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勢力、それぞれ

 息が上手く出来ない。

 心臓の鼓動が頭を揺らして気持ち悪い。

 喉の奥から何かがせり上がってくる。

 視界がぼやけている。

 頭が目に追いつかない。

 ぼやけた視界から意味を読み取れない。


 徳間はベッドに倒れ込んだ。疲労が限界に達していた。仰向けになる事すら億劫で、ようやく体を転がして天井を見上げると、断続的に現れる吐き気が電燈の眩しさに刺激されて、込み上げる何かが危うく口から出かけ、それを必死に口内に収め飲み下すと、胃液の苦みと共に体中の気怠さが重たい鎖となって、顔を上げる事すら出来なくなった。

 もう何日寝ていないのか。考えようとしたが、一昨日がどうであったのかも思い出せない。

 とにかく辛い。ここまで消耗したのは久しぶりだ。だがまだ眠る訳にはいかない。何が起こるか分からない状況で、無防備に自分を晒す訳にはいかない。危うく堕ちそうになる意識を思考で引きとめながら、徳間は真央の帰りを待った。帰ってきたら交代で睡眠をとる。いつなんどき何が起こるか分からない現状で深く寝入る訳にはいかないが、浅い仮眠でも眠らないよりマシだ。もしも有黍が居れば、虫を使って広範囲を警戒し、かなり安全に休む事が出来ただろうに。

 その有黍が居ない事を考え、徳間は奥歯を噛み締める。結局足取りは掴めない。何処に連れていかれたのか。今どうしているのか。それ以上考えれば自己嫌悪の泥沼に入っていきそうだったが、幸い疲労が思考の纏まりを崩して、徳間の意識は再び落ちかけた。

 扉の開く音がした。

 徳間の目が一息に開く。

 誰だ?

 真央だろうと思う。この新しい潜伏先を知っている人間は真央と魔検の連絡係だけだ。つけられた覚えもない。真央のはずだ。何故ならこの場所を知っている人間は限られていて、それ以外の人間が知るには後をつけるか聞き出すしかないから。そうしてつけられた覚えは無い。だから真央に違いない。

 そう願いながら、徳間は首を横に倒し、入って来た人物を見た。

 真央では、なかった。

 眼鏡をかけた男は入って来るなり、持っていた袋を徳間へと放った。

「随分と辛そうですね」

 徳間は袋を腹で受け止めると、一気に力を抜いた。

 入って来た男は魔検に所属する仲間だ。いつも定時連絡をする相手であり、仕事外でも親交のある幼馴染だ。気心の知れた顔を見た瞬間、緊張が一瞬で緩み、繋ぎ止めていた意識が霞み始める。

「剛太か。何でお前がここに?」

「心配で駆け付けたんですよ。私だけではない。海外の魔検に頼んで応援も呼びました」

「そうか。そりゃ助かる」

 問答の間にも意識は落ちていく。

「それで、状況はどうなっているんです? 真央さんは何処ですか?」

「真央はまだ帰って来てない。残念だったな」

「何ですか、残念とは。真央さんは大丈夫なんですか? まだ帰って来ていないって、一体何処へ」

「心配するな、真央は帰って来るよ」

「何を根拠に」

「あいつを信じろ」

 親友の悔しそうな顔を見ながら徳間の意識が落ちていく。

「じゃあ、俺は眠る。見張りよろしく」

「あ、ちょっと」


 居酒屋の座敷に座りながら遠郷は酒を飲むべきか飲まないべきか迷っていた。

 遠郷は酒が好きでは無い。味もそうだし、酔えば無防備になる。戦いがそこかしこで起こっているこの町でそんな隙を晒したくはなかった。一方で飲んだ方が良いと思う気持ちもあった。自分は炎を生み出し操る魔術師である。魔術の実践とは詰まるところ、意味付けの重なりである。酒は飲むだけでも十分に魔術を扱う際の意味付けになる。

 どうしようか迷っていると自分の空グラスに横からグラスが当たり音を立てた。右からやって来たグラスには遠郷のグラスと違って液体が並々と注がれていて、グラス同士が当たった拍子に液面がグラスの淵を超えて、遠郷のグラスに溢れだした。

「負けたんだって?」

 鈴木という女性が酔いに酔った様子で不躾にそんな事を言ってきた。

「ああ、完敗だった」

「ちぇ、私がそこに居たら助けてあげたのにな」

 遠郷はビルで戦った魔物の強さを考え、首を振る。

「無理だ。勝てない」

「そんなに強かったの? あんた、負けたからそんな弱気になってるんじゃないの?」

 遠郷がむっとした途端、後ろから衝撃を受ける。佐藤という男性が酒臭い息を吐き出しながら、遠郷の首に抱きついていた。

「殺してえなぁ、そいつ。殺せないかなぁ」

 物騒な事を言いながら、遠郷の右に回ってグラスを煽り、前に置かれたビンを取って、自分で注ぎ始めた。ビールはグラスから溢れ出し、溢れ出たところでビールが切れた。溢れたビールが机の上を伝って下へと零れ落ち、遠郷の膝を濡らす。いつもの事なので諦める。

「この場であいつに勝てるのは、ウィットニスオブヒストリーか、無限斬刺の二人だけだろう」

 遠郷は言いながら助太刀としてやって来たその二人を見る。

 一人はフェリックスという老人で、今は賑わいから離れた場所でデジタルカメラの画面を見つめている。恐らく今日こっそりと撮ってきた美術品を見ているのだろう。紹介された時も二言三言話しただけで、後はずっと無言。今も誰かと絡む気配はない。

 もう一人はエドガーという中年男性で、ビルの戦闘で水ヶ原や遠郷を逃がした男。

 遠郷はエドガーの姿を追って視界を彷徨わせ何処にも居ない事に気が付いた。まさか帰ったのかと思った瞬間、肩を叩かれ振り向くと探していたエドガーがしゃがみ込んで遠郷と目の高さを同じにしていた。今の今まで絶対にその場に誰も居なかった。

「すみません。私はトイレに行っていました」

 言い訳する様にそう言ってから、エドガーはグラスを持ち上げて遠郷の持っているグラスにかち合わせる。

「私はあなた達の仲間です。よろしくお願いします」

「ええ、よろしく」

 横から鈴木が身を乗り出してグラスを合わせてくる。

「エドガーさん、エドガーさん、よろしくお願いします! エドガーさんってどれ位強いんですか?」

 エドガーは唸りながら考え始めた。

 日本語が理解できていないという事は無いだろう。細かな日本語の使い方や発音に違和感があるものの、今までの話しぶりを見るに相当日本語を使いこなしている様子だ。問題があるとすれば鈴木の質問の仕方。

「曖昧な質問をするな。誰と比べて強いだとか、基準を設けろ、基準を」

 遠郷がそうたしなめると、鈴木はじゃあと言って、無遠慮にフェリックスを指差した。

「フェリックスさんとどっちが強いんですか?」

 エドガーはフェリックスを見て小さく笑う。

「彼は銃剣艦隊と互角に渡り合えます。私には出来ません」

 鈴木が遠郷を見る。

「銃剣艦隊って何?」

「イギリス軍の所有する浮遊要塞とそこから発進する航空艦隊の事だな。神の怒りを再現した世界最強の航空戦力と言われている。けれど噂の域を出ない眉唾物だって話なんだが。まさか本当にあったのか?」

「へえ! じゃあ本当にあったんだよ! で、フェリックスさんはそれに勝てるんですね」

「彼は勝っていません。負けていません」

「どういう意味ですか?」

「決着がついていないって事だろ、馬鹿鈴木」

 悪態をついた佐藤は、仕返しに叩いてくる鈴木の手を払って、エドガーに顔を向けた。

「で、聞きたいんだけどよぉ、エドガーさん」

「はい」

「あ、その前に乾杯」

 佐藤がコップを差し出す。エドガーと鈴木が杯を合わせ、そうして口に運んだ。佐藤と鈴木の口の端からびちゃびちゃと液体がこぼれて、遠郷の膝にかかる。遠郷が嫌な顔をする。

「でだ、エドガーさん。何であんた片言なんだ?」

「私は日本語を完全には学んでいません」

「けど今なら翻訳があるだろ。付けときゃ良いのに」

「翻訳機は好きではありません」

「何で?」

「機械は間違えます。私は間違いに気が付けません」

「ふーん、まあ確かに自分が何言ってるのか、本当の意味で分かってないって事だもんな。そうか、エドガーさん、あんた真面目だね?」

 エドガーがまた唸った。

 佐藤はその様子を見て笑う。

「じゃあ、あっちのフェリックスと比べて、どっちの方が真面目?」

 エドガーは更にしばらく考えていたが、やがてフェリックスを見て笑った。

「私は真面目が分からない。しかし彼は一人で戦う。私は皆と戦う」

 佐藤と鈴木が顔を見合わせる。

「エドガーさんの方が真面目って事?」

「みんなと一緒に戦う位、周りから信頼されてるって事か?」

「でも一人で戦うのもそれはそれで信頼されている様な」

「あるいは周りと歩調を合わせてるって事かも」

 エドガーが腰を上げ、また別の人の所へと向かう。

 遠郷はそれを見送ってから、未だに自分の左右から強烈な酒気を発して話し合う二人を眺めて、思わず「気持ち悪い程酔ってるな」と呟いてしまった。

 その瞬間、左右の二人は激しい剣幕で遠郷の呟きを否定し、同時に激しい動作でコップの中の酒が零れて、遠郷の胸を酒が濡らした。


「良い流れが来ていますね」

「はい」

 教祖とスーツ姿の女が暗がりの中で話し合っている。場所は病院のロビー。照明は落ちて、非常灯だけが点いている。暗がりの中で二つの影法師が隣り合って座っている。

「ホテルの方々の教化も出来ましたし」

「おめでとうございます」

「それにあなたのおかげでまだ病院の中で騒ぎは起こっていない。ありがとうございます」

「勿体無いお言葉です」

「引き続き病院の守護をお願いします」

「はい」

 病院の入り口が開いた。新たな影法師が入ってくる。影法師は教祖の前に立つと恭しく一礼した。一礼した影を前にして、教祖は静かに語る。

「想像以上に噂が広まっている。これはあなたのお蔭ですよ、有黍君」

「ありがとうございます」

 影法師となった有黍は頭を垂れて教祖の言葉に抑揚の無い返答をした。

「皆さんのお蔭で万事が順調です。決行は明後日。その時が」

「その時が巫女の復活ですね」

 有黍が教祖の言葉を遮って、抑揚の無い声を出す。

 教祖の影法師が僅かに身動ぎした。影法師なのでそこにどんな感情が込められていたのかは分からない。

「それでは今まで通りに」

 教祖は平静にそう言って、会合は終わった。


 徳間が目を覚ますと話し声が聞こえてきた。

 起き上がると部屋に自分を除いて、二人の人間が居た。いつの間にか帰って来ている相棒の双夜真央、意識が落ちる前にやってきた幼馴染の角写剛太、二人はテーブルを囲んで何か話し合っていた様子だったが、徳間が起き上がると、一斉に徳間へ顔を向けた。

「起きたのね」

「見りゃ分かるだろ」

 徳間は辺りを見回して、真央と剛太しか居ない事を確認すると、尋ねた。

「海外から応援が来るんだろ? まだ来ていないのか」

「一応」

「一応? どういう事だ? 何人位来るんだ?」

「一人です」

「一人? は? 一人?」

「一人です。私一人の力ではどうにも」

「お前の力ってのは何だ? 魔検が呼びかけたんじゃないのか?」

「日本魔検は真治だけで解決出来ると考えていて応援なんて呼ぶ気は無い」

「過大評価が過ぎるだろ」

「海外の魔検からすれば自分達にはまるで関係の無い事件の上、日本魔険からの直接の要請では無いので縄張りを侵す事になるかもしれない。日本魔検の縄張り意識が強い事は有名ですからね。どこもかしこも応援を出し渋りました」

「成程な。だったら魔検以外から呼べば良い」

「あのですね、公的な後ろ盾も無く暴れたらただの犯罪者なんですよ」

「そうか? 俺は結構個人的に暴れてるけどなぁ」

「後ろ盾に気が付いていないだけです」

 徳間が鼻を鳴らす。

 剛太は一瞬気遣う様な視線を徳間へ送ったが、すぐに険しい表情になって話を続けた。

「とにかく、そんな中で一つだけ応援を送ってくれました」

「何処だ?」

「イギリスの魔検、の中の一部署です」

「回りくどいな。どういう事だ?」

「実はですね、この町にあのフェリックス・ボレルがやって来ている可能性があるのです」

 剛太の囁く様な言葉に徳間は眉をしかめた。

「誰?」

 剛太が思いっきり仰け反る。

「知らないんですか?」

「ああ」

「馬鹿げた強さを持つ怪人ですよ。何でも軍隊相手に一人で戦う様な化け物らしい」

「へえ」

「へえって。物凄く有名だと思うんですけど。真央さんは知ってますよね」

「ええ。勿論。本当なら最悪ね」

「軍隊と戦ったって……噂だろ?」

「世界中が警戒しているんですよ」

「大層な事だね」

「とにかくそのフェリックスを追う部署から」

「どのフェリックスだっけ?」

「真治は永遠に黙ってて下さい。追う部署から一人応援をいただける事に」

「フェリックス相手に寄越す人員が一人っていうのが分からないわ。たった一人で勝てる位に強いの?」

「いえ、日本に来たという情報自体不明確なので、とりあえず先遣として送り込まれる人員です。グレイブヤードフォックスというコードネームの索敵と攪乱と逃走のエキスパートだそうなので」

「じゃあ、戦闘には使えそうにないな」

「そうね。索敵っていうなら剛太君だって出来るでしょ?」

「僕なんかと比べ物にならない位優秀みたいです。聞いた話ですけど。それに実際にフェリックスが居ると分かれば、更に援軍が送られるはずです。見たところ、本人もそれなりに強そうでしたし」

「もう会ったのか? 来てるのか?」

「ええ。本当ならこの場に連れてきたかったんですけど、一回りしてくると言って聞かなくて」

「そうか。どんな奴だった」

「そうですね。良く分からないというのが正直なところです」

「変な奴か。楽しみだ」

「変な奴と言っては、その」

「でも変だったんだろ?」

「いえ、単に僕と噛み合わなかっただけでしょう。性別も違いますし、大分歳の離れた方なので」

「まあ何でもいいさ。これで有黍を見つけ出すのが楽になりそうだな」

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