第二夜の始まり
法子が家に帰って自室に入り、ほっと一息吐いた時、部屋の窓が開いた。
「法子、何をぐずぐずしている! 行くぞ!」
ルーマがいやに楽しそうな様子で法子を手招いている。
「どうして?」
ルーマは魔界の仲間と一緒に何処かへ去って行ったのではなかったのか。もう二度と会えず、魔界の王子との不思議な邂逅には幕が下ろされたのではなかったのか。そんな疑問をルーマの笑顔が吹き飛ばす。
「どうしても何もない。もう夜は始まっているんだ。早く行かねば祭りに乗り遅れるぞ」
ルーマが法子の手を引く。法子が手を引かれ、窓を乗り越え、外へと飛び出る。慌てて変身する。月夜の下で露に濡れた様に、黒から金色へ、変化した髪が煌めき流れる。
戸惑う法子に変わって、タマが噛み付いた。
「何を勝手に話を進めているんだ。そっちはそっちの用事があるのだろう? 覇王の卵だとか何とか。こっちとはまるで関係ない。法子に関わろうとするな」
ルーマが哄笑を上げながら言い返す。
「馬鹿を言え! 覇王の卵に関して、俺は完全にお預け状態だ。約束してしまったからな。覇王の卵に関して調査に乗り出さないと。だから俺は今、暇で暇でしょうがないんだ! その憂さ晴らしに仲間を誘って何の謂れがある」
「知るか! 馬鹿を言っているのはそっちだろう。法子には友達の宝物を取り返すという重大な使命があるんだ。お前にかかずらっている暇は全くないよ」
「ほう」
ルーマが興味を示した様で、幾分熱の減じた瞳で法子を見つめた。
「どういう事だ?」
法子は言っていいのか迷った。友達の話してくれた、もしかしたら秘密かもしれない事柄である。
「仲間だろう? 協力する事は吝かでないぞ」
だが仲間という言葉が法子を貫いた。我慢できなくなって、悪いとは思いつつも、摩子から聞いた話──人形の魔物にイースターエッグを盗まれた話をルーマに語る。
語り終えると、ルーマの瞳に再び強い喜色が湧きあがった。
「成程成程。なら仕方が無いな」
何が仕方が無いのか分からずに、法子が不思議そうにしていると、ルーマが加虐的な笑みを浮かべた。
「仲間を助け、その盗まれた何とやらを取り返そうとしたところ、覇王の卵に関わってしまったのなら、仕方が無いよな」
どういう事か聞こうとすると、ルーマが強く手を引いて、今までの何倍もの速さで夜を駆けるので法子は必死についていくので精一杯になった。
あまりに足が無茶苦茶に動くので感覚が薄れ始めた事に危機感を抱く法子に、ルーマが言った。
「さて、向こうに不思議な反応があるな。まずはあちらに行こうか」
更に速度が上がる。もう法子の足は地についていない。ルーマが右に曲がった。それに振り回されて法子の体が大きく外側へと放り出される。ルーマと手が繋がっているので、辛うじて弾き出される事は無かったが、ルーマが急激な上昇下降左右の転換を行う度に法子はそれに合わせて大きく体を宙に躍らせる。
死ぬ! 死ぬ!
心の中でそう繰り返し続け、本当に死にそうに感じ始めた時、突然ルーマが止まった。その急激な停止の所為で法子は前へつんのめって、ルーマが手を放すのでそのままずっこけて地面を転がり、壁に激突してようやっと止まった。
「何をしているんだ? 何かの儀式か?」
ルーマが真剣に訪ねてくるので、法子は倒れ伏した状態で近くの石を掴みルーマへ思いっきり投げた。あっさりと避けられた。
「この建物の中に何かがあるみたいだ。何か予感がある」
法子が立ち上がって背後を振り返る。病院が聳え立っている。法子が入院していた病院だ。法子が切ってしまった純が入院している。法子と同室だった少女も。そう思うと怖かった。知り合いが少ない分、顔見知りというだけでも必要以上に仲間意識を持ってしまう。
不安がどんどんと募って、手が震えはじめた。法子は思わず自分の手を見て、震えを抑えこもうと拳を作って強く握りこんだ。だが止まらない。
「何をそんなに怖がる」
ルーマの嘲る様な言葉を聞いて、法子はルーマの顔を見上げた。何をそんなに恐れているのか、自分でも分からない。純や同室の少女が死ぬ事を想像した所為だけでここまで震えが来るとは思えない。けれど他に理由は思いつかない。どうしてか分からない。どうしてか分からないけれど、恐れている。自分で血の気が引いているのが分かった。
「何かあるのか?」
分からない。
法子が黙っていると、ルーマがつまらなそうに呟いた。
「まあ、安心しろ。いざとなれば守ってやる」
法子がルーマを見上げると、ルーマが見下ろしてきていた。
何だか頼もしく、今の言葉も嬉しくて、法子はお礼を言う。
「ありがとう」
ルーマがそっぽを向いた。
「そうは言っても、本当に危なくなった時だけだからな」
「うん。でもありがとう」
「俺が出たら一瞬で終わってしまうのだし」
「一瞬で」
法子の疑問に対して、ルーマが笑みを向けてきた。
「そうだ。俺が本気を出せばどんな戦争であろうと一瞬で終わってしまう」
法子はそれを聞いて、しばし呆けていたが、やがて思いっきり笑った。魔王の息子らしい不敵な答えだと思った。でも、それはちょっと
「自信過剰」
「何!」
ルーマが目を剥いて言い返す。
「ならば、次に戦う時を」
その瞬間、何か甲高い音と破裂音と耳障りな金属音が同時に響く。ルーマが顔の前に翳した掌から煙が立ち上り、直下の地面に金属片がばら撒かれた。
「狙撃主か。昨日の奴かな?」
ルーマが呟いてから、法子を指さした。
「良し。お前はそこに居ろ。そして俺の戦いぶりを見て、尊敬する準備をしておけ」
そんな事をのたまった次の瞬間、ルーマの姿が消えた。
法子が辺りを見回すも、ルーマの姿は見えない。恐らく狙撃手を倒しに行ったのだろう。激しい戦いになっているのかもしれない。けれど不安は無い。さっき不敵な笑顔を見せたルーマが負ける事を想像出来なかった。
法子が虚空を見つめて呟く。
「私達は何してよっか」
「当初の目的を果たせば良いんじゃないかな?」
「当初の目的?」
何だったっけ? と法子は本気で考える。
「もう忘れたのかい? 友達の宝物を取り返すんだろ?」
「ああ、そうだった!」
タマが呆れる。法子は恥ずかしくなって、それを払拭する為に刀を強く握った。
「じゃあ、盗んだ犯人をさがそっか」
そうして病院を見上げる。
「この中に居るかな?」
「幾らなんでもこんな人の出入りの激しい所に居たら騒ぎになっている気がするけど」
「じゃあ、ルーマには悪いけど、別の場所に行こう」
法子が自分で言って、自分で頷いてから、
「やっぱりさっきタマちゃんが言った方を探してみよっか」
「法子、上」
タマが静かに言った。
法子が空を見上げる。月夜に仄かに流れる薄い雲が照り輝いている。そこに一点の黒いしみがあった。しみはすぐに大きくなって、人だと知れた。法子が後ろに下がると、法子が一瞬前に居た場所へ人が降ってくる。降ってきた人は盛大な音を立てて地面に着地した。
砂埃の立つ中に怜悧な印象を持ったスーツ姿の女性が立っていた。
「良くぞ、初太刀を躱しました」
「だ、誰? 何でいきなり」
法子が刀を構えながら、女性に問いかける。女性は硬質な表情のまま腰を沈めた。法子の言葉に返答する気は無いらしい。
「では精々死なぬ様、御武運をお祈りいたします」
女性がゆったりとした足取りで、両手を下げて、近付いてくる。
あまりにも唐突な宣戦布告に、法子は混乱しながらも、辛うじて意識を戦闘へと移行して、女性を迎え撃った。




