大鉢特摩処
その男は窓を破って美術室へ入り込むと、けたたましい窓の破裂音に紛れて、朗々とした声を響かせた。
『この世が如何に残酷か。その身を以って教えてやる』
途端に部屋中に居る人形達の体から、その皮膚を突き破って鈍色の針が生えた。刹那の後、人形達の居た場所には、針の先に皮や頭髪や衣服の切れ端が引っかかったたわしの様な物体だけが残る。部屋の中に居る者では、狐顔の男と法子だけが無事だった。法子を掴んでいた人形達も針だらけとなって針の奥底に埋もれてしまったが、突き出る針は奇妙に法子を避けて生えていた。傷一つない法子は気の抜けたまま、足腰が働かず、人形達の戒めが解けた事で、その場に倒れた。
法子は床に倒れた衝撃で、放心から立ち直り、這いつくばったまま顔を上げ、辺りを見回して針だらけになった教室に困惑した。
その頭上越しに、窓から入って来た男と狐顔の男が会話する。
「変な気配にやって来たら、随分と御大層な毒が紛れ込んでたもんだ」
「はて、何の事でしょう」
「俺が居る町で何か仕出かそうとしたのが運の尽きだったな。お前は今日でお終いだ」
「どうでしょうねぇ」
狐顔の男が余裕を見せて笑った。するとその口に針が生えた。突き破られた口を押えて呻きながら、狐顔の男は服の中から人形を放つ。ところが人形は服から飛び出た瞬間、内側から生える針に蹂躙されて床に落ちた。更に狐顔の男の手足にもいつの間にか幾本か針が突き立った。窓から入って来た男は狐顔の男へ近付いて、身じろぎして逃げようとする狐顔の男の顔面に蹴りを見舞い、昏倒させた。
「とりあえず、お前は迎えが来るまでおねんねだ。本当は今すぐずたずたにしてやりたいところだがな」
倒れた狐顔の男にそう吐き捨ててから、男は携帯を出して、何処かへと掛けた。
「俺だ。こっちは当たり。そっちは?」
数拍空いた。
「そうか。じゃあ、こっちへ来てくれ。後、有黍もこっちへ」
携帯から何か怒鳴り声が聞こえるが、それを無理矢理切って、携帯をしまい、振り返って、倒れ伏す法子へ笑顔を向けた。
「で、あんたは大丈夫か?」
男が法子に近寄り、抱え起こして、その顔を覗き込む。
法子は急に近付いた若い男の顔に驚いて、突き飛ばし、そして男の手から離れて床に転がった。痛みに顔を顰めつつ、身を起こすと、男は笑っていた。
「安心しろ。敵じゃない。俺は、魔術検定協会、日本支部の徳間真治っつーもんだ。今は、この町の調査にやって来てる」
そう言って、徳間は懐からカードを取り出して、法子へ見せた。何やら組織名と顔写真と名前が書かれているが、法子にはそのカードにどんな意味があるのか分からない。魔術検定協会とは、多岐に亘る機能を持ち簡単に説明する事は出来ないが、一言で言えば魔術に関する様々な問題を解決する組織である。そこに所属している人間が何故こんな所にやって来ているのか。全く分からない。ただ徳間の浮かべる笑顔が荒々しいながらも優しげであったので、心が幾分落ち着いた。
法子が安堵したのを見て、それが身分証を見せた事によると勘違いした徳間は、懐にカードをしまうと、法子へ尋ねた。
「で、あんたの識別番号は?」
法子は分からずに口を半開きにした。
「忘れたんなら、身分証でも良い。あんたも魔検に登録してあるんだろう」
登録していて当然という口調だった。
しかし法子は登録していない。もしかして徳間が優しげなのは、魔検に登録した者同士、仲間だと考えての事だろうかと訝った。もしもこの状況で登録していないと分かれば、最悪攻撃されるかもしれない。そんな恐ろしい想像が湧いて、法子は何とか取り繕おうと、しどろもどろになって、結局答える事が出来なかった。
徳間はそれで察した様で、驚いた様子で、法子を覗き込んだ。
「あんた、登録してないのか!」
法子が仰け反る。怖くて涙が出てきた。
「は、はい。すみません、ごめんなさい」
「いや、別に謝る必要は……それならそれで良い。びっくりさせて悪かったな。ただ今時珍しいから」
法子はとりあえず怒られなかった事に安堵して、徳間を見上げた。徳間と目が合った。徳間がまた心を落ち着かせる笑いを浮かべた。
「とにかくあんたが悪い奴じゃないってのは分かってる」
法子が安堵する。
「問題はさっきからこっちを窺っている奴だ」
徳間の顔が突然鋭くなった。その視線の先には廊下に立つルーマが居る。
法子は慌てた。ルーマは魔王の息子。魔物である。ほとんどの人間にとって魔物は敵だ。ルーマと徳間が戦う事になってしまうかもしれない。
そう恐れていると、ルーマが口を開いた。
「ほう、気付いたか」
「勿論。そこ等の雑魚と一緒にするな」
徳間は庇う様に法子の前に出た。
「わざと強い奴だけに気付かれる様に半端な隠蔽の魔術を使ってるんだろ? 強い奴と戦える様に」
「まさか、意図まで見抜かれるとは」
「俺も良くやるからな」
徳間は不敵に笑ったが、すぐに残念そうに首を振った。
「出来れば戦いたいところだが、残念ながら後ろの子を巻き込む訳にいかない。あんたは何だか怪しげな気配を持っているが、別に何か悪い事をした訳でも無いし、こちらとしても無理に戦う必要が無い。だから今日のところは引き下がってくれると嬉しいね」
良い人だ。後ろで徳間の背を見ながら、法子は何だか胸が熱くなった。如何にも人々を守るヒーローといった感じだ。戦いを求めている所も少年漫画のヒーローっぽい。
ルーマが挑発的な言葉を返した。
「そいつは勝手に帰せば良いだろう? あるいは場所を変えるか?」
ルーマの言葉を徳間が拒否する。
「流石に女の子を一人で放り出す訳にはいかない」
法子はおおと感嘆する。まさしくヒーローだ。加えて、良い意味で女の子扱いされた事が数える程しかない法子にとって、その発言はとても嬉しかった。
だが感動している法子の心にルーマが水を差した。
「なら一緒に戦えば良い。あんたのお仲間が来るんだろう? 俺と法子、あんたとその仲間の二対二で戦おう。それなら問題無しだ」
折角穏便に治まりかけていたところへのルーマの言葉に、法子が固まった。
徳間も驚いて声を上げる。
「何、馬鹿な事を。何でこの子を巻き込もうとする」
「そいつは俺の相棒だ」
徳間が慌てて振り向いた。法子が青ざめて顔を逸らす。それが答えとなる。徳間が法子とルーマを何度か交互に見て呟いた。
「状況が全く分からん」
しばらく困惑気味に唸っていたが、理解する事を諦めた様で、近場の椅子に腰を下ろしてから、息を長く吐いた。
『嘘を吐いたら針千本呑ます』
徳間はルーマを見つめた。
「まず、あんたに尋ねる。あんたがこの学校に来た目的は?」
「何か起こりそうだったから。実際は拍子抜けだったが」
「あんた、この町の人間じゃないだろ?」
「まあな」
「ならこの町に来た目的は?」
「目的? そうだな、魔術見物。あるいはそこの法子に会いに来たって所か?」
「成程ね。一般人に危害を加えるつもりは?」
「一般人ていうのは? 少なくとも戦いの際には何をするにも吝かではない」
「だったらどんな時に戦うんだ?」
「魔術が見たい時と、相手が戦って面白そうな奴の時、後は身を守る時にも」
徳間の視線が法子へ移った。
『指切った』
「え?」
「いや、何でもない。じゃあ、法子ちゃん、で良いのか?」
「は、はい」
法子が身を強張らせる。
「法子ちゃんはこの町の人間?」
「は、はい」
「こんな時間にこの学校に来た目的は?」
「その、ルーマに、あ、そこで立ってるのに連れられて」
法子がルーマを見る。徳間もその視線を追ってルーマに行き着く。ルーマはウインクで応じた。
「法子ちゃん、ホントにあいつの相棒?」
「えっと、一応」
徳間はルーマを疑わしそうに見つめたが、やがて視線を離して、法子を見た。
「危ないから縁切った方が良いよ」
「はい、でも、今は助けが必要だから」
「助け?」
男が眉を顰める。
ルーマが軽口を挟んでくる。
「勿論世界征服の。あるいは人類を皆殺しにする為に」
法子がそれを慌てて否定した。
「ち、違うよ! 違います。違うんです。私は別に」
「あー、分かってるから大丈夫だから。あと、あんたはちょっと黙ってろ」
徳間は、声を上げて笑い出したルーマを睨んでから、再び法子と向き合った。
「大丈夫。冗談だって分かってるから」
優しげな笑みに法子の気が落ち付いていく。そして余りにも落ち着きすぎて、異性の顔が近くにある事に思い当たって、顔を俯けた。
「それで本当は?」
「あの、この町を守りたくて。今、何かが起こってるから」
徳間が黙る。法子は、まさか信じてもらえなかったのだろうかと不安になって、顔を上げると、徳間は微笑していた。
「変、ですか?」
「いや、感心だよ。ただね、危ない。出来れば、ここは俺達プロに任せて欲しい」
法子が再び俯いた。今度は不承の意志を表す為に。
「この町に住んでいるなら、この前のショッピングセンターでの事は知ってるだろ? あれ位大変な事が起きるかもしれない」
「また、魔王が!」
男は一瞬眉を顰めたがすぐに優しい笑顔に戻った。
「それ位大変な事が起こる可能性がある。だから、大人しく」
「なら、尚更退けません!」
突然、法子が大声を出した。
徳間は面食らい、同時に自分の言葉を後悔する。法子の性格が己の命よりも周囲の安全を優先するタイプだと分かったから。今しがたの説得は完全に逆効果だ。
目の前で息巻いている法子を見て、徳間がさてどうやって説得したものかと悩んでいると、突然背中に悪寒が走った。即座に美術室の破れた窓を見て、更にその向こう、月夜の中おぼろげに浮かび上がっている街並みを見る。その瞬間、徳間の目の前、拳二つ分先に、突然ウニの様な棘の塊が生えた。遅れて、甲高い破裂音と耳を傷めそうな金属切削音が響く。棘の塊が徳間の足元に落ち、音を立てる。
魔術に依って強化された徳間の目が、遠くのビルの屋上に、銃口を構える人影を見た。
狙撃されていると気が付いた瞬間に、徳間は法子と気絶した狐顔の男を抱え上げ、美術室を飛び出した。遅れてルーマも付いてくる。
「狙撃されたみたいだな」
ルーマが呑気な口調で尋ねた。
「らしい」
徳間は壁に隠れると狐顔の男を放り、法子を下ろして、携帯を取り出した。その瞬間、壁が穿たれ、徳間のこめかみの拳二つ分先に、再びウニの様な棘の塊が生え、下に落ちた。
「ほう、壁越しでも。優秀な狙撃主だ」
ルーマが感心した様に言う。
徳間は狙撃主が狙っているのは自分だけだと判断して、法子へ名刺を渡した。
「あの狙撃主の狙いはこっちみたいだ。だからこっちで片付ける。あんた等は今日のところは家に帰れ」
「でも」
渋る法子へ向けて、徳間は法子の性格を考えてから、否やとは言えない言葉を吐いた。
「あんた等が居ると邪魔なんだよ」
案の定、法子は何も言えなくなって黙り込む。
徳間は落ち込んだ法子を見て少し申し訳なく思ったが、再び棘の塊と破裂音と切削音が生まれたので、携帯を掛けながら、急いで法子へ言い添えた。
「もしも何かあったらさっき渡した連絡先に連絡してくれ。特に、何か違和感があった場合は、どんな些細な事でも良い、教えてくれると助かる」
再び棘の塊と破裂音と切削音が生まれる。
法子が受け取った名刺を眺めて、それから徳間を見て、どうしようか迷っていると、それを徳間が怒鳴りつけた。
「さっさと行け!」
法子はびくりと震えて、悲しそうに顔を歪めてから、背を向けて駆け出した。ルーマは一瞬、肩をすくめると、法子の後を追った。
それを見送る徳間のこめかみ近くに再び棘の塊が生まれた。やはり狙いは徳間の様だ。携帯から女性の声が聞こえてくる。徳間は携帯に向かって、叫んだ。
「敵だ。狙撃されてる。学校の東の一番高いビルの屋上に狙撃主。片付けてくれ」
相手からの返答を受けた徳間は、一度穴の穿たれた壁を睨みつけてから、気絶した狐顔の男を抱えて、法子達とは反対側へ駆け出した。




