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閑話 即興仮面劇

 死者七十九名。

 それが今回の事件の中で、最も初めに記録された死者の数だ。

 死者七十九名。

 この具体的で深刻な数字は明確な恐怖を人々に与え、町を混乱に陥れるはずだった。

 だがその現実は幻に変わる。

 死者七十九名は一日も経たぬ内に、公式的な記録から消された。消された現実は曖昧な噂へと変わって町中に広がっていく。

 こうして町はまた漠然とした不安に覆われて漫然と過ごしていく。


 彼、フェアリーにとって、世界とは自分を表現する為の舞台に過ぎない。

 逆説的に周囲が居なければ彼ははっきりとした個を持たない。

 彼は記憶喪失者であり、ある時を境に以前の記憶を持っていない。彼に残されたのは他者を魅了する美しい容姿だけである。それ以外には、世界の何処を探しても残されたものは存在しなかった、

 だから彼は虚構で自分を彩っている。透明な自分にペンキを塗りたくって辛うじて姿を浮き上がらせている。


 彼女、美和子にとって、自分とは世界を構築する為の道具に過ぎない。

 変質的なまでに自己をないがしろにする彼女ははっきりとした自己を認めない。

 彼女は部品である。世界に物を生み出す部品である。彼女が持っているのは世界に本物を生み出す能力であり、今や世界のあらゆるところに彼女の作り出した紛い物の本物が存在している。

 だから彼女は自己を認めない。自分すらもこの虚構の世界の中だけに存在出来るのだと信じて、世界を作り出していく精巧な部品だと信じて、今日も世界の狂いを生み出している。


 そこは画一的な形をした家並みの間に存在する広々としたカフェだった。具体的に言えば、その辺りの家を二つ並べた広さで、並行する道路のどちらにも面していた。道路に面するどちらの側にも入り口が付いていた。偶に注文もせずに店の中を突っ切って逆の道路に行く者も居た。

 店の中は平日の朝にしてはかなりの賑わいを見せていて、皆楽しそうに談話していた。

 店の中央に一人の女性が居た。通勤途中のOLといった雰囲気で、落ち着いた様子でコーヒーを飲みながら文庫本を片手に持っている。親指で器用にページをめくり、コーヒーを啜り、ページからは目を離さない。カップを置くと湯気が再び立ち上り、暖房の風に揺られて賑わいの中に消える。

 そんな朝に相応しい落ち着いた雰囲気を、硬質な靴音が打ち砕いた。

 女性が目を上げると、美しい男性が立っていた。店内だというのに大きなマントを身に着けていて、その容姿と相まって演劇の中に出てくる貴公子然とした吸血鬼に見えた。そう教えられれば、そう信じていたであろう位にはまっていた。

 その人並み外れた雰囲気を持った男性はにっこりと笑った。

「こんにちは」

 女性も文庫本を閉じて笑みを返す。

「ええ、こんにちは。何か御用ですか?」

「はい」

「何処かであったかしら?」

「いいえ」

「じゃあ、ナンパ?」

「いいえ」

「じゃあ、何かしら」

「はい。歪みを正しに」

「歪み?」

「はい。私はかつて人間の王と約束したのです。この世界が間違った方向へ進もうとするのであれば正すと。ですから私は、精霊の王として今この場にある歪みを正さねばなりません」

「訳が分からないわね」

「いいえ、そんな事はありません。あなたは分かっているはずです。この店が、この場に居る人々が間違っている事を」

「馬鹿な事を言わないで。間違っているって何? ここに居る人達も、この店もちゃんと生まれて、ここに居る」

「いいえ、彼等は本来であればここに居なかった人達だ。この店は本当ならここになかったはずの物だ」

「現にここに居るじゃない。ここにあるじゃない。例えかつて無かったとしても、今はある。世界は常に変化している。今ここに在るものは確かにここに存在している」

「いいえ。全てあなたの手によって作られて物。本来であればこの世界になかった物。この世界の歪みです」

「人の手で生み出した物が歪みなら、人間も文明も全部歪みじゃない」

「いいえ。ここにある物は全て過去を持たない物。それなのにあなたが過去を付与してしまっている物。あるはずの無い過去を勝手に作り上げて世界を騙している。その所為で世界が歪んでいる」

「世界が歪むって何? 世界の真っ直ぐな形があなたに分かるの? ケーキみたいに、これはスポンジが歪んでる、クリームののりが悪い、彩色のバランスが悪いなんて判断できるの? そんな訳が無い。世界はどんな形であっても、その姿であるからにはその世界は正しい。歪んだ世界なんてありえない」

「いいえ、歪んでいます」

「どうして? 歪んでるなんてどうしてそんな事があなたに分かるの?」

「はい。何故なら私の呪いはその歪みを殺すからです」

 男性が手を胸の辺りに上げ、少し振って拳を握り込んだ。突然、耳をつんざく金属音が鳴り渡った。

 隣の席に座る男性がフォークを首に刺して死んだ。

 向こうでは女性が子供の首を絞めて折った。店員がその頭にガラスの灰皿が叩き付けた。天井の壁が崩壊して人が押し潰された。惨劇は瞬く間に始まり、全てを殺して、瞬く間に終わった。

 話し合っていた男性と女性を残してその場に居た人々が死んだ。

「私の呪いで死んだ以上、彼等は世界の歪みです」

 女性は惨劇の演じられた周囲を見回してから、男性を見上げて、口の端を釣り上げた。

「酷い事をするのね」

「はい。精霊の王としての役目です」

「割り込みをかける魔術って事かしら」

「いいえ、歪みを殺す呪いです」

「困ったわね。これじゃあ世界がどんどん壊されちゃうわ」

「これ以上、世界を歪める事を止めてください」

「そうはいかないわよ。さて、どうしたものかしら」

 女性は椅子の背もたれに背中を預けて溜息を吐くと、本を真上に放り投げた。

「ブックマン!」

 本が解けて、無数の紙になり、紙が増殖して天井をぶち破る程巨大な人の形を作る。

 男性は紙の巨人を見上げ、けたたましい金属音が響き、巨人は炎に包まれて崩れた。

 燃える紙の束が男性へと降りかかる。再び金属音がして、紙が霧散する。

「銃撃! 無限の銃撃!」

 発砲音がした。空間の一点から煙が上る。金属音がする。銃弾が消える。発砲音が連鎖する。煙が辺りを包む。金属音が連鎖する。現れた銃撃が全て消える。硝煙が辺りにたちこめ、次々に銃声が鳴る中で、男は息を吐いた。一際大きな金属音が鳴り響いて、撃ち鳴っていた発砲音が途絶えた。煙もまた消えた。

 静寂の降りた中で女性は呟いた。

「驚いた。最悪に相性が悪いじゃない。盾」

 男性が拳銃を取り出し撃った。女性の前に盾が浮かんで居た。銃弾が盾に弾かれる。

 再び金属音が鳴り盾が崩れる。

「盾」

 女性が呟く。

 男性の銃から銃弾が放たれ、盾に弾かれ、金属音が鳴る。

 女性が笑う。

「幾ら相性が悪くとも、格下に殺される私じゃないわ」

 その時、ぺたりと足元から音がした。見下ろすと、男性の足元のすぐそばに人間の足跡を小さくした様な跡がついていた。またぺたりと音がする。ぺたりぺたりとまるで見えない何かが歩いている様に足跡が男性の周りを覆う。

「何かしら?」

 不思議そうに尋ねる女性に、男性は金属音と銃声で答えた。「盾」再び盾に弾かれる。もう一発二発三発と放ち、全てを盾に弾かれる。男性が再び引き金を引くが、撃鉄が落ちるだけで弾は出なかった。男性は弾の切れた銃を見下ろして、何度か引き金を引いて弾が出ない事を確認してから、ぎこちない手つきで弾を込め始める。

「間抜けね」

 女性は呆れた様に被りを振り、そうして呟いた。

「死を与える鎌」

 男性の背後に鎌が現れる。男性は気づいていない。足元ではぺたぺたと音が鳴っている。

 女性がにっこり笑うと、鎌が横に薙がれた。

 ぺたぺたという音が大きくなる。

 薙がれた鎌が突然消え、女性の背後に現れて、女性の体を二つに切った。

 ぺたぺたという音がする。

「成程ね」

 二つに切られた女性はすぐさまくっついて意地悪そうに笑った。

「相手の魔術を乗っ取る魔術? それがあなたの切り札かしら? 甘いわね。甘い甘い。さっきの行動はあまりにも嘘くさ過ぎる」

 男性は無言で拳を握った。金属音が辺りに鳴り響く。

 だが何も起こらない。

 女性の笑みが濃くなる。

「残念ね。傷を治した魔術に干渉しようとしたんでしょう? 無理よ無理。あなたの魔術の特性じゃ不可能よ」

 女性はそう言ってから、悩む様に頭を掻いて天井を見上げた。

「ふう、さてどうしたものかしら。私の攻撃は効かないし。本当に相性が悪いわね」

 女性が悩んでいると、

「どうやら違うようですね」

男性が背を向けて店の外へと向かい始めた。

 女性が慌てる。

「え? ちょっと! いきなりどうしたの?」

「あなたは悪人では無さそうだ。歪みを正した以上、目的は果たしました。これ以上戦う必要はない」

「何で! 折角面白くなってきたのに!」

「僕は面白くなかったです。あからさまに手加減されていてはね」

「じゃあ、本気でやるから!」

「あなたが悪人でないなら、これ以上は無駄です。無駄死には御免だ」

「そんな、ねえ、あ、そうだ、ほら、放っておいたら世界の歪みをどんどん作っちゃうよ」

 男性が振り向いて笑みを向けた。

「ならその時にまたお相手いただきましょう」

 そうしてまた背を向けた。

「何カッコつけてんの! なら、ほら、今作るから。コーヒーカップ!」

 女性が作り出したカップを捧げ持つ。

 男性は振り向く事無く外に出て、金属音が鳴り、カップが弾け飛んだ。

「痛い! ちょっと! 酷い! 顔に傷が付いた! 責任とって! 責任とって戦え! ねえ!」

 店を出た男性は一顧だにせず、右へ曲がり、店の窓に横顔を晒しながら道に沿って歩いていく。

「ねえ! ホントに言っちゃうの? それは無いでしょ? こんな中途半端で! 惨過ぎる!」

 騒ぐ女性などどこ吹く風で、男性はやがて店の窓を横切りきって、そのまま去っていく。その時金属音が鳴り、店の崩壊が始まった。崩壊する店の中から女性の声が響いて来る。

「うわ! 何これ! 何で天井が! あ、そうか! この店も私が作ったから! って、潰れる! 潰れちゃう! 戦う必要が無いとか言って殺す気満々でしょ、あんた! ねえ! おーい! 聞いてるー? 私、死んじゃうー! ねえ、チャンスだよー! ほらー! うわ、ホントに当たる! ああ、もう! ワープ装置!」

 やがて店は完全に崩れ落ち、後には瓦礫と死体だけが残った。

 瓦礫の下から運び出された遺体のほとんどは身分を明かす物を身に着けていた為に、身元はすぐに判明した。家族があり、友人があり、恋人があり、戸籍があり、過去があり、職場があり、学校があり、何から何まで全うな人間であった。少なくとも警察の調査では、彼等が二日前に突如として存在した紛い物だ等とは判明しなかった。時間を掛ければ分かったのかもしれないが、上からやって来た圧力が捜査の中止を決定させた為に、全ては闇へと葬られた。


 死者七十九名。紛い物達の死は事実から噂に変わり、住民の不安を更に加速させていく。

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