支えが無ければ物は倒れる
自室のベッドに座り込んだ法子へ、タマが言った。
「切った人間への見舞い? 止めておいた方が良いと思うけれどね」
「でも、このままじゃ後味ばっかり悪いし。ちゃんと私があの魔法少女だって事を知ってもらって謝らないと」
「変身した状態で行くのかい? 言っとくけど、今の君の評価は子供を切ったやり過ぎヒーローだよ? 未だにテレビでやってるじゃないか。変身ヒーローの在り方についてとかそんな題名が付いて。それで病院なんか行ってみなよ。死神が迎えに来たって騒ぎになるよ」
その言葉に法子は傷ついたという顔をして、沈み込んでしまう。
「いや、一応最後のは冗談だから笑ってほしいんだけど」
タマの言葉に法子は首を振る。
「ううん、タマちゃんの言う通りだよ。私は今、悪役だし、それで人前に出たらまずいっていうのも分かってる」
「だから、昨日みんなの前に出て高らかに宣言すべきだったんだよ。今からでも遅くないんじゃない?」
魔物を倒した後、法子は本当に何も言わずに皆の元に戻った。校内に隠れていた生徒達に混じって、さも怖くて隠れていたという風を装って。
タマには何とも歯がゆかった。どうしたって解決した事を知らしめておいた方が、法子にとって良いはずだから。
でも法子は拒む。
「私は、陰ながら人を助ける事に決めたの。人前に出るなんて性に合ってないもん」
「まあ、君がそう言うなら良いけど」
法子だって分かっている。確かにタマの言う通りで、昨日みんなの前に出て自分が倒したと言って、子供を切ったという汚名を僅かなりとも払拭すべきだったのだろう。そうしなかったのは、結局我が儘だ。違うと思ったからだ。華々しく人前に出て賞賛を浴びる偶像と身命を賭して人々を守る英雄は全く違うもので、相容れない。何となくの漠然とした思いではあるけれど、法子はそう思っていた。そう、どちらかと言えば、助けたほんの一握りの人にだけは分かって貰えて、残りの大部分には忌み嫌われる、そんな英雄になりたいと思った。苦しむ人々を守る存在なのに、自分だけが幸せの絶頂を目指す事は嫌だった。自分が苦しむからこそ、苦しい人を分かってあげられる、助けてあげられる。魔法少女になって苦楽の感情に浮き沈んだ二週間は、法子にそんな考えを閃かせた。
「変身した私が出て行って混乱するなら、変身しないでお見舞いに行って、傷付けちゃったあの子にだけ正体を明かせば良いでしょ?」
「あのね、ああもう、本当に分かっているのかな? その子にとって君は、自分を切った憎い奴なんだよ?」
「分かってるよ。だから謝りに行くんでしょ?」
「だから、そんな奴が来たって嫌なだけで、そもそも謝られたってそんな簡単に許せる問題じゃ無いし」
「でも謝らないと始まらないから」
「切られた方にとっては嫌な気分にしかならないと思うよ。心が軽くなるのは君だけだ」
法子が何かを思う前に、タマが重ねて伝える。
「私の主の中にも居たよ。人を切って恨まれた者が。村の人を何人も切った。昔、親を死なされた恨みでね。復讐の為だから、自分は何をやっても良いんだと思っていたよ。その後、色々あってね、情勢が変化して彼の心境も変化して、それで彼は村の人に償おうとした。殺される事も覚悟して、何でもするし、何をしてくれても構わないって言って、村人達に自分を委ねた。結果として、彼とその一族はみんな惨たらしく殺されて、彼の痕跡は全部消されて、その上で彼には醜い過去が付け加えられた。正しい英雄に殺される間違った化け物になった」
部屋の外から声が聞こえる。朝ごはんが出来たみたいだ。
法子がそれに生返事をする。心はタマの話から逸らせない。
「それでも村の人達の恨みは収まっていないみたいだった。むしろそれまで以上に恨んでいるみたいだった。死んでしまった後なのにね。とにかく憎くて憎くて仕方無くて、でもどうする事も出来ないから苦しいみたいだった。そうして自分達の境遇を嘆いていたよ。私の主の血に汚れた手で流れる涙を拭ってね。結局、私の主が何をしても、彼等が何をしても、何も変わらなかった。何処まで行っても、私の主は憎い敵で、彼等は哀れな被害者以外になれなかったんだ。この話を聞いてどう思おうと君の勝手さ。あの時の主と君では、状況も心情も何もかも違うから。そのままの事が起きるなんて事は無い。それでもちょっとは感じるものがあって欲しいね」
法子は静かにベッドから立ち上がって、部屋の外に出た。
タマの話は衝撃であったけれど、それでも自分の決めた正しいと思う行動を曲げたくはなかった。
「それでも行くよ。タマちゃんの話は良く分かったけど、今のままじゃ、私、英雄なんかじゃなくて、切り裂き魔だもん。助ける人と倒す敵を区別しないと。だからあの子供とそれからあの魔法少女、二人にちゃんと謝らないと私は英雄になんか絶対なれない」
「分かってない気がするんだよね、自分自身が考えた事の意味が。私は結構君の事を気に入っているんだ。だから下手な所で立ち止まらないでよ。この前みたいにさ」
「んふふ、ありがとう。でも大丈夫、もう魔法少女を辞めるなんて言わないよ」
法子が笑顔を浮かべて受け答える。その気安い返事が、タマには不安でならなかった。
病院への道を法子は辛そうに歩いている。
「筋肉痛が……痛い」
それにタマが笑う。
「あれだけ大立ち回りをやって今日動けているなら、とても成長しているよ。魔力だってほとんど回復しているし」
その言葉で法子も嬉しそうに笑う。
「本当? 成長してる?」
「ああ、してるしてる」
「そっか、良かった」
幸せそうにしながら痛みに顔を顰めている法子を感じながら、タマもまた嬉しくなった。そこで更に明るい話題にしようと、先程ニュースで見た話題に切り替える。
「そういえば、良かったな。君の同級生が助かって」
「え? ああ、そうだね。そういえば、さっきニュースでやってたね」
結局、昨日の魔物の被害は重傷者が二名のみ。一人は法子の同級生で全治二週間。もう一人が生徒を守ろうとして殴り飛ばされた教師、こちらは全治三か月。勇敢な教師の行動は賞賛されると共に、二人のヒーローが助けに来なかったら殺されていただろうと苦言も呈されていた。だから危険な事はなるべく慎む様にと。今後、近辺で更に強力な魔物が出現するだろう事と合わせて、不要な外出は避ける事、まず逃げる事を優先する事、何か会った時はプロに任せる事、と注意喚起が並べられた。
その他に、逃げる際の混乱で、転んで皆に踏みつけにされた重傷者が一名とその他軽症者が多数。
少なくとも死者が出なかったのは幸いだ。
法子がほっと安堵の心を持ったが、タマがそれをぶち壊す。
「あの時は、助かるなんて言ったけど、本当の所どうなるか分からなかったからなぁ」
「は?」
訳が分からず、法子は手元のタマを見つめた。
「物凄い吹っ飛ばされ方をしていたし、内臓が潰れているんじゃないかと思ったし、急がないと危険だと思っていたんだけど。いや、あの魔女の魔術は凄かったね。あれを治すんだから」
その瞬間、法子が壁にタマをぶつけた。勢い余って、法子の腕も傷付くが気にしない。
「タマちゃん、何言ってるの?」
法子が感情を押し殺した声で尋ねる。タマが慌てて答えた。
「勘違いしないでくれよ。あの時、もし君が目の前の悲劇に拘泥すれば、あの学校どころか、町全体が滅ぶ可能性があった。冷静に考えればどちらを選ぶかなんて分かるはずだ。けどそんな事言ったって、あの時の君の天秤に、いや沸騰した人間の天秤に目の前で死にかけている人間の命を乗せたら、反対に何を持ってこようと、目の前の人間の命に傾くだろう? だから、あの時は方便を使わせてもらったんだよ」
法子の体が震える。それが怒りによるものなのか、悲しみによるものなのかは分からない。
「そんな事言ったって! それじゃあ、タマちゃんは見殺しにしようとしたって事?」
「まあ、そうなるね。でも今言った様に勘違いはしないで欲しいな」
「でもその為に嘘を吐いたんでしょ?」
「本当の事を言ったって君は納得しなかっただろう? まあ、嘘を言っても納得しなかったのは誤算だったけど」
「でも……でもタマちゃんは嘘を吐いてまで見殺しにしようと」
「じゃあ聞くがね、君はあの時あの人間を助けられたかい? 君はあの重体に陥った人間を安静かつ迅速に運びだし、しかるべき処置が受けられる場所まで連れて行く事が出来たかい? あの時はあの魔女が居たから助かったが、そうで無ければ何処かの病院に運ぶ必要があっただろう。あの容態だと早ければ三十分もしないで死んでいたかもしれない。君はあの人間を救えたかな?」
タマの怒涛の言葉に法子は俯く。
「それは出来なかったかもしれない……けど」
「かもじゃない。出来なかったんだ。冷静にならなくちゃいけない。あの時、君が出来た最善の行動は、一刻も早くあの事態を納めて、医療従事者があの場にやって来られる状況を作る事だった」
法子はまだ納得がいかない様子で俯いている。
「忠告しておこう。君はいずれ、救う対象を天秤にかける事になる。その時に中途半端な態度をとれば君の心が潰れるよ」
法子が問う。
「それは私には救いきれないって事?」
タマが答える。
「君だけじゃない、誰にも救いきれないよ。世界の不幸を全部掬い上げようなんて、無茶な話さ」
法子が自嘲する。
「私はみんなを救おうとは思ってないよ。私はそこまで人が好きじゃないし。私はただ自分の為に英雄に」
タマが遮る。
「それでも、英雄を目指せばいずれぶつかるさ。救いたくても救えない、そんな大きな壁に」
「分かったよ!」
そう言って、法子は再びタマを壁にぶつけた。また勢いをつけすぎて自分の手を傷つける。
「全然納得してないじゃないか」
「タマちゃんの言う事は分かったし、もうその事では責めてない」
「じゃあ、何で」
「タマちゃんが私に嘘吐いたから」
法子の目から急に涙が溢れ始めた。
「何となくだけど分かるよ。お話でも良く在るから。誰かを救えない葛藤っていうのは。だからそれは良いよ。確かに昨日の私は中途半端で、決めきれなくて、それをタマちゃんが決めてくれたのかもしれない。むしろ感謝する事かも知れない。でもタマちゃん私に嘘吐いたでしょ。それが嫌なの。折角の友達なのに、ようやく昨日仲直りできたのに、それなのに嘘吐くなんて」
堰を切った様に泣き始めた法子にタマが狼狽える。
「それは……すまなかった。でもそんなに泣く程かい?」
「え? あれ?」
ようやく法子は自分の涙に気が付いた様子で、袖で拭い始めた。
「なんで泣いてるんだろう。そんな悲しい訳じゃないのに。違うんだよ、これは違うの。自分でも何だか分からない」
「ああ、いや、私も悪かった。そうだな、君はまだ若いし、人を救う道程もまだ歩き始めたばかり。それなのにごちゃごちゃ言い過ぎた。老婆心が働き過ぎたよ」
「違うよ、それはもう分かったもん。納得したし」
「そうかい?」
タマが尋ねる。法子が頷く。
そして法子ははっと顔を上げた。
「分かった。多分、私、今迄友達居た事無かったから、それできっと必要以上に裏切られたと思って悲しいんだ。タマちゃんが居なかった一週間も嫌で嫌でしょうがなかったし」
タマは咄嗟にそうじゃないと思った。が、よくよく考えてみれば、その通りかもしれないと思い直した。何にせよ、法子に心労を与え過ぎた。
法子と出会って二週間。タマに言わせれば、法子は敏感すぎる。何にしても大げさに捉えすぎて、それに心を浮き沈みさせてしまう。それは法子だけが特別なのじゃなくて、この年代の子供はそういうものなのかもしれない。
二週間、喋る刀と出会い、友達になり、変身して、魔物と闘い、同業者に負けて、人を傷つけ、魔物を倒し、人々を救った。きっとあまりにも密度が濃すぎたのだ。普段から周囲と関わりの無い法子にとっては、この二週間はそれこそ今までの人生に匹敵する位の波に晒されたのかもしれない。
支えてくれる人が居ればまた違うだろうとタマは思う。その相手として自分はどうだろうとタマは考え、横には並べないと否定する。
法子はタマを友達と呼ぶし、タマもそれで良いと思うが、友達とは少し立場が違うとタマ自身は思っている。体が無いから困った時に手を差し伸べる事は出来ない。悩みを聞いたって結局タマは数百年前から生きている刀なのだ。十数年生きた程度の人間とは感じ方がかけ離れている。だから法子が悩んだ時に、正しいと思う助言は出来ても、悩みに共感する事は出来ない。
せめて自分が人型だったらなぁとタマは思う。自分が人型で、法子の精神に寄生するのでなければ、きっとなれただろう。悩みを分かち合い、手を差し伸べられる友達に。
法子の家族は支えとなる存在だろうかとタマは考え、ならないと断定する。法子にとって家族は安息の場所である。外とは完全に分かたれた聖域だ。だから、法子は外の悩みを決して持ちこもうとしない。学校で孤独な生活を送っている事を法子は家族に黙っている。自分の中に溜め込んでいる。家族はどうやら分かっている様だが、法子から相談してくるまで待つつもりなのか、積極的に突っ込もうとはしない。
弟はそんな姉を助けようとしている様だが、法子はそれを拒否している。姉と弟という立場の違いや、弟の方は姉である法子と違って学校で上手くやれている事などで、むしろ劣等感を感じてしまっている。だから弟が手を差し伸べようとすればするほど、法子の悩みが深くなる。
結局立場が違うのだ。だから同じ立場の人間が法子の傍に居てくれればとタマは願う。特にこれから変身ヒーローを続けていくのであれば、更に悩みは増えるはずだ。そんな時に支え合える仲間が居れば。そう例えばあの、
「ねえ、タマちゃん」
「なんだい?」
「さっきから思考駄々漏れだから」
「……何で? 前はちゃんと隠せていたのに」
「分かんないけど、いつもより何だかタマちゃんが考えている事が分かる」
これはやり辛くなりそうだ。
「何を?」
色々。
「変な事企んでるんじゃないでしょうね?」
「本当に読めているんだ。全く。成長するのは良いけど、変なところで成長しないで欲しいな」
「こっちの勝手でしょ」
法子が不機嫌に受け答える。
「あのね、タマちゃん。私の傍に悩みを言える人が居ないって言ったけど、タマちゃんが居るでしょ?」
「だから私は」
「タマちゃんに体が無くたって、種族が違ったって、タマちゃんはいつも私を支えてくれる大事な友達だもん」
「そりゃどうも」
そうじゃない。私じゃ駄目なんだ。
「だから何考えているか分かるから」
「もう、本当にやり辛くなったな」
タマは道の先を見る。病院が見えた。
今のやり取りで、不安が薄れてしまった。けれど、これはいずれ解決しなくてはいけない問題だ。けれどこれは法子が解決しなければならない問題で。何か自分に出来れば良いけれど。
「余計なおせっかいだよ」
その前にまず心が読まれない様にしないと。