誰も会えない孤独な少女
私が何をしたんだろう。何で私が悪いんだろう。私の何が悪いんだろう。何が悪かったのかな。やっぱり人と上手く話せないのが悪いのかな。声が変なのかも。やっぱり顔が気持ち悪い? 居るだけで雰囲気悪くなるのかな。やっぱりみんな私と喋るの嫌だったのかな。どうしてこうなんだろう。どうしてずっとずっと昔からこうなんだろう。どうしてみんなと一緒に居られないんだろう。どうしてみんなと同じになれないんだろう。どうしていっつもいっつも後悔するんだろう。どうして好い加減諦めないんだろう。どうしてまだ自分を信じちゃんだろう。どうして自分が好かれてるなんて信じちゃうんだろう。どうして周りは私に関わってくるんだろう。どうして期待させるんだろう。どうして一人にしてくれないんだろう。どうして希望を持たせる様な──違う。どうして過剰に期待しちゃうんだろう。どうして平静でいられないんだろう。どうして話しかけられただけで友達になれただなんて思ったんだろう。どうして自分に友達が出来るなんて思ったんだろう。どうして向こうはそんな気が全くないのに自分だけ舞い上がってたんだろう。どうして喜んじゃったんだろう。どうして信じちゃったんだろう。どうせ騙されているなんて分かってたのに──違う。そうじゃない。私が悪い。私が勝手に期待したのが悪い。私が勝手に友達なんて考えたのが悪い。私が勝手に喜んでいたのが悪い。私が勝手に舞い上がっていたのが悪い。私が勝手に相手の言葉をそのまま受けとっていたのが悪い。私が勝手に相手の笑顔をそのまま受け取っていたのが悪い。私が勝手に相手が関わってくる事を好意だと勘違いしたのが悪い。私が勝手にようやく幸せが来たなんて勘違いしたのが悪いんだ。死ねば良い。死ね。死ね。何でそんな勘違いするんだよ。どうして今まで通り関わりを拒絶しなかったんだよ。どうしてもしかしたら自分もなんて思っちゃうんだよ。どうして自分と人は違うのに、自分が人並みになれるだなんて思ったんだよ。どうしてみんなが楽しそうにしている輪の外にただ居るだけで満足できなかったんだよ。どうしてその輪の中に入ろうとしちゃったんだよ。どうして一瞬だけ向けてくれた笑顔に満足しないで、ずっと笑いかけてもらいたいなんて思ったんだよ。馬鹿。馬鹿。ホント馬鹿。分かってた事じゃん、私はいっつも一人ぼっちで、ずっとずっとたった一人で、いつまで経っても暗いままで、どこまで行っても居場所は無くて、どうしたって人から嫌われ、何をしたってみんなに追いつけないのに。どうしてそれを忘れたんだよ。どうして、どうして、どうしてあんな恥ずかしい事をしちゃったんだよ。恥ずかしい恥ずかしい。自分なんかが人と話して笑い合って週末の約束をして恋に考えるなんて恥ずかしい。きっと今頃笑われてる。身の程知らずだって馬鹿にされてる。恥ずかしい。生きていたくない。死ね。なら死ね。もう駄目だ。もう駄目。無理。死ねよ。どうして死ねないんだよ。ああ、駄目。もう何も出来ない。したくない。誰とも話したくない。誰とも会いたくない。死ねば良い。死ねば良い。何で。どうして私は。何でまだ期待してるんだよ。
ごめん。ごめんね、法子。
法子の母親が家に帰ると、玄関が濡れていた。濡れた娘の靴もある。
何かあったなと思った。
雨の降っていない今日、学校のある時間帯に娘の靴が濡れた状態で乱雑に脱ぎ捨てられている。
何かあったなと思った。
恐らく部屋に居るであろう娘を出来る限り刺激しない様にゆっくりとした足取りで二階へ向かう。二階の娘の部屋の前で、一つ呼吸を整えてから出来るだけ優しい声音を出した。
「法子? 帰ってるの?」
返事は無い。
「法子?」
部屋の中から身じろぎの音が聞こえた。
試しにノックしてみたがやはり中から返事が無い。反応も無い。
踏み込むべきか迷った。扉を破って強引に中に入ろうかと迷った。扉に手をかけ、そして止めた。
それを壊してしまっては直す事が出来ない。だから今はまだ止めておいた。とりあえず買い物に行く事にした。
摩子達が法子の家のインターフォンを押すと、しばらくして法子の母親が出てきた。何故か左の手に卵を握っていた。実里が来訪の理由を告げると、母親は一度姿を消してからもう一度現れて、法子は部屋から出てこないと言った。
摩子達はあんな事があったのだから仕方が無いと悲しく思う。そんな摩子達の気配を察して、母親が訊ねた。
「法子に何があったのか、あなた達は知っているの?」
摩子達は問われて迷う。母親が聞かされていないという事は、法子は今朝の事を母親に知られたくないに違いない。
それを法子ではなく、自分達が言ってしまって良いのかと考えれば、駄目に決まってる。
「あの、それは私達からは。法ちゃんから直接聞いてください」
空気を弾く様な軽妙な音が聞こえた。摩子達の視線が法子の母親の左手に集まった。左手が握りしめられ、間から粘質の液体が垂れていた。
「ああ、ごめんなさい」
卵を握りつぶした母親は事も無げにそう言って笑う。
「そうね。確かにあの子から聞いてみるのが一番ね」
法子の母親は笑みを振りまきながら扉の向こうへ消えた。
法子の母親が消えた後、摩子達は緊張が解けて息を大きく吐いた。
「法ちゃん、部屋から出てこれないんだ」
実里が心配そうに呟いた。
陽蜜は難しそうな顔でしばらく地面を睨んでいたが、やがて顔を上げると晴れやかに言った。
「よし! じゃあ、明日は学校が始まる三十分前にここに集合! それまでに一人一個法子を家から出す方法を考えておく事!」
「家から出す方法とは?」
「だからそれを考えてくるんだって」
考え込み始めた実里と叶已の傍で、摩子は一度法子の家を見上げると、猫の様な生き物のストラップを指で撫でてみた。
将刀は法子の家の前に立って悩んでいた。
恐らく法子は傷ついて沈み込んでいるはずだ。誰ともかかわりたくないと考え、部屋にこもっているに違いない。将刀はそう確信していた。
何とかしたいと思う。
いずれ時が解決するかもしれない。法子は助けてもらいたいなんて思っていないかもしれない。本人の力で何とかしないといけない問題なのかもしれない。
それでも何とかしたかった。自分であれば、法子の事を理解してあげられて、救い上げる事が出来るんじゃないかと思っていた。
けれど恐らく今法子は他人の話に耳を貸す様な状況ではない。無理矢理こじ開けようとすれば、一層殻に籠って出てこなくなるはずだ。どうしたら自分の言葉を届ける事が出来る?
そこまで考えて、将刀は自嘲した。全部妄想だ。もしかしたら法子は、既に家の中で元気に、とは言わないまでも立ち直っているかもしれない。それなのにどうしても将刀は、法子が暗鬱に沈み込んでいる姿を想像してしまう。感情的になっているのが自分でも良く分かった。
その時玄関が開いて、法子の弟が出てきた。
「あ、将刀さん。姉ちゃんに会いに来たの?」
「ああ、会えそうか?」
「無理そう。っていうか、無理。部屋から出てこないもん」
「やっぱりか。何とか話がしたいんだが」
「止めといた方が良いよ」
「無理にすると余計に閉じこもってしまいそう?」
「うーん、まあ、姉ちゃんが話聞きそうに無いっていうのもあるけど、それ以前に、母さんの機嫌が物凄く悪いから、家に上がらない方が良い。俺も今から友達の家に逃げるし」
「そうか」
ならやっぱり今日のところは引き下がっておいた方が良いだろう。一晩経てば少しは好転するかもしれない。そう、寝れば僅かなりとも気分は良くなる。
将刀は去り難い気持ちを抑えながら、弟と別れ、最後に一度だけ法子の家を見上げてから、過去を思って家へと帰った。
「良いのか?」
ルーマが闇の中でそう訊ねた。だが返答は無い。訊ねた相手の法子は自身に布団を覆いかぶせて姿を見せる気配が無い。啜り泣きだけが聞こえてくる。
「今日はかなり面白くなりそうだが」
法子は答えない。
「そこでそうしているなら、俺一人で戦いに出かけるぞ?」
法子は答えない。
ルーマは矛先を変えた。
「良いのか、従者。主がこんな事になっていて」
タマも答えを返さない。
「お前等揃って何を沈んでいるんだか」
ルーマは長く息を吐くと、立ち上がって窓の外へ身を乗り出した。
最後に一度振り返る。
「本当に置いていくぞ?」
法子は答えない。
ルーマは仕方なしにたった一人で夕闇の中へ躍り出た。