魔法少女の相棒は苦労する
「さっきから何を転がっているんだ?」
「ノート見られたからに決まってるでしょ!」
心の中で怒鳴りながら法子はベッドの上を転がり続けた。その手には小さくなった刀が握られている。
「にぎゃぁ、ちくしょー」
「たかがノートを見られたくらいで、そんな車に轢かれたヒキガエルみたいな声を出さないでも」
「猫の方が良い! ヒキガエルは嫌!」
「まあ、猫でもヒキガエルでもどっちでも良いが。そんな事より君には多大な力が与えられたのだよ? 君の言でいくと、魔法少女だったか? それに対する喜びや慄きはないのかな? ほら、変身できるぞ」
「今は、魔法少女なんかよりもあのノート」
ノートを指差してから、また法子は転がり始めた。転がる事によって思考は途絶し空白化し、まるで物事を忘れた様な気になってくる。疲れてくると止まる。止まると途端に思考が回復して、また忘れたい記憶がよみがえってくる。だからまた回る。それを繰り返している。
「なあ、一つ良いかな。そこまで恥ずかしがっているのを見ると、とてもノートの中が気になるんだが、どうだろう。私にも中を見せてくれないかな」
「嫌に決まってるでしょ! 大体目も無いのにどうやって見るつもり?」
「目も鼻も口も耳も皮膚も無いが、ちゃんと知覚は備わっている。恥ずかしいなら、君が私に触れながら、見せても良い部分だけを君が見てくれ。私が君の知覚を借り受けながら読んでいくから。上手く隠しながら読み進めば君が見られたくない箇所を見てしまう事も無い」
「絶対嫌! 一字一句どれもこれも見られたら嫌!」
「それならどうしようも無いだろう」
「だから嫌だって言ってるでしょ!」
法子はごろごろし始めて、刀がまたこれが続くのかとうんざりしていると、突然法子の動きが止まった。ぴたりと止まって、呼吸も止まる。刀は動かなくなった法子を感じて、まさか恥ずかしさの所為か、あるいは転がり過ぎた所為で死んでしまったのではないかと心配になった。
「どうした?」
「今、知覚を借り受けるとか言っていたよね? って言うか、知覚があるって言ったよね」
生きていた事に刀は安堵する。いきなり主に死んでしまわれてはかなわない。
「ああ、言ったな。君が触れている間はほとんど一心同体みたいなものだ」
「じゃあ、さっき私がトイレに入った時も?」
「ああ、君の知覚は全て受け取っていた」
「にぎゃあ!」
刀は投げ飛ばされて天井に当たり跳ね返って床に着地した。フローリングにぶつかって硬質な音が響いた。それを追って法子はベッドから跳ね起きて、床に落ちた刀を拾い上げる。
「あ、あんた」
「何をするんだ一体。痛くはないが、良い気はしない」
「このエッチ! 変態! 馬鹿! 死ね!」
矢継ぎ早に浴びせられた罵詈に刀は訳が分からずに混乱した。
「いきなり何を? 酷く悪い意味に聞こえるが、もしかして最近はそれが謝罪の言葉になったのか?」
「うるさい! 馬鹿! あんた、ホントに最低」
法子の怒りは収まらない。だが刀にはその怒りが何に端を発したものか分からない。
「ちょっと待ってくれ。どうしたんだ急に」
「トイレ、覗いたでしょ?」
「は?」
「だからトイレ、覗いたでしょ! ま、まさか、私の体に乗り移って体の感覚まで……」
戦慄き始めた法子が恐怖に塗れた表情で刀を見つめた。刀はますまず意味が分からずに混乱した。
「待ってくれ。私は体に乗り移るのではない。知覚が流れこんでくるといった表現が近い。恐らく君は自分の体が私に乗っ取られてしまうのではないかと危惧したのだろう? なら大丈夫だ。主は君。従が私だ。だから」
そこで刀の言葉が途切れた。正確には尚も思念を伝えようとしたのだが、投げ飛ばされて体を離れた事で法子へと思念が伝わらなくなった。床に落ちた刀を再び法子は拾い上げて問い質した。
「あんた、女? 男?」
「え? いや、私は刀だし、子を為す必要も無いし、性別は無いが」
「それでも精神的な性別があるでしょ? どっち?」
目が据わっている。口調も出会った当初と比べれば酷く乱雑になっている。これは心して答えないと圧し折られるなと覚悟して、刀は慎重に言葉を選びながら答えた。
「私はさっきも言った通り、性別は無いが」
ここで刀を持つ法子の指にぐっと力が込められた。
「と、とにかく私は精神的な性別という概念が分からない。それは生物、いや人間の考えた概念であろう。だから、男か女かは君が決めてくれ」
「私が?」
「そうだ。私には男と女を判断する基準が分からない。君は人間だから知っているのだろう? だから君が決めてくれ」
沈黙が下りた。沈黙と言っても、外から見る限りさっきから二人は一言も発していないが、つまり思念のやり取りが一時的に途絶えた訳である。
その時ドアの向こうから声が入って来た。
「なあ、姉ちゃん、さっきからどすんどすん死ぬほどうるさいんだけど」
「ああ、ごめん」
「どうせまた何か落ち込んだんだろ? いつも言ってるけど気にしすぎだって」
「うるさい。あっち行ってて」
法子がドアに向かって冷ややかな声を浴びせると、ドアの向こうの気配は何処かへと立ち去っていった。続いて隣の部屋のドアが音を立てた。
「で?」
弟が自室に戻った事を確認してから、法子は刀に聞いた。
「で、とは?」
「だからあなたの性別に関する事を聞かせてもらわないと判断できないでしょ?」
思念は少し柔らかくなっている。弟の横やりで一呼吸入った事で幾分怒りが収まったらしい。だが目は据わったままだ、
「そうは言っても、先程も言った様に、私に性別の事は分からない。性別に関する事と言ったって何を話せばいいのか」
法子はしばらく考えてから言った。
「じゃあ、あなたはどうやって生まれたの?」
「おお、私の素性か」
それはこんな事にならなければ、刀が話したい事であった。ひいては何故法子が魔法少女となったのかにも繋がっている。
「では話させていただこう。だがそれにはまず私を作った魔女の話から始めなければならない」
そうして刀は流れる様な思念を送り込んできた。
ある所に魔女が居た。場所をあまり詳しく言ってもしょうがないのである所と言っておく。ん? まあ、今で言えばイギリスだな。そんな括りをすると、きっとまた魔女に起こられるか。グレートブリテンと言った方が良いかもしれない。
でだ、魔女は別に他者からそう呼ばれていた訳ではなく、自分でそう名乗っていた。魔女狩りが衰微していた時ではあったが、まだまだ魔女への弾圧は根強かった。それを承知の上で名乗っていたのだ。何らかの信念を持った名乗りであったのだろうが、残念ながら私に教えてくれる事は無かった。
魔女は人助けを生きがいとしていた。例えば魔女は良く「私は本当に人助けが好きなのです」と言っていた。この事からも──何を言う。本人がそう言ったのだからそうに決まっているだろう。
まあ、とにかくだ。かつて魔女は人助けをせんと日々グレートブリテンのとあるど田舎で一所懸命に尽くしていた訳だが、ある時近隣集落の態度が一変する。人々は魔女を白い目で見る様になった。お前が魔物を呼び寄せているんだろうとね。確かに魔物は魔力が多ければ多い程生み出されやすくなる。だが今迄尽くして来たのに、さっさと出て行けではあんまりだ。魔女は意地になって梃子でも動かないと宣言した。
それが悲劇を生んだ。増大する魔物、それに抗して闘うも日々衰退していく集落。魔女がそろそろ出て行った方が良いかしらと思い始めた時には何もかも手遅れになっていた。魔王が現れた。
魔王は分かるか? 一応説明しておくと、魔物が生まれる事で場が汚染されていき、魔導師が生まれる。魔導師が生まれる事で場が聖別されていき、魔王が顕現する。魔導師は魔物よりも強力で、魔王は魔導師よりも強力。魔王ともなれば弱くとも、片手間で一つの城砦を滅ぼせた。まあ、現代程魔術の発達していない時代の事だが、それでも強力な事は分かるだろう。
魔王に敵う等、当時の精鋭でも難しい。ましてそれが田舎の村人達ともなれば敵としてすら認識されなかっただろう。辺りは壊滅した。魔女はその時村から離れた家で夢まどろんで、集落の者から浴びていた過日の喝采を心地よく受けていた。つまりは眠っていて気付かなかった訳だ。だから目を覚まして外に出て驚いた。夢から覚めたら喝采どころか、集落の者まできれいさっぱり無くなっていたのだ。遠くで巨大な魔物達が辺りを踏み締めていたのですぐに何が起こったのか分かった。
だが罪悪感に悲しむ暇も無い。魔王を倒さんと教会から派遣された戦士達が既にやって来ていた。勿論魔女などと公言している身だ。出来れば教会の連中には見つかりたくない。なので魔女はこっそりと抜け出して、国すらも抜け出して世界を巡る旅に出た。
目的はただ一つ。人々を助ける事。選んだ手段は変身。誰かが困っている人を救うんじゃない、困っている人が自分自身を救える世界が魔女の目標だ。
知っているとは思うが、変身というのは酷く難しい。存在の変質だからな。魔力を帯びていない無生物を変身させる事も難しいのに、魔力を帯びて抵抗力のある生き物を変質させるなんてとても繊細で強力な魔術が必要だ。常人にはまず出来ない。
誰もが変身ヒーローになれる世界を作る為にはその強力な魔術を誰もが使える様にする必要がある。どうすれば良いか?
その強力な魔術をもっと簡便にして世界中の全ての人に広めるというのは、理論上は可能だろうが実際は出来る訳が無い。社会が混乱する事は必至だし、何より魔術は個人の資質に多大な影響を受けるので、万人が使える魔術を作りだすという事が難しい。
その為に魔女は外部装置を造る事にした。それさえ持てば誰でも変身できる様な、魔力の供給と持ち主に合わせた魔術の実践を行う外部装置を造ろうとした。
後は話さなくても分かるだろう。試行錯誤の中で生み出された外部装置の一つが私だ。どうだ分かってくれたかな?
「え? えっと、あ、うん。良く分からな、あ、いや、ちょっとは分かったかな?」
法子が読んでいた漫画を閉じて慌てて答えた。
「っていうか、話が長いよ。もしも漫画だったら、今の回想まるまる流し読みだよ?」
「ぐ、聞いておいて、何を無礼な。そもそも漫画というのは何だ。前にもそんな事を言っていた気がするが」
「あなたっていつの時代の人? いつまでの知識なら持ってるの?」
「生まれは寛政だな。知識は今の知識もあるにはあるが、経験から得たはっきりした知識は太平洋戦争の途中までだ」
「思ったよりも最近だね。じゃあ、漫画って言葉知ってるんじゃないの?」
「知らん」
「何で? まあ、いいや。漫画っていうのは、これ」
そう言って、読んでいた漫画を開いて見せた。
「絵と文章で作られた物語」
「ああ、それか。存在は知っているよ。……ちょっと待て。じゃあ、さっきの私の話を聞いている間中これを見ていたのは、私の話を聞き流していたという事か?」
「あ、うん」
「おい!」
「だって、長いし難しいんだもん」
刀が怒りの念を伝えてくるので、法子は矢継ぎ早に弁解した。
「それにさっきの話は魔女さんの話で、あなたの話じゃないでしょ? 私は刀の話が聞きたかったのに」
一応、最後まで聞いていたらしい。
「成程な。一理ある。では、続いて私の話を」
「手短にね」
「幾らなんでも失礼だろ!」
みしりと刀から軋む音が鳴った。法子が持つ指に力を加えた為だ。
「覗いた事、まだ怒ってるんだけど」
「ぐぅ。わ、分かった。手短に話すから」
法子の手が緩む。
「今までの持ち主はみんな大事にしてくれたのに」
一つ落ち込んでから、刀は気を取り直して朗々と過去を語り始めた。
魔女は日本に来て、剣士からこんな話を聞いた。
刀には魂が宿る。刀に己を乗り移らせて初めて剣を扱う事が出来る。
それを聞いて魔女は外部装置に刀を使う事を思いついた。魔女は幾多の試作の中、外部装置に人格を宿らせる事で魔術を行わせる方法が最も簡単で強力だと実感していた。
そうして私が作られた。魔女は製鉄から研磨まで全てを自分の手で行って、私を作って下さった。その為、言っては何だが不恰好だ。だがそのお蔭で魔術的な素地は他の刀剣とは比べ物にならないと自負している。
さて魔女は私を作り、貴重な意見をくれた剣士に渡そうとした。だが剣士が理由あって断った為に、たまたま差し入れを持ってきた村の子供に渡される事になった。
清次郎と言ってな。それは美しい少年であった。
「あ、そこから先は良いです」
「な!」
「良し! 決めた!」
法子が勢いよくベッドを転がって、そのままベッドの外へと跳ね出て立ち上がった。
「何をだい?」
「タマちゃんは女!」
「誰?」
「なに言ってんの。あなたの事だよ、タマちゃん!」
「いや、は? もしかして私の名前とか抜かす気じゃないだろうな?」
「あなたの名前だよ、タマちゃん!」
「やめろ、連呼するな」
「だって忘れそうで。タマちゃん」
「私は今迄無銘で通して来たんだ。名前なんて要らん!」
「駄目! 呼びにくいし、タマちゃんで決定」
刀は一歩も引く気が無い法子に愕然として、しばらく黙り込んだ。そうして考えに考えあぐねた末、とりあえずこれから関係を築いていく相手なのだから多少の譲歩は必要だろうと一歩位は譲ってやる事にした。
「分かった。良いだろう。受けて入れてやる。だが何でタマちゃんなんだ?」
「可愛いでしょ? 魔女さんが製鉄から作ったって言うから、玉鋼のタマ」
「訳が分からない。嫌な予感がするんだが、ちゃんはまさか敬称のちゃんだとのたまう気じゃないだろうな?」
「その通りですよ?」
「嫌だ!」
「何で可愛いのに」
「嫌だ、嫌だ。私はこれでも」
ぐっと法子の指に力が入り、再び刀、改めタマはみしりと鳴った。
「はい、すみません。タマちゃんで結構です」
「そうこなくっちゃ」
法子が笑顔を浮かべた。タマはかつての持ち主たちの顔を思い出しながら、その幸せだった日々に思いを馳せて現実逃避し始めた。
「おーい、聞いてる? ねえねえ」
「すまない。少し呆けていた」
「だから、これで問題も解決したし、変身させてよ」
問題? とタマは今迄の経緯に思いを巡らせた。そもそも何でこんな話になったんだったか。しばらく考えて思い出す。
「ああ、私の性別がどうとかという話か」
「そうそう。それも女だったし」
「そうなのか? 何を基準にそう判断した?」
「うん、考えてみたらね、私覗かれた訳だし、それが男だったら嫌でしょ? 女でもやだけど。でもマシだから、タマちゃんは女」
呆れすぎたタマの思考に霞がかかった。人間であれば脱力のしすぎで崩れ落ちていただろう。そんな理由なら、最初から昔話などする必要が無かった。何もかも無駄だったという事だ。聞いてくれなかったし。
「ねえねえ、早く変身させてよ」
甘える様な法子の思念にタマは苛々としながら答えた。
「駄目だ。私の魔術は君の生命エネルギーを使うんだ。使いすぎれば寿命が縮む。無駄な時には使わない様にしなければならい」
「えー」
法子が不満げに呻いた。
「君は魔女になる事の意義が分かっているのか?」
「全く。そもそもさっきの話だと変身は魔女に限らないみたいだったけど、魔女に変身するの? その魔女さんになるの?」
「違う。それは、まあ、私の願望だな。私を作ってくれた魔女の様に人々を救う存在であってほしいという願望だ」
「成程ね。大丈夫! 私、悪用なんてしないから。魔物をバンバン倒して人助けをするよ!」
タマは大げさな溜息を法子へ伝える。この少女は分かっていない。敵を打ち倒す事と人助けの違いすらも分かっていない。だがそういうものかも知れない。初代である清次郎も最初は敵を倒す事に執心していた。子供というのはそういうものなのかもしれない。ならばそれを良い方向へ進めるのが私の役目だ。
「君は分かっていない。人々を救う為には強くなければならない。体も心もだ。それなのに、君の先程の醜態は何だ。たかだかノート位で喚き散らして」
「ぎにゃああ!」
法子がタマを放り投げて、耳を塞いで唸りながら、またベッドの上を転がり始めた。隣からドアの開く音が聞こえて、法子の部屋にノックの音が響き、その向こうから
「ちょっと姉ちゃん、何時だと思ってるんだよ。好い加減にしろよ」
弟の怒りを含んだ声が聞こえてくる。
「うるさい!」
法子はそれに一喝してまた耳を塞いで唸りながらベッドの上を転がる。
唸り声だけが聞こえる部屋で、ごろごろとベッドの上を転がる法子。それを見て、今更ながらようやくタマは気が付いた。
今回の主はかなり厄介だ。