る。だがどうしても耳は後方の人だかりに向いてしまう。

 その時ふと嫌な言葉が耳に入った。

「あそこで寝ているのは?」

 え?

 途端に嫌な汗が全身ににじみ出た。まさか私の事かと法子は焦りつつ、必死で心を落ち着けようとする。

 そうだ、前の席の何とかっていう子も寝ているんだ。だからそっちかもしれない。そりゃそうだ、私になんて注目するはずが無い。

 高鳴る心臓が嫌な予感を告げ続けている。

 また声が聞こえてくる。

「ああ、摩子の事?」

 誰かの言葉に転校生らしき声が答える。

「あのおさげの子」

 法子は自分の髪型を改めて考えて、数秒思考を巡らせて、ようやくおさげだという事に気が付いた。

 私おさげだ。

 でも分からない。まだ私と決まった訳じゃない。他の子かも知れない。

 他の子であります様にと法子は祈りながら耳を澄ませ続けた。

「ああ、あれは、えーっと名前なんだっけ?」

 私じゃありません様に。私じゃありません様に。

「なんだっけ? えーっとね、ちょっと待って、あー、えーっと、あ、法子だ。何とか法子」

 私だー!

「十八娘とかいう変わった苗字の」

「いっつも本読んで誰とも話さない」

 やめてー。

「何かいつもこそこそしてるよね」

「休み時間本読んでばっか」

「たまににやにや笑ってるし」

 やめて。

「そういや話してる所見た事無いな」

「前に話した時ずっと俯いてて感じ悪かったし」

 本当に止めて。

 陰口をたたいているのはごく少数だった。転校生の周りに集まっていた内のほとんどはクラスメイトに対するあからさまな悪口に眉を顰めて、その内の半分はその場を離れていった。

 俯いて背を向けている法子にはその光景が見えなくて、あたかもクラス中が自分の事を馬鹿にして居る様な気がしていた。

「あの子、前に風呂敷持ってきた時あったじゃん」

「あったあった。何かおばあちゃんが持ってそうな古い感じの。お弁当包みだっけ?」

「そうそう。しかもそのお弁当の中身が煮物と梅干とごはんと焼き魚だったの。婆じゃねえんだから」

「あれは笑ったね」

 だって、丁度お母さんが入院してて、おばあちゃんに来てもらって、いつも通りじゃなかったんだもん。それにあのお弁当はおじいちゃん用のお弁当を私が間違って持ってきちゃったからだし。そのお弁当だって忙しくて夕飯の残りをそのままお弁当にしたものだし。おばあちゃんは料理が上手でとっても美味しいし、あの日の私と弟の為のお弁当はフレンチ風の豪華なので。

 そんな言い訳を心に思い浮かべながら、法子は必死にじっとしていた。何か反応すれば、更に陰口を言われる事は目に見えていた。

「うちらのクラス、みんな結構仲良いけどさ、あの子だけ何か浮いてるんだよね」

「ね。壁作ってるよね」

「ホント居るだけで空気悪くなるよね」

「しぃ。それ以上大きな声出すと聞こえるよ」

 もう聞こえてる。

 法子は俯きながら心の中で力の無いつっこみを入れた。

 やっぱり私、みんなに嫌われてたんだ。

 クラスに溶け込めていない事は法子自身分かっていたし、多分良い思いをされていないだろうとも覚悟していたけれど、実際に周囲の心を聞かされると覚悟なんて易々と貫いて、酷い悲しみが法子の中に突き抜けてきた。

 鼻の奥が痛くなって思わず鼻根に指先を持っていく。当然、そんな事をしても痛みが取れる訳が無い。鼻根に添えた指の先に目から流れてきた液体が触れて、法子はいたたまれなくなって更に強く突っ伏した。

「そういえばいつもノートに何か書いてるよね」

「前見たらへたっくそな絵が」

「なあ、そんな事は良いからさ」

 転校生が話を遮った。

 法子はようやく自分に対する陰口が終わった事に安堵しつつ、同時に転校生が自分に対して何の興味も持っていない事が分かって、嬉しい様な悲しい様な気持ちになった。悪目立ちするのは嫌だけれど、見られないのは寂しい。普通の人は簡単に両立して自分を主張しているのに、自分にはそれが出来ないと思うとやはり悲しみの方が大きくなった。

 転校生が次の言葉を接ごうとした時に、丁度教師が入って来て、同時に予鈴が鳴る。授業の始まりに当たって、クラスメイト達は各々の席に戻り、法子は自分の席についたまま俯いて震え続けた。朝の嬉しさも忘れて、法子はその日の学校が終わるまで、ずっとずっと泣くのをこらえながら俯き続けた。


 帰り道、俯く法子にタマが言った。

「ちょっといいかな」

 何とか落ち込み続けている法子を励ましたくて声を掛けたけれど、何と言ったものか分からなくて、一瞬言葉に詰まる。

 単純な励ましをかけても、拒絶されるだろう。それは今日一日落ち込む法子を励まそうとし続けた事で分かっている。同情にしか聞こえない様だった。

 ならば気を紛らわせ、落ち込んだ時の事を忘れさせてしまうのが良いだろうと思った。

 だからタマは今日、周囲の話を聞き耳して得た情報を開示してみた。

「最近、この近くに大きな店の集まりが出来たそうだよ。アトランと言ったかな? 何でもそこに国内最大の魔術専門店があるそうだ。出来れば後学の為に行ってみたいのだが」

 きっと法子も気に入るだろうと思って、その話題を振ったのだが、

「ごめん、そんな気分じゃない」

「そうか」

 そうしてまた沈黙が降りた。


 法子は俯いたまま、あの公園へと足を向けた。

 誰も居ない公園。四方を囲むマンションが影を作りだして、その影によって辺りが閉ざされる気がした。法子はブランコに歩み寄って、勢いよく坐り、思いっきり漕ぐ。筋肉痛の痛みすら、嫌な事を忘れる為の清涼剤に換えて、法子は漕ぎに漕ぐ。

「なあ、パンツ見えるぞ」

「ぴぎゃ」

 思いっきり地面に靴を突き立てて、何とか急停止し、恐る恐る後ろを振り向くと、そこには昨日ノートの中身を見て失礼な事を言った男子が居た。

「ああ!」

 法子が叫びながらその男子を指した。指された男子は溜息を吐いた。

「なあ、あんた、十八娘法子だっけ? もうちょっと周りを見て行動した方が良いよ」

 余計な御世話だと沸騰しかけたのは一瞬で、すぐに相手が自分の名前を知っている事に引っかかって何も言えなくなった。

 何処で名前を知られたか思いを巡らせても一向に分からない。何処かで会っただろうか。美形、背が高い、プラス失礼。会ったら忘れそうにない相手だ。けれど昨日会った以外に覚えがない。まさか小さい頃遊んだとか? それで結婚の約束をしていたり? と段々脱線し始めた思考は、記憶の引っかかりが現れた事で躓いて止まった。

 この男子の声、何だか聞いた事のある声だ。昨日じゃなく、更に最近。法子の行動範囲は限られている。すぐに自分の関わった人々が頭の中に網羅され、そうしてすぐに思い当たった。

「あ、転校生」

「そうだけど」

 変な事言っちゃった。法子は自分の口走った言葉を反省した。今日一日、ずっと俯いていた為に、転校生の顔を見られなかった。しかし転校生からすれば、あの時クラスに居た全員が自分の事を見知ったと期待しているはずだ。その期待を裏切ればどんな逆恨みをされるか分からない。

 とりあえず、ここは何とか和やかなムードにして退散しなければならない。法子は必死に会話の方法論を頭の中に思い浮かべて言った。

「えーっと、将刀君」

 相手の名前を呼ぶ事が仲良くなる第一歩。苗字で呼ぼうと思ったけれど、残念ながら苗字を知らないので仕方が無い。

「ああ、野上将刀っていう。よろしく」

「うん、よろしく」

 とりあえずの挨拶を済ませ、法子は次の会話を考える。

 だが既に万策は尽きていた。

 話題も何も持たない法子に会話を接ぐ力はない。興味のほとんどをフィクションの世界に向ける法子にとっては、天気の話すらも困難だ。今日が雨だろうが何だろうがどうでも良い。だからそれに対する感想も言う事が出来ない。

 会話が出来ずに、法子が心の中で右往左往していると、先に将刀が口を開いてくれた。

「学校、嫌いなの?」

「え?」

「楽しそうにしてなかったから」

 何で急にそんな話題を? 今日来た転校生に言われる程、楽しそうではなかったのか。まあ、その通りではあるけれど。

 法子は恥ずかしい気持ちで一杯になって、口すら満足に開けない。黙っている法子を見て将刀はふっと笑った。

「まあ、分からなくはないよ。俺もあんな陰口を言うクラスは嫌だ」

「ち、違うよ!」

 思わず法子は叫んでいた。

「あれは私が悪いだけだから」

 そう、誰もがしている当たり前の事をまともに出来ない自分が悪いのだ。自分がもっとちゃんとしていればあんな事は言われない。言われるだけの理由がある。それなのにこの転校生はクラスの人達を悪く言うなんて。転校してきたばかりで何も知らないくせに。

 そう考えるうちに、本当に自分は駄目な奴だなと嫌な気持ちになった。

 きっとこの転校生は孤立した私に同情して気を使ってくれたのだ。それなのに、その優しさを不快に感じてしまった。もう私は他人の優しさすらまともに受ける事が出来ない。

 どんどんと思考の泥沼にはまって、法子はいたたまれなくなって、その場を後にする事に決めた。

「とにかく違うから。悪いのは私だから」

 ぼそぼそとそれだけ言って、法子は背を向け、公園の出口へと向かう。

 その背後に向けて転校生が言い放つ。

「だったら笑って話せば良いだろ。そうすればあんな事は言われないし、あんただってそっちの方が幸せなはずだ」

 それを聞いて、法子はもうその場に居られなくなって、走り出した。

 そんな事は分かっている。そんな事は分かっているけれど、それが出来ないから苦しいんだ。それが出来れば苦労しない。それなのにあの転校生は無神経にもあんな事を言った。

 走って走って。息苦しくて死にそうになってもまだ走って。

 ああ、分かっている。あの転校生にとってそれは当たり前の事で、至極簡単な事なんだ。だからそれが出来ない私がやっぱりおかしいんだ。

 家の前まで来て、玄関を開けて、自室に飛び込んで、ベッドの上に転がって、ポケットからタマを取り出して、そうして強く握りしめた。

「法子」

「変身させて」

「法子、あまり思いつめちゃいけないよ」

「良いから変身させて。私はあなたと契約する」

 タマはしばし沈黙していたが、やがて法子の服装が変わり、髪の色が変わり、法子は魔法少女になる。魔法少女になった法子は煮えたぎる様な薄気味の悪い悲しみの猛るままに、窓の外へと飛び出した。

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