第三夜の始まり
「ほう。病院で明後日何かが起こる?」
海音の伝えた情報を聞いたルーマは、そう呟いて楽しそうに笑った。大変な事態になるかもしれないのに楽しげに笑っているルーマを、海音は強く睨み付けた。
「うむ、町で起きた大体の事は分かった。感謝するぞ戦友」
そう言って公園から去ろうとするルーマに、敦希はほっと安堵し、海音は更に強く睨み付けた。
「ちょっと待ってよ」
海音がルーマを呼び止める。
「おい、折角どっか行ってくれるってのに」
「敦希は黙ってて」
敦希が口を噤む。
ルーマは余裕の表情で海音の事を見下してくる。それがむかつく。
「戦友っていうならそっちも手伝ってよ!」
「いいぞ」
あっさりと賛同されて海音は拍子抜けした。
「いいぞってそんな簡単に」
「別に暇だしな。で、お前等の目的は何だ? ああ、ゲームで勝つ事か」
海音は悩む。
目の前に居るのは悪者である。少なくとも善人ではない。だが強い。実際戦った訳ではないけれど、その立ち振る舞い、自信に満ちた言動に強さを感じる。
海音には復讐したい相手が居る。仲間を殺した奴を殺したい。だが自分は弱い。仲間達をたった一人で皆殺しにしたあいつに勝てるとは思えない。
だから力が居る。どんな力でも良い。悪に染まっていても。例え他力でも。何よりもまず仲間の仇を討ちたい。
だから海音はルーマに言った。
「殺したい奴が居る」
「ほう」
「こいつ」
海音の指差す地面に映像が映った。二人の男が何か話し合っている。少し離れた場所で起こっている現在の映像はぼんやりと街頭に照らされ薄められている。
「今、ここから二キロ離れたビルに居るこいつを殺してよ」
彼方を指差す海音の言葉にルーマが笑みを深くした。
「無理だ」
「は?」
「民は殺せない」
訳が分からない。
「あんたそんなに弱いの?」
「そういう訳じゃない。まあ説明するのも面倒だ。とにかく俺は殺せない」
海音の怒りが爆発した。
こっちは色々教えたのに、こっちのお願いはまるで聞けないなんて、そんな我儘許せない。
爆発した怒りを吐きだそうと口を開くと、鼻の頭をルーマにちょんと押されて、気勢を削がれた。
「早とちりするな。直接手を下す事は出来ないが手伝う事は出来る」
「手伝い?」
「ああ、お前の弱点を克服してやる事位なら造作もない」
ルーマが両手で海音の手を握った。
何かされるのかと思って、海音は手を振りほどこうとしたが強く握られている為、振り放せない。
「落ち着け。この感覚をよく覚えろ」
気が付くと手に冷たく硬い感触があった。そうしてそこに温かみが集まっている。温かみはどんどんと一点に集まって何かが作られようとしている。
「お前の狙撃は遠方から必ず敵に命中させる絶対の精度を持っている。だがそれだけでは足りない。当たれば必ず目標を破壊できる威力が必要だ」
ルーマが手を放す。海音が自分の掌を開けると、そこに弾丸が載っていた。
「さっき拝借したそれを少し調べてみたんだが、外側を魔力で覆っただけの代物だろう? それじゃあ飛距離は上がるだろうが、魔力を持った標的に当たれば干渉し合って威力が一気に落ちる。しかも推進力が火薬のみ。それでは不味い。だからもう一つ弾の内部に魔術を込めた」
海音は弾丸を持ち上げて仔細に眺めまわしたが、何の変哲もないただの弾だ。
「外部の魔力に触れると、その魔力を推進力に変える。それなら魔力を持っているものに当たればそれだけ威力は増す。単純な魔術だから衝撃を受けようと熱に晒されようとそう簡単に壊れる事は無い。素人のあんたでも慣れればすぐに作れるはずだ。どうだ?」
どうだと言われても、何だか一遍に色々と言われて良く分からない。ただ何となくこの弾丸があれば、誰であろうと撃ち抜ける気にはなった。
「さっきの感覚を忘れない内に自分でも作ってみると良い」
海音は言われるままに弾丸を取り出して、手で握りしめ、先ほどと同じ感覚を再現しようと試みた。手の温かみが段々と弾丸の内部に収束し熱を持っていく。力強く握りしめると収束は更に強くなって、それが段々と段々と集まっていって、海音はそのまま気絶した。
倒れる海音を敦希が支える。
「お前何した!」
ルーマへの恐怖を忘れて、敦希がルーマを睨む。ルーマは気にした風もなく、海音の手をこじ開けて中の弾丸を取り上げた。
「ふむ、不格好だが。まあ初めの内はこんなもんか」
「海音に何したって聞いてんだよ」
「何もしていない。ただそいつが魔力を込めすぎて意識を失っただけだ」
敦希が海音の顔を覗く。海音は苦しそうに汗を掻いて表情を歪めている。とても大丈夫そうには見えなかった。
「後は応用できればそいつは強くなるぞ。出来れば戦いに値する位には強くなって欲しいところだな」
敦希がルーマを詰問しようと顔を上げると、ルーマの姿は既に無い。ちくしょうと敦希は地面を叩いた。
もうここに居ても仕方が無い。敦希は寂しげな公園の中で海音を負ぶる。妙に体がだるくて、背負った海音をやけに重く感じた。またちくしょうと呟いた。
「羽鳥を殺したのはお前か?」
遠郷はやってきた青年、水ヶ原に向けて開口一番そう言った。他に誰も居ないビルの一室。今、組織の他の者達は海外からやってくる助っ人を迎えに行っている。聞くなら今だった。
「そんな訳ないじゃないですか。どうして僕がそんな」
如何にも心外だといった様子の水ヶ原を観察しながら、どうにも信用できないなと遠郷は思った。いや、そもそも信用出来る出来ないの話ではない。遠郷は水ヶ原が生き返った羽鳥を再度殺したのだと確信している。既にそれは遠郷の中で確定していて、水ヶ原がどんな言い訳を重ねようと何の意味も無い。だったら何故問いかけたのかと言えば、それは簡単な話で、見てみたかったのだ。水ヶ原がのうのうとどんな嘘を吐くのか見てみたかった。それだけだ。
「そもそも僕が羽鳥先輩を殺す意味なんて無いでしょう? これから魔検を倒そうって準備している時に。はっきり言って、その準備に一番奔走しているのが僕です。それを自分の手で叩き潰す様な事、誰がしますか?」
「そうだな」
遠郷は水ヶ原の笑顔を見ている内に段々と心が変わっていった。初めの内は水ヶ原の憎々しい姿を見て怒りが最高潮になったところで後腐れなく衝動的に殺そうと思っていた。けれど心は変わって、そんな事をする気は全くなくなっていた。
ただ面倒だ。早く殺してしまおう。
偽りを重ねる笑顔を見ている内に、こんなものを倒す為に気を回している自分がたまらなく面倒になっていた。
遠郷はにこにこと笑っている水ヶ原を見据え、
──その時、扉の向こうに気配を感じた。
徳間はビルの中、気を張りながら歩いていた。人気の無いビルは酷く不気味で物の影から突然に何かが湧き上がってくる様な気持ちがした。真新しく高級感の溢れるビルであった。丸みを帯びた白い壁に、光量の強い電燈も合わさって必要以上に明るい内部だったが、それなのに不気味だった。柔らかな絨毯の上を歩き、清潔感に溢れた廊下を通り、シミ一つ無い通路を抜けているのに、廃墟を歩いているよりも尚不気味だった。
それが何故なのかはっきりと分からないが、己の心から来る恐れだろうと徳間は思った。人形遣いの引網が潜伏している可能性の高いビル。快活な笑顔で自分につき従っていた明日太も居るだろう。そうして自分が乗り込めば引網は明日太を人質に取るだろう。きっとその状況は明日太を見捨てなければならない状況に違いない。自分には人質を救う事が出来ないから。だから見放すしかない。殺すしかない。それを思うと吐き気がする。気分が悪くて仕方が無い。立ち止まって引き返してしまいたい。だがそういう訳にはいかず、徳間は不快感と恐怖心を堪えながら、真新しいビルの清潔感と光に溢れる廊下を歩んでいた。
声が聞こえる。何か話し込んでいる声を、魔術で強化した耳が捉えた。誰か居る様だ。徳間は頭の中で何度も有黍を救う想像を繰り返し、やがて諦めた様に首を振ると、声のする方へゆっくりと歩んでいった。
遠郷達の組織は言うなれば烏合の衆だ。イギリスに母体を持った全世界的に広がる巨大な組織という見方も出来るが、実のところ繋がりは酷く薄い。それぞれが連携している訳でもなく、各組織ばらばらの考えを持って好き勝手に動いている。日本も同じで、彼等は目的である日本魔検の打倒に外部の助けを借りようとは思っていない。一方で国外の組織からすれば日本の魔検が潰れたところで何事も無く、反応としては対岸のひったくりを眺める様なものだ。今回、海外から日本へ助けが来るがそれは異例中の異例で、しかもやってくる助けは別に日本の組織を助けようとして来る訳では無い。加勢の筆頭であるフェリックスという男は日本旅行をしに行ったら何かある様なので見に行ってみよう位の、完全な余興でやって来る。とにかく確固とした結束が無い。
それは組織間だけでなく、組織内も同じで、目的として日本魔検の打倒を掲げてはいるけれども、参加する各々の目的はまた別で、全くばらばらである。
例えば遠郷や羽鳥は暇だから何となく。引網はそれに加えて人形を集める後ろ盾に使えるから。中には警察機構から匿ってもらう為という者も居るし、映画作りのネタに使えそうだからと参加している者も居る。
そんな訳で組織内の拘束は緩く、大学のサークル位のもので、積極的に海外の加勢を迎えようとしていた水ヶ原が遅刻した所でどうでも良かったし、加えて遠郷や引網が居ないのはまあそんな事もあるだろうし、肝心の助っ人が通達された便に乗っていなくても、なら良いやと思って終わりである。後は各自ばらばらに解散して元の町に戻る事になった。
そんな彼等にも仲間である羽鳥の死はそれなりの衝撃があった。
例えば今二人並んで歩いている佐藤と鈴木という平凡な名字の男女は、羽鳥の死が残念でならなかった。佐藤という男は人を殺したくて殺したくて仕方が無く、組織に入ったのは警察に捕まらずに人が殺せそうな環境だから。そんな訳でどうせ死んでしまうなら自分の手で殺したかったから羽鳥の死は残念で仕方が無かった。鈴木という女は人を助けたくて助けたくて仕方が無く、当然それはただの人助けではなくて、傷ついた仲間の前に立って敵から庇う様な少年漫画やらハリウッド映画の様に劇的な救いが良くて、組織に入ったのは人と人が殺し合いそうな刺激的な環境を積極的に作り出そうとしているから。そんな訳で殺されてしまった羽鳥を助けてあげる事が出来なくて残念で仕方が無かった。
まあ、それはそれとして、佐藤と鈴木は拠点としているビルに戻ろうと空港に隣接する駅から電車に乗った。途中鈴木がこんな事を言った。
「そういえば、歴史上の人物が現代にやって来る話あるじゃない?」
「ああ、あるな」
「で、戦う様なのあるじゃない?」
「ああ、あるな」
「で、光線とか出して街中を破壊するのあるじゃない?」
「いや、それは知らない」
「そういう時って、建物壊した費用はその子孫が払うのかな? さっきからずっと疑問に思ってたんだけど」
「それは無いだろ」
「じゃあ、どうするんだろう?」
「大事態なら国が補償するんじゃないか?」
「そうは言ったって秘密裏に戦いがあって、世間が全く知らなかったら、国だって知らないから補償のしようが無いでしょ?」
「だったら建物を壊したのが誰なのか世間的に分からないんだから、事故だとかの処理になるかもな。つまり払うのは持ち主か?」
「災難ね」
「それより気になるのはそういう歴史上の人物を殺したら殺人になるのかどうかだろ?」
「ならないんじゃない? 戸籍無いんだし。昔生きてたって言っても今はもう死んでるんだから死体と一緒でしょ? 器物損壊位じゃない? ペットを殺すのと一緒」
「なら例えば何かの手違いで、生きているのに鬼籍に入った人間が居るとしよう」
「鬼籍の場合、はいるじゃなくているよ」
「鬼籍に入った人間が居るとしよう」
「そもそも鬼籍に入ったって違和感」
「死亡したと書類上処理された人間が居るとしよう。そうしたらそいつを殺しても器物損壊なのか?」
「それは、過去の死亡処理が取り消されて、その時死んだ事になって、殺人になるんじゃない?」
「なら歴史上の人物の場合はどうなる?」
「それは、常識的に考えてもう死んでる訳だし」
「なら十年前に死んだ人間ならどうだ?」
「それは……多分死亡が取り消されるんじゃない?」
「世界的に有名な人間でもか? 例えば衆人の中で頭を吹き飛ばされて死んでも?」
「うーん、どうだろう。まあ、何やかんや有耶無耶に上手くやるんじゃない?」
「それがいけない! それじゃあ人を殺す事の意味が曖昧になる」
「どんな意味があるの?」
「そりゃああれだよ。一口じゃ言えないけど色々あんだよ」
「どうせ何も考えてないでしょ」
「女には分かんねえから説明したってしょうがないんだよ。とにかく、そんな訳でもっと人が死ぬ事をはっきりとさせた方が良いと俺は世界に問いたい」
「そんな事言ったらまず人間って何なのかから始めないと」
「確かにそうだ。人間ってなんだ?」
「人間として生きる事じゃない?」
「人間は現象なのか? いや、それだと無限ループだ。怖い。そもそも生きるってなんだ?」
「生きていない状態では無いって事なんじゃない?」
「生きていない状態って何だ? 死んでるのと違うのか?」
「死んでるのは。死んでない状態では無いって事でしょ?」
「成程」
最寄りの駅に着いたので、二人して降りた。駅は町より少し高い位置にあって、しかも二階の部分なので、町を広く見渡せる。佐藤と鈴木が何か飲み物でも買おうと自動販売機の前に立ち、その時丁度見渡す町の光景の中のアジトにしているビルが盛大に爆発したので、ボタンを押し間違え、コーヒーではなくお汁粉が取り口に落ちた。
イーフェルは目を輝かせてその光景に釘づけられていた。
それはテレビの一番組。
シュールストレミングなる缶詰を開けた瞬間、周囲の人間がのた打ち回っている。それを離れた場所に居る人間達が笑っている。
その臭殺兵器を見て、イーフェルはこれしかないと思った。地上を浄化するにはこれしかない。
幾多の戦場で神がかり的な予知能力で以て勝利を奪い取り、個人の武でも公式的には負けなしを誇るイーフェルは、シュールストレミングに苦しむ人々を見ながらにこにこととても楽しそうに、敵の顔面に缶詰をぶつける光景を思い浮かべた。