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鴉になりたくなくて

 法子の家の前に集った摩子達は法子の家を見上げてからインターホンの前に立った。

「良し、じゃあ行くよ。みんなちゃんと法子を連れ出す作戦は考えてきた?」

 陽蜜の言葉に叶已が聞き返す。

「陽蜜さんの作戦は何なんですか?」

 陽蜜は自信ありげに笑った。

「私? 真心! 叶已は?」

「私は、とりあえずしっかりと話し合って」

「実里は?」

「お互いの気持ちを伝えあって」

「摩子は?」

「とにかく思いをぶつける」

「良し! これだけ作戦があれば十分だな」

 陽蜜が拳を握り、叶已が溜息を吐く。

「四つ共、話し合うで一括りです」

 陽蜜がチャイムを鳴らした。インターホンの繋がった音が聞こえる。

「すみません! 法子さんを迎えに来たんですけど!」

 陽蜜がそう言うと、

「あら。ちょっと待っててくださいね」

そんな声が聞こえた。昨日聞いた法子の母親の声だった。

 しばらくして申し訳なさそうな母親が出てきた。

「折角来てくれたのにごめんなさい。法子は今日学校を休むって」

「風邪ですか?」

 実里が聞いた。そうでない事は分かっていた。

 母親は悩む様な顔をして即座に答えを返さなかった。どうやら嘘を吐けない人らしい。

 陽蜜がその間を見逃さずに晴れやかな笑みを浮かべた。

「大丈夫です! 私達に任せて下さい!」

 陽蜜は何が大丈夫なのか、何を任せて良いのか、何も言っていない。けれども母親はしばらく沈黙した後、柔らかな笑みを浮かべた。

「それじゃあ、お願いするわ」

 母親に案内されて、陽蜜達は法子の部屋へと向かった。

 部屋の前で母親が止まり、ノックをしてから、中に声を掛けた。

「法子、お友達が来てくれたよ」

 中から身動ぎの音が微かに聞こえた。声はしない。

 もう一度ノックをする。

「法子」

 だが出てくる気配はない。

 母親が小さく首を振ってから、申し訳なさそうに振り返った。

「ごめんなさい。やっぱり出てこないみたい」

 実里が落胆して肩を落とす。その横をすり抜けて叶已が前に出た。

「開けても良いですか?」

 母親は驚いて叶已に場所を譲った。

「え? でも鍵が掛かってるのよ?」

「開けても良いですか?」

「それは、開けられるのなら」

 その言葉を聞いた瞬間、叶已はヘアピンを抜いて、扉の前に屈み込んだ。実里は叶已が何をしようとしているのか分かって、それが他人から見ればどういう行為なのかを考える。実里が不安に母親を見ると、不思議そうに叶已の行動を見守っていた。ヘアピンは扉の鍵穴に差し込まれ、無造作に動き、しばらくすると鍵の開く音がした。

 空き巣の真似事をする様な者を娘の友人として認めたいかといえば、普通の親なら認めようとしないだろうと実里は思った。恐る恐る実里が母親を見ると、母親は感心した様子で呟いていた。

「最近の子は何でも出来るのねぇ」

 その間の抜けた反応を見て、実里は気が抜けてしまった。母親がこれだけのんびりしているという事は、法子の落ち込み様も大した事ないのではないか。落ち込む事なんて誰にでもある。それで学校を休みたくなる事も珍しくない。昨日法子が学校から駆け去る時の激しい反応から、酷く落ち込んでいるのではと想像していたが、実際は取り越し苦労だったのかもしれない。

 そんな楽観的な憶測は、扉が開いた瞬間に吹き飛んだ。

 嫌な臭いがした。

 喉の奥に入り込んで体の中身を引きずり出そうとしてくる様な臭い。

 部屋の中から漂ってくる。

 実里は強烈な臭いに眉をしかめ、我慢してもう一度鼻を鳴らしてそれが何の臭いなのか気が付いた。それは腐った池の臭いだ。昨日法子が落とされた古池の臭いだ。法子が池に突き落とされてからお風呂にも入らずに閉じこもった所為で、池の水が熟成されて異臭を放っているのだ。

 それに気が付いた時、実里は部屋の中に踏み込んでいた。

 放っておけない。

 実里とほぼ同時に陽蜜も叶已も摩子も部屋の中へと入った。母親だけがその後ろで立ち止まって、踏み込む娘の友人を眺めてから、微笑みを残してその場を離れた。

 部屋の中は電燈も点いておらず薄暗い。半開きの窓から薄く差し込む光が丸く盛り上がったベッドを照らしている。ベッドの中に法子が居るのだろうと当たりをつけて、実里は声を掛けた。

「ねえ、法ちゃん」

 返事は無い。

「ねえ、法ちゃん」

 何の答えも返ってこない。

 もう答えが返ってこないものだと決めて、実里は自分の思いを伝える事にした。

「ねえ、法ちゃん。辛いのは分かるよ。嫌な事言われたんでしょ? 池にも落とされたし。私だって学校に行きたくなくなると思う」

 実里が一歩法子へと近づいた。

「でもね、学校って楽しいよ。確かに昨日のは酷かったけど、でも学校はあんな人達だけじゃない。私達も居るし、他にも法ちゃんと仲良くしたいって子は一杯居るよ。ね、法ちゃん。だから学校に行こうよ。きっと楽しいよ」

 その時布団が蠕動して、中から法子が現れた。法子はベッドの上に座って、布団で体を覆いながらも、頭だけは出して、何も言わずに、実里と目を合わせた。実里は法子が布団の中から出てきた事で嬉しくなったが、目があった途端、実里の中の法子に掛けようとしていた言葉が全て色褪せた。

 法子の目は真っ新でその中に何の感情も浮かんでいない様であった。人でないものの様な目をしていた。少なくとも実里はそんな目をした事が無いし、見た事も無い。自分とは異質の目だと思った。

 そう思った途端に、法子に対する共感が全て崩れおちた。分かるなんて言ったけれど何が分かるというのだろう。楽しいなんて言ったけれど本当に法子が楽しんでくれるのか。法子の為にと思っていたけれど法子の為とはなんだろう。法子は苦しんでいると思ったけれど本当は違うんじゃないか。

 そんな疑問が沢山湧いて実里は引き下がりそうになる。けど、それでも、法ちゃんと一緒に学校へ行きたいんだ。

 実里は勇気を振り絞って声を掛けようとしたが、身を乗り出しただけで、何も言えない。実里の中から言葉が消えていて、掛ける言葉も無くなっていた。


 法子は布団に包まりながらどうしてこの人達はここに来たんだろうと疑問に思っていた。自分は嫌われているはずなのにどうして来たんだろう。迎えに来てくれたんだろうかという淡い希望を瞬時に塗りつぶして、もしかして自分を連れ出して笑いものにするつもりかもしれないと思った。そうであっても恨みも恐怖も感じない。とかくもう関係ないんだから。このまま誰とも関わらずに朽ちていくんだから。もう外とはまるで関係がないんだから。


 叶已が何も言えなくなった実里の前に出て、布団から頭だけ出してぼうとしている法子に向けて言った。

「安心してください。私達が絶対に守りますから」

 叶已の力強い言葉が部屋中を打つ。

「もう絶対に昨日みたいな事はさせません。法子さんに絶対に指一本触れさせません。だから安心して学校に来てください。私達が守ります。辛い目になんかもう合わせない。だから、だから一緒に学校に行きましょう」

 叶已の必死の言葉を法子は布団から頭だけ出して、感情の浮かんでいない瞳で受け止め続けた。


 どうしてだろうと法子は疑問に思った。どうしてこの人達はこんなに必死になっているんだろうと不思議に思った。悪ふざけの為にここまで必死になるのだろうか。そこまで私の事を嫌いなんだろうか。不思議で不思議で仕方が無かった。どうしてだろう。泣き疲れた法子の頭は段々と混乱してきて、誰からも嫌われているに違いないという自分像すら分からなくなり始めた。


 陽蜜がずいと法子の前に身を乗り出した。

「だから学校行こう! 大丈夫、行けば楽しいって! とにかく行こう!」

 な! と陽蜜が明るく笑う。

「また一緒にお昼を食べよう! また一緒に話をしよう! 明後日のデートの作戦も立てなくちゃいけないし、明日はその為に服を買いに行かなきゃ! そういえば、今度テストがあるから勉強しなくちゃな。旅行も行こう、旅行! クリスマスはどうする? やっぱり将刀君と一緒に過ごしたい? 応援するから任せてよ!」


 間髪入れない陽蜜の言葉がどんどんと法子を崩していく。嫌われているという自分像も、悪意を抱いているに違いないという友人像もどんどんと崩れていく。法子はもう分からなかった。今、陽蜜が何を喋っているのか分からない。目の前の友人達がどうして家に来たのかも分からない。どうして悲しそうな、必死な、一生懸命な顔をしているのかもわからない。どうして自分なんかの為にここまでしてくれるのか分からない。どうして自分が今こうして布団に包まっているのかも、次第に分からなくなっていた。

 ふいに涙が出そうになった。どうして涙が出そうになったのかも分からなかった。

 何もかも分からないけれど、でも、まさかとは思うけど、もしかしたら、自分は必要とされているんじゃないかという、微かな、ほんの微かな自信が形作られ始めていた。


 涙を堪える法子に向けて摩子が手を差し伸べた。

「行こうよ、法子ちゃん。学校に行こう。安心して良いよ。私達が居るから。私達は絶対に法子ちゃんにあんな事しないから。絶対に嫌わないから。絶対に友達だから。信じて。だから行こう」


 摩子の手が法子の手に触れた。

 法子はその手を握り返そうとして、顔を上げる。

 法子が顔を上げたので、摩子と陽蜜と叶已と実里の表情が綻んだ。

 反対に法子の顔が強張った。

 摩子の顔を見た瞬間、どうしてか幾つかの情景が浮かび上がった。

 駅前の駐輪場で魔法少女に負けた場面。河川敷で純を切って場を悪化させ結局やって来た魔法少女が解決した場面。ピエロを倒したのは自分なのに称賛を受けたのが魔法少女である場面。魔法少女が人々を逃がしていたのに自分にはそれが出来なかった場面。テレビの中で魔法少女が嬉しそうに人々から敬われている後ろで惨めに夢を見ている場面。

 どうしてか摩子達とは関係ないはずの、そんな惨めたらしい場面が次々に思い出された。変身して自信を持ったのに散々に打ち砕かれた場面が思い浮かんだ。

 その思い出が法子の中の、たった今出来たばかりの微かな自信をぶち壊した。

 思い出した。自分が決して人並みになんかなれない事に思い出した。昨日池に落とされてから布団の中で散々確認していた事実を思い出した。どうしてか忘れていた、自分が駄目だという事をまた思い出した。


 気が付くと、法子は摩子の手を払っていた。

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