戦いの夜が始まる
「まあ、イタリアから」
「そこって今暴動が起きてるって所?」
母親と弟が興味津々にルーマへ接しているのを見て、法子は苦い顔で黙り込んでいた。
母親はルーマを見つけた後、すぐに弟を呼び戻して、幾分遅いお昼ご飯、あるいは大分早い夕飯が開始される事になった。母親と弟は積極的にルーマへ話しかけ、ルーマはそれに快く応じている。法子だけが独り黙り込んでいた。
「ええ、そうです。酷い事になっているので逃げてきました」
「あら、そうなんですか。ゆっくりしていってくださいな」
「日本語上手だね」
何だよ、イタリアって。魔界から来たくせに。ていうか、ルーマさんの二人への態度、私と大分違うんじゃない? 等と心の中で愚痴りつつ、法子は黙々とひじきを口に運んでいる。
一方ルーマは二人の質問攻めを上手に嘘で居なしつつ、食卓に並べられた料理達をどんどんと口の中に放り込んでいる。
「沢山の人と交流したいので、色々な言語を学びました」
「豪いわねぇ。法子、あんたも見習いなさい」
「俺も中学入ったら頑張ろう」
団欒は法子から三千世界ほど遠く離れた所で延々と繰り広げられている。法子は遠くからそれを見て、自分の日常にルーマが溶け込もうとしている事に嫌悪するが、かと言ってどうする事も出来ない。加えて母親と弟がきっかけさえあれば法子とルーマの関係を問いただそうとそわそわしている事が見て取れた。けれど本当の事は言えないし、下手に弁解すれば余計にこじれてしまう可能性がある。出来るだけ気付かれない様に身を縮めてやり過ごそうとする。時たま振られる会話もほとんど口を出せずに、法子はこの時間が早く終わる様に祈りながらじっと待ち続けた。
それから一時間ほどして、法子にとっては長い長いいたたまれない団欒が終わる。終わりの気配を感じ取った法子はほっと安堵して肩の力を抜いたのだが、その時母親が唐突に凄まじい事を言った。
「じゃあ、ルーマさん、泊まっていきなさいよ」
「はぁ?」
今迄黙っていた法子が素っ頓狂な声を上げる。母親が法子を睨みつけた。
「ごめんなさいねぇ、この子、さっきからずっと喋らなくて。恥ずかしがり屋で。きっと嬉しいはずなんですけど」
「いえ、でも突然泊めていただくわけにも」
ルーマが腹の中を隠して笑顔で応じる。
「そんな。泊まる所が無いのでしたら、どうぞうちに」
「そうだよ、泊まっていきなよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
そうしてあっさりと言質を取ったルーマは爽やかに応じた。
法子は納得がいかない。いかないがその不満を表に出せば怒られると分かっていたので、何も言えずにいた。
団欒が終わったが悪い状況は終わらない。
ルーマの泊まる部屋を弟と片付け、日が暮れ終えた頃になってようやく仕事を終えた法子は、疲れ切って自室に戻った。家族にもルーマにも会わない様に、今日はもう部屋から出ないという不退転の決意を持って、固くドアを閉す。だが閉めた瞬間、その反対の窓からルーマが入り込んできた。
「さて、作戦会議と行こうか」
苛立ちが頂点に達した法子はもはや礼儀も恐れも全て捨て去って、ぞんざいに言い放った。
「ちょっといきなり入って来ないでよ!」
「何、これから一緒に行動するんだ。この位、目くじらを立てるなよ」
「これ位って……」
ふと嫌な予感がした。そもそも一緒って何処まで一緒に行動するつもりなんだろうと。まさかお風呂やトイレまで? 夜寝る時も一緒とか? そんなの絶対やだ。
そんな法子の悩みは顔に出ていて、ルーマが笑って否定する。
「そんな四六時中一緒に居る気は無い。あくまで目的は魔術師との戦闘。一緒に見回りをしましょうって話だ」
それを聞いて法子は安堵する。
だが、ルーマは予想外の場所から法子を攻撃してきた。
「それで法子は学校って所に行くんだろう?」
「え?」
ちょっと待ってと法子は心の中で呟いた。
「人が多い場所みたいだし、魔術師が居るかも知れん。俺も一緒に行こう」
やっぱり。思わず法子の息が詰まった。そうして息が回復した瞬間怒鳴る。
「駄目! 絶対駄目!」
「どうしてだ? 二人の目的を考えるなら」
「何が何でもどうしたって絶対に駄目!」
折角学校が楽しくなりそうなのだ。折角今迄の暗い日常が変わりそうなのだ。そこに異物が入ったら壊れてしまう可能性がある。だからどうしたって許せない。
「絶対駄目だからね! もし来たら」
「来たら?」
ルーマが真剣な様子で尋ねた。
法子が少し俯きがちに、前髪で隠れた暗く淀んだ瞳でルーマを睨みながら、地獄の底から響く様な声を軋らせた。
「殺す」
「ほう」
ルーマが感心した様子で息を吐いた。
「あなたを殺して、私も死ぬ」
何処までも真剣に法子は言った。
ルーマは肩を竦める。
「仕方が無い。では学校は法子に任せるとしよう」
法子が安堵してそっと息を吐く。
それを見て、ルーマは意地悪く言った。
「そんな反応をされると、学校がどんな場所か気になるな」
法子がルーマを睨む。
「絶対来ちゃ駄目だからね」
「分かったよ」
本当に分かっているのか法子は心配になる。漫画とかだとこういうのって大抵はどんなに止めても来ちゃうものだけど。とはいえ、止めても来るのなら何を言っても無駄だ。止めて来ない様ならもう十分に伝えた。そう考えて、法子は何も言わずに、ただじっとルーマを睨んだ。
それをおかしそうに眺めていたルーマだが突然顔を上げ、窓の外を見た。外では夜が始まり、欠け始めた月が空に浮かんでいた。
「始まったか」
「何が?」
法子が尋ねてもルーマは無視をして窓の外を見つめ続けている。
じっと窓の外を見て動かないルーマに苛立って、法子が再度尋ねた。
「だーかーらー、何が?」
ルーマが立ち上がる。
「戦闘さ」
途端に法子の中に緊張感が灯った。
そんな法子を置いて、ルーマは窓を開け、外に出る。
「行くぞ、法子! 戦いの夜が始まった!」
「ちょっと! 作戦会議は?」
法子が慌てて変身を終えて、窓から飛び出る。
「作戦会議なぞいつでも出来る。反して、今起こっている戦闘は今しか起こりえない」
ルーマは屋根を跳び次ぎながら、辺りを睥睨する。
法子が尋ねる。
「それで、何処に行くの?」
「向こうだ」
ルーマが指差した場所に向けて、法子は気配を探る。だが何の気配も感じない。別の場所からは幾つか戦っている気配を感じるのに。
「どうして? 何も感じないけど」
「何か不気味な感覚がある」
不気味な感覚? と法子は訝しんで、感覚を研ぎ澄ませた。だがやはり何も感じない。
「全然感じないけど」
「これから何か起こる予感がする。あくまで予感だ」
法子には理解出来ない。だが予感と言っている割に、ルーマの声には確信があった。
「今まで幾度も危険に身を置いて来た。そんな中で、特有の嫌な感覚を抱く事がある。はっきりと何かが分かる訳じゃない。ただ思い返してみるとそれが何を意味していたのかが分かる。今回は、昔仲間が罠にかかって死んだ時と同じ感覚だ」
ルーマがそう言って、更に速度を上げた。ルーマは法子の通う中学へと向かっていた。
学校は月明かりに照らされて白く浮き上がっていた。学校の中では非常灯が仄かに輝き、緑色の暗い闇を作りだしていた。昼間は賑やかな学校も夜間には人気が消え、角ばった幾何学的な校舎は闇と静寂の中、まるで廃墟の様な雰囲気を醸し出している。
人気が無い事を法子は不思議に思った。幾ら日が落ちたとはいえ、まだ夜の始まりだ。この時間であれば、教員は当然にして、部活等で生徒だって残っているはずだ。なのに。
まさかみんな襲われて、という嫌な予感が法子をよぎった。だが幸いにして法子の予感は杞憂である。実際のところは、昨日起こった複数の事件を理由に警察から早期帰宅の厳命が出た為に、生徒教員の区別なく全員夕日が沈むまでには帰ってしまっていた所為だ。
だからと言って学校の中が平静という証拠にはならない。
法子は闇の中、目を凝らし、校舎の中に人影が無いかを子細に観察して、見える範囲に人影が無い事を確認すると、一層不気味に思って身を震わせた。
「気を付けろ。そこら中に罠が張ってある」
法子が辺りを見回す。すると幾つかの瞬く光が見えた。よくよく目を凝らしてみると、そこには何も無い。けれど何故か光っている。何だろうと思っていると、タマの意志が心に響いた。
「君の解析の能力だろう。あそこに罠が張ってあるんだ」
更に集中すると、何処に入れば罠に引っかかるかも見えてきた。便利だなぁと自分の事ながら思う。
「どうした?」
ルーマが不審がって法子を見た。
「ううん、何でもない」
この能力の事はルーマに秘密にしておこうと思った。もしも戦いになった時に、出来るだけ自分能力は知られていない方が良い。
法子の不審を恐れによるものと解釈したルーマは背を向けて言った。
「まあ、あまり怖がるな。とにかく俺の近くに居ろ。そうすれば罠は動かない」
そういう能力を持っているのかなと思って、法子はルーマの傍に寄った。確かにルーマの傍にいると罠の範囲に入っても罠は発動しなかった。
「ねえ、この中で何をしようとしてるのか分かる」
法子は近付く校舎を見上げてふとそう言った。
「さあな。俺はこの中に居る奴じゃないからな」
「だよね」
「だが想像はつく」
「え?」
「この場所の特性は俺が見たところ二点、一つは場が巨大に区切られている事、もう一つが人の出入りが多い事だ。違うか?」
法子は不思議に思う。何故ルーマは人気の無い校舎を見て人の出入りが多い事が分かったのか。既に学校に来た事があるのか。疑問が湧いた。
「そこから考えてざっと思いつく敵の目的は四点。区切られた巨大な場を利用して戦闘拠点を作る事が一つ、戦闘拠点ではなく大規模な魔術を行う事が一つ。多くの人が集まる事を利用して、出入りする人々を魔術や戦闘の道具にする事が一つ。そうではなくその中の一人と入れ替わり、潜伏する事が一つ。即席で思いつくのはこんな所か」
どれもまともな理由ではなさそうだ。法子は思わず下唇を噛んだ。何としてでも止めなくてはならない。
やがて法子とルーマは校庭を真っ直ぐ突っ切って校舎に辿り着いた。
法子の手は緊張で湿っている。中に誰か悪い人が居て最悪戦いになる。そう思うと怖かった。けれど行かなければならない。出来るだけ相手に気付かれずに、逸早く相手に気が付ける様に、慎重に行動しなければならない。法子は唾を呑みこんで、隣のルーマを見た。
慎重に行こうと考えた法子に反して、ルーマは既に正面玄関に手をかけていた。そして思いっきり豪快な音を立てて、強引に扉を突き破った。悠々とした様子で校舎に踏み込んでいく。法子は慌ててそれを追った。
「ちょ、ちょっと!」
「どうした?」
ルーマは脇目も振らずに廊下を歩く。
「どうしたって……相手に気が付かれちゃうでしょ」
「何を言っている。この敷地に入った時点で俺達の存在はばれてるよ」
「え? そうなの?」
「ほら、早速お出迎えだ」
法子が恐る恐る廊下の先を見ると、月明かりに浮きあがった人影が独り立っていた。顔を俯かせ、腕をだらりと下げて、陰るその姿は不気味だ。
法子が相手の様子を窺っていると、タマとルーマが同時に言った。
「気を付けな、法子。向こうは完全にやる気だよ」
「さて向こうは戦う気の様だが、どうする?」
法子はその言葉に促されて臨戦態勢に入った。
するとルーマが法子の後ろに下がった。
「戦うか。なら俺は全力を以って後ろで応援していよう」
法子が思わず振り返る。
「ちょっと! 戦わないの?」
「相手は一人だろ。二人がかりで戦うのは卑怯だ」
「卑怯って。こんな状況で」
「俺は卑怯な事はしない」
ルーマがそう言って、そっぽを向く。法子はどう説得したものかと考える。自分からこの場に連れて来ておいて戦わないのはずるい。
「ならルーマが相手と一対一で戦ったって良いじゃん」
「俺が昨日戦ったのは見てただろ? だから今日はお前が戦うんだ」
「だってあれはそっちを襲いに来た人でしょ! それに帰したのは私だし!」
「……まあ、そうだな。ならどっちが戦うかくじ引きで決めるか」
法子はそれに賛同しそうになったが、躊躇し、考え込み、そして拒絶した。
「ううん、やっぱり私が戦う」
「急にどうした?」
法子はショッピングモールでの失態を思い出していた。あの時は、人々を助けるという正解を捨てて、魔王に挑み、そして結局何も出来なかった。でも今はただ戦えば良い。怪しい事をしている相手を倒せばそれでみんなを助けられる。こんなに分かり易い事は無い。今ならあの失態を挽回できそうだった。今挽回しなければ永遠に惨めなままの様な気がした。
それに、二人のクラスメートの顔が思い浮かぶ。この学校は法子の通う学校だ。今迄良い事なんて一つも無い、孤独ばっかり意識させられる、嫌で嫌で堪らなかった学校だ。いっその事壊れてしまえば良いのにといつも思っていた学校だ。けれど明日からは変わるかもしれない。暗く鬱屈とした日常が明るく晴れやかな日常に変わるかもしれない。それを壊される訳にはいかなかった。
「だって、ここは私の学校だもん。だから私があいつを倒す」
そう言って、法子は会話を打ち切り、敵と向き合った。敵は先程と同じ格好で動かない。もしかしてこっちの会話が終わるのを待っててくれたのかな。さっきの決意は何処へやら、もしかしたら相手は良い人なのかもしれないとまで法子は思う。それをタマが否定した。
「馬鹿言うな。あえて挑んでこなかったんだよ。校庭に罠を張り巡らせていたし、きっと待ちの戦法を得意にしているんだろ。相手と距離を取りつつ、魔術を準備して相手をはめるタイプ。多分、あんたとあの魔王の息子が馬鹿話をしている間に、魔術の準備をしていたんだ」
「そんな」
「とにかく気を付けな。うかつに飛び掛かっちゃ駄目だよ。まずは相手を解析して」
そこでタマの言葉が途切れた。
敵に動きがあったからだ。いつの間にか、敵の周りに人形が立っていた。足首の高さにも届かない小さな人形が七体。立ち上がって一礼して、踊りを踊り始めた。
タマの舌打ちが法子の頭の中に響いた。
敵の口元に月光が映る。にたりと薄気味の悪い笑みを浮かべていた。