今日のまとめ
法子が窓を開いて自室に入り込んだ。
ルーマもその後に続く。法子がそれに目くじらをたてた。
「ちょっと断りも無しに入らないでよ」
「うむ、邪魔をする」
「もう」
法子が変身を解いてベッドの上に座り込む。
「疲れたー」
「お疲れ様」
タマが労う。
「ご苦労」
背の低い小さな円卓の前に腰を下ろしたルーマも尊大な態度で労いの言葉を吐く。
法子が睨む。
「ルーマ、電気付けて。その紐引いて」
「何だかどんどん扱いが粗雑になっていくな」
「嫌な人には優しくしないもん。早く電気付けて」
ルーマは嫌そうな顔をして電気を付けた。蛍光灯が光りを放つ。途端に法子の緊張が弛緩した。
「ホントに死ぬかと思った」
法子が思い出すのは、人形遣いに人形にされそうになった時の事。もう駄目かと思った。徳間が居なければ本当に駄目だったかもしれない。
「ああ、危なかったな」
ルーマが笑う。
法子がそれを睨む。
「危なかったなじゃないよ! どうして見てるだけで助けてくれなかったの?」
「別に助ける義務はないだろう?」
ルーマに飄々と答えられて、法子の言葉が詰まった。確かに、言ってしまえばルーマとは昨日今日会ったばかりのほとんど赤の他人であり、しかもルーマは人間ではない。人間である法子を助ける必要は無いのかもしれない。けれど。
「でも仲間になったのに」
法子が力無く呟いた。魔王の息子と手を組んで世界を救う。それは漫画の様な話で、それが現実なった事が本当に嬉しく、楽しみだったのだ。
「冗談だ。助けるつもりだった」
ルーマの言葉に法子が顔を上げる。
「本当?」
「ああ、仲間だろ?」
ルーマが笑みを浮かべた。法子の心がまた嬉しくなる。法子が笑みを作った瞬間、ルーマが言った。
「まあ、確かに人形にする魔術というのは見てみたかったが」
「ちょっと!」
「思っただけだ。どちらにせよ、他に助ける者が来たから。いやしかし、あいつの魔術は面白い。是非とも手合せ願いたかった。まあ、そんな訳で良いかなと」
「良くないよ! もっと早く助けられたでしょ!」
ルーマが丸テーブルの上で頬杖を突いた。
「試す意味合いでちょっとな」
「試すって?」
「仲間として使えるかどうか」
法子が意表を突かれて、不安げな眼差しでルーマを見つめた。
「で、どうだったの?」
「ぎりぎり合格といったところか」
「良かった」
法子が安堵して俯いた。
「ぎりぎりで良いのか? 突っかかってくるかと思ったが」
「合格なら何とか」
「張り合いの無い奴だ」
ルーマが呆れた様子で窓に目を向けて、その顔が強張った。
法子も窓を見る。そこに女性の顔が逆さになって張り付いていた。整った顔立ちは無表情に外から部屋の中を覗き込み、その波打つ頭髪は窓の下まで垂れ下がっている。
するすると窓が開く。そういえば鍵を掛けていなかったと法子は気が付いた。ゆっくりと窓をずらす、逆さの顔が酷く恐ろしかった。
そうして完全に開き切ると、顔が引っ込み、次の瞬間窓枠に手をかけて、女性が入り込んできた。
今迄の評価は一転して法子はその美しい嫋やかな姿に見惚れた。完璧だと思った。整った顔立ちに優しげな笑みを浮かべ、細く締まった肉体を定規で計った様に真っ直ぐとさせた立ち姿は、何だか絵でも見ているみたいだった。
見惚れている法子へ、女性が一瞥をくれた。すると法子の背筋に怖気が走った。女性は笑顔を浮かべているはずなのに、どうしてかその笑顔が酷く恐ろしいものに思えた。
女性はルーマの前で膝を突いて、目の高さを合わせると、ゆっくりと頭を下げた。
「お久しぶりです、ルーマ様」
「どうしてお前がここに来た?」
「何を、分かっているでしょう?」
「俺を連れ戻しに来たか」
そのやり取りを聞いて、法子は驚く。ルーマはここで帰ったら、この物語が終わってしまう。魔王の息子と共闘して世界を救うという漫画の様な物語が。
「ええ、数刻前までは。ところで、そちらの方は?」
女性が法子に視線を送った。その柔らかい視線を浴びせられる度に、何故だか法子の体が恐怖で震える。
「ああ、そいつは法子っていって、この世界のパートナーだ」
「あら、そうなのですか」
女性の笑みが深くなった。如何にも良い事だと言いたげな笑顔だったが、それを向けられた法子の恐怖は一等跳ね上がり恐怖で死にたくなるほどだった。
「法子、こいつはサンフ。最も信頼に足る部下。俺の片腕だな」
サンフが今迄に無い程嬉しそうな笑みを浮かべた。その瞬間だけは、法子の恐怖が和らいだ。
「まあ、それは良いとしてだ」
サンフの笑みが薄まる。じっとりとした目でルーマを見つめた。
「俺を連れ戻しに来たのかと聞いたら、数刻前はと言ったな。今は違うのか?」
「ええ。実は」
サンフが僅かに法子へ視線を送る。
「安心しろ。無害だ」
ルーマがそう言った。法子は失礼な事を言われた気がした。
「では、その、とても言い難いのですが、と言っても大した事では無いのですが」
「良いから早く言え」
「はい、つい先程この町で覇王の卵を発見しました」
「ほう。こんな所にあったのか」
「はい」
法子は二人の会話が分からない。それに気が付いたルーマが法子に顔を向けた。
「覇王の卵と言うのはだな。かつての魔王が封じ込められている卵だ」
「かつての魔王っていう事はルーマの御先祖様……っていう訳じゃないのか。選挙で選ぶんだもんね」
「ああ、俺とは直接関係ないな。その魔王なんだが、当時は凄まじい強さを誇って覇王と呼ばれていた。その無類の強さで近隣諸国を併呑していったんだが、ある時妻に先立たれて、絶望して自分を封じ込めた」
「自分で?」
ルーマが渋い顔をする。
「ああ、統治していた民を無視して自分勝手にだ。俺には理解出来ん」
法子もはっきりとその気持ちが分かった訳ではないけれど、きっと自分の妻をとても大事にしていたんだろうなと思った。何だか悲しくなった。
「まあ、そこまでは良かったんだが。それからかなり立って、その封印が破れた」
「どうして?」
「どうやら長い時間をかけて周囲の魔力を取り込んで、取り込み切れなくなると勝手に封印が破れるらしい。どうしてそんな封印を施したかはそいつに聞かなくては分からない」
「それで、またその魔王が現れたの?」
「どうだろうな。魔力で出来た概念に成り下がっていたから、当人と呼ぶには少し違う気もするが」
「魔力で出来た概念?」
法子には良く分からない。ルーマも良く分かっていない様だった。
「俺も実地で見た訳ではないから説明し辛いが、とにかく封印の奥から現れたそいつは周囲から魔物達を消し去ったらしい」
「何それ」
「だから分からん。そうしてまた卵に戻ったそうだ」
「でも、またいずれ破れちゃうんでしょ?」
「まあな。それからも何度か破れた。最後は俺が生まれる少し前だったな。酷い惨事だったらしい。未だに当時の事で精神が壊れている奴が要る位だ」
「そんな。どうにか出来ないの?」
法子の不安げな問いかけに、ルーマが得意げに笑った。
「うむ、実はどうにかする魔術を開発した」
「え? ホントに?」
「実に単純だ。周囲から魔力を取り除き、僅かでも吸い込んだ魔力を外から吸い出す。それだけだ。といってもかなり高度な技術が必要で、最近ようやく完成させる事が出来た」
「へえ。じゃあ、安心だね」
法子の安堵を、ルーマの言葉が打ち砕く。
「で、完成させたその日に、覇王の卵が消えた」
「え? 何で?」
「分からん。忽然と消えた」
「どうするの?」
「探した。四方八方探し回ったが、見つからなかった。そこで話がサンフの報告に戻る、どうやら今日見つかったらしい」
法子は納得して頷いた。ルーマは法子に笑いかけてから、サンフに顔を向ける。
サンフはとても優しげな笑みを浮かべていた。
「その者とやけに親しいのですね」
「ああ、仲間だからな」
法子がその言葉を嬉しく思い、頼もしい気持ちでルーマを見て、それから何となくサンフの笑顔を見た。
「そうなんですか」
サンフが笑顔を浮かべている。美しいという以外はごく普通の笑顔である。けれどその笑顔を見て、法子は殺されると思った。思わず気が遠くなった。
恐怖している法子と恐ろしい笑顔を浮かべるサンフの些細なやり取りなど気にも留めず、ルーマはサンフへ尋ねた。
「で、覇王の卵は何処に?」
サンフが言い淀む。
「それが……何者かに奪われました」
法子が驚いて顔を上げた。それじゃあ、まだ危険は過ぎていない事になる。
法子が不安げにルーマを見た。ルーマは強烈な笑みを浮かべていた。
「ほう」
サンフが顔を強張らせる。
「早急に奪い返す為、イーフェル達をこちらの世界に呼び寄せました。なのでルーマ様は」
「うむ、俺も手伝おう」
サンフが丸テーブルを思いっきり叩く。
「だから言いたくなかったんです! 絶対そう言うだろうと思ったから。良いですか? 今回ははっきりと言わせてもらいます! ルーマ様は危険な事をせず、じっとしててください! というより、さっさと元の世界に帰って下さい! 私達が奪い返しておきますから」
サンフが息を荒げてルーマを見つめる。ルーマはしばらく無表情でサンフを見つめていたが、やがて頷いた。
「分かった」
サンフが驚いてルーマを見つめ返した。
法子も驚いてルーマを見た。本当に帰ってしまうのか。
「良いのですか? やけにあっさり」
「うむ、そうまで言われてはな」
「ありがとうございます!」
サンフがまた頭を下げた。ルーマはそれを無視して立ち上がる。
サンフの顔が引きつった。
「ルーマ様、何処へ?」
「イーフェル達が来るんだろう? 会いに行く」
「そんな、覇王の卵については私達が」
「俺はお前達の指揮官だ。現場には行かないまでも報告を聞き判断を下す義務がある」
止めるサンフを振りほどいて、ルーマは窓を開いた。
「それでは、法子、また会おう!」
そう言って窓から飛び出していった。
サンフが法子に向かって一度お辞儀をしてから、一瞬、また凄まじい笑顔を浮かべ、そうしてルーマの後を追った。
後には法子だけが残された。
「何だか大変な事が起こっているみたい」
タマが先を見越して釘を刺した。
「でも君が首を突っ込む必要は無いよ。あいつ等の問題だからあいつ等が解決するだろう」
「でも、この辺りも危ないんだよ?」
「そうは言っても危険すぎる。絶対に駄目だからな。今日だって本当に危なかったんだから」
「う、うん、まあ確かに」
法子が身を震わせた。窓が開け放してあった。
法子は窓とカーテンを閉め、そしてまたベッドに戻る。
「じゃあさ、私がもっと強くなったら良いんじゃない?」
「それでも駄目。危ないから」
「ええー」
口では不満を上げたものの、法子は仕方なく思っていた。今日の危険もあるし、それに魔王と戦った時にタマを悲しませてしまった負い目もあった。結局タマの言葉を押し切ってルーマと手を組んでしまったし、少し位はタマの言う事を聞かなくちゃいけないと思っていた。
「分かったよ」
「分かればよろしい」
「それじゃあ、お風呂入って寝る」
「寝る前にトレーニングもね」
「分かってる」
お風呂に入る準備を始めると、何だか一気に現実に帰ってきた気がして、法子は奇妙な虚脱感に襲われた。
町で起こっているテロは人形遣いを捕まえた徳間というヒーローが解決してしまう気がした。覇王の卵もルーマ達が解決するに違いない。そう考えると自分の出番はなく、下手に首を突っ込めば、魔王と戦った時の二の舞を演じる事になるかもしれない。そうすればタマが悲しむだろう。家族だって悲しんでくれる。だから関わるべきじゃない。もう夜には出歩かず、徳間やルーマと会う事も無く、平穏な暮らしを享受する。それが一番のはずだ。
明日の学校で友達に会えるだろう。今までずっと欲しくてたまらなかった友達が待っているはずだった。それは町で起こっている事件を解決するわくわくを補って余りある位にとても嬉しい事であり、早く明日になってくれと願っておかしくない事であった。
けれど法子は、感情移入し過ぎた映画を観終わった後にやって来るあの虚しさを感じていた。
一つの物語が終わった事へ捧ぐ悲しみが胸を圧迫して止まなかった。