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始まりの朝

 少女は生気の抜けた顔をしてテレビを見つめていた。

 機械的な動作で指を動かし不必要に力強くテレビを消す。それから布団の中に潜り込んで出てこない。刀が必死に語りかけても一向に顔を出す気配が無い。少女の他には誰も居ない病室の中で、刀は少女を布団の中から出そうと必死に励まし続けた。

 そんな病室の窓の向こう、ずっと先の空を一人の男が落ちていた。男は逆さまになって落下しながら、病室を眺めて口角を釣り上げ笑る。

「あれが親父と闘った魔女か」

 男は病室の中の布団の盛り上がった窓際のベッドを眺め続け、次第に笑いを強め、最後には声を上げて笑い出した。

「面白い! あんなものが親父を!」

 笑いながら、尚も男は落ち続け、そのまま公園の木に頭から突っ込んだ。

「暇をしそうにないな」

 逆さまのまま木の枝に引っかかった男は泰然と笑い続けた。朝靄のかかった人知れぬ公園の中に哄笑が高く響いた。


 法子はその日の午前中を布団の中に包まって過ごした。つい昨日の事である魔王との戦いとその失態、更にその失態が全国放送で流れている事が法子の心を抉って止まなかったし、その戦いでの疲労も強かった。全てを呪う様な気持ちで布団の中に隠れた法子は、早々にその温かさに負けて柔らかな眠りに落ちていた。

 起きたのはお昼時になってから。食事を運んできた看護士に起こされた法子は寝起きと疲労と悲嘆で食欲が湧かず、汁物をほんの少し啜って、それ以上食べられずにぼんやりとしていた。

 目の前のベッドには病弱そうなか細い女の子が居る。この病室には法子と女の子の二人だけだ。その女の子は既に半分ほど食べ終わって、満足そうに箸を置いた。女の子が顔を上げた。法子は慌てて顔を下げ、無為に食事を眺める。法子は積極的に初対面の人と話す事が出来ない。目など合わせたら、間違いなく気まずい雰囲気になる。

 しばらくして看護士が膳を下げに来た。法子は食べていない事を注意されたので、俯いて小さな声で返答した。看護士はそれを事故によるショックの所為で元気が無いのだろうと推断して幾分の同情を残して去っていった。

 入れ替わりに見舞いの客が来た。法子のではない。目の前の女の子へである。女の子と同い年位の女の子達は病室に入るなり騒ぎ始め、女の子のベッドを囲んだ。女の子もそれに対して嬉しそうに応じる。楽しそうに話している。

 法子は羨ましいと思う。あんな友達が居るからきっと頑張れているのだろうと思う。

 話好きの看護士の所為で、法子は目の前の少女がどんな境遇に晒されているのかを知ってしまっていた。

 突然体が動かなくなる原因不明の病で一年前から入院していて、それでも笑顔を捨てずに闘病している豪い女の子。まだ法子は入院し始めてから一日も経っていないが、確かに女の子はとても明るく元気そうに見えた。そんな難病を患いながら明るくいられる彼女を凄いと思う反面、何処か嫉妬めいた感情も思い浮かんだ。

 そしてその感情は女の子を囲む友人達の姿を見ている内に、更に強まり、醜く変じた。

 入院してから一年しても通ってくれる友達、そんなのが居ればそれは頑張れるだろう。そんな事を思ってふてくされて、法子は窓の外を見つめた。

 ああ、どうして私にはお見舞いが来ないんだろう。そんな事を思う。

 背後から聞こえてくる喧しい会話が聞こえてくる中、法子がじっと我慢して外を見ていると、猫の様な生き物を従えた同級生の摩子が病院の門を抜けたのが見えた。どうやら今日もかつて法子が切ってしまった純という少年の見舞いに来た様だ。律儀だなぁ、豪いなぁ、ついでにこっちにも来てくれないかなぁと、法子は思う。思ってから、何を期待しているんだと自分を恥じた。一人ぼっちの人間が何の努力もせずに他人との関わりを求める事は恥ずかしい事だと法子は思っていた。だからと言って自分から行動しないのが法子の法子たる所以である。

 もう少し時間が進むと、遂に女の子の友人達が帰る時刻になった。面会は二十分程度。一年間毎日来ているというのだから、よっぽど友達思いなのだろう。外を眺める法子は背後の楽しそうな気配を感じてまた嫉妬に駆られる反面、安堵も感じた。ようやくこの孤独の苦しみから解放される。安堵の息を吐きながら法子は窓の外を見続けた。だから気が付かなかった。

 入れ替わりに見舞い客が来た。女の子へではない。紛う事無く法子へである。見舞いに来た摩子と純は病室に入るなり笑顔になって、そっぽを向いている法子の元へと向かった。


 そこは鉄錆の匂いが充満する廃工場の中だった。町工場といった趣の工場は完全に打ち捨てられていて、後には処分できなかった機械と忍び込んだ誰かが残していったごみが散乱していた。

 その入り口に女と男が立っていた。女がその鋭い容姿をスーツで固めているのに対して、男は髭剃りもしていない不摂生な全身を、地面を擦る位に長いコートで覆っていた。

 男は顎の無精髭を無造作に撫でさすりながら、傍のビニール袋を踏み潰して振り返る。

「おいおい、魔物なんて何処にもいないぞ? ここに居るんじゃないのかよ」

 男と対した女は無表情のまま抑揚なく答えた。

「ええ、その様ですね」

「その様ですねって、お前」

 その瞬間、男は懐から一枚の札を取り出して女に突きつけようとした。だが既に女の姿はそこに無い。

 男が見上げると、女は二階相当の崩れかけたキャットウォークに立って、男を見下ろしていた。

「気付かれました?」

「工場に入った時から殺気を隠し切れていなかったぞ」

「そうですか。精進致します」

「腐れ詐欺野郎め」

「野郎ではありません」

 男は舌打ちして、懐から大量の札を取り出して宙に浮かべた。札は一枚一枚が等間隔に並んで男を囲む円を作った。その円が上中下に三つ。

 男が引き金を引く。

「出てこい、くそったれ」

 それを合図に、男の頭上の空間がひび割れ始め、そのひびの間から長い爪の生えた毛深い手が現れ始めた。巨大な力が辺りを蹂躙しようと威圧を放ちながら顕現しようとしている。

 その時には既に女が男の背後に回り、男の背から腹にかけて見えない何かで貫いていた。貫く何かは視認出来ず、傷口と透明な何かを伝わる血液だけがはっきりと見えている。男の頭上から現れようとしていた毛深い手はいつの間にか消えていた。女がその何かを捻ると、男の傷口が抉られ変形し、男はよろめいた。

 よろめく男に女は更に何かを捻って傷口を広げながら冷ややかに言った。

「どんな魔術であろうと、発動前に術者が死ねば止まる。それだけです」

「糞が」

 男は霞みそうになる意識を手繰り寄せて呪文を頭の中で呪文を詠唱しながら、余力を絞って女に尋ねた。

「どうして裏切った。同じヒーローを」

「ヒーロー? 魔物を討伐する仕事とヒーローは全く別物だと思いますよ。巷だと混同されていますけれど」

 女は項垂れる男の後頭部を見つめながら無表情で続けた。

「それに裏切るも何も私とあなたが出会ったのは今日が初めて。仲間になった覚えはありません」

「ならどうして嘘を吐いて俺をここにおびき寄せた。どうして俺を殺そうとする」

 呪文は完成が近づいている。幸い女は会話に気を向けてくれている。けれどその前に命が飛ぶかもしれない。

「大した理由はありません」

「ふざけるな」

「理由が欲しいのでしたら、そうですね、あなたが私と同じ物を欲しがっていたからでしょうか」

「欲しがってた? 最近欲しがっている物なんて一軒家位だぞ」

「御冗談を。あなたも欲しいのでしょう? あの望みを叶える」

 女が喋っている間に詠唱が完了した。その瞬間、男は自分の中に残っている魔力をありったけこめて、遠く離れた別の場所へと跳んだ。

 後には古びた工場と怜悧な女と生温い血液が残った。女は一度辺りを探ってから、男が近くに居ない事を確認して、ゆっくりと外へ向かった。


 ドアが開かれ嫋やかな女性が現れた。柔和な笑みを浮かべながら、書類を胸に室内を一つ見渡し、そして疑問符を零す。

「あら? ルーマ様はいらっしゃらないのですか?」

 全くと言って良い程、物の無い部屋の中には、たった一人、二足歩行のキリギリスが丸椅子に坐って本を読んでいた。キリギリスは女性の声に顔を上げてから、呆れた様子で溜息を吐いた。

「王子様は当分帰ってこないと思います。この前と同じ様に、選挙活動だと叫んで飛び出していきましたから」

「何処へ?」

「詳しくは分かりませんが、大方あちらの世界に行ったのではないですか?」

 キリギリスはそう言ってからまた本へと視線を落とす。一方で女性は重苦しく頷いた。

「分かりました」

「あ、サンフ様まで行かないで下さいよ。今は選挙の大事な時期なんですから。もう本当にサンフ様だけが頼りなんですよ」

 そう言ってキリギリスがもう一度ドアを見ると、女性は既に消えていた。床には書類が散らばっていた。


 何の変哲も無い市営体育館の体育場に沢山の人が列を作って勢揃いしていた。最前の壇上には一人の男がマイクの前に立って、列を作る人々を満足そうに眺めまわしている。何かスポーツ大会の開会式を思わせる様子だ。老若男女混合でざっと見て千人、それなりの広さを誇る体育館が窮屈に見える程、人が犇めいている。

「こんにちは、皆さん」

 壇上の男が人々に向けて挨拶をした。誰も答えない。マイクがハウリングして酷い音を立てる。誰も身動きすらしない。

「本日集まっていただいたのは他でもありません。遂に我らが敬う神の卵を発見いたしました」

 そう言うと、男は口角を釣り上げて目を細め、わざとらしい笑みを作った。すると列を作る人々も同じ笑顔を作って答えた。会場が全く同じ作られた笑顔で満たされる。

「指示はいつもの通りに、それでは行きましょう、皆さん。神の国へ」

 男は両手を上げると、人々は笑顔のまま列を乱さず、背後の扉を出て、赤く凝固したロビーを抜けて、晴れ渡った外へ出た。人々が居なくなった体育場で、男は両手を上げたままずっと動かない。

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