勢力、それぞれ
「よう、助かったぜ」
徳間が片手を挙げて、女性へ近付いた。
「狙撃主はちゃんと捕まえたか?」
笑顔で尋ねる徳間に女性は睨みで返した。
「分かり切った事を聞かないで」
徳間は低く笑う。
「お前が敵に逃げられるなんて珍しいな。よっぽどの手練れか?」
「少なくとも逃げ足だけは異常に速いわ」
「そんな強い相手じゃなかっただろ? 本当はわざと逃がしたんじゃないか?」
「あのね」
女性が徳間を更にきつく睨む。徳間はそれを受け流して、女性の背後に控える青年に問いかけた。
「どうだ新入り、真央に怪しい所は無かったか?」
青年はおかしそうに笑いながらおどけて答える。
「そうですねぇ、確かに双夜先輩が敵を逃したのは怪しいですね」
「有黍君?」
女性の凍てつく様な低い声に、青年は笑いながら一歩退いた。
「ほらな、明日太君は良く分かってる」
徳間は傍の自動販売機にお札を入れた。
女性はつまらなそうに髪を掻き揚げて、誰も居ない道の先を見た。左右には高いコンクリートの塀が遠くまで続いている。打ち捨てられた工場に挟まれたこの道には、壊れかけの明滅する電灯が立ち並んでいる。薄暗い上に、不気味だ。異変の起こっているこの町で、不気味なこの場所にやって来るとすれば、それはきっとまともな奴ではないだろう。自分も含めて。
「結局、何で狙われてたの?」
女性の問いに、自動販売機から缶を取り出した徳間は、コーヒーを女性に投げ渡してから答えた。
「さあな。引網を捕まえた直後に撃たれた」
引網とは狐顔の人形遣いの名前である。
「ふうん。仲間、かしら?」
「どうだろうな。その割に助ける様子は無かったが」
「何を根拠に?」
「顔だ」
「顔?」
「顔は隠れていてほとんど見えなかったが、ほんの少し見えた口元が確かに笑っていた。助ける気持ちなんてこれっぽっちも無い顔をしていた」
「根拠としては薄いんじゃないかしら?」
「他にも、街中で魔術的な隠蔽どころか、消音すらせずに銃をぶっぱなしていた事だとか、色々あるが、突き詰めれば、まあ、勘だな」
「勘ねぇ。その勘によればどういう事になる訳?」
「愉快犯。しかも人の目なんか気にせず自分のしたい事を躊躇なく行う相当危険な馬鹿ってところか。しかも複数だな」
「複数?」
「日本にそう簡単に銃なんか持ち込めるか。しかも軍隊が使う最新鋭のスナイパーライフルだぞ?」
「厄介ね」
女性は細く息を吐いてからコーヒーに口を付けた。
「そういえば、引網は?」
「城の中」
「そう。なら早く戻りましょうか。相当神経使うんだから、その魔術」
「余裕だよ、余裕」
徳間は自動販売機の中から二本缶を取り出し、一本を自分で開け、もう一本を青年に投げた。
「そういや、そっちはどうだった? 情報は集まったか?」
青年は缶を受け取り、それがコーンポタージュだったので、走り回って乾いた喉に缶の中身を流し込んでも大丈夫か自問した。
「大した情報は無いですね。ただの噂程度の情報ばかりです」
「それでも良いんだよ。そんな中に手がかりがあるかもしれないだろ」
「そうだと良いんですけどね。とりあえずまとめてあるんでホテルで渡します」
「大雑把で良いから気になった所は?」
「そうですね。幾つか情報を集められなかったところがあったので、そこが気になります」
「集められなかった場所、ね」
「俺の噂虫が噂を集められなかったって事は、魔術避けで入れなかったか、見つかって消されたかのどちらかなんで、そこに何か異常があるって事なんです」
「成程な」
「なんで、どうです? 明日からはそこを重点的に突いてみません?」
徳間がにやりと笑う。
「優秀だな」
「ありがとうございます」
「それで、まずは何処にする?」
「市営の体育館はどうですか? そこ、今日の朝に職員がみんな殺されてた場所なんです。で、今は警察が捜査しているはずなんですけど、俺の噂虫、中に入れなかったんですね。一応言っときますけど、警察の使う低レベルな結界位、擦り抜けられますよ。だから警察以外の何か変な奴が居るに違いないです」
「上出来だ。じゃあ、明日はその体育館に行くぞ。良いな、真央」
「どうでも良いわ。どちらにせよ、遮二無二そこ等中を動くしかないんだから」
徳間は青年に歩み寄るとその頭に掌を置いた。
「あいつはああ言ってるが、悔しいんだよ。敵を逃がした事がな。だから大目に見てやってくれ。とにかくお前の魔術はすげぇ。それは俺もあいつも認める事だ。だからこれからもよろしく頼む」
そう言って、徳間は青年に笑いかけると、コーヒーを飲み干して青年の背後へ歩き出した。
青年はしばらくぼんやりとしていたが、意を決して、コーンポタージュの缶を開け、飲み下した。喉が焼け付いた。冷ますのを忘れていた。青年が何度か咳き込むと、暗い足元から水の飛び散る音がした。
「何やってるんだよ」
徳間の笑い声が響く。
青年はしばらく咳き込んでいたが、収まると、缶の中に息を吹きかけ、冷ましてから、再び飲み下した。まだ熱かったが飲めない事は無く、飲み干し終えると、青年は徳間の後を追った。
その後に女性が続く。ふと女性の耳に笑い声が届いた気がした。けれどそれはすぐに立ち消え、夜の音ばかりになると、一瞬前に聞こえた笑い声は気の所為であった気もして、女性は疑念を残しながらも、先へ進む徳間に遅れぬ様に後を追った。
女性の遥か先を行く徳間が飲み干した缶を宙へ放る。缶は道に沿って続くコンクリートの塀を越え、工場の敷地へと消えた。
放られた缶が地面に落ちる。背後に高い塀、前には生い茂った低木、辺りに伸びきった雑草。乾いた地面に音も無く落ちた缶はもう誰にも気が付かれる事は無いだろう。それは工場も同じ。高い塀に囲まれた廃工場の中へやって来る者などほとんど居ない。もしやって来るとすれば、それはやんちゃな子供かあるいはまともでない者だろう。そしてそこに居るのは、子供で、その上、まともでない者達だった。
工場の中、中心にはニット帽を目深にかぶった小柄な少女。その周りを成人に達するか達しないか位の男女が大勢で囲っている。全員、椅子とは呼べない様な箱や機材にだらけた様子で座っている。
囲う内の一人が言った。
「やっぱさスナイパーライフルはずるいと思うんだけど」
「だよな、俺だってスナありゃもっと楽にやれてたぞ」
他の者が口々に同意する。
「あんたはショットガンだからまだいいじゃん。僕なんか拳銃だよ。誰も殺せないよ」
「それはあんたの頭が悪いだけ」
「あたしなんて、ライフリングの無いマスケット銃よ。当たる訳無いじゃない」
「殴った方が速いんでない?」
「そうかも」
「そっちのは一応パーカッションロック式だろ。俺の火縄銃よりは全然マシじゃん。まず撃てねえよ。敵の目前で弾込めしろってのかよ」
「雨の日は使えないしね」
「やっぱ殴った方が速いな」
「包丁持ってた方がマシだよ」
一通り愚痴り終わると、矛先が再び中央の少女へ向いた。
「つまり最新鋭のライフル使ってるお前はずるい」
「せこい」
「弾丸封印して殴れ。殴りスナになれ」
「こいつだけポイント十分の一にするとかさ」
「一発だけでも良いから、俺に使わせてください」
少女は顔を横にそむけた。けれどそこにも人が居る。少女はふくれっ面を作って目を瞑った。
「いーや! だって武器はくじで決めたんじゃんか。運も実力の内だよ。七十四ポイントで私が断トツ一位!」
「ずりいよ。絶対このゲーム、バランスおかしいよ」
「七十四点とか何人殺せば良いんだよ」
「魔検の徳間が確か百ポイントじゃなかった」
「マジで? じゃあ、明日はそいつ狙おうかな」
僅かな希望を抱いた少年へ、中央の少女が意地の悪い笑みを投げかけた。
「きっと無理だよー。物凄く強かったもん」
「何で知ってんの? 知り合い?」
「ううん。さっきちょっと狙ってみた」
「マジか」
「だって百ポイント入れば、ほぼ優勝でしょ? だから狙いに行ったんだけど、駄目だった。銃弾全部防がれちゃった」
「どうやって?」
「それは秘密。教える訳ないじゃん」
「むかつくなぁ」
「徳間さんって、やっぱりカッコ良かった?」
「うん、百ポイントさん実物めっちゃイケメンだった」
「マジで?」
「あたしも狙ってみようかなぁ」
「どういう意味でだよ」
「イケメン死なねえかなぁ」
「後ねぇ、百ポイントさんの傍にも何だかカッコ良いのが居たよ。強いかどうかは知らないけど」
「イケメンはイケメンを呼ぶのか」
「夜に男が二人……」
「恋人だ!」
「うーん、違うと思うけどー。良く分かんない」
「お前が徳間を狙ったのは、どういう状況だったんだよ」
「だから教える訳ないじゃん」
「むかつくー」
その時、辺りに着信音とバイブレーターの音が鳴り響いた。
全員が一斉に各々の携帯を取り出して、画面を見る。
「おっと新しいターゲットの追加とポイントの変更か」
「ターゲットのポイントが軒並み高く設定し直されたね」
ガムを噛んで今まで黙っていた少年が中央の少女へ厭味ったらしい笑みを向けた。
「こんだけポイントが底上げされりゃあ、十分追いつけるな」
それに少女も笑顔で返す。
「私の取るポイントが増えただけだけどね」
少年はむっとして少女を睨んだが、少女は意にも介さず携帯の画面に目を落とした。
「でねー、一番上の人がさっき言ってた人。百ポイントさんのー、って今は千ポイントか、の近くに居たイケメン」
「ヤバい。タイプ。惚れた」
「カッコ良い」
「イケメン死ね」
「靡く女も合わせて死滅しろ」
「あ、後この上から十番目の女の子と、一番下の狐っぽい奴も居たよ」
「だからそれはどういう状況だったんだよ」
「狐っぽい奴って、有名な指名手配犯じゃない。除外って何?」
「多分、千ポイントさんに掴まったからだと思う」
「へぇ」
「徳間と一緒に居た女の子、十ポイントか」
「可哀そうな位、低いな」
「狙う価値なし」
「可愛い」
「何処が? 餓鬼じゃん」
「ロリコンめ」
「ショッピングモールの魔物倒したとかでニュースに出たヒーローも載ってるじゃん。あれ、この町の事件だったんだ」
「五十五点と三十五点か。二人共殺せば一位だな」
「この口元……きっとイケメン」
「腐り果てろ」
一頻り新しいターゲットリストの批評を終えると、やがて輪の一人が携帯で時刻を確認し、立ち上がった。
「じゃあポイントの発表も終わったし、俺、そろそろ帰るわ」
それに合わせて周囲の人々も立ち上がり、靴音が不規則に起こって消えた。
「私も。明日中間あるし」
「やべ、明日俺もテストだよ。何も勉強してねぇ」
「誰かこの後遊んでかね?」
「僕はパス」
「あたしも今日はいいや」
「遠慮しとく」
「気分じゃない」
「何だよ、誰も行かねえのかよ。飯位行こうぜ」
少年が憮然とした様子で辺りを見回す。それを可哀そうに思ったスナイパーの少女が言った。
「奢ってくれるなら良いよ」
「おし、決まりだ。他には? 寂しいから、来てくれるなら、奢っちゃうよ」
だが少年が改めて辺りを見回した時には、全員帰り始めていた。若者達の群れはすぐに工場の外へ流れて行って、後には少女と少年が一人ずつ取り残される。
少年が肩を落として滲んだ瞳で工場の出口を見つめている。少女はその肩を叩いて、殊更明るい声を出した。
「まあまあ、私が付き合ったげるからさ」
「すまねえ」
「で、何を奢ってくれるの?」
「ん? そうだなぁ」
少年が財布の中身を確認してから、引きつった笑みで答えた。
「牛丼で」
「ええー。何でそんな」
少女が不満を口にしながら少年の財布を無理矢理覗き込んで、そして押し黙り、やがて頷いた。
「分かった。良いよ、それで。っていうか、奢ってくれなくて良いよ。ってか、奢れないでしょ」
「すまねえ」
二人が外に出ると、工場は森閑として、一時前の喧騒など忘れた様に、ただ不吉な死の臭いだけを残して、停滞した様子で闇を湛えた。
少年と少女が牛丼のチェーン店に入ると、入れ替わりに二人の男性が外に出た。何処にでも居そうな特色の無い二人であった。外に出た拍子に二人共寒風に身を震わせると、携帯を耳から離して懐に仕舞った男が隣の男を肘で小突いた。
「リアルパペティアが捕まったそうだ」
「引網が? そうか、あいつの用意する材料には期待していたんだけどな。けれど誰にだ? そんな迂闊な奴じゃないだろう」
「スリーピングビューティが出張って来たらしい」
「徳間か。流石に日本魔検の最高戦力には勝てなかったか」
男が忌々しそうに空を見上げた。月が掛かっている。雲一つ無い。そこには幾人もの魔術師達が各々勝手に結界を張り巡らせて、信じられない程堅固な防壁が出来ていた。
「引網が居ないとやり辛くなるな。それに引網の身も心配だ。すぐに殺される事は無いと思うが」
「リアルパペティアの身については、心配する必要は無いそうだ。モダンナレイティブが居るから」
「ああ、そう言えばそうか。で、引網が居ない間はどうすれば良い?」
「ウィットニスオブヒストリーが来日するそうだ。それまでとりあえず様子見をする事になった」
「フェリックスの爺さんが?」
男が殊更驚いて、男の言葉に疑問を呈する。男は男の驚愕に頷いた。
「ああ、何でも葛飾北斎が見たいらしい」
「観光がてら何だな。葛飾北斎ならフランスにもあるだろうに」
「本場でみたいそうだ」
「さいですか。しかしうちの最高クラスの戦力がやって来る訳か。徳間とどっちが強いかな?」
「恐らくウィットニスオブヒストリーだと思うが。何にせよ、童話と伝説、どちらが強いのか見ものだな」
「とりあえず徳間と爺さんが戦う傍には寄らない。絶対」
「懸命だ」
「で、それまで様子見って、具体的にはどうすれば良い?」
「各自自由に行動をしていろ、と」
「自由行動ねぇ」
「どうする?」
男の問いに男は虚空を見つめて考え、それから酷く陰惨な笑みを浮かべた。
「どちらにしても材料は調達しておいた方が良いだろう? 人が沢山居る所といえば、学校だな。ってな訳で、明日は学校を襲うっていうのはどうだ? そう、引網への追悼もかねて、引網が襲おうとした中学校を」
「それで良い。ただリアルパペティアはまだ死んでいない」
男の冷静な突っ込みに、男は苛立って近くの看板を蹴り飛ばした。
「舞台から一時的にでも退場させられるなんて、殺されたも同じさ」
看板は泡立ち腐って消えた。