あなたを思うちっぽけな私
「あ、法子さん」
法子が外に出ると男子の低い声が聞こえた。聞き覚えのある声に法子が顔を向けると、将刀が立っていた。将刀は法子を驚いた様子で見つめていたが、やがて「良かった」と言って微笑んだ。
陽蜜が固まっている法子の後ろに回る。
「丁度良いじゃん。誘っちゃいなよ」
法子は慌てて振り返る。
「誘うって、何?」
「将刀君を誘ってさ、デート、行っちゃえば?」
「デート?」
「そう、デート。丁度学校休みなんだしさ。私達の事は良いからさ。二人っきりで」
法子は陽蜜の言葉をゆっくりと咀嚼し終えてから、猛烈な勢いで首を左右に振り回した。
「無理無理無理。そ、そんなの絶対出来ないよ。二人っきりなんて」
「大丈夫だって。行けるよ。誘っちゃえ」
「駄目。無理です。絶対無理」
陽蜜は呆れた表情をして、「仕方が無いなぁ」と呟いた。そうして摩子の傍に寄って何事か囁いた。摩子が頷いて電話をかけ始める。陽蜜が笑顔になる。
「よし! ねえ、将刀君」
陽蜜が笑顔を浮かべたまま将刀へと近付いた。将刀は不思議そうな顔で陽蜜を眺める。
「っと、名場さん、何?」
「名字なんて止めてよ。あたし等クラスメイトでしょ? 名前で呼んでって。陽蜜に実里に摩子に叶已に、それから法子! 良い?」
「えっと、ああ、分かった。で、どうしたの、陽蜜さん」
「うん、私達これから遊びに行くんだけど、将刀君も一緒に行かない?」
「遊びに?」
将刀が心底困惑した表情で聞き返した。
「学校はどうするんだよ」
「どうするって、爆発があったから休みじゃん」
「え? そうなのか? 爆発?」
今度は陽蜜が不思議そうな顔をした。
「そうなのかって、知らないの? さっき連絡網回ってたのに」
「結構前に家でたから」
「だって、親から連絡来るでしょ?」
そう言って、陽蜜がスマートフォンを取り出して左右に振った。
「いや、俺は今一人暮らしだから。いや……いや、うん、一応一人暮らしだから」
「ふーん、でもじゃあ、何でこんな時間にここに居る訳? だってもう学校始まってる時間なのに」
「いや、それは」
「寝坊した訳?」
その時、陽蜜の肩を実里が優しく叩いた。陽蜜が振り返ると、実里が慈愛に満ちた笑顔で何度か頷いた。陽蜜は分からず、眉をひそめる。
分かっていない陽蜜を無視して、実里が前に出た。
「将刀君。法子ちゃんに用事があって来たの?」
「うん、まあ。でももう大丈夫みたいだな」
実里が微笑みながらまた何度か頷いた。
「じゃあ、もう暇な訳でしょ? まさか学校があるって思ってたのに、この後の予定を入れてる訳無いんだから」
「暇だけど」
「じゃあ、遊びに行こう」
将刀は実里から陽蜜に視線を移し、叶已と摩子を経由して、最後に法子を見つめてから、悩む様な表情になった。
「でも俺なんかが行ったら迷惑だろ。女子だけの中に男の俺が居たんじゃ」
そこで摩子が手を上げた。
「あ、大丈夫! たけちょんも来るから!」
「武志が?」
実里が摩子に向けてナイスと呟いてから、再び将刀に向いた。
「そうそう。そうすると、武志君一人だけになっちゃうでしょ? 他にも男の子が居てくれれば、武志君も寂しくないと思うんだけど」
「うん、そうだよ! たけちょんもきっと寂しがってるよ」
将刀は困った様に頭を掻いてから、法子にちらりと視線をやって、そうしてふっと笑った。
「分かった。そういう事なら」
陽蜜が拳を握って、よしと呟いた。
「じゃあ、とりあえず駅に行こう」
その後に皆が続く。法子も遅れない様に後を追って歩く。わくわくとしていて、体がじっとしていられなかった。まだ出来たばかりの友達と遊びに行く不安感に、何をして遊ぶんだろうという未知への期待感。それに将刀も加わっていてる。学校に行っている時間帯を遊び過ごすという後ろめたさがそこへ加わって、心臓が強く鼓動する。そんな胸の動悸が激しい楽しさとなって頭を突き上げてくる。
今までにない心境に、心を落ちつけようと、胸に手を当てながら大きく息をしていると、その横に将刀が並んだ。たったそれだけで、落ちつけようとしていた法子の心が更に跳ねた。
「元気になって良かった」
法子は返答できずに口ごもる。
「心配してた」
恥ずかしくなった。さっき陽蜜に言われた事が思い出されて、そうすると将刀の言葉の裏にある感情がそうとしか取れなくなって、きっとそれは勘違いなのにその勘違いを信じようとしてしまう自分が恥ずかしくて、結局法子は将刀の言葉に何も返せなかった。素直なお礼すらも。
「もうこんな事が無い様に守るから」
決意の籠った将刀のそんな言葉にも、法子はただ黙っていた。勘違いするなと心の中で言い聞かせ、お礼も言えない自分に嫌悪しつつ、法子は下を向いたまま、黙っていた。
すると将刀は法子の傍を離れて、陽蜜達の方へ向かった。
もしかして黙りこんでたから嫌になって言っちゃったのかな。
法子はそんな風に恐ろしく思ったが、どうする事も出来に将刀の背を見つめ続けた。将刀は陽蜜達を明るく喋っている。声が弾んで楽しそうに見えた。さっき自分へ話しかけていた時とは全然違う。やっぱり自分は駄目なんだ。そう思う。でも、とも思う。でも、そんな自分に皆は仲良くしてくれる。こんな幸せな事があるだろうか。それ以上望む必要があるだろうか。そう自分に言い聞かせつつ、法子は必死で笑顔を作りながら、みんなの一歩後ろを黙ってついていった。
駅のロータリーに着いた将刀は辺りを見回しながら尋ねた。
「武志はいつ合流するんだ?」
「んっとね、駅に来てって言ったんだけど」
摩子がそんな事を言いながら、携帯を取り出して、画面に目を落とす。実里はその傍に寄り添って、摩子の携帯を覗き込み、叶已は空を見上げ眩しそうに手を翳した。将刀はもう一度辺りを見回して焼肉のチェーン店が目に入った瞬間不安そうに摩子に視線を送る。法子はそんな将刀を見て何となく嫌な気持ちを抱く。
「何だこれ」
陽蜜がスマートフォンに目を落としたまま呟いた。
「どうかしたんですか?」
叶已が聞きつけて、尋ねる。
「何か、昨日この辺りに変なのが居たらしいよ」
「変なの?」
「何か焼肉屋にでっかい犬が入ったんだって」
その時何か物の壊れる様な音が鳴った。見れば摩子が携帯を落としていた。将刀の鞄も地面に落ちた。実里が慌てて摩子の携帯を拾い上げる。
「大丈夫、摩子?」
「あ、うん。大丈夫」
摩子がぎこちない笑顔で受け取った。陽蜜が気にせず先を続ける。
「しかもその犬、立ってたらしいよ。服も着てたみたい」
「魔物かな?」
「かもねー。でも何か、カップルもその犬と一緒に居たみたい。だからペットなのかも」
「そんな情報、何処で知ったんだ?」
落としたバッグを拾い終えた将刀が緊張した面持ちで陽蜜に尋ねかける。陽蜜はスマートフォンを顔の横で振ってから、一昨日法子に説明した事を再び繰り返した。
その輪からほんの少し外れた場所で、法子は陽蜜達とは全く違う方角を眺めていた。視線の先は駅前のゲームセンターで、その入り口のクレーンゲームの前に座り込み項垂れている亜麻色の髪の少女が居た。
別にその少女がどうだという訳でもなかったが、傍で繰り広げられていた明るいやり取りを見ている事に疲れを感じ始めていた時に、丁度明るい髪の色が目を引いたので、逃避に近い心地で法子はその少女を眺めていた。
そこへ割り込む様に実里が法子を覗き込んだ。
「どうしたの、法ちゃん?」
「あ、えっと、あそこに、女の子が」
法子が蹲っている少女を指を差す。
「泣いてるの?」
「分かんないけど。もしかしたら、そうかも。さっきからずっとああだから」
少女はさっきからずっと動かない。何かあったのだろうか、と心配はしていたのだが、助けに行くのも気恥ずかしくて、法子は何も出来ずにいた。
「じゃあ、ちょっと行ってみよう」
何も出来ずにいた法子と違って実里はあっさりと少女の元へと歩いていく。法子はその横をついていく。何だか嫌な気持ちがまた湧いた。
近付いてみると、少女は明らかに日本人ではなかった。法子は一気に気後れする。英語なんて話せる訳が無かった。どうすれば良いだろうと実里を見ると、実里はいつも通りの優しい笑顔で法子を見た。
「こういう時はね、確かメイアイヘルプユーって言うんだよ」
実里が少し得意げな顔をする。
法子は凄いと感心する。
下から声がする。
「あう」
そんな微かな声が聞こえて、法子が声のした方を見ると、少女の緑がかった瞳と目があった。英語を離せない法子は不安が増大する。
ところが少女の口から出てきたのは、流暢な日本語だった。
「狐が取れないの」
「狐?」
実里が不思議に思って首を傾げると、少女は立ち上がってクレーンゲームの中の人形の群れを指差した。
「あの狐が取れないの」
指差す先には確かにデフォルメされた狐の人形が一つだけあって、人形の山の中で無造作に転がっていた。
「持ってきたお金全部使ったのに、取れなかったの」
少女の目から涙が流れ始め、実里が慌てる。けれどどうしようもなくて、実里は残念そうに溜息を吐いて悔しそうに呟いた。
「私達が取ってあげられれば良かったんだけど」
「取ってあげて良いのかな?」
法子がクレーンゲームの中を覗きつつ、ぼんやりと呟いた。
「それは、取れるなら取ってあげた方が良いと思うけど。私達、こういうの取れた試しが無いし」
いつの間にか摩子に陽蜜に叶已と将刀もやって来ていて、振り返った実里と目が合うと、皆一様に首を振った。
「将刀君も無理?」
「俺もあんまり得意じゃない」
将刀が無念そうに言う。
沈黙が降りる。誰も人形を取れそうになかった。
「どうすれば良いんだろう」
実里が溜息を吐くと、釣られて皆溜息を吐いた。
そんな中、法子だけがクレーンゲームの中を仔細に眺めていた。
「取ってあげれば良いんだよね?」
実里が驚いた様子で法子を見る。
「取れるの?」
「分かんないけど。多分」
法子がクレーンゲームに硬貨を入れると、何となく場が緊張して、実里が息を呑んだ。店の中や駅前の喧騒とは対照的に、そこだけが妙に静まっていて、時が止まった様だった。
皆が見守る中で、法子は真剣にケースの中の人形を睨みつつ、クレーンを操作する。狐は人形達の一番上にあって埋もれている様子は無い。引っ掛けるところも多く、簡単に取れそうだった。皆が見守る中、クレーンは難なく狐を持ち上げて、数秒後には取り出し口へと運ばれた。
法子は取り出し口に落ちた狐の人形を掴みあげて、自慢気に少女へと渡した。少女は緑がかった目を細めて、とても嬉しそうに笑った。
「ありがとう!」
その屈託の無い笑顔を見て、法子は途端に恥ずかしくなった。少女の晴れ晴れとした笑顔がむず痒い。
「凄いじゃん、法子」
陽蜜がそう言って法子の肩に顎を載せてきた。他のみんなも口々に法子を褒めてくれる。
恥ずかしい。
褒められ慣れていない法子には皆の賞賛が恥ずかしくて、顔を合わせられなくなって、顔を赤らめて俯いた。体が蒸気が立ちそうな程熱くなった。
みんなが法子の様子に異常を覚えて、称賛から心配へと態度を変え始めた時、たった一人少女だけは法子への称賛を止めなかった。
「神様!」
少女が突然そう叫んだ。
皆が突然の叫びに驚く中、
「神様!」
少女がもう一度叫んで、法子に抱き着いた。
飛びつかれた法子は少女を支えきれずに態勢を崩し、視界が回って、床に体を打ち付けた瞬間、衝撃が走って、「うげ」というカエルみたいな声が漏れだした。