今日のまとめ
ルーマは法子の家に戻る途中で、二人の部下の姿を見つけた。どうやらイーフェルがサンフを追い詰めているらしい。サンフは口と鼻を手で覆って後ずさり、イーフェルはそれを追う様に手に何かを持ってゆるゆると歩んでいる。
こんな雨の中何をしているんだと気になって、ルーマは近付いてみた。
するとサンフがルーマを見つけ、物凄い形相になった。
「いけません! ルーマ様、今こちらへ近づいては!」
サンフの必死の叫びにルーマは立ち止まる。立ち止まって考える。何か面白そうな事が起こって居る様だ。だが信頼に足る片腕が近寄るなと言っている。近寄るべきでないのは分かる。だが近付きたくて仕方が無い。
立ち止まったルーマに、イーフェルが振り返り嬉しそうに呼びかけた。
「あ、ルーマさん。丁度良い。ちょっと来てください」
そうにこやかに言われた。信頼に足るもう片腕からの誘いである。両腕からの意見は打ち消し合って、後にはルーマの興味だけが残る。
ルーマは歩みを進め、サンフが再び叫んだ。
「いけません! ルーマ様! お願いですから」
ルーマの鼻が異臭を捉える。嫌な感じの臭いだ。腐敗臭、に似ている気もするが何か違う。鼻を突き刺す様な臭い。脳味噌を掻き混ぜる様な臭い。今までに嗅いだ事の無い臭いだ。
雨の中ですら強烈に香るその猛烈な臭みに怯む事無くルーマは臭いの元凶と思しき二人へと歩んでいく。
「この臭いは何だ?」
ルーマが問うと、イーフェルが持っていた缶詰をルーマに向けた。缶詰は開いていて、イーフェルの傘の範囲から出た瞬間、降りしきる雨に穿たれて中身を飛び散らせ始めた。雨に煙った電燈に照らされて、缶詰の中の薄らとした紫色とも黒色とも桃色とも茶色とも言い難いヘドロの様な粘質の何かが見えた。
「何だそれは?」
「シュールストレミングという食べ物です。良い臭いでしょう?」
「良い匂いかは分からないが、かなり強い臭いだな」
「あれ? 臭くないですか? ルーマさん、平然としてますけど、もっとこう叫んだり、苦しがったり」
「臭いんじゃないか? だが、たかが一感覚器官の異常にそこまで反応しない」
イーフェルは残念そうな顔で呟いた。
「そうですか。サンフさんは面白い反応を見せてくれるんですけどね」
そう言って、サンフに缶詰を向ける。サンフは嫌そうな顔をして退きながら、自分の口と鼻に当てた手を更に強く押し当てた。イーフェルがとても嬉しそうな顔をする。
「今度戦う時はこれを使ってみようと思って」
「ほう」
ルーマが近寄ろうとすると、サンフが叫ぶ。
「いけません、ルーマ様! ルーマ様が穢れてしまいます!」
「サンフの異常な反応見るに、効く奴には効くのかもな」
サンフが二人を睨む。
「あなた達二人がおかしいのです! どうしてそう平然としていられるんですか?」
「僕は慣れたからです」
「自分の感覚器官に反抗されてどうする」
そうしてルーマがまた近寄ろうとして、サンフがまた叫んだ。
「ですから! 近寄っては駄目です! 臭いがこびりついて取れなくなりますよ? 自分を貶める行為です」
「サンフ」
ルーマが冷たく言い放つ。
「俺がこの程度の物に貶められるというのか?」
「いえ、そんな事は! ってそういう事じゃないのです! とにかく近寄らないでください!」
サンフがあんまりにも必死なのでルーマは近寄るのを止め、一歩退いた。イーフェルはルーマが離れた事にほっとするサンフをにやにやと観察している。
「それでルーマさんは何でここに?」
「帰りだ。ついさっき戦ってきた帰り」
「もう、だから危険な事をしないで下さいと何度も言っているでしょう」
「分かったよ。まあ、それはそれとしてだ」
ルーマが煩そうに、サンフに対して手を払う仕草を見せてから、残酷な笑みを浮かべた。
「どうやら明後日この町で何かあるらしい」
ルーマの言葉にイーフェルが缶詰を消してから頷いた。
「ああ、そうみたいですね」
サンフはルーマを睨む。
「それは私達が解決するつもりです。ルーマ様は大人しくしていてください」
二人が既に知っていた様なのでルーマは拍子抜けして笑みを引っ込めた。
「何だ、もう知っていたのか」
「ええ。さっきシュールストレミングの餌食にした方がそんな事を口走ってましたよ」
ルーマは不満そうにそっぽを向いて立ち去る素振りを見せた。
「なら話は早い。明後日俺達も出るぞ」
「ちょっとルーマ様! その件は私達が」
食って掛かろうとするサンフを無視して、ルーマは道路を蹴る。
「それじゃあ、準備はしておけよ!」
そう言って消えたルーマを見送って、
「もう!」
サンフは苛立たしげにイーフェルの膝へ蹴りを打ち、あっさりと防がれて更に苛立ちを募らせた。
法子の家に戻ったルーマは法子の部屋に入り込んで、未だにベッドの中に潜り込んでいる法子を見下ろした。出る前に聞こえていた啜り泣きはもう聞こえないが、布団に籠って出てこないのは変わらない。
「いつまでそうしているんだ?」
法子は答えない。
「好い加減、出てきたらどうだ?」
法子は答えない。
「今日は特別楽しかったんだ。その話を聞かせてやろう」
法子は答えない。
ルーマは法子の被る掛布団に手をかけて、思いっきり引っ張った。布団を取り払われた法子は、制服姿のまま泥の臭いに塗れながら、怯えた様子でルーマを見上げ、そうして恐ろしそうに顔を背けるとベッドの上を這って壁際で小さくなった。
「好い加減にしろ」
ルーマが縮こまる法子に手を掛ける。
その瞬間、法子の手がルーマの頬を打った。ルーマが手を離す。更に法子は近くの目覚まし時計を掴んでルーマに投げつけた。ルーマの額に当たる。ルーマは微動だにせず、落下する目覚まし時計を受け取って、ラックの上に置くと、
「見込み違いだったか」
そう言って、部屋を出て行った。
残された法子はのろのろと床に落ちた掛布団を拾い上げると、また自分に被せて啜り泣きを上げ始めた。