記憶の狭間に
アルベルト様に連れられ、街全体を見渡せる丘にやってきた。
祭りの喧騒とは打って変わり、夕日が街をオレンジ色に染め、風が心地よく頬を撫でていく。
長閑な景色に、自然と心が落ち着く。
「今日はありがとうございました。街の様子を間近で見られて、満足です」
「それなら、良かったです」
「この国の人々が笑顔で暮らせるのは、アルベルト様の政のおかげでしょうね。貴方が真摯に国民に向き合うからこそ、この国は活気に満ちているのだと思います」
「…貴方にそんな言葉をもらえる日が来るなんて、思ってもみなかったな」
「え?」
「ずっと不安だった。本来、前国王が亡くなれば正当な王位継承者は直系の貴方です。私は所詮、紛い物に過ぎない。そう思っていました」
「そんなこと…。アルベルト様が支えてくれたから、今こうしていられるんです。私こそ、王族として失格です。家族を亡くしてショックを受け、執務を放棄して寝込むなんて…」
民に支えられる立場にありながらも、そんなこと許されるはずはなかった。
それでも、今こうして皆が笑っていられるのは、間違いなくアルベルト様のおかげだ。
私は改めて彼の横顔を見る。
夕日に照らされた彼の顔は、目鼻立ちが際立ち、しっかりとした輪郭が美しく、言葉にできないほど魅力的だった。
「私は、記憶を失くす前の“私”がしたことを許せません。でも、感謝していることもあるんですよ」
「それは…?」
「アルベルト様と一緒にいる選択をしたこと」
「…!」
その言葉と同時に、私たちの視線はゆっくりと交わる。
「アルベルト様と結婚したこと。それだけは、褒めてあげたい」
「…っ!」
「正直、自信がなかったんです。貴方へのこの気持ちは本当に私のものなのか、前の私の借り物かもしれない。でも、今は確信しています。やっぱり私は、どうしようもなくアルベルト様に惹かれている――」
目の前で揺れる彼の瞳。
夕日に照らされるその色は、まるでラベンダー色の宝石のように美しかった。
その瞳を見て、先ほど購入したペンダントの色を思い出す。
「あの…、今日のお礼です」
お祭りで買った宝石があしらわれたペンダントをそっと差し出す。
やはり、彼の瞳の色によく似ていた。
「アルベルト様の瞳の色みたいに綺麗だなと思って」
「…っ!」
彼は、何も言わずにペンダントを受け取ったまま、固まっている。
――あまりお気に召さなかったのだろうか…。
「あの…」
「私の瞳が綺麗だと…」
「…?」
「そう言ってくれたのは、後にも先にも貴方だけです」
「え?」
「ありがとうございます。大切にします、部屋に飾っておく」
「ええ、そんな高価なものでもないので、飾らずにちゃんと使ってください!」
ちゃんと使ってほしくて渡したのに、飾られてしまっては困ると、私は彼の襟元にペンダントをつけた。
そのペンダントを見ながら、彼は嬉しそうに微笑んだ。
彼が喜んでくれたようで、ほっと胸を撫で下ろす。
今の私は、彼に与えられるばかりで、何も返せていないのだから。
「来年も、花祭り行きましょうね。一緒に」
「……」
来年の約束をしようとするも、アルベルト様は言葉に詰まり、なかなか頷かなかった。
そんな彼の様子を不審に思い尋ねる。
「アルベルト様…?」
「あ、ああ…」
快諾してくれると思っていたので、彼の反応に少し戸惑ってしまった。
彼の目には、憂いの色が残っている。無理に笑っているようなーー。
「来年も、ソフィアが私と一緒に行きたいと言ってくれるなら…」
「なんですか、その言い方。来年には心変わりしてるみたいじゃないですか。そんなことありえません」
彼は時折、自分に自信がなさそうな言い方をする。
すべてを手にしていると言っても過言ではない、皆が羨むような完璧な人なのに。
何が、彼をそんなにも不安にさせているのだろうか。
「本当に、心変わりしないと、約束してくれますか…?」
「はい。約束します!」
そして、じっと見つめ合い、アルベルト様は私の頬に手を添え、ゆっくりと顔を近づける。
緊張で胸が高鳴り、今にも心臓の音が聞こえそうだった。私も彼を迎え入れようと目を閉じた時――、
「ママ〜〜!!!」
子どもの声が響き、私たちはパッと目を見開き、咳き込むように距離を取る。
火照った顔を手で仰ぎながら、お互いに笑い合った。
「今日は帰りましょうか」
「そ、そうですね。もう暗くなりますし…!」
そして、2人手を繋ぎながら丘を下り、馬車の止めてある場所へ。
私は彼の少し後ろを歩きながら、今日の出来事を振り返っていた。
彼と過ごした時間を通して、少し意識が変わったような気がする。
記憶を取り戻そうと必死になっていた時は、思い出せない自分を責めてばかりいた。
でも、今は違う。過去に縛られるのではなく、これからを考えていけばいい。
今の“私”でアルベルト様と共に、この国を支えられる王妃になりたい――そう強く思えた。
それも、彼が私のことを支えてくれているからだ。
空を見上げると、先ほどまでの夕日は雲に隠れ始め、そろそろ雨が降りそうな空模様になっていた。
強い風が吹き、被っていた帽子がふわりと宙を舞う。
「あ…!」
帽子を拾おうと駆け寄ると、そこには30代ほどの痩せた男性が立っていた。
「帽子、落としましたよ」
「ありがとうございます…」
礼を言い、帽子を受け取ろうとしたその瞬間――。
私の顔を見て、目の前の彼の瞳の色が変わった。
焼けつくような憎悪がそこに宿り、声が怒りに震えている。
「…お前!!!!シャーロット・ソフィアじゃないか!!!!」
「え…?」
向けられた視線に、頭の奥で鐘が鳴り響くような激しい痛みが走る。
体が石のように硬直し、逃げようとすればするほど動かなくなる。
「お前たちのせいで!!!俺の息子が!!!」
「…!」
その瞬間、「ソフィア!」という私が最も安心できるあの声が響き、アルベルト様が私を庇うように立ち塞がる。
――そして、それは一瞬だった。
男性の「ああああ!」という断末魔のような声とともにドサッと倒れる音が聞こえた。
どこに隠れていたのかわからないが、ずっと同行していたのだろうデュークに腕を切られ、
地面に取り押さえられている男性の姿がそこにはあった。
その光景に、思わず小さな悲鳴を洩らす。アルベルト様はすぐに私を抱き寄せ、胸元で視界を覆ってくれた。
「ったく、お前が庇いに来たら意味ないだろ。よく考えろ。もしものことがあったら、今の国はどうなるか。お前も守られる側だってことを忘れるな」
「理解してる」
「ほんとかよ」
「とにかく、デューク、後処理は頼む」
「はいよ〜」
二人の声が遠くに聞こえる。私の頭の中には、先ほどの男の怒声だけがこだまし続けていた。
――お前たちのせいで!!
私が「王妃のシャーロット・ソフィア」と認識した上で、向けられた憎悪の目。
初めて聞いたはずなのに、なぜか聞き覚えがある、そして恐ろしく感じる言葉。
「ソフィア!ソフィア!」
アルベルト様の声で我に返ると、自分の呼吸が乱れ、全身が汗で濡れていたことに気づいた。
「大丈夫か……?」
必死に答えようとするのに、喉が詰まり、声が出ない。
……どうして私があれほどに憎まれているの?過去に何があったの?
問いが次々と溢れてくる。
けれど、その思いを呑み込み、アルベルト様を安心させたい一心で、無理に微笑んで言った。
「大丈夫です。アルベルト様がいてくださって、良かったです」
――なのに。
その言葉を聞いた彼の顔は、心を抉られたように苦しそうに歪んだ。
どうして。どうして貴方がそんな顔をするの。
お願いだから、私よりも苦しまないで――。
貴方が傷ついた顔をすると、なぜか私も苦しくなるのだから。
けれど、その想いを声にすることはできなかった。




