狩りに向けて
「神様!」
法子は祈っていた。見た事もない名前すら分からない漠然としたイメージの神様に。
自分の思いを伝えられる様に。
自分が駄目な事は分かってる。
いつも上手くいかないから、この告白だってきっとふられて終わってしまうんだろうって分かってる。
どんなに頑張ってみたって、どんなに決意を固めたって、どんなに強く願ったって、その思いが叶わない事があるなんて事は分かってる。
むしろ空回りして、悪い結果を引き寄せてしまう事があるんだって知っている。
でも好きなんだ。
振られたって良い。それなら次は付き合える様に自分を磨くから。例え今好きになってもらえなくても、いつか好きになってもらえる様に頑張るから。それが反対に嫌われる事になっても、それでも頑張って頑張って、いつかは好きになってもらえる様に頑張るから。
だからこの思いを伝えたい。この思いを伝えればこれから頑張れるから。そのきっかけに出来るから。
だから、お願いだから、神様、今だけは助けてください。
成功なんて望まない。ただちょっとだけ、この気持を口に出して将刀君に伝えられるだけの勇気を下さい。この言葉を将刀君へ届けてください。
法子は息を吸って自分の中で膨れ上がる思いを少しずつ整理していって、そうして自分の中の埋もれていた勇気を引っ張りだした。
言う。言うんだ。好きだって。
お願い。神様。
私の気持ちが将刀君に届きます様に!
「か~み~さ~ま~!」
その瞬間、横から体当たりを食らって、法子は伝えようとした言葉と共に椅子を巻き込んで盛大に倒れた。
「お久しぶりです、神様! エミリーですよ! また会いに来ました!」
そんな声が聞こえてくる。お腹に変な感触がある。
「法子さん! 大丈夫?」
ぼんやりと将刀の姿が見える。自分が床に倒れている事を知る。自分のお腹を見ると、金色の髪がへばりついている。それは人の様だった。
そこで自分に何があったのかを悟る。
法子は、涙が出そうになった。
失敗した。失敗する事は予想していた。けれどまさか、伝える事すら出来ないなんて。
何が悪いかなんて決まってる。
自分だ。
やっぱり駄目だったんだ。そういう運命だったんだ。告白なんて出来る訳が無かったんだ。なんて、なんて駄目な人間なんだろう。
お腹に絡まった金髪が離れていく。重石が消えたので、法子は立ち上がった。
「大丈夫、法子さん」
将刀が心配してくれる。とても近くに将刀が居る。
「うん、大丈夫」
答えながら、法子は自分の間違いに気が付いた。
心の何処かで、もしかしたら将刀と付き合えるんじゃないかという心があった。むしろ告白しようとしていた時に繰り返していた否定的な言葉とは裏腹に、そうなってくれると心の何処かで信じていた。ふられたら頑張ろうなんて考えていたけれど、全然ちゃんと考えていなかった。
もしも、もしも告白してふられたら、きっとこうして将刀に心配してもらう事も無くなる。それどころか一緒に居る事すら出来なくなっていたかもしれない。
そう考えると、この結果はむしろ良かったのかもしれない。
法子の袖が引っ張られる。横を向くと、エミリーが不安そうに法子の顔色を窺っていた。
「私は大変な事をしてしまいましたか?」
法子が首を横にふる。
「そんな事無いです。ありがとうございました」
エミリーの顔がぱっと明るくなる。そして口を開いて何かを言おうとした。
その時、怒鳴り声が響いた。
「お前、何やってんだ!」
二つの声音が重なっていた。一つは聞き覚えのある声だ。声のした方を見ると、陽蜜が恐ろしい形相で走ってくる。
「折角良いところだったのに、何邪魔してんだ!」
「だ、大丈夫。助かったから」
「法子、何言ってんの? ほんともう良いところだったのに!」
法子が首を振る。
陽蜜がエミリーを睨む。
エミリーは自信無さげにうつむいている。
「だって、神様に会えて嬉しかったんです。それに神様も許しくれてます」
「お前な!」
陽蜜が更に責めようとした時、別の方角から怒鳴り声が聞こえた。
「エミリー、お前何他人様に迷惑かけてんだ!」
聞き覚えのある声だが、思い出せない。確か何処かで。
法子が声のした方を見る。男性が凄い形相で歩いてくる。
やっぱり見覚えがある。何処かで。
エミリーが怯えて法子の後ろに隠れた。
「ゆ、幽霊!」
「幽霊じゃねぇ!」
二人が言い争う。
「さっきから人を変な風に呼びやがって」
「変じゃないです。あなたにふさわしい正当な呼称です! どうして? 警察に捕まったはずなのに」
「お前に痴漢呼ばわりした所為で、捕まりそうになったんだろ!」
「だって手を掴んで離してくれないからです!」
「勝手にどっかへふらふら行こうとするからだ! 誤解を解くのがどれだけ大変だったか」
法子は自分越しの言い合いにどうして良いか分からず硬直している。
「あ」
言い合っている男性を見続けている内に、法子はようやく思い出した。中学校で死体を操る魔術師にやられそうになった時に助けてくれたヒーローだ。
徳間が法子を見る。
「ん?」
法子は思わず身を竦めた。
今この場には陽蜜と将刀が居る。もしも自分の正体をばらされたらどうしようと怖くなった。
徳間が法子の事を不思議そうに見た後、将刀と陽蜜へも視線をやって、エミリーに尋ねた。
「お前が言ってたのはこいつらか?」
エミリーが法子の背後から顔を出して答える。
「そうです!」
「そうか」
徳間はまた法子達を見る。
けれどその表情は法子の事等知らぬ気な様子だった。そういえば変身中は決して正体がばれないんだったと思い出した。
「あれ? どうしたの?」
摩子と武志がトレイを持って徳間の背後に現れた。皆の視線が摩子へ集まる。徳間も後ろを振り向いて摩子と顔を合わせた。その一瞬、摩子の表情が微かに強張った。それはほんの僅かな間に消え去って、摩子はいつもの笑顔でエミリーと徳間を指さした。
「さっきの子だよね? どうしてここに? それにこっちの人は?」
「しんないよ。その子が法子の邪魔したんだ」
「ふーん」
摩子が、陽蜜の吐き捨てる様な言葉を聞いて、しばらく考えてから徳間に向いた。
「何か用ですか?」
「いや、別に俺は」
徳間が困った様子で摩子を見返した。
その様子を眺めながら法子も疑問に思う。二人は一体何の目的でこの場に来たのだろう。何だか治安維持を行なっているみたいだし、最近の事件と関係があるのだろうか。もしかしてこの辺りにも誰か凶悪な犯罪者が居るとか?
そんな訳ないか。
どう見ても今の徳間からそんな切羽詰まった雰囲気は感じない。となると遊びにきたのだろうか。エミリーという少女と? 齢は親子という程離れていない。けれど兄弟には見えない。もしかして恋人かとも思うけれど、少し齢が離れているし、そう考えるとやっぱり親子なのだろうか。似ていないけれど。そもそも日本人と外国人だし。ハーフ? お父さん、ちょっと似合ってるかも。
取り留めもなく考えていって、ふと自分が結婚した時の事が思い浮かべた。エミリーの様な無邪気な子供が居て、隣に優しい夫が居て。思い浮かぶ夫は将刀の姿をしている。きっと良いお父さんになってくれるに違いない。その時自分は良い妻に、母親に、なれるだろうか。将刀がみんなに自慢出来る様な伴侶になれるだろうか。
なれなそうだなぁと落ち込んでいると、袖が引かれた。
振り返ると、エミリーが真剣な表情で法子の事を見つめていた。
「そうです! 私は神様に伝えなくちゃいけない事があります!」
「え?」
唐突な言葉に面食らって、法子は一歩退いた。
徳間の目が細まる。
「良いですか? お願いなのです!」
「何が? ですか?」
「決して今日病院に行かないでください!」
「病院?」
「はい! 理由は言えませんが、今日が終わる頃に病院でとても大変な事が起こるのです!」
「大変ってどんな」
「とても大変な事です! 大勢死んでしまうかもしれないのです!」
法子の呼吸が止まりそうになる。
「何それ」
「だから決して病院に行かないで欲しいのです! お願いです!」
病院で一体何が。
法子の混乱が収まる前に、エミリーが法子から離れた。
「私はもうその大変な事を止める為に行かなくちゃいけません。だから、とにかくお願いです。どうしても病院には来てはいけません!」
それは、別に。
「最初から行く気なかったですけど」
法子がそう言うと、エミリーが晴れやかに笑ってくるりと一回転してから、雑踏に紛れる為に駆け出していった。
「エミリー! 何だったんだ? おい!」
その後に徳間が続く。
何だったんだろうと思っていると、入れ替わる様に叶已と実里が戻ってきた。何故か両隣に同じ位の年頃の怖そうな男子を引き連れて、トレイをもたせている。
「どうしたの? 何か話し合ってたみたいだけど」
「いや、別に。それより、その二人誰だよ」
陽蜜が叶已達の両隣に立つ男達を睨む。
法子の目には不良にしか見えない。もしかして叶已と実里は不良に脅されてるんじゃないかと不安になった。法子が怯えながらどうしようと不安に思っていると、叶已があっさりと言ってのけた。
「ただの後輩です。はい、荷物持ちご苦労様でした」
叶已は追い払う様な仕草で手を振った後、トレイを奪い取った。
「は? ちょっと。そんだけ?」
「何か良さ気な知り合い居るじゃないっすか。折角だし紹介してよ」
「良いから消えてください」
叶已が脛をけると、蹴られた男ともう一人は愚痴を言いながら去っていった。叶已がその背中にトレイの上の紙を丸めて投げつけると、投げられた男達は大声で文句を言い、叶已がもう一度投げる素振りを見せた瞬間、謝りながら駆け去っていった。
法子には訳が分からない。
何だったんだろう今の。
「何だったんですか、本当に。遠目だと陽蜜が喧嘩していた様に見えましたけれど」
「違う違う。あれはただ、あの変なのが法子の邪魔をしたから」
「邪魔?」
「そう、折角法子が」
そこで陽蜜は口を噤み、法子と将刀を見てから、叶已に答えた。
「とにかく法子を転ばしたから抗議したんだよ」
「法子さんの邪魔というのは?」
「良いだろもう! そうだ、それよりさっきの変な子が言ってたんだけど、病院で大変な事が起こるんだって」
「大変な事って何ですか?」
「分かんないけど、沢山人が死ぬかもしれないって」
「もしかしてまた爆発が?」
「かもね」
陽蜜が席に座りながら笑った。
「な訳で、今日病院に行こう!」
「え?」
法子と摩子が同時に声を上げた。
「そんな、危ないよ」
摩子が言う。法子も同意見なので頷いた。
「何言ってんだよ。止めなくちゃ沢山人が死ぬかもしれないんだよ?」
「だって、危ないよ。それにさっきの子が止めるって言ってたでしょ?」
「人数は多い方が良いじゃん。っていうか、さっきの子より絶対私の方が止められるし」
「でも、そんな危ないじゃん!」
「じゃあ、良いよ。摩子は来なくて。私達だけで行くから。ね、法子」
法子は突然話題の真ん中に放り込まれて戸惑った。
「ほら、法子ちゃん困ってるよ」
「そんな事無いよ。どうやって摩子を説得しようか迷ってるだけだよ」
法子は考えた。
今日病院で何かが起ころうとしている。普通ならこの情報は疑わしい。ただの冗談にしかならない。けれど町で沢山の異常な事が起こっている今、決して笑い飛ばせない。もしかしたら本当に、と考えてしまう。そして病院で何かが起こるというのは他人事ではない。入院した時にはお世話になったし、同じ病室の女の子や切ってしまった男の子が、あの病院には居る。
それなら万が一を考えて止めに行かなくちゃいけない。それを止められるかもしれない魔法少女という力だって持っている。本来なら迷う事無く病院へ乗り込んでいただろう。
けれど陽蜜達と一緒に行くのなら話は別だ。陽蜜達が危険に巻き込まれてしまうし、自分の正体もばれてしまうかもしれない。だから一番良いのは陽蜜達が病院に行かなくて、その上で法子が変身して病院に行く事だ。でも陽蜜の様子を見る限り、病院に行くという意見を曲げそうにない。ならどうすれば良いだろう。
正体をばらす覚悟で一緒に行くか。正体を隠す為に一緒に行かないか。
考えるまでも無かった。
「私も一緒に行く」
だってもしも一緒に行かなかったら、のりが悪いと嫌われてしまうかもしれないから。
正体がばれるとか、動きづらくなるだとかよりも、陽蜜達から嫌われてしまう事の方がよっぽど怖い。
「そんな、法子ちゃん」
「さあ、摩子はどうする?」
摩子がうーと唸ってから、頷いた。
「分かったよ。一緒に行く」
「決定! じゃあ、あの子は今日が終わる頃に何か起こるって言ってたから、その前の十一時に病院の前ね」
ふと法子は将刀の昔話を思い出した。
魔物を呼び寄せる位に魔力を持っていたからみんなから嫌われたという話。
それなら自分も嫌われる。魔法少女になった自分も同じ様に魔物を呼び寄せているのだろうし。そうでなくても世間から見れば過剰な力で子供を傷つけたお騒がせヒーローなのだ。みんなから嫌われている悪者なのだ。
つまりそれは、正体がばれれば陽蜜達に嫌われてしまうという事。
法子の背に恐怖が走った。
「じゃあ、この後遊ぼうと思ってたけど、取り止め! みんな帰って夜に備えて寝ておく事!」
どんどんと病院に行く計画が練られていく中で、法子の胸に早まったかもしれないという不安が急速に膨らんでいった。
「何だ。誘いだすとか言って、結局止めたんだな。やっぱり一般人を巻き込むのは嫌だったのか?」
エミリーに追いついた徳間が安心した様に言った。
その姿を一瞥して、エミリーが溜息を吐く。
「徳間、あなたは馬鹿ですね」
「何? 一応これでも大学は主席で入ってんだよ」
「勉強の出来る馬鹿。英語で挨拶もまともに出来ないですし」
「ぐっ、ちょっと否定出来ない。そうは言っても、そんな間違った事言ったか? ああ言ったんだし、あの子達は病院に来ないだろ。それともお前の言ってた鍵っていうのはあの子達じゃなかったのか?」
エミリーが呆れた様子で徳間をじっと見た。
「何だよ」
「来ますよ、絶対。神様達は絶対に来ます」
「何でだよ」
「少なくとも神様は困っている人を放っておけないからです。一生懸命な姿で危機を訴えれば放っておけません」
徳間が言葉を詰まらせた。無言のまま法子達の元へ駆けようとするのを、エミリーが止めた。
「今から説得しに言っても無駄ですよ。どう説得しようとその説得が事件の信憑性と深刻度を高めて、来る可能性がより高くなります」
「お前!」
「さあ、行きましょう。狩りの時間はもうすぐです」
エミリーが無邪気な微笑みを徳間に向けた。
「見ろ、サンフ! このクーポンというのを使えば、パスタが半額になるらしいぞ!」
得意気に言うルーマをサンフが悲しげに諭す。
「お言葉ですが、ルーマ様。魔王の息子ともあろうお方が、そんなせこい事を言わないでください」
「馬鹿を言え! 資源は有限だ。上に立つ者は誰よりも手中の財産を大切に思わねばならない」
そう言って、ルーマが嬉々として店員にクーポンを見せている。
サンフは溜息を吐いて、話題を変える。
「法子さんは駄目でしたね」
「ああ、何か邪魔者が入っていたからな。あの邪魔者中々の手練に見えた。それに何より、あの男も居たぞ! ああ、一度手合わせ願いたいのだが」
「恋の魔法にはまだまだ届きそうに無いですね」
「まあ、そう簡単に出来るとは思っていないさ。とりあえず今は法子が元気になった事を喜ばしく思うべきだろう」
「随分とご執心なのですね。もしや好き等と言うのではないでしょうね」
「好きだぞ」
サンフが固まった。
「お! 見ろ、サンフ。もう料理がやってきたぞ。即席で作った割に、中々繕ってあるじゃないか。うん、それに味も不味くは無い。異文化から取り入れるものと言えばまず食事だが、この辺りは是非我が国でも見習わなければな。例えば遠征をするならこういった食事があると違うだろう」
はしゃいでいるルーマをサンフが制す。
「ちょっと待ってください、ルーマ様」
「何だ? 冷めるぞ?」
「もしや交際しよう等と考えてはおりませんよね?」
「出来る事なら付き合いを深めていきたいが?」
「付き合いたい?」
「勿論だとも」
再びサンフが固まった。
ルーマは不思議そうに、固まったサンフを眺めてから、サンフの前に並べられた料理をフォークで指し示した。
「料理は気に入らなかったか? なら食べて良いか?」
サンフは彫刻の様に静止したまま動かなかった。