ドッグファイト
『ランブルドッグ
彼が檻と見なした空間からは、彼か敵、どちらか死ぬまで出る事叶わない。
闘犬に類比して、ひたすらに高めた凶暴性は交渉を拒絶する。
攻撃性:A
魔力 :C
血統 :B
備考 :南東、美術室』
目の前の男を解析し終えた法子へ、タマが賞賛を送った。
「凄いじゃないか。相手の戦闘方法まで解析出来る様になっている」
法子ははにかんだ。
「そうかな? 成長してる?」
「ああ、しているよ。正直、君の解析は有能過ぎて怖いぐらいだ」
「そっか……へへ」
刀を構えた法子はゆっくりと身を沈める。その後ろでルーマは興味深そうに笑っていた。
廊下には月の灯りが照り込んでいる。茫洋と明るい廊下は何か粘液にでも満ちている様な月明かり特有のよそよそしさがあって、十歩歩いても一歩しか進めない様な、そんな粘り気があった。
法子は目の前の男を見る。男の笑みが深くなり、口角が吊りあがり、獰猛さが増していく。足元の人形達は変わらず同じ踊りを踊っている。それが気になった。
「ねえ、あの人形って何だろう? あいつの能力かな?」
「あんまり見ない方が良い」
「え? 何で?」
「人形を使った魔術や戦闘の場合、人形に注意を払ったら負けなんだよ。類比呪術で気付かない内に影響させられてるんだ。だから操っている奴を優先して倒す。人形は見る事すらしない。っていうのが人形遣いとの戦いの基本だね」
人形が変わらず踊っている。法子にはその踊りが段々と不気味に思えてきた。
「さっきから私、人形の事が凄く気になってるんだけど、もしかして、もう相手の魔術にはまっちゃってたり?」
「それは大丈夫。だと思う。一応、精神に干渉してくる魔術は私が防御しているから。敵が私なんかよりよっぽど強力な魔術師ならその限りじゃないけど」
心配がぬぐえないまま、再び法子は敵に意識を向けた。今度は足元の人形は見ず、ただ口の端を釣り上げ、涎すら垂らし始めた男だけを見据える。
「とにかくあいつを倒せばいいのね?」
「違う違う。まずはあの人形を操っている奴からだ。目の前の男ははっきり言って雑魚だよ」
「人形を操っているのって、あいつじゃないの?」
「君の解析には目の前の男が人形を操るなんて出なかっただろ? 操っている奴は別の場所に居る」
「じゃあ、あいつは無視してその操っている人形遣いを倒しに行けば」
「そう。でもその為には目の前の男の魔術が厄介」
「魔術?」
「解析しただろ? 目の前の男の魔術は辺りの空間を檻に見立てて逃さない魔術らしいじゃないか。実際、君とあの男が居る範囲は既に周りから隔絶されているよ。魔力の流れが変だ」
法子が辺りを見回した。確かにある場所を境に魔力の流れが食い違っている様に見えた。
「じゃあ、出れない訳? やっぱり倒すしかないじゃん」
「うーん、まあ、そうなんだけど」
タマが渋々認めた時には既に法子は駆けていた。先手必勝。男が構える前に倒してしまおうと、真っ直ぐ男へ迫り、そして一気に刀を抜き放つ。男は反応すらしなかった。
法子が左から右へ水平に振った刀は男の右腕へ切り込みを入れ、慌てて法子が刃を止めた為にそれ以上は進まなかった。
法子は飛びのいて、恐ろしげに男を見つめた。男は一向に動く気配が無い。ただ笑みだけが凶暴に強まっている。男の右腕は肘の直ぐ上に切りこみが入り、取れかけている。だが血は出ていない。
「どうしたの、法子?」
タマの問いに法子が震える思考で答える。
「どうしたのじゃないよ。切れちゃった。どうしよう」
「いや、どうしようって」
「どうしよう。あの人、腕取れちゃいそうだよ。もしかしたら死んじゃうかも」
タマが強く溜息を吐いた。
「法子……君って本当に不思議な性格しているよね。戦うのは楽しんでいるのに、相手を傷つけるのは嫌なのかい?」
「だって」
「それに魔物や魔法少女には躊躇なく攻撃する癖に、純君やらあの男を切ると狼狽える。異性を切るのが嫌だとか?」
「そ、そうじゃないよ」
「それに、切るのが嫌なら何で切ろうとしたの? 今の攻撃、途中で止めなかったらあいつ真っ二つだったよ? 完全に殺すつもりの攻撃じゃないか。なんでそんな攻撃をしたのさ」
「だってあいつが避けるか防御すると思ったんだもん」
タマがまた溜息を吐く。その後に、けれど、と思い直す。けれど確かに法子の言う通り、法子の攻撃を避けようともせず、しかも切られた後にもまるで頓着せずに立ち尽くしている男の様子はおかしい。男は痛みを感じていない様に、凶暴な笑みを浮かべ続けている。
男の腕の傷が塞がっていく。魔術で治癒している様だ。先程避けなかったのは戦闘に支障が無いと考えての事だろうか。怪我を負う毎に強くなる魔術? けれど法子が手を止めなければ胴体が真っ二つになっていた。流石にそれでは死ぬだろう。やはり避けなかったのは解せない。もしかしたら。
「法子、もしかしたらあの男も人形かもしれない」
「人形?」
「そう、あの足もとに居る人形と同じ様に、繰り主の意のままに動いているだけかもしれない」
タマに言われて、法子ははっとして男の様子を観察した。
「そっか。だから血が出なかったんだ」
「成程」
タマは法子の言葉に納得した。止血の魔術は戦闘を行う上で初歩の行為であり、タマは男の傷から血が流れなくても何の疑問も持たなかった。けれど言われてみれば確かに、人形だから血が流れなかった可能性もある。
「それに良く見れば、目に生気が無いね」
法子が言った。どんどんと人形の可能性が高まっていく。
だとすれば。
「まずいな」
「どうして?」
「普通なら死ねば魔術は消えるけど、操られているなら細切れにしたって止まらずに、魔術は発動しっぱなしかもしれない」
つまりこの空間から出られない。
「でも魔力が尽きれば」
「そうだけど、それには時間が掛かるだろ。あー、でも怪我の治癒に魔力を使わせればいいのか。それで魔力が尽きれば」
「そっか」
ようやく光明が見えた事で、法子は気を取り直して、刀を構えた。けれどその刀は鞘に納まっている。法子は刀が鞘から抜けない様に封じてしまっていた。
「どうした、法子」
「え? 何が?」
「何で、鞘に納めるんだ?」
「何でって、切らない様に」
「いや、切らないでどうするんだよ」
「叩く」
法子があっさり言うので、タマは面食らった。
「叩くって、別に良いけど、切る方が遥かに楽だろう」
「だって、人形って言ったって、凄い人間っぽいんだもん。流石に切りたくないよ」
「あー、もう」
仕方が無い、とタマは諦めた。刃を納めていていても鉄の棒。十分に殺傷出来る。
「それじゃ、行くよ」
法子がそう言って、身を沈めた時、男の姿が消えた。
「え?」
法子が呆気にとられた声を出しながらも、咄嗟に刀を顔の左に持ち上げる。次の瞬間、刀とそれを持つ手に衝撃が走って、法子はよろめいた。左を見ると、男が攻撃の反動で後ろに下がりながら着地するところだった。
「危なかった」
「速いな」
男は着地した瞬間、今度は真っ直ぐに飛び掛かって来た。男の右腕が振るわれ、法子の顔に迫る。法子はそれを刀で払った。法子の刀が男の腕を弾くと骨の折れる音がした。更に法子の顔面に男の左腕が振るわれる。法子がしゃがみこんでそれを避け、同時に左に振り切っていた刀を返して、男の右脇腹に叩きこんだ。男は怯まない。男の右足刀が法子の顔面を狙う。法子は左手に刀を一本生み出して二刀流となり、同時に顔を右に振って男の足刀を躱す。足刀が法子の顔を掠めた瞬間、今度は男の左足が法子の右側面に迫る。それを生み出したばかりの刀で払う。骨の折れる音がする。
更に男が攻撃の気配を見せたので、法子は距離をとる為に、後ろへ跳び退った。だが男はそれを逃がさず、襲い掛かってくる。法子は一呼吸おいて、刀を構え直し、男の突き出す左腕を叩き落とし、横から迫る右足を避け、そして左の刀で男の胸を突いた。湿った材木を折り砕いた様な音が聞こえたが、男は止まらない。男が体を捩じって、刀から逃れ、回転を利用して、斜め上から右足を振り下ろしてきた。法子が再び跳び退ってそれを躱す。そこへ更に男の右腕が横から迫ったので、法子は更に後ろへ下がる。が、途中で壁か何かに突き当たり、避けきれず、法子は左腕で敵のフックを防御した。防御した左腕の骨が折れる。だが痛みは感じない。すぐさま修復される。法子が右の腕で男の胸を突き、何とか引き剥がした後、両の刀を男に押し当て、思いっきり押し込んで突き飛ばした。
ようやっと距離が離れ、人心地ついた法子は、そっと呟いた。
「速い」
「でも君の方が速いよ。戦いに慣れてないから動けていないだけで」
タマが慰めに似た言葉を吐いた後、分析した事を語る。
「それよりも、やっぱりあいつは怪我をする毎に強くなるみたいだね。法子の攻撃をくらう度に、次の攻撃が鋭く強くなってる」
「長期戦は不利って事?」
「相手の魔力量は少ない様だし、長期戦に持ち込めれば勝てるけど。でもこっちは早くこの場を脱出しなくちゃいけない」
男が笑いを更に深くする。
「ちょっと気になったんだけど、さっき私の背中に当たったのって結界?」
「ん? ああ、後ろに退がった時の? そうだね。男の魔術で出来た檻だよ」
「触れるんだ」
「そりゃあ、物理的に隔絶させるんだから触れるだろ」
「じゃあ、簡単じゃん」
「何が?」
男が消えた。
法子が慌てて横に跳ぶ。一瞬遅れて、法子の居た場所へ男が現れる。法子が姿勢を制御して、廊下の側壁に着地しようとすると、その前に見えない何かにぶつかった。男の作った檻だ。見えないからやり辛いなぁと思いながらバランスを整えていると、男が再び飛び掛かって来た。法子が檻を蹴って天井に跳ぶ、上に張られた檻に着地した瞬間、男が飛び掛かって来る気配を見て取って、下に跳んで地面に下り、更に跳び、跳んで、止まる事無く檻の中を縦横に跳ぶ。男がそれを追って、同じ様に跳ね回る。
男と鬼ごっこをしながら、法子は見えない檻を観察した。解析がどんどんと結果をはじき出していく。解析はやがて終わった。その結果を元に、刀へ魔術を付与した。男の張った結界を切り裂く魔術を。
「君のそれ、有能というか、もう反則に近いよ」
タマの言葉を聞いて、法子は優越感に浸りつつ、見えない檻を一際強く蹴り、跳んだ先の檻を切り裂いて、裂けた合間を抜け、廊下に着地、そのまま廊下を駆けた。
「出られた!」
「お見事」
「後は操る奴を倒すだけだね」
「操る奴は南東の」
「美術室!」
「そう」
美術室は直ぐそこにあった。扉を開けて、入り込むと、中に沢山の人影があった。
月明かりの入らない美術室は廊下に比べると酷く暗かったが、それでも外から微かな灯りが漏れ混んでいて、薄らと物の輪郭だけが影絵の様に見えた。
「法子、夜目を利くようにするよ」
タマが暗視の魔術を使うと、視界が一気に切り替わり、美術室が色付いて、昼間になった様に明るくなった。
美術室の中にはやはり沢山の人が居た。壁に沿う様に立ち並ぶ人々。けれどその目からは生気が感じられない。たった一人だけ木製の粗末な椅子に坐ったタキシード姿の男だけが目に不気味な光を宿していた。
一目でそいつが操り主だと知れた。
「ようこそ、お嬢さん」
狐の様な顔に賺す様な笑みを張り付けて、男が言った。
法子は答えない。
「私のコレクションになりに来てくれたのかな?」
下らないと思って、会話などせず、男を攻撃しようとして、男の言葉に嫌な響きを感じた。
まさかと思う。
まさかと思って、周囲の人形を解析する。まさか男が操っているのは人間なんじゃないかという嫌な予感を伴って解析する。
『人間。死体』
立ち並ぶ人形達は皆人間だった。そして既に死んでいた。狐顔の男は死体を操っている。
死体は整った姿で意志の感じられない目をして、居並んでいる。まるで人形の様に。
吐き気を堪えて、法子は戦慄いた。
「あんた」
法子が狐顔の男を睨みつける。
狐顔の男は不思議そうな表情で、一つ周囲の人形を見回すと、にやりと笑った。
「もしかして人間だって気が付いていなかった?」
そうして声を上げて笑い出した。死体を操る事など何も感じていない様だった。
駄目だ。
法子は思う。
こいつ、死んだ方が良い。
目の前が怒りで染まりあがり、視界がぼやけていく。
まさかさっきの男も? と思った時に、背後で音がした。
振り返ると、先程戦った男が美術室に入ってくるところだった。やはり目に生気は無い。
「ああ、何だ。てっきり壊されたかと思ってたよ。私の人形、壊さないでくれたんだね。君は優しいね」
振り返ると、狐顔の男が優しげな笑みを浮かべていた。
「お前、何で、こんな事」
法子が震える声でそう言った。
「何でって何でしょう?」
男が余裕のある声でそう答えた。
刀を握る法子の手が更に強く刀を握り込んだ。
「どうしてこんな。死んじゃった人を操るなんて」
「どうしてって言われても。何となく……かな? 人形達だって動けないより動けた方が良いでしょ?」
法子は辺りの人形を見回した。そして自分が納得できるぎりぎりの理由を口に出す。
「じゃあ、みんな、あなたの、知り合いで、亡くなったのが、可愛そうだから、人形にしたとか?」
狐顔の男が呆気にとられた顔をした。
「え? 何で? 違うよ。たまたまそこら辺を歩いてたから、動けなくして人形にしてあげたんだ」
「ふざけんな!」
激昂した法子は一足飛びに狐顔の男へ近付き、鞘に納まったままの刀を思いっきり振り上げて、袈裟がけに男の胴体へ振り下ろした。寸前で狐顔の男の体から幾つかの人形が飛び出し、刀の前に立ち塞がろうとしたが、刀はその全てを砕き切って、狐顔の男の胴体へ達し、西瓜でも潰した様な音が鳴って、狐顔の男は吹き飛んだ。そのまま壁に叩きつけられて、ずり落ちる。
狐顔の男は口から血を流しながらも、にやりと笑った。
「酷いなぁ。とっても痛い」
狐顔の男が口の血を拭ったのを合図に、周囲の人形達が動き始めた。
法子がそれに対して構えた時、背後から嫌な予感がして、衝撃がやって来て、法子は地面に叩きつけられた。
「馬鹿」
タマの声が聞こえる。
法子が急いで立ち上がる。後頭部に鈍い痛みが走った。触れると生温い液体がこびりついた。
振り返ると、先程戦った男が居た。男は四つん這いになってまるで犬の様な恰好をして、法子に対して凶暴な笑みを浮かべながら唸っていた。その犬男の姿は人間に見えず、人形になってしまった末路だと思った瞬間、法子の心の底から恐れが一気に吹き出してきた。
「法子、気をしっかり保て」
タマの言葉は法子に届かない。
恐れ戦いた法子は犬男から離れようと一歩退いてから、タマの助言を思い出して、人形を、犬男を見ない様に振り返る。後ろにも沢山の人形が迫っていた。法子は出来るだけそれらを見ない様にして、人形の攻撃を避けながら、その合間を縫って狐顔の男へ駆けた。
刀は鞘から抜けていた。躊躇は心の中から消えていた。
鞘から抜けた真剣を、法子は恐慌状態のまま水平に振り構え、そして叫び声を上げながら、走り寄って狐麺の男へ振った。だが直前で、横から現れた人形が男の盾となった。人形の胴に切れ込みが入る。法子は慌てて刀を止めたが、人形の体は半ばを過ぎた辺りまで切り裂かれた。人形の体が傾ぎ、そして上半身が下半身から零れ落ちる。人形の上半身は辛うじて繋ぎ止められてはいるものの、逆さまにぶら下がってしまった。
「あ、あ」
法子があまりの光景に後ずさると、その体を後ろから迫った人形達が掴んで押し止めた。目の前から上半身をぶら下げた人形がゆっくりと歩んでくる。
「酷いなぁ。僕の人形を、こんなにして」
いつの間にか立ち上がった狐顔の男は人形のぶら下がった上半身を一撫でしてから、法子へ爽やかな笑顔を向けた。
法子の心は完全に限界を振り切り、もう何も考えられなかった。全身の力が抜け、嗚咽を漏らしながら、人形達に体を預けて動けない。タマが何度も呼びかけるが、法子は一向に反応を示さない。
動けなくなった法子の元へ、男が歩んできた。
「うん、傷付けずに捕らえられたのは重畳。早速人形に」
男の手がゆっくりと近付いてくる。
それを廊下から笑って見ていたルーマだが、突然不可解そうに眉を顰めて、美術室の窓の向こうに目をやった。一拍遅れて、タマも窓の向こうに意識を向け、驚いて思考が空白化した。